第229話 リポップ
地面の揺れが収まる前に、四人のさらに奥で木が倒れた。 幹が途中から折れたのではない。根元ごと押された大木が傾き、周囲の枝を巻き込みながら森の中へ沈んでいく。
続いて、その後ろにあった木も大きく揺れた。
逃げてきた生物たちは、左右へ分かれながら四人の脇を通り過ぎている。小型の獣は足元の障害物を跳び越え、猪型は木へ体をぶつけても止まらず、飛べるものは枝葉を乱しながら頭上へ逃れた。
四人は太い木を背にして隊形を整えようとしていた。
黒い槍を持つ男が前へ立ち、大口径の狙撃銃を抱えた男が膝をつく。腕を負傷している男と端末を持つ女は、左右から流れ込んでくる生物を警戒していた。
それでも、迫っているものへ向けて射線を作れるほど、周囲は開けていない。
戸張は木々の間を回り込み、四人との距離を詰めた。
声を掛ける方法を考えている場合ではなくなっていた。
逃げてくる獣の向こうで、太い幹が横へ弾かれた。
折れた木を押し退けながら、巨大な四脚が姿を現す。
厚い皮膚に覆われた胴体。前方へ突き出した頭部と、木々を押し倒すために発達した肩。踏み込むたびに腐葉土が沈み、周囲の根が地面から浮き上がる。
以前に戸張が戦った個体より、二回りほど小さい。
それでも、人間が正面から受け止められる大きさではなかった。
「森砕き……!?」
形も動き方も見間違えようがない。
戸張たちが倒したはずの六層の巨大個体が、再び森を進んでいた。
「リポップしたのか!」
以前の個体より小さいのは、成長途中だからなのか、再出現するたびに個体差があるのかは分からない。
森砕きは逃げる生物を押し退け、武器を構える四人へ頭を向けた。
大口径狙撃銃を持つ男が何かを叫ぶ。
ほかの三人が左右へ離れ、射線を開けた。
銃声が森を揺らす。
専用弾らしい一発が森砕きの顔へ命中し、頭部がわずかに傾いた。着弾した場所から皮膚と血が散ったものの、深く撃ち抜いた様子はない。
森砕きは一歩後ろへ下がり、すぐに頭を振った。
効いてはいるが、止めるには足りなかった。
小銃による射撃も続く。
弾丸は目や鼻の周囲へ集中し、森砕きは顔を背けた。柔らかい部分を狙われることは嫌がっているが、胴体や脚へ当たった弾は、表面へ小さな傷を残すだけだった。
四人は狼型との戦いで、すでに弾薬を消耗している。
森砕きを追い返せるまで射撃を続けられるようには見えなかった。
黒い槍を持つ男が、大きく腕を振る
四人は森砕きの正面から外れ、五層へ戻る扉の方向へ走ろうとした。
その動きを見た森砕きが、地面を蹴った。
「まずい」
巨大な体が、周囲の木々を押し倒しながら加速する。
四人の中で、腕を負傷している男だけがわずかに遅れた。ほかの三人も速度を落とし、置いていかないよう隊形を縮める。
その分、森砕きとの距離が急速に詰まった。
大口径狙撃銃の男が振り返ったが、走りながら構えられる重さではない。端末を持っていた女が小銃で顔へ射撃を加えても、突進の勢いは止まらなかった。
戸張は山刀を抜かず、森砕きの横へ向かって走った。
正面へ入れば、四人とまとめて踏み潰される。
以前と同じように、寄生している仲間と連携して時間を掛けて倒す余裕もない。
戸張は右腕へ意識を集中させた。
白鎧の表面が動き、肩から指先までを覆う糸が何重にも重なっていく。
右腕そのものを芯にして、白い層が外側へ膨らんだ。
上腕は戸張の胴ほどの太さになり、前腕から拳にかけてはさらに大きくなる。指の形を残した白い拳は、人間一人を包めるほどの大きさまで広がった。
腕を長く伸ばすのではない。
戸張自身の右腕を、巨大な打撃用の器官へ作り替える。
七層のワームから得た、長い体全体を一続きに動かし、先端まで力を逃がさず伝える感覚。
以前の森砕きを吸収したことで得た、巨大な重量を支え、衝撃へ耐えるための性質。
