第200話 止まった場所
予備線への後退命令が出てから十二分後、最初の戦車が指定地点へ到着した。
管理施設から南へ約二キロ。
道路の両側には農地が広がり、途中に低い倉庫と資材置き場が点在している。遮蔽物は少ないが、射線を確保しやすく、後方へ続く幹線道路にも接続していた。
工兵車両が道路脇の土を掘り返し、戦車と装甲車のための簡易陣地を作る。歩兵は負傷者を降ろし、弾薬箱を開け、まだ熱を持つ銃身を交換していた。
後退できた車両は、当初の数より明らかに少ない。
戦車二両。
装甲車四両。
輸送車両数台。
管理施設周辺には、故障車両と動けなくなった兵士が残されている。
最後尾の戦車が煙幕の中から現れた。
その後方を、赤黒い跳躍型が三体追っている。
「射線を空けろ!」
予備線の戦車が発砲した。
一発目は先頭個体の足元へ着弾し、土と舗装をまとめて吹き上げる。跳躍型は爆風に煽られ、道路脇へ転がった。
倒れた直後に四本の前脚を地面へ立てる。
二発目が胴体へ直撃した。
赤黒い身体が中央から千切れ、前後へ分かれて落ちた。
残る二体は左右へ散る。
一体は農地へ入り、低い作物を踏み倒しながら封鎖線の側面へ回ろうとする。もう一体は戦車の正面から跳び上がった。
重機関銃が空中の個体を追う。
弾丸が脚と胸部へ入り、身体の向きが崩れる。
跳躍型は砲塔へ届かず、車体前面へ衝突した。
そのまま履帯の間へ落ちる。
操縦手が戦車を前進させた。
履帯が赤黒い身体へ乗り上げる。
外側へ露出していた骨格が折れ、内側の肉が舗装面へ広がった。それでも前脚の一本が動き、車体底部を探るように金属を引っかいていた。
戦車が後退し、もう一度踏み潰す。
ようやく動きが止まった。
農地へ入った一体は、歩兵の射撃を受けながら進んでいた。
小銃弾が外側の骨格を削る。
機関銃弾が脚を一本飛ばす。
跳躍型は姿勢を崩したが、残る脚で地面を蹴り、兵士たちの手前まで跳んだ。
盾を構えた兵士へ、刃状の前脚が振り下ろされる。
盾が中央から裂けた。
兵士は腕ごと地面へ倒れる。
隣にいた兵士が至近距離から撃つ。
跳躍型の胸部へ銃弾が集中する。
後方から機関砲弾が一発入り、上半身が消えた。
「後続!」
無人機から映像が送られる。
煙幕の向こうを、円盤型が進んでいた。
戦車砲で外殻を破壊され、脚を何本も失った個体。それでも残った脚を一本ずつ前へ出し、管理施設から離れ続けている。
その周囲には、十体以上の跳躍型。
さらに後ろには甲殻型や四脚獣が続いていた。
地上へ出た種類が一つの群れになっている。
互いに争う様子はない。
前方にいる中国軍だけを追っていた。
「砲撃は地上個体に限定」
指揮官が命じる。
「入口方向へ逸れる弾道は禁止。目標の後方へ撃ち込むな」
迫撃砲班が射角を調整する。
攻撃できるのは、軍と管理施設の間にいる個体だけだった。
砲弾が跳躍型の群れへ落ちる。
爆発。
二体が吹き飛ぶ。
三体目は片脚を失いながら前進を続ける。
四脚獣が爆風を抜け、農地の畦を飛び越える。
甲殻型は地面へ伏せるように身体を低くし、破片が飛び過ぎた後に再び走り始めた。
円盤型は爆発を避けなかった。
迫撃砲弾が甲殻へ当たり、表面を削る。
巨体はわずかに揺れるだけだった。
「戦車砲を集中させろ」
三両が順番に撃つ。
一発目が円盤型の外周へ命中する。
二発目が露出した白い組織へ入る。
三発目で残っていた脚が一本千切れた。
円盤型の身体が道路へ傾く。
止まらない。
残った脚で地面を削り、身体を引きずりながら進んでくる。
距離、八百。
後退部隊の最後尾が予備線を越える。
装甲車の後部扉が開き、負傷兵が次々に運び出された。
「動ける者は弾薬運搬を手伝え!」
「医療班は後方へ下がれ!」
「北側部隊との接続は」
「まだです。集落周辺で交戦中」
指揮官は端末の地図を確認する。
南側の予備線だけではない。
施設北側へ抜けた群れ。
西の林へ散った小型種。
東側道路で動けなくなった避難車列。
