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寄生虫と行く現代ダンジョン  作者: 脳タリン


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第222話 次の枠組み

 日米間の協議は、外務当局による定例の情報交換とは別に設けられた。

 参加者を絞った秘匿回線の向こうには、アメリカ大統領アーロン・コールドウェルと、異常空間政策担当の大統領特別補佐官ミリアム・ヴォスが並んでいる。

 日本側から出席しているのは総理、官房長官、安全保障部門の責任者、それに異常空間対策室の関係者だった。村瀬は主な発言者ではなく、国内制度や探索記録について確認を求められた際に答えるため、末席に座っている。

 最初の議題は、中国で発生した大規模流出を受けた深層活動の見直しだった。


「我々は現在、五層以降への進入基準を再検討しています」


 ヴォスの言葉とともに、アメリカ側が整理した資料が共有された。

 五層で確認された複数のモンスター、その行動、探索者を分断する地形や罠、残された痕跡を消す生物。中国で起きた事故と、アメリカ側が自国の五層で得た情報が並べられている。


「中国側の攻略失敗と、その後の大規模流出に直接的な因果関係があるかは、まだ断定できません。しかし、五層で多数の死者が出た後、内部の動きが急激に変化した可能性は無視できない」


 総理は資料に目を通しながら答えた。


「その点については、日本側も同じ認識です」


「日本が五層以降について保有している知見を共有していただきたい」


「公的な活動で確認された範囲については、実務者間で整理を進めます。ただし、日本政府が公式に確認している到達記録は限られています」


「公式に確認している記録については、ということですね」


 ヴォスは、その言葉を待っていたように問い返した。


 日本側の出席者は表情を変えなかったが、村瀬は議題が五層の危険性だけではないと察した。


「政府が確認していない活動について、断定的に回答することはできません」


「日本には、公表された記録を超える経験を持つ探索者がいると理解しています」


 踏み込んだ言葉だった。


 人物名も所属も出なかった。どの入口から入り、どの階層まで進んだのかという具体的な情報も示されていない。


 それでも、アメリカ側の口調には、単なる推測以上の確信があった。


 官房長官が静かに問い返した。


「その判断の根拠を提示していただけますか」


「情報源についてはお答えできません」


「根拠そのものも共有できないということでしょうか」


「この場で取り上げるに足る確度の情報だと判断しています。憶測だけで、首脳間協議の議題にはしていません」


 アメリカ側は知っていると示しながら、何を知っているのかまでは明かさなかった。


 人物、時期、場所、情報が渡った経路。そのいずれかを具体的に口にすれば、日本側が漏洩元を絞り込める可能性がある。


「我々が確認したいのは、その人物の氏名ではありません」


 ヴォスは言葉を選びながら続けた。


「日本政府が、公表記録を上回る知見を政策判断に利用できる状態にあるかどうかです」


「存在を確認できていない人物の知見を、政策へ利用することはできません」


「存在そのものは否定されないのですね」


「未確認の活動について、外交上の都合で不存在を保証することもできません。それは米国でも同じではありませんか」


 コールドウェルは否定しなかった。


 アメリカ国内にも、企業や土地所有者が入口を確保し、連邦政府への報告前に探索者や武装要員を送り込んだ事例がある。政府が把握していない入口や活動が存在する可能性を、米国側も排除できていない。


「その点については同意します」


 コールドウェルが答えた。


「だからこそ、国家が把握していない深層活動であっても、国内だけの問題では済まなくなる可能性があると考えています」


「原則論としては理解します。しかし、具体的な根拠を共有されない限り、日本側からも具体的な回答はできません」


 アメリカ側は、それ以上追及しなかった。


 日本側も、追及が止まった理由を見逃してはいない。


 相手は何かを掴んでいる。しかし、情報筋を失う危険を冒してまで踏み込むつもりはない。


 官房長官は話題を切り替える前に、一つだけ釘を刺した。


「日本国内の探索者や関係者に対し、外国政府、企業、またはその委託を受けた組織が、日本政府を介さず接触し、情報提供や国外活動を求める行為は、安全管理上の重大な問題になります」