二つを寄生体の糸へ応用し、腕と肩だけではなく、背中、腰、脚まで使って巨大な拳を振るう。
拠点近くで倒木や岩を相手にした試験では、形を崩さず殴り抜けるところまで確認していた。
動いている森砕きへ使うのは初めてだった。
戸張は突進する森砕きと並ぶ位置まで走り、巨大化した右腕を後方へ引いた。
重さに引かれ、右肩が後ろへ持っていかれる。
寄生体の糸が背中と腰へ回り、白鎧の内側で戸張の姿勢を支えた。
「間に合え!」
左足を地面へ踏み込み、腰を回す。
肩から先だけを振るのではなく、全身の動きを右腕へつなげた。
巨大な白い拳が、森砕きの頬から首の付け根へ横殴りに叩き込まれる。
肉と硬い皮膚を打つ重い音が、周囲の木々を震わせた。
衝撃は戸張の右腕にも返ってくる。
踏み込んだ足元の土が大きく削れ、両脚が横へ滑った。肩から背中へ強い負荷が走り、白鎧の表面に細かな亀裂が広がる。
それでも巨大化した右腕は折れず、拳は森砕きの頭部を押し切った。
突進していた前脚の一つが地面を踏み外す。
森砕きの巨体が四人の正面から逸れ、腕を負傷していた男のすぐ横を通過した。
男は黒い槍を持つ仲間に防護服を掴まれ、地面へ引き倒される。
次の瞬間、森砕きは大木へ側面から衝突した。
幹が根元から折れ、森砕きの体へ倒れかかる。周囲の木々も枝を巻き込まれ、大量の葉と折れた枝が地面へ降った。
戸張は滑った足を止め、巨大化させた右腕を持ち上げた。
白い拳の表面は裂け、指の一部が潰れている。内部にある戸張自身の右腕は動かせるが、同じ威力でもう一度殴るには、形を整え直す必要があった。
「一発でこれか」
試験した倒木とは、返ってくる重さが違いすぎる。
倒れた木の下で、森砕きが前脚を動かした。
首の側面には白い拳で殴られた跡が残り、皮膚の一部が裂けている。以前戦った個体より小さくても、今の一撃だけで倒せる相手ではなかった。
森砕きは倒木を押し退け、頭を持ち上げた。
その視線が、戸張へ向く。
戸張も右腕を構え直した。
白い糸が潰れた拳を補修し、肩から腕へ新しい層を重ねていく。
森砕きはすぐには立ち上がらなかった。
戸張を見つめたまま、動きを止めている。
怒っているというより、何かを確かめているようだった。
やがて森砕きの視線が、戸張の肩越しへ動いた。
戸張の背後には、一見しただけなら木々と暗がりしかない。
しかし、枝葉の間にはわずかな揺れがあり、地面近くの茂みでも何かが姿勢を低くしていた。
銃声へ近づかせないよう距離を取らせていたものたちが、森砕きの接近には反応したらしい。
姿を見せてはいない。
それでも森砕きには、戸張の後ろに何が潜んでいるのか分かったのかもしれない。
巨大な前脚が、わずかに後ろへ下がった。
次の瞬間、森砕きは倒木の下から体を引き抜き、戸張たちへ背を向けた。
「え?」
立ち上がった森砕きは、戦いを続けようとしなかった。
折れた木々を踏み越え、来た時とは違う方向へ走り出す。周囲の幹へ体をぶつけながらも速度を落とさず、地響きを遠ざけていった。
戸張は巨大化した右腕を構えたまま、その後ろ姿を見送った。
「逃げたか?」
以前の森砕きは、傷ついても攻撃をやめなかった。
今回の個体は二回り小さい。戸張の一撃を受けたことに加え、背後に潜んでいるものたちまで相手にすれば勝てないと判断したのかもしれない。
少なくとも、すぐに戻ってくる気配はなかった。
戸張は右腕を縮め始めた。
厚く重なっていた白い糸がほどけ、肩や胴体へ戻っていく。人間の腕に近い太さまで戻ると、白鎧の内側で右手を開閉した。
痺れはあるが、骨や関節に異常は感じない。
そこでようやく、四人へ向き直った。
黒い槍を持つ男は、腕を負傷した仲間を立たせながら戸張を見ている。
大口径狙撃銃を持つ男も銃を下ろしてはいない。女は端末と戸張を交互に確認し、負傷している男は片腕を庇いながら小銃を構えていた。