複数の地点で戦闘が続いていた。
後退したことで主力部隊は立て直しつつあるが、管理施設周辺にはまだ民間人が残っている。
無線へ、北側部隊から声が入った。
『集落の避難車両を収容中。四脚型が二十以上。小型種も増えています』
「指定された後退線まで下がれ」
『まだ住民が残っています』
「人数は」
『不明です。家屋から応答があります』
「救助可能な範囲に限定しろ。部隊を分散させるな」
『見捨てろと』
指揮官は一瞬、言葉を止めた。
背後で戦車砲が発射される。
衝撃が身体を揺らす。
円盤型へ四発目が命中した。
甲殻中央の赤い線が二つ潰れる。
それでも巨体は軍へ向かっていた。
「救助部隊まで失えば、次の住民も救えない」
返答はなかった。
北側の通信へ銃声が混じる。
『……了解』
通信が切れる。
南側では、最初の跳躍型が予備線まで三百メートルへ迫っていた。
「歩兵は車両後方へ。機関砲射撃!」
装甲車三両が撃つ。
弾丸が畑と道路を横切る。
跳躍型の一体が胴体を砕かれて倒れる。
四脚獣が二体、血の付いた負傷者搬送車へ進路を変えた。
輸送車両が後退する。
一体が速度を上げる。
百メートル。
七十。
五十。
歩兵が撃つ。
四脚獣の皮膚へ穴が開く。
前脚が折れる。
それでも勢いは落ちない。
三十メートルを切ったところで、四脚獣の動きが急に鈍った。
脚がもつれる。
地面を蹴る力が弱くなる。
一度、前のめりに倒れた。
すぐに立ち上がろうとする。
前脚へ力が入らない。
兵士たちは撃ち続けた。
四脚獣は傷を増やしながらも、輸送車両へ顔を向けている。
だが、前へ進まない。
身体を引きずって数歩動いた後、頭部を管理施設側へ向けた。
「何をしている」
監視していた兵士が呟く。
四脚獣はその場で方向を変えた。
負傷者の血が流れる車両を背にし、入口のある北側へ歩き始める。
「逃げるぞ」
「追うな。射撃を継続しろ」
銃弾が背中へ入る。
四脚獣は数歩進み、倒れた。
別の個体にも同じ変化が起きていた。
農地を走っていた甲殻型が、予備線の手前で速度を落とす。
六本の脚が細かく震える。
前へ出ようとするたび、腹部が地面へ触れた。
甲殻型は何度か身体を持ち上げた後、ゆっくりと反転した。
後続の個体へぶつかる。
互いを避けるように進路を変え、管理施設の方向へ戻っていく。
「砲撃を止めろ」
指揮官が命じた。
「止めるのですか」
「動きを確認する」
銃声が少しずつ減る。
戦場から音が消えたわけではない。
遠方では交戦が続き、負傷者の声や車両のエンジン音も聞こえる。
だが、予備線正面への射撃だけが止まった。
モンスターは前進しなかった。
円盤型も管理施設から約一・六キロの地点で止まっていた。
戦車砲を何発も受けた巨体は、残る脚を地面へ立てたまま動かない。
前面の赤い線は、予備線側へ向いている。
近くにいる跳躍型は、さらに数百メートル前まで来ていた。
そのうち一体が軍へ向かって走り出す。
十歩ほど進んだところで姿勢が崩れた。
跳躍する。
普段なら十メートル以上を越える動きが、半分にも届かない。
着地に失敗し、農地へ身体を打ちつける。
もう一度立ち上がる。
脚の動きが明らかに遅かった。
跳躍型は軍を見たまま後退し、円盤型の方向へ戻る。
「攻撃を警戒しているのか」
副官が尋ねる。
指揮官は答えなかった。
モンスターが火力を避けているだけなら、建物や地形を利用するはずだった。
今は開けた場所で停止している。
砲撃が止まっても近づかない。
負傷者の血がある。
人間の声も聞こえる。
それでも、ある地点を越えようとしない。
「無人車両を出せ」
兵士の一人が指揮官を見る。
「どこまで」
「円盤型の手前まで。人は乗せるな」
小型輸送車の操縦系統を外部操作へ切り替える。
荷台には、医療所から運び出した血の付いた布と廃棄予定の治療器材を積んだ。
無人車両が予備線を出る。
舗装道路を管理施設側へ進む。
百メートル。
二百。
反転した甲殻型の一体が止まる。
青白い裂け目を車両へ向けた。
車両がさらに近づく。
甲殻型は進路を変え、血の臭いへ向かって走った。
速い。
先ほどまで動きを鈍らせていた個体とは思えない速度だった。
四脚獣も反応する。
跳躍型が身体を低くする。
無人車両が指定地点へ到達する前に、複数のモンスターが群がった。
甲殻型が荷台へ乗る。
黒い器官を血の付いた布へ差し込む。
四脚獣が車体へ噛みつく。
跳躍型は周囲を回り、人間が乗っていないことを確かめるように前脚を車体へ突き立てた。
「こちらへ来ないのではない」
副官が言う。
「来られないのか」
指揮官は地図上に、モンスターが停止した位置を記録させた。
南側。
北側。
西側。
各部隊へ、追撃が止まった場所を報告させる。
情報が集まり始める。
南側では管理施設から約一・五から二キロ。
西側の林では、小型種が三キロ近くまで確認されている。
北側では四脚獣が集落の途中で速度を落とし、それ以上進まず施設側へ戻ったという。
境界は円ではない。
個体によっても違う。
大型ほど入口の近くで止まり、小型ほど遠くへ出ている。
地形による差もあった。
それでも、共通する傾向は明確だった。
ダンジョンから遠ざかるほど、モンスターの動きは鈍くなる。
一定の距離を越えると、獲物が近くにいても戻ろうとする。
「避難線をさらに下げる必要はありますか」
副官が尋ねた。
「まだ分からない」
「現在の予備線には届いていません」
「今届かないだけかもしれない。入口側で人間を摂取すれば、範囲が広がる可能性もある」
指揮官は、無人車両へ群がる甲殻型を見る。
五層で大量の人間が死亡した後、モンスターの流出が始まった。
地上でも死傷者が出ている。
管理施設と集落には、回収できていない遺体が残されていた。
モンスターが人間へ執着する理由。
血や遺体へ集まる理由。
甲殻型が人間を摂取した後、短時間で新しい個体を生み出したという報告。
別々に見えていた情報が、同じ方向を指している。
「占拠区域内の遺体を回収しなければなりません」
副官が言った。
「現状では入れない」
「残せば、さらに増える」
「回収部隊を出せば、その部隊が次の餌になる」
沈黙が落ちる。
戦車部隊は円盤型へ砲塔を向けたまま待機している。
円盤型も予備線を向いたまま動かない。
互いに射程内にいる。
中国軍が撃てば、円盤型を倒せるかもしれない。
しかし、倒すためには多数の砲弾が必要になる。
その音と振動で、別の個体が集まる。
入口方向へ着弾すれば、また深層個体が出る可能性もある。
指揮官は射撃を命じなかった。
円盤型も前進しなかった。
その間に、浅層個体が管理施設へ戻っていく。
道路へ残された人間の遺体。
破壊された医療棟。
動かなくなった避難車両。
人間が残したものへ、甲殻型と四脚獣が集まる。
白い節足生物は崩れた建物へ身体を巻きつけた。
黒い小型種は屋根や林を覆い、日が傾くにつれて見分けにくくなっていく。
深層個体は入口跡の周辺に留まった。
爆撃で作られた陥没と瓦礫を囲むように、円盤型や新たな大型個体が位置を取る。
そこから遠くへは出ない。
軍を追い払った後、入口を守っているようにも見えた。
日没前、中国軍は予備線からさらに後方へ民間人を移動させた。
管理施設を中心に、複数の封鎖区域が設定される。
最内周は軍も進入しない。
その外側へ砲撃線。
さらに外側へ検問と避難区域。
地図上では、入口を中心とする不規則な赤い範囲が描かれた。
完全な円ではない。
林へ細長く伸び、広い道路では短く、北側の集落を半分だけ呑み込んでいる。
その内側には、管理施設、農地、住宅、車両、人間の遺体が残された。
中国政府はその日のうちに、地域全体を軍事管理下へ置いた。
公式発表では、大規模な異常空間事故に伴う避難措置とだけ説明された。
だが、現場の地図には別の名称が記載された。
異常生物占拠地域。
中国は、入口を失っただけではなかった。
その周囲の土地も、ダンジョンに奪われていた。




