第231話 お願いという命令
話をつけるなら、四人が帰還する前しかない。
戸張はスマートフォンを持ったまま、何を条件にするべきか考えた。
ハウンド・スリーの四人が、帰還後に発生するかもしれないワープを使わないと約束してくれれば、少なくとも彼らが繰り返し六層へ入ってくることは防げる。
ただし、約束する理由が相手にはない。
六層へ到達したばかりの彼らにとって、この森には未知の資源と情報が残されている。狼型には銃器が通じにくく、森砕きのような大型個体もいるが、それだけで探索を諦めるような四人ではない。
戸張はニュースや公開映像で、彼らが何度も危険な階層へ挑んできたことを知っている。
頼むだけでは戻ってくる。
だからといって、脅すのも違う。
森砕きを殴り飛ばした直後なので、脅しとしての効果はあるかもしれないが、アメリカ政府に支援された有名な探索者を敵に回すことになる。ここで戦えば、仮に四人を追い返せても、その後に何が起きるか分からない。
戸張は考え込みながら、四人の装備を見た。
複数のカメラがある。
自分の姿も、森砕きを殴った場面も残っているはずだ。帰還すれば、六層に正体不明の人間がいることまでアメリカ側へ伝わる。
いっそ、ここで全員帰らぬ人にしてしまえば話は早いんだけどな。
もちろん、本気ではない。
面倒な問題を前にした時に浮かんだ、現実に選ぶつもりのない冗談だった。
だが、その考えが頭をよぎった直後、寄生体から複数の反応が返ってきた。
戸張の背後にある茂みで、葉がわずかに擦れる。
枝の上に隠れていた鳥型が動きを止め、森の左右から向けられていた気配が、四人のいる場所へ集まった。
姿を見せてはいない。
それでも、戸張の判断を待つような緊張が周囲に広がった。
いや、やらない。
ただ考えただけだ。
戸張は慌てて否定する意図を向けたが、その時にはケイレブ・ロークが動いていた。
それまで会話へ加わらず、周囲の森へ視線を巡らせていたケイレブが、小銃を戸張へ向ける。
「Caleb!」
コール・マーサーがすぐに銃身を掴み、横へ押した。
「Don’t. He just saved us.」
「Something changed.」
ケイレブは引き金から指を外していたが、銃から手を離そうとはしなかった。
戸張ではなく、その背後や左右の木々へ視線を移す。
「We’re being watched. From everywhere.」
気づいたのか。
戸張は内心で驚きながらも、外側では動かなかった。
寄生している生物たちは、木々や茂みの中に隠れたままである。姿を直接確認したわけではないはずだ。
それでも、ケイレブは雰囲気の変化を感じ取ったらしい。
グラント・ヘイルが黒い槍を持ったまま、二人の間へ半歩入った。
「Lower it.」
「Grant.」
「Lower it, Caleb.」
同じ命令を繰り返され、ケイレブはゆっくりと銃口を下げた。
完全に警戒を解いたわけではない。戸張から目を離さず、すぐに構え直せる位置で小銃を保持している。
コールも銃身から手を離した。
「Next time, say something before you point a gun at the person who saved you.」
「I did say something.」
「After you pointed it.」
戸張は二人のやり取りを聞きながら、周囲へもう一度攻撃しない意図を向けた。
集まっていた気配が、少しずつ元の位置へ戻っていく。枝の上でも小さな動きがあり、張りつめていた空気がわずかに緩んだ。
ケイレブはその変化まで感じたのか、戸張の背後へ目を向けたまま眉を寄せている。
下手な冗談を考えるのも危ないな。
以前より寄生体との意思疎通が明確になった分、戸張が想像した行動にも反応するようになっている。
今後は、実行するつもりがないことまで具体的に考えない方がよさそうだった。
戸張は空いている左手を開き、攻撃する意思がないことを示した。
それからスマートフォンを操作し、英訳した文章を表示する。
『あなたたちを攻撃するつもりはありません』
グラントが画面を読み、ケイレブへ一度視線を向けた。
戸張が音声入力へ切り替えて端末を向けると、グラントが短く答える。
『分かりました』
戸張は頷いた。
今の出来事を説明しようとすれば、周囲に何がいるのかまで話す必要が出てくる。
それは避けたい。
代わりに、本来考えていた問題へ戻る。
戸張は端末へ質問を入力し、英訳した文章だけを表示した。
『ワープが現れた場合、あなたたちは再びこの階層へ来ますか?』
グラントは画面を読んだ後、すぐには答えなかった。
エレナ・ルイスと短く英語を交わす。
「If it works, we would need to investigate it.」
「And this floor.」
「The connection between different entrances may be more important than anything we found before.」
戸張には細かな内容までは分からなかったが、再調査の必要性について話しているようだった。
グラントが再び戸張の前へ立ち、スマートフォンのマイクへ向かって話す。
『はい。おそらく、私たちは再び来るでしょう』
予想どおりだった。
別々の国にあるダンジョンが、深い階層で同じ場所につながっている。
それだけでも、政府が調査を止めるとは考えにくい。
戸張は表示された日本語訳を読みながら、次の文章を組み立てた。
自分がこの六層を所有しているわけではない。
ハウンドに入るなと命令できる立場でもない。
それでも、小人たちの拠点や寄生している生物の存在を知られれば、今の環境を維持するのは難しくなる。
戸張は文章を入力し、英訳された部分だけを画面へ表示した。