誰も撃たない。
代わりに、誰も戸張へ近づこうとしなかった。
戸張は黒い槍へ目を向けた。
特徴的な形には見覚えがある。
四層の宝箱から回収され、映像や写真が世界中に広まった武器だった。
大口径狙撃銃を持つ男と、女を含む四人組という構成にも覚えがある。
「ハウンド・スリーか」
海外掲示板の翻訳やニュース映像で、何度も見た探索者たちだった。
アメリカで四層へ到達し、黒い槍と赤いポーションを持ち帰ったことで知られる有名なチーム。
その四人が、なぜ日本の暗渠ダンジョンの六層にいるのか。
答えは一つしか思いつかなかった。
彼らも別の入口から、同じ六層へ到達した。
戸張が何も言わずにいる間、四人は英語で短く話し合った。
声を抑えてはいるが、この距離ならある程度は聞き取れる。
「Don’t point your guns at him. Without him, Caleb would have been trampled.」
黒い槍を持つ男――グラントが、仲間の銃口を下げさせようとしている。
「Saving us doesn’t prove he’s human.」
エレナは戸張から目を離さなかった。
「He may have just decided which to kill first—us or that monster.」
コールは大口径狙撃銃を構え直さず、いつでも動かせる位置で保持している。
「At least he pointed us toward the way out. And he uses a weapon.」
ケイレブが噛まれた腕を押さえながら戸張を見た。
「We’ve seen monsters use weapons.」
「Monsters that make a giant arm?」
「I don’t know.」
戸張は口を挟めなかった。
相手が誰かは分かった。
英語も、話している内容の大部分は理解できる。
それでも、自分が何者なのかをどう説明すればよいのかは分からなかった。
日本の探索者だと名乗れば、なぜここにいるのかを聞かれる。
六層まで来た経路を尋ねられても答えられない。白鎧や巨大化した右腕についても、説明できる範囲はほとんどなかった。
何より、四人の装備には複数のカメラが取りつけられている。
下手に話せば、声まで記録される。
戸張が黙って立っていることで、四人の警戒はむしろ強まっているように見えた。
グラントが仲間へ片手を下げるよう合図する。
銃口は完全には外されなかったが、すぐに撃つ姿勢ではなくなった。
それから戸張に正面を向き、黒い槍の穂先を地面へ下げた。
「We don’t want to fight you.」
ゆっくりと区切った英語だった。
戸張にも理解できるよう、簡単な単語を選んでいるらしい。
「You saved us. Thank you.」
戸張は返事を考えた。
どういたしまして、と答えるだけなら簡単だった。
しかし、一度返事をすれば、次の質問が始まる。
言葉が通じないふりをすることも考えたが、相手は経験豊富な探索者だ。視線や反応から見抜かれる可能性が高い。
戸張が沈黙を続けると、グラントは仲間へ一度だけ視線を向けた。
「Do you understand me?」
戸張は答えなかった。
エレナが小声で言う。
「He’s reacting. I think he understands.」
「Then there’s only one thing to ask first.」
コールの言葉を受け、グラントは戸張へ向き直った。
敵意を見せないよう黒い槍を下げたまま、今度はさらに短い英語で問い掛ける。
「Are you human?」




