第210話 森の回収
七層から戻った翌日、俺は六層の拠点で、森砕きの外皮を加工する様子を眺めていた。
欠けた現代製の鋏の横では、二枚の爪を組み合わせた道具が早くも使われている。まだ一度に長く切れるわけではないが、外皮へ入る切れ目は以前より深く、作業する小人の数も少なくて済んでいた。
構造を一つ持ち込んだだけでも、作業の進み方は変わるらしい。
次に何を持ち込むか考えていると、拠点の外から騒がしい足音が聞こえてきた。
森へ出ていた小人たちが戻ってくる。
普段なら採取した枝や木の実、罠にかかった小動物などを抱えているが、今回は何も持っていなかった。六人ほどいたうちの一人は肩を借り、片脚を引きずっている。
狼型がその後ろについていた。
負傷した小人の脚に大きな傷は見えない。転倒したか、何かにぶつかったらしく、足首の辺りが腫れていた。
「何かいたのか?」
先頭の小人が何度も頷いた。
両手を頭の横へ当て、前へ大きく突き出す。牙のつもりらしい。次に身体を低くし、地面を蹴るような動きをした。
猪型。
俺がそう口にすると、今度は腕を大きく広げ、自分の頭より高い位置へ手を伸ばした。
「大きいやつか」
小人はもう一度頷き、拠点の外から森の一方向を指差した。
その後、自分たちの背後を振り返る動作を繰り返す。逃げてきた後も、こちらへ向かっていたということだろう。
小人たちが頻繁に出入りする範囲は、以前より広がっている。森砕きが倒した木を運ぶ道も伸び、周辺では狼型や鳥型が動いているため、大型のモンスターが拠点のすぐ近くまで入り込むことは減っていた。
その外側で遭遇したとしても、向かっている先が拠点なら放置はできない。
小人たちの安全を守りながら、巨大ワーム型と戦うための戦力も増やせる。こちらから森の奥まで無差別に探し回るより、近づいてくる危険な個体を優先した方が無駄は少なかった。
「場所まで案内できるか?」
言葉は通じなくても、指差した先へ進む意図は伝わったらしい。
先頭の小人が歩き出そうとする。
俺はそれを止め、後ろにいた狼型へ目を向けた。小人たちと一緒に戻ってきたなら、遭遇した場所の臭いも残っているはずだ。
狼型が鼻先を地面へ近づけ、森の方を向く。
小人たちが来た道へ入ると、何度か空気の臭いを確かめた後、迷わず歩き始めた。
「これなら大丈夫そうだな」
負傷した小人を休ませ、俺は狼型について拠点を出た。
以前からいる個体のほかに、二体の狼型が合流する。新しい二体は元の灰色がかった毛を残していたが、首筋や前脚の傷を白い組織が埋めていた。
鳥型も二体、頭上の枝から飛び立った。
蜘蛛型は拠点の外周から離れなかった。網を張った場所を守る方が向いており、森の中を長く移動させても役に立ちにくい。
小人たちが歩いてきた跡は、よく見れば残っていた。
踏まれた草、折れた細い枝、柔らかい土に並ぶ小さな足跡。途中には、採取していたらしい籠まで落ちている。
狼型は時折立ち止まりながら、その跡と臭いを追っていった。
森砕きが作った道から外れると、すぐに歩きにくくなる。
太い根が地面を盛り上げ、低木と蔓が足元を塞いでいた。自分一人なら大した障害にはならないが、大量の個体を七層まで移動させるなら、通り道も考える必要がある。
猪型や蜥蜴人は通れても、森の木々を避けながら大型の個体を何十体も動かすのは難しい。
巨大ワーム型との戦いまでには、六層から七層へ続く経路も広げた方がよさそうだった。
先を進んでいた狼型が立ち止まる。
鼻先を上げ、右側の茂みへ顔を向けた。
少し遅れて、頭上の鳥型が枝を移る。二体とも同じ方向を見ている。
俺も足を止めた。
風に混じって、湿った獣の臭いが流れてくる。
枝の折れる音が続き、そのたびに地面へ軽い振動が伝わった。一体ではない。重い足音の間に、それより小さな足音がいくつも混じっている。
俺は狼型を左右へ分け、自分は木の陰へ入った。
やがて、茂みの向こうから猪型が現れた。
先頭の一体は、小人が示していたとおり大きかった。
背中の高さだけで俺の胸近くまであり、頭部から前方へ伸びた牙は、片方だけでも腕ほどの長さがある。肩と首の境目には古い傷がいくつも残り、その周囲だけ毛が抜けていた。
後ろには一回り小さい個体が五体いる。
群れというより、大型個体の後について移動しているように見えた。
先頭が地面へ鼻を近づける。
こちらの臭いに気づいたのか、頭が持ち上がった。
俺が隠れている木へ顔を向け、前脚で土を掻く。
「やるしかないか」
通り過ぎるなら見送るつもりだった。
だが、進んでいる方向は拠点に近い。この大きさの群れが柵まで来れば、小人たちだけでは止められない。
大型の猪型が走り出した。
短い距離で一気に加速し、低木を身体で押し潰しながら突っ込んでくる。
俺は木の陰から出て、正面へ立った。
牙が届く直前で横へ跳ぶ。
猪型の頭部が木の幹へぶつかり、鈍い音とともに樹皮が大きく剥がれた。それでも動きは止まらず、頭を振ってこちらへ向き直る。
後ろの五体も散った。
左右へ回った狼型が、そのうち一体へ噛みつく。前脚を狙われた猪型が身体を捻り、狼型を振り払おうとした。
別の一体は俺の横から突進してくる。
俺は山刀を返し、牙の付け根へ刃を当てた。
硬い感触が腕へ返る。
一度では切り落とせなかったが、牙の根元に深い傷が入った。猪型が悲鳴を上げ、首を振りながら森の奥へ逃げようとする。
頭上から鳥型が降下した。
逃げる猪型の目元を爪で裂き、すぐに上空へ戻る。
前が見えなくなった猪型は木へ衝突し、横倒しになった。
白い糸が傷ついた目元へ伸びる。
俺はそれを確認するだけに留め、大型個体へ向き直った。
また突進してくる。
今度は木を避け、俺を追って進路を変えた。
身体が大きいわりに曲がるのが速い。
正面から押さえるのは無理だった。
俺は牙を避けながら肩へ山刀を振り下ろした。
刃が厚い毛と皮を抜け、筋肉へ食い込む。猪型が身体を傾け、俺を肩ごと押し飛ばそうとする。
地面を蹴って離れた直後、別方向から狼型が後脚へ噛みついた。
猪型の動きが一瞬止まる。
その隙に、俺は傷口へもう一度山刀を入れた。
一撃目より深く刃が通り、前脚の力が抜ける。
巨体が地面へ沈んだ。
それでも猪型は倒れ切らず、残った三本の脚で身体を支えている。牙を振り回し、近づいた狼型を追い払った。
殺すだけなら首を狙えばいい。
ただ、損傷を増やしすぎれば、寄生した後に使いにくくなる。
俺は猪型の正面から離れ、動かなくなった前脚側へ回った。
大型個体が無理に向きを変えようとする。
その足元へ、白い糸が這った。
肩の傷から入り込み、毛の下へ消えていく。
猪型が身体を震わせた。
まだ倒れていない。
俺は周囲の個体を抑えながら、侵入が進むまで大型個体をその場へ留めた。
残りの猪型のうち二体は、狼型と鳥型に追われて森の奥へ逃げていった。無理に追わせる必要はない。
一体は腹へ深い傷を負って倒れている。
もう一体は片目を潰されたまま、木の根元で脚を動かしていた。
白い糸は、その二体にも伸びている。
大型個体の動きが次第に鈍くなった。
牙を振り回す間隔が長くなり、残った前脚も地面へ折れる。最後に一度だけ身体を起こそうとした後、重い音を立てて横倒しになった。
森の中が静かになる。
逃げた猪型が枝を折る音も、しばらくすると聞こえなくなった。
俺は山刀についた血を拭い、周囲を確認した。
倒れた三体は、すぐには起き上がらない。
大型個体の肩では、白い筋が傷口の周囲へ少しずつ広がっていた。全身を覆うものではなく、裂けた皮膚を内側から縫い合わせるように伸びている。
先に寄生が始まった小型の一体が、最初に立ち上がった。
潰れた片目は戻っていない。
眼窩の周囲を白い膜が覆い、その奥から細い糸が何本か伸びている。残った目で周囲を確かめると、こちらを襲うことなく、大型個体の近くへ移動した。
腹を切られた個体も遅れて起きる。
こちらは傷の周囲だけが白く固まり、歩くたびに腹側の組織が伸び縮みしていた。
大型個体が起き上がるまでには、さらに時間がかかった。
最初に前脚が動く。
次に頭部が持ち上がり、長い牙が土を削った。
傷ついた肩から前脚にかけて白い組織が入り込み、失われた筋肉の一部を補っている。元の黒褐色の毛はほとんど残っているため、遠くから見れば負傷しただけの猪型にしか見えない。
大型個体は四本の脚で立とうとした。
一度は肩が沈んだが、白い部分が収縮すると、前脚が地面を押し返した。
完全に元どおりではない。
それでも、自分の重さを支えて歩ける程度には戻っている。
「これなら使えるな」
大型個体へ拠点の方向を示す。
以前からいる狼型の一体が先に歩き出すと、寄生された猪型三体もその後を追った。
細かく命令しなくても、進む方向と敵味方の区別さえ伝われば動ける。
狼型は猪型の正面を避け、少し離れた位置から先導している。鳥型も上空から同じ方向へ飛んだ。
俺はその後ろを歩きながら、周囲を確認した。
巨大ワーム型より重くする。
言葉にするのは簡単だったが、実際にはこうした巡回を何度も繰り返すことになる。
一度に増えるのは数体。
しかも、何でも寄生させればいいわけではない。
拠点や七層までの経路を守れるもの、砂漠で巨大ワーム型へ攻撃できるもの、傷を作る役割を持てるものを優先する必要がある。
小型の個体だけを増やしても、巨大ワーム型の身体に押し潰されるだけだろう。
今日の大型猪型なら、地上へ出た身体へ突進し、傷口を広げる役に立つ。噛まれれば一度で終わるかもしれないが、それでも相手の動きを止める一部にはなる。
帰り道の途中、鳥型の一体が進路を外れた。
上空を小さく旋回した後、左側の木々へ向かう。
少し進むと、地面に血の跡が残っていた。
逃げた猪型の一体らしい。
傷は深くないが、狼型に噛まれた前脚から出血している。足跡は森の奥へ続いていた。
追えば寄生させられるかもしれない。
俺は足跡を見た後、拠点へ向かう大型個体へ視線を戻した。
「今日はいいか」
一度に連れ帰れる数にも限度がある。
傷ついた個体を追って森の奥へ入り、別の群れや大型種と遭遇すれば、帰りが遅くなる。拠点へ近づかないなら、今すぐ処理する必要もなかった。
鳥型を呼び戻し、そのまま帰路を進む。
途中、小人たちが籠を落としていた場所で足を止めた。
周囲の木には、採取のために付けたらしい浅い傷が残っている。幹の低い位置へ短い線が刻まれ、その向きが拠点まで続いていた。
精密な位置を残せるものではないが、迷わず戻るための目印としては使える。
俺は猪型と遭遇した方向にある木へ、これまでとは違う形で山刀の先を入れた。次にこの辺りを回る時、危険な大型種がいた場所だと自分で分かれば十分だった。
拠点へ近づくと、木を削る音が止まった。
柵の内側にいた小人たちが、大型猪型を見て一斉に動きを止めている。
森砕きほどではないが、柵の高さに近い背を持つ個体だった。牙も長く、正面から見れば警戒するのは当然だ。
先頭を歩いていた狼型が柵の前で伏せる。
大型猪型も、その後ろで足を止めた。
傷ついた肩の白い部分が見えたところで、小人たちの緊張が少し緩んだ。
一人が柵から出てきて、猪型の周囲を慎重に回る。牙と脚、肩の傷を確認した後、拠点の横にある広い空間を指差した。
そこには、森砕きの骨や外皮を運ぶための橇が置かれている。
大型猪型が使えれば、これまで何人もの小人が引いていた荷を一体で運べるかもしれない。
「戦う前から仕事が決まったな」
俺が進む方向を示すと、大型猪型はゆっくりと空間へ移動した。
小人たちはすぐに近づかず、まず橇と綱の長さを確かめ始める。
戦力として集めた個体でも、巨大ワーム型と戦うまで何もせず待たせる必要はない。六層の素材運搬や道の拡張に使えば、準備そのものを進められる。
小型の二体は拠点の外周へ向かい、狼型の近くで地面の臭いを嗅いでいた。
同じ種類だから固まるというより、その場で必要な動きを探しているように見える。
俺が細かく決める前に、小人たちと寄生された個体の間で役割ができ始めていた。
拠点の外へ目を向ける。
森は広い。
猪型のほかにも、狼、鳥、蜘蛛、蜥蜴人、四本腕の猿がいる。まだ見ていない大型種もいるかもしれない。
すべてを集める必要はない。
拠点へ近づく危険を減らし、使えるものだけをこちらへ加える。そうして六層で増えた戦力を、七層の個体と合わせる。
一日で巨大ワーム型の重さへ近づいたとは思えない。
それでも、森砕きの骨を載せた橇の前に大型猪型が立つ姿を見ると、数を増やすことだけが準備ではないと分かった。
集めた個体が道を作り、素材を運び、次の個体を迎えるための余裕を増やしていく。
この調子なら、増えるほど準備も早くなる。
俺は小人たちが目印を付けた道をもう一度振り返った。
正確な地図がなくても、歩いた跡と臭い、木へ残した印があれば、同じ場所へ戻ることはできる。
六層だけでも、回る場所はまだいくらでも残っていた。