「政府間の協議を優先するという原則には同意します。ただし、民間同士の接触を連邦政府がすべて統制することはできません」


「不可能な保証を求めているわけではありません。問題が起きた場合、関知していなかったという説明だけでは済まないとお伝えしています」


「理解しました」


 深層探索者に関する探り合いは、互いに十分な答えを得られないまま区切られた。


 続いて、日本側が中国の大規模流出に関する分析資料を共有した。


「こちらからも、警告として共有しておくべき仮説があります」


 画面には、中国で確認された内部個体の移動と、入口周辺の防衛線が崩れるまでの推定経過が表示された。


 大規模流出の確認事例は、現時点で中国の一件しかない。比較対象もなく、発生条件や周期を断定できる段階ではなかった。


「日本側では、ダンジョン内部に蓄積する何らかのエネルギーが、モンスターの増加や活動性に関係している可能性を検討しています」


 安全保障部門の責任者が説明した。


「探索者が内部のモンスターを継続的に討伐することで、その蓄積を抑えられる可能性があります。便宜上、我々はこれを間引きと呼んでいます」


 ヴォスが資料へ視線を落とす。


「つまり、攻略活動そのものを止めるべきだという提案ではない?」


「逆です。少なくとも浅い階層では、定期的な討伐を継続する方が安全である可能性があります」


 日本側が想定する間引きは、ダンジョンが内部の生物を外へ追い出す仕組みではない。


 探索者や管理側が内部のモンスターを減らし、未知のエネルギーの蓄積や飽和を防ぐための行動だった。


「中国では、五層攻略へ戦力を集中させたことで、浅い階層で行われていた討伐や管理が弱まった可能性があります。そこへ攻略部隊の大量損耗が重なった」


「死者が、内部のエネルギーを増加させた可能性ですか」


「その可能性を検討しています」


 資料には、複数のトリガー候補が並んでいた。


 短期間に多数の人間が死亡したこと。遺体が長時間内部に残されたこと。広い範囲で戦闘が続いたこと。それらによって、ダンジョン内のエネルギー量が急激に増えた可能性。


「通常なら、浅い階層での継続的な間引きによって抑えられていた蓄積が、大量の死者によって一気に進んだのかもしれません」


「それが飽和し、内部の生物が入口側へ押し出された?」


「現時点では仮説です。ただし、中国で起きた異なる種類の生物による同時流出を説明できる可能性があります」


 仮説としてダンジョン内部のエネルギーが限界に近づけば、深い場所から浅い場所へ個体が移動し、そこにいた生物がさらに入口側へ押し出される。最終的に、内部へ収まりきらなくなった個体が外へ流出する。


 日本側は、その一連の現象をスタンピードとして捉えていた。


「間引きが不足していたところへ、大量の死者がトリガーとして加わった。その結果、通常より早く飽和へ達した可能性があるということです」


「入口への爆撃については?」


「最初の流出が始まった後です。最初の原因にはなりません。ただし、入口付近の個体を刺激し、第二波を悪化させた可能性については調査が必要です」


 コールドウェルはしばらく黙っていたが、やがて頷いた。


「こちらも近い可能性は検討しています」


「米国国内の運用へ反映する予定は?」


「浅い階層での定期的な討伐については、推奨基準を強化できます」


 コールドウェルはそこで一度言葉を切った。


「問題は深層です。多数の死者がトリガーになる可能性を理由に、民間の深層進入を全面停止させるのは、現時点では困難です」


「同じ事故が起きる可能性があります」


「分かっています」


 コールドウェルの声には、危険性を軽視する響きはなかった。


「中国の一件だけを根拠に企業活動を止めれば、議会も州も反発する。連邦政府が資源を独占するために事故を利用しているという主張も出るでしょう。支持を失えば、必要な規制や予算まで通せなくなる」


 ダンジョン由来の薬品、素材、装備、警備、輸送、映像を扱う市場は、すでに巨大化し始めている。


 企業側は多数の専門家を抱え、中国の事故は指揮系統や軍事運用の失敗であり、自社の攻略方式とは無関係だと主張するだろう。地域によっては、企業と州政府の方が連邦政府より多くの情報と実働部隊を握っていた。


「危険性を理解していても、仮説だけで一律に止めることはできないということですね」


「証拠が揃うまで待てば、その前に都市を失うかもしれない。しかし、強硬に止めて政権の統制力を失えば、その後は何も止められなくなる」


 総理はしばらく黙った後、資料へ目を戻した。


「少なくとも、浅層の間引きを止めないこと。深層では、一度に投入する人数と、許容する損耗に上限を設ける必要があります」


「その点については同意します。ただし、各国が別々の基準を作れば、規制の緩い地域へ企業と探索者が移動します」


「国際的な基準が必要だと?」


「その通りです」


 ヴォスが新しい資料を開いた。


 正式名称は記されていない。情報共有、危険度評価、現地調査、緊急支援、活動制限という項目だけが並んでいた。


「異常空間を専門に扱う、多国間組織の設立を検討しています」


 日本側の出席者が資料へ目を移す。


「国際機関ですか」


「最終的な形は決まっていません。しかし、情報を集めて勧告するだけの会議体では不十分です。企業や地域権力が政府より強い場所では、強制力のない基準は無視されます」


 ヴォスは、想定される役割を順に示した。


「階層到達、死者数、異常な個体移動、入口構造の変化について、共通の報告基準を設ける必要があります。間引きの実施状況や、内部エネルギーの飽和を示す兆候も共有対象に含めるべきでしょう」