『四人には、二度とこの階層へ入らないと約束してほしい。ワープを使って戻らず、ほかの人間をここへ案内しないでください』
画面を向けると、四人はしばらく黙って文章を読んだ。
最初に反応したのはエレナだった。
戸張が音声入力へ切り替えると、彼女は短く問いかけた。
『なぜですか?』
戸張は答えを考えた。
小人がいる。
寄生した生物たちが暮らしている。
ここは戸張が自由に活動できる、唯一の場所に近い。
そのすべてを説明するわけにはいかない。
戸張は必要な部分だけを入力した。
『この階層には、私が守らなければならないものがあります』
エレナが周囲の森を見た。
ケイレブも同じように木々の間へ視線を向ける。
先ほど感じた視線と、戸張の文章を結びつけたのかもしれない。
コールが低い声で何かを言ったが、スマートフォンへ向けたものではなく、戸張には聞き取れなかった。
グラントは画面を見た後、端末のマイクへ向かって話す。
『私たちに、この階層を諦めろと言っている。代わりに、あなたは何を差し出しますか?』
当然の質問だった。
戸張も、何も渡さずに約束だけを求めるつもりはない。
ハウンド・スリーが欲しがるものを考える。
装備や素材を渡すのは難しい。ポーションや六層の情報を提供すれば、かえって興味を強める可能性がある。
戸張に差し出せるものの中で、彼らにとって最も価値が高いのは、戸張自身の力だった。
森砕きを横から殴り飛ばしたところを見られた後なら、その価値を説明する必要もない。
戸張は文章を入力する。
『代わりに、私はハウンド・スリーへ一度だけ力を貸します。今いる四人から、一つだけ依頼を受けます。ただし、私が受け入れられない内容なら断ります』
グラントが読み終える前に、横から画面を覗き込んでいたコールが声を漏らした。
「That’s one hell of an offer.」
エレナは戸張の右腕へ視線を向けた。
すでに通常の大きさへ戻っているが、先ほど森砕きを殴った光景は記録に残っている。
彼女はスマートフォンを示し、戸張が音声入力へ切り替えるのを待ってから話した。
『私たちは、どうやってあなたへ連絡すればいいのですか?』
戸張はその質問で手を止めた。
連絡方法まで考えていなかった。
名前も顔も出さず、使用言語まで隠そうとしているのに、普段使っている連絡先を渡せるはずがない。
しかし、相手は世界的に知られているハウンド・スリーである。
戸張から彼らを見つけることは難しくない。
逆に、彼らから戸張を探せない形にしておけばよい。
『私は、あなたたちが誰か知っています。約束が守られていれば、こちらから連絡します』
戸張が画面を見せると、コールが眉を上げた。
「He knows us.」
「A lot of people know us.」
エレナが答える。
「Most of them don’t look like that.」
戸張は白鎧に覆われた自分の姿を見下ろした。
確かに、彼らを知っている側としては少数派だろう。
グラントは仲間三人を見た後、戸張へスマートフォンを示した。
音声入力へ切り替えると、端末へ向かって話す。
『少し話し合う時間が必要です』
戸張は頷き、少し距離を取った。
四人は輪になるほど近づかず、周囲を警戒できる位置を維持したまま英語で話し始めた。
「We can promise for ourselves. We can’t promise that no one else will ever reach this floor.」
ケイレブの言葉に、戸張も異論はなかった。
別の探索者が五層を突破し、同じ六層へ到達する可能性までは、ハウンドに止められない。
「He only said not to guide anyone here.」
エレナが戸張の表示した文章を確認する。
「The recordings will be reviewed. We can’t hide what happened.」
「He didn’t ask us to hide it.」
コールが言った。
「He asked us not to come back and not to bring anyone.」
聞き取れる単語はあったが、戸張には話し合いの細部までは分からなかった。
グラントはすぐに結論を出さず、戸張と五層へ戻る扉を交互に見ている。
戸張も急かさなかった。
彼らが約束を守る人間なのかは分からない。
それでも、ハウンド・スリーは活動の多くを公表し、危険な現場でも仲間を置き去りにしなかった。少なくとも、何の意味もなく約束を破るような集団には見えなかった。
話し合いを終えたグラントが、戸張の前へ戻ってくる。
戸張が音声入力へ切り替え、スマートフォンを向ける。
『私たち四人については約束できます。ワープを使ってこの階層へ戻らず、ほかの人間をここへ案内しません』
そこでグラントは一度言葉を切った。
『ただし、ほかの誰かが自力でこの場所を発見することまでは防げません』
戸張は頷いた。
最初から、そこまで求めるつもりはない。
端末へ短く入力する。
『分かりました。それで十分です』
グラントが画面を読み、黒い槍を左手へ持ち替えた。
空いた右手を、戸張へ差し出す。
それから、スマートフォンへ視線を向けた。
戸張が音声入力へ切り替えると、グラントが話す。
『では、これで取引成立です』
戸張は差し出された手を見た。
白鎧に覆われた手で握っていいものか一瞬迷ったが、指の部分だけを薄くしてから右手を伸ばした。
人間の手を握る感触が、白い糸越しに伝わる。
約束がどこまで守られるかは分からない。
それでも、何も決めずに帰すよりは前へ進んだはずだった。
「Yes.」
戸張が答えると、コールが小さく笑った。
「At least he says that one without a phone.」




