第197話 火力不足
防護扉が持ち上がる。
最初に外へ出たのは、甲殻型だった。
扉の隙間から平たい身体を押し込み、六本の脚を舗装面へ突き立てる。後ろから別の個体に押され、半ば転がるように地上へ出た。
一体。
二体。
三体目が続く前に、入口正面へ配置された重機関銃が発砲した。
連続した衝撃が甲殻を叩く。
先頭の個体は外殻を砕かれ、身体の半分を黒い液体へ変えて倒れた。二体目も脚を二本失い、その場で横転する。
だが、死んでいない。
残った脚を舗装面へ引っかけ、砕けた身体を引きずりながら前進する。
「撃ち続けろ!」
重機関銃の射手が引き金を押し込む。
弾丸が内部を抉り、ようやく動きが止まった。
その間に、防護扉はさらに持ち上がっていた。
甲殻型の後ろから暗赤色の四脚獣が飛び出す。縦に裂けた口を左右へ開き、砕かれた仲間の間を抜けて走った。
二台の装甲車が同時に車載機関砲を向ける。
短い発砲音。
四脚獣の胸部へ大口径弾が命中し、肉と骨が後方へ吹き飛んだ。
普通の生物なら、その場で即死していた。
四脚獣は前脚だけで二度跳ねた。
下半身を失ったまま、倒れた兵士へ口を伸ばