第201話 封鎖命令
会議室の大型画面には、赤く塗られた地図が映されていた。
中央にあるのは、爆撃で崩壊した異常空間管理施設。
赤い範囲は北側の集落を呑み込み、西側の林へ伸び、南側では軍の予備防衛線手前まで広がっている。その外側には避難区域、さらに外へ軍と武装警察による検問線が引かれていた。
周立言は机へ報告書を叩きつけた。
「読み上げろ」
軍側の責任者が立ち上がる。
手元の資料を開いたが、すぐには口を開かなかった。
「聞こえなかったのか! 被害を読み上げろ!」
「攻略作戦開始から五層到達までの死亡確認十一名。五層で第二梯団三十八名が未帰還」
「地上は!」
「地上流出後の軍、武装警察、消防、救急要員を含め、死亡確認四百七十六名。行方不明二百五十八名。要入院者九百二十八名です」
五層到達までの十一名を加えれば、軍および公的対応部門の死亡者は四百八十七名になる。
会議室がざわめく。
周立言は止めなかった。
「続けろ」
地方政府の担当者が代わる。
「管理施設職員、研究員、民間請負業者について、死亡確認二百五十六名。行方不明四百十八名。要入院者六百十二名」
「周辺住民は」
「死亡確認五百四十一名。所在不明千三百二十二名。要入院者二千百七十四名です」
「合計を言え!」
「死亡確認、一千二百八十四名」
担当者の声が震えた。
「行方不明および所在不明、二千三十六名。要入院者、三千七百十四名。軽傷者は集計途中ですが、五千名を超えています」
誰もすぐには発言しなかった。
画面には数字だけが並ぶ。
死亡確認、一千二百八十四。
行方不明、二千三十六。
要入院、三千七百十四。
軽傷、五千名以上。
五層に残された三十八名は、行方不明者へ含まれている。
行方不明者の中には、自主避難した後に連絡が取れていない者もいる。通信が途絶え、避難所への登録が済んでいない者もいる。
だが、管理施設、周辺集落、放棄された車両や建物の中に残されている者も多い。
政府内部の予測では、死亡確認が進めば、最終的な死者数は二千名を超える可能性があった。
陳国梁が資料を持ち上げる。
「直接モンスターに殺されたと確認できるのは何人だ」
「遺体の状態と映像から確認できたのは四百六十一名です」
「残り八百人以上は何で死んだ!」
地方政府の担当者が別の資料を開く。
「群衆雪崩、転倒、圧迫による死亡が二百三十八名。避難車両の衝突、横転、車両火災が二百十四名。建物の崩壊と爆発による死亡が百四十九名。軍の砲撃、爆風、流れ弾による可能性があるものが九十一名。原因を特定できていないものが百三十一名です」
「群衆雪崩だけで二百三十八人だと?」
「管理施設の南門へ避難者が集中しました」
「誘導計画はあったはずだ!」
「ありました!」
担当者が怒鳴り返した。
「モンスターが計画通りに動かなかっただけです!」
「それを想定するのが計画だろう!」
「地上へ出ないという前提で作られた施設です! 避難口は二つしかない! 東門は避難開始から七分後に車両事故で塞がれました!」
画面が切り替わる。
管理施設東側の道路。
大型バスが横向きになり、その後ろへ輸送車、救急車、民間車両が何重にも折り重なっている。道路脇では燃料輸送車が炎に包まれ、周囲の車両へ火が移っていた。
「先頭車両へ黒い小型種が侵入しました。運転手が急停止し、後続車両が多重衝突。燃料輸送車が横転して出火しました」
「なぜ燃料車が避難車列にいた!」
軍側から声が飛ぶ。
「補給車両の退避経路も同じだったからです!」
「経路を分けていなかったのか!」
「平時は一日数百人しか通らない道路です! 数千人と軍用車両を同時に動かす設計ではありません!」
「なら徒歩で出せばよかった!」
「小型種が上から降っていたんです! 四脚型も来ていた! 車を降りた人間から襲われた!」
地方政府担当者は机を叩いた。
「東門が塞がれた後、全員が南門へ向かった! そこで甲殻型が負傷者搬送所へ入り、逆方向へ逃げる人間と外へ出ようとする人間がぶつかった!」
監視映像が表示される。
狭い門へ押し寄せる人の群れ。
外へ向かう流れの前方で悲鳴が上がり、人々が突然こちらへ戻り始めた。
前へ進む者と戻る者が正面から衝突する。
一人が倒れる。
その上へ次の者が倒れる。
後ろにいる人間には、前方で何が起きているのか見えない。流れは止まらず、倒れた人々の上へ次々と身体が重なっていく。
柵が曲がる。
人間の圧力で門柱の一部が倒れる。
逃げようと柵を越えた者が反対側へ落下し、さらにその上へ後続が降ってくる。
「警備員が門を閉めようとしました」
「なぜ閉めた!」
陳国梁が叫ぶ。
「甲殻型を外へ出さないためです!」
「人間まで閉じ込めたのか!」
「閉じなければ外側の避難車列へモンスターが入る!」
「閉じても死んだだろうが!」
「だから現場は途中で開けた!」
「その判断が遅かった!」
「現場指揮官は死んでいます!」
地方政府担当者の声が裏返った。
「南門前で圧死しました! 今ここへ呼んで責任を取らせますか!」
会議室の各所で怒鳴り声が上がった。
軍は避難誘導の遅れを責める。
地方政府は、軍が管理施設からの撤退情報を十分に共有しなかったと反発する。
消防部門は、砲撃と車両火災が重なり、施設内へ入れなかったと訴える。
医療部門は、負傷者を入口近くへ集めた配置自体が誤りだったと言う。
「負傷者をまとめたから甲殻型が集まったんだ!」
「救護所を分散させれば医師も薬も足りない!」
「血液や使用済みの包帯を放置した!」
「処理する時間がどこにあった!」
「避難車両が道路を塞いだ!」
「軍用車両が逆走したからだ!」
「装甲車が民間車両を押し退けなければ、防衛線が間に合わなかった!」
「押し退けられたバスと乗用車が水路へ落ちて四十三人死んだ!」
「装甲車を止めれば、その場にいた百人以上が四脚型に襲われていた!」
「だから民間人を轢いていいのか!」
「轢いたのではない! 通路を作ったんだ!」
「その通路に人間がいたんだぞ!」
声が重なり、誰が何を言っているのか分からなくなる。
周立言が机を叩いた。
一度。
二度。
三度目に、卓上の水差しが倒れた。
「黙れ!」
ようやく会議室が静まる。
周立言は大型画面を指した。
「一千二百八十四人だ」
誰も視線を上げない。
「確認できただけで一千二百八十四人が死んだ。二千三十六人が見つかっていない。三千七百人以上が病院へ運ばれた!」
軍側の責任者が低い声で言う。
「所在不明者全員が死亡しているわけではありません」
「分かっている!」
周立言が睨みつける。
「では何人が生きている。何人が赤い区域の中にいる。何人が家や車両の中で助けを待っている!」
「確認中です」
「いつ確認できる!」
「無人機と遠隔車両を投入しています」
「屋内は見えないだろう!」
「有人部隊は入れられません!」
「助けを求める通信は」
情報担当者が答える。
「占拠区域内から携帯電話による発信を四百八十七件確認。うち位置を特定できたものは百九十六件です」
地方政府担当者が身を乗り出す。
「生存者がいる!」
「発信時刻は」
「多くは数時間前です。直近一時間以内のものは二十七件」
「救助部隊を出せ!」
軍側責任者が首を振る。
「出せません」
「二十七件あるんだぞ!」
「一件ごとに部隊を入れれば、そのたびにモンスターが集まる!」
「市民を見殺しにするのか!」
「救助隊まで死なせろと言うのか!」
「軍は何のためにいる!」
軍側責任者が机を拳で叩いた。
「もう五百人近く死んでいる!」
会議室の空気が止まった。
「兵士も警察官も消防士も救急隊員も人間だ!」
軍側責任者は立ち上がっていた。
「入れば助けられるというなら入れる! だが入った部隊が途中で襲われ、負傷者を増やし、回収できない遺体を増やしたらどうする!」
「だから放置するのか!」
「放置ではない! 入れないと言っている!」
「同じだ!」
「違う!」
怒鳴り合いが再び始まる。
梁雪梅が画面を切り替えた。
入口跡を中心に留まる深層個体。
集落の道路を歩く四脚獣。
放棄された医療所へ集まる甲殻型。
屋根や林へ広がった黒い小型種。
「現地のモンスターは、地上へ出た後も人間の遺体と血液へ集まっています」
彼女の説明を聞く者は少なかった。
「静かにしてください!」
声は怒鳴り合いに埋もれた。
梁雪梅が端末を机へ叩きつけた。
「黙れと言っている!」
全員が彼女を見る。
「今も増えている可能性があります!」
画面に甲殻型の映像が映る。
人間の遺体へ黒い器官を伸ばしている。
その横では、成体より小さな個体が何体も動いていた。
「五層で確認されたのと同じです。人間を摂取した甲殻型が小型個体を生み出している。区域内に残された人間が、敵の個体数と活動を維持している可能性が高い」
地方政府担当者が言う。
「だから遺体を回収しなければならない」
「回収できるなら、すでにしています!」
梁雪梅は言い返す。
「回収班を一隊入れれば、血の臭いと人間の動きでモンスターが集まる。護衛を増やせば、さらに大きな集団になる。負傷者が出れば救護班も必要になる。その全員が餌になる可能性がある!」
軍側の将官が立ち上がる。
「なら火力で排除しながら進めばいい!」
「入口方向への攻撃は禁止です」
「地上個体だけを撃つ!」
「戦車砲を何発使うつもりですか」
「必要なだけだ!」
「深層個体が反応したらどうする!」
「反応するという証拠はない!」
「入口を爆撃した直後に、深層個体が出てきたでしょう!」
「偶然だ!」
「もう一度試すのですか!」
将官が梁雪梅を指さす。
「仮説だけで領土を明け渡せと言っているのか!」
「違います!」
梁雪梅も立ち上がる。
「すでに奪われた領土へ、兵士を追加で送り込むなと言っている!」
「奪われていない!」
「では今、管理施設へ行ってください!」
「何だと」
「歩いて行って、旗を立てて戻ってきてください! それができるなら、まだ支配していると言えばいい!」
将官の顔が赤くなる。
「研究者が軍を侮辱するのか!」
「死者を数字でしか見ない人間よりは、現場を見ています!」
「我々の部隊が死んだんだぞ!」
「その部隊をまた死なせようとしているのは誰ですか!」
将官が机を回り込もうとする。
周囲の人間が立ち上がった。
周立言が怒鳴る。
「座れ!」
将官は動きを止めた。
「全員座れ!」
椅子が鳴る。
周立言は荒い息を整えた。
「現時点で、占拠地域を奪還できる案はあるのか」
誰も答えない。
「砲撃以外で」
沈黙。
「入口と内部構造を刺激せず、兵士を失わず、残存市民を巻き込まず、地上個体を全滅させる方法があるのか!」
軍側責任者が答える。
「ありません」
「なら放置だ」
地方政府担当者が立ち上がる。
「それを政府の決定にするのですか!」
「正確には封鎖だ」
「中に人がいます!」
「分かっている!」
「家族へどう説明する!」
「説明できる言葉などない!」
周立言の怒声が響く。
「だが、助けられない人間を助けられると言って、さらに千人、二千人を中へ入れることはできない!」
地方政府担当者は唇を噛んだ。
「無人機、遠隔車両、固定カメラを使って捜索を続ける。影響圏の外縁近くで生存者を確認し、安全な経路が作れる場合のみ救助を検討する」
「中心部は」
「入らない」
「遺体は」
「回収しない」
「いつまでです」
「方法が見つかるまでだ」
軍側の将官が低く言う。
「事実上の永久放棄です」
「そうなる可能性はある」
会議室の誰も、すぐには反論しなかった。
周立言は次の資料を開く。
「情報統制について決める」
宣伝部門の責任者が姿勢を正した。
「国内の動画投稿サイト、通信アプリ、検索サイトでは、関連映像の削除を進めています。『管理施設における爆発および有害物質流出』という説明で統一できます」
陳国梁が顔を上げる。
「千人以上が死に、戦車が市街地で砲撃し、集落一つが消えかけているのに、有害物質で通すつもりか」
「混乱を防ぐためです」
「モンスターの映像は何百本出ている」
「国内から確認できるものは大半を削除しました」
「国外へ送られた映像は」
「削除できません」
「外国の衛星は」
「制御できません」
「現地にいた外国企業の職員は」
「すでに複数名が国外関係者へ連絡した可能性があります」
陳国梁が机を叩いた。
「なら隠せていないだろうが!」
宣伝部門の責任者も声を上げる。
「国内の混乱を抑えることには意味があります!」
「国外で怪物の映像を見た国民へ、国内だけ爆発事故だと言い続けるのか!」
「情報の流入も制限します!」
「全員の目と耳を塞げると思っているのか!」
「何も管理しなければ、全国の異常空間で避難騒ぎが起きる!」
「起きるべきだ!」
梁雪梅が割り込んだ。
宣伝部門の責任者が睨む。
「何だと」
「危険を知らせるべきです。深層攻略を止め、異常な個体移動が起きた場合は、入口から退避しなければならない」
「全国へ発表すれば、全管理施設で作業員が逃げ出す!」
「逃げなければ死ぬかもしれない!」
「まだ一件しか起きていない!」
「一件で一千二百八十四人死んだんです!」
梁雪梅が画面の数字を指す。
「行方不明者を含めれば、最終的な死者が何人になるかも分からない! 次も同じ人数で済む保証すらない!」
「保証、保証と! 政府は不確かな情報を発表できない!」
「不確かだから黙っていていいのですか!」
「社会の安定も人命だ!」
「知らされずに入口近くで働く人間の命は違うのですか!」
宣伝部門の責任者が立ち上がる。
「国民全員へ怪物が街へ出たと知らせれば、買い占め、交通混乱、虚偽通報、集団避難が起きる! 今回の群衆雪崩を全国で再現したいのか!」
梁雪梅の表情が止まる。
それは否定できなかった。
恐慌そのものが人を殺すことは、今回の集計が示している。
陳国梁が言う。
「完全隠蔽も、全面公開も無理だ」
「では何を出します」
「複数の危険生物が異常空間から地上へ流出した。軍が封鎖し、周辺住民の避難を実施している。これだけは認める」
宣伝部門の責任者が反発する。
「死者数は」
「確認済みを発表する」
「一千二百八十四名をそのまま?」
「初報では軍、警察、民間を合算せず、確認作業中とする」
「隠すのと何が違う!」
地方政府担当者が叫ぶ。
「確定していない数字を確定として出さないだけだ!」
「確定している一千二百八十四名も出さないのでしょう!」
「発表直後に数字が増えれば、さらに混乱する!」
「遺族にはもう連絡が始まっている!」
「だから一日も持たない!」
「では今すぐ出せ!」
再び怒鳴り声が広がる。
周立言は額を押さえた。
「決定する」
声が止まらない。
「黙れ! 決定すると言っている!」
会議室が静まる。
「第一。占拠区域への有人進入を禁止する。軍、警察、消防、医療、遺体回収を含む。無人機と遠隔車両による捜索は継続する」
地方政府担当者が目を閉じた。
「第二。入口、通路、階層、内部構造への砲撃、爆破、焼夷攻撃を全面禁止する。地上個体への攻撃も、入口方向へ爆圧や着弾が及ぶ場合は認めない」
軍側の将官が口を開く。
「深層個体は」
「影響圏内に留まる限り監視する」
「殺さないのですか」
「殺せない可能性が高い。殺そうとして、さらに強い個体を出す危険もある」
「中国の領土に居座らせるのか!」
「もう居座っている!」
周立言が怒鳴った。
「現実を言い換えても、管理施設は戻ってこない!」
将官は口を閉じた。
「第三。国内全ての異常空間で深層攻略を凍結する。内部部隊は、個体移動を確認しながら段階的に撤退。階層を越えた移動、縄張り争いの停止、入口方向への集中、再出現間隔の短縮が確認された場合、全員を地上へ戻す」
「全入口へ理由を知らせますか」
「現場責任者には知らせる。一般作業員へは退避命令に必要な範囲だけ共有する」
「漏れます」
宣伝部門の責任者が言う。
「漏らさずに死なせるよりましだ」
「国内向け発表は」
「異常空間から危険生物が流出した事実を認める。周辺十キロの避難、軍事封鎖、接近禁止を発表する。死者数は、確認作業中として段階的に公開する」
地方政府担当者が言う。
「爆撃は」
「公表しない」
「軍の砲撃による死者は」
「調査中とする」
「それは情報封鎖です」
「全部は出せない」
「遺族には」
「個別に説明する」
「国外へ映像が出たら」
「否定しない。現場の全容を調査中とする」
宣伝部門の責任者が不満そうに言う。
「中途半端です」
「完全に隠せないものを完全に隠そうとする方が愚かだ」
周立言は画面を見た。
「ただし、五層での大量死、甲殻型による人間の摂取、入口爆撃後の深層個体出現については、機密指定する」
梁雪梅が尋ねる。
「他国へも知らせないのですか」
「入口攻撃の危険は知らせる」
軍側責任者が顔を上げる。
「我々だけが得た情報です」
「得たのではない。一千人以上を失って知ったんだ」
「他国が同じ失敗をすれば、中国だけが不利になることはありません」
陳国梁が椅子を蹴るように立ち上がった。
「他国でも千人死ねば公平だと言うのか!」
「国家間の優位を考えるのが我々の仕事です!」
「限度がある!」
「中国だけが占拠地域を抱えれば、国際的な圧力を受けます!」
「だから他国にも占拠地域を作らせるのか!」
「そうは言っていない!」
「同じことだ!」
周立言が二人の間へ声を割り込ませる。
「入口構造への大規模攻撃を避けるよう、各国政府へ非公開で警告する。詳細な被害数と五層での経緯は伏せる」
梁雪梅はしばらく黙った後、頷いた。
「人間を摂取した後の増殖については」
「仮説として共有する」
「五層での三十八名が原因になった可能性も」
「確定していない」
「確定を待って、次が起きたら」
周立言は机へ両手を置いた。
「仮説として共有すると言った」
梁雪梅はそれ以上言わなかった。
会議終了後に発表される政府声明には、死亡者一千二百八十四名という数字は記載されなかった。
軍と警察に多数の犠牲者が発生したこと。
民間人にも多くの死傷者がいること。
被害規模は調査中であること。
異常空間から複数の危険生物が流出し、軍が周辺地域を封鎖していること。
住民は政府の避難指示に従い、未確認情報を拡散しないこと。
それだけだった。
会議室の画面には、無人機が撮影した占拠区域が残っている。
放棄された管理施設。
焼けた車両。
道路へ折り重なったまま回収できない人間。
無人の住宅街を歩く四脚獣。
建物の屋根を覆う黒い小型種。
入口跡の近くに留まる、深層の大型個体。
「占拠区域は、今後どうしますか」
軍側責任者が尋ねた。
周立言は赤く塗られた地図を見る。
「包囲を維持する」
「奪還作戦は」
「行わない」
「いつまでです」
「状況が変わるまでだ」
「変わらなければ」
周立言はしばらく答えなかった。
外側から攻めれば、深層個体が出る。
内側へ入れば、人間が餌になる。
遺体を回収できず、地上個体を完全に排除する方法もない。
軍事力を追加するほど、失う人間と装備が増える可能性がある。
「放置する」
会議室の何人かが顔を上げた。
「言い換える必要はない。封鎖し、監視し、外へ出た個体だけを殺す。中には入らない」
「中国の領土です」
「分かっている」
「そこに住民がいました」
「分かっている!」
周立言の声が再び荒くなる。
「全部分かっている! その上で、今は何もできないと言っている!」
無人機映像の中で、甲殻型が道路上の遺体へ集まっていた。
小さな個体が一体、その脇から這い出す。
続いて、もう一体。
中国政府が世界初のスタンピードに対して下した最初の正式な対応は、奪還でも殲滅でもなかった。
近づくな。
内部を攻撃するな。
人間を入れるな。
情報を管理しろ。
そして、占拠された土地を外側から囲み続けろ。
世界で最初の異常生物占拠地域は、数時間の戦闘で生まれた。
死亡確認、一千二百八十四名。
行方不明、二千三十六名。
その数字がどこまで増えるのか、中国政府にも分からなかった。