「大規模流出の兆候が確認された場合には?」


「国境を越えた支援と現地調査を開始できる仕組みが必要です。状況によっては、深層活動の一時停止を求める権限も必要になる」


 アメリカ国内だけを見ても、連邦政府が単独で企業や州を押さえ込むのは難しい。


 国際組織の基準があれば、政府は国内規制を政権独自の判断として説明せずに済む。複数国が同時に同じ基準を適用するなら、自国だけが利益を失うという反発も抑えられる。


 国際協調は災害対策であると同時に、国内の企業や地域権力を動かすための根拠にもなる。


「米国主導の統制機関を作りたい、という話ではありませんね」


 官房長官の問いに、コールドウェルが答えた。


「アメリカ一国で管理できるなら、その方が早い。しかし現実には無理です。入口も資本も戦力も世界中に分散している。中国のように情報を閉じられれば、他国は何が起きているか分からないまま対応を迫られます」


「日本としても、国際的な情報共有と緊急対応の枠組みは必要だと考えます。ただし、加盟国の国内管理権や、探索者個人の権利を無条件に越える組織には賛同できません」


「権限の発動には、明確な条件が必要です」


「企業が意思決定へ介入する場合の利益相反や、特定国へ情報と回収品が集中する仕組みにも警戒が必要です」


「その点は、我々にとっても問題です」


 日本側は即時の参加を約束しなかった。


 加盟国の議決権、調査の発動条件、情報の利用目的、回収品の扱い、探索者への接触、緊急部隊の指揮権。組織へ力を持たせるほど、決めなければならないことは増える。


 それでも、総理は協議への参加を拒まなかった。


「設立趣旨と権限設計が示されるのであれば、日本は初期協議への参加を検討します」


 コールドウェルが小さく頷く。


「それを確認できただけでも、今回の協議には意味がありました」


 会談は、五層以降の危険情報と、間引きおよびスタンピードに関する仮説を実務者間で交換することで終了した。


 回線が切れた後も、日本側の会議室では誰もすぐには席を立たなかった。


「アメリカは、何か掴んでいるな」


 官房長官の言葉に、安全保障部門の責任者が頷いた。


「公開情報からの推測だけなら、あそこまで確信を持った言い方はしないでしょう」


「それでも、人物名も時期も場所も出さなかった」


「出せば、こちらが情報の流れを追えるからです」


 村瀬は先ほどのやり取りを思い返した。


 アメリカ側は、公表記録を超える探索者が存在すると信じている。しかし、日本政府がその人物を把握しているかどうかまでは分かっていない。


「心当たりはあるか」


 官房長官に問われ、村瀬は少し考えてから答えた。


「能力だけで候補を挙げるなら、何人かいます。ただし、政府が把握していない深層へ到達していると判断できる証拠はありません」


 戸張も、その中に含まれていた。


 正式五級登録者でありながら、登録時期や活動記録からは説明しにくい戦闘能力を持っている。ただし、国側が確認した範囲を越える活動については、疑い以上のものがない。


「先に調べるべきは人物か、それとも漏洩元か」


「漏洩元です。米国側の情報が政府記録から出たものとは限りません。探索者同士の会話、企業、管理窓口、互助会関係者から断片が渡った可能性もあります」


「騒がずに洗ってくれ。情報源を探していると悟られれば、向こうも経路を切る」


「承知しました」


 一方、ワシントンでも会談後の確認が続いていた。


「日本政府は把握していない可能性があります」


 ヴォスの言葉に、コールドウェルは資料を閉じた。


「把握しているなら、もう少し違う反応をしただろう」


「さらに踏み込めば、情報源を絞られます」


「今は守れ。人物一人の確認より、経路の方が価値がある」


「国際組織については、参加を拒みませんでした」


「それで十分だ。最初から反対側へ回らなければいい」


 組織には、まだ名前も設立時期もなかった。


 各国が本当に情報を提供するか、企業や地域権力を抑えられるだけの力を持たせられるかも分からない。


 それでも、次の大規模流出が起きてから枠組みを考えるのでは遅い。


 そして、その枠組みを作るまでに、各国政府は自分たちの制度の外側で深層へ進んでいる者を見つけなければならなかった。


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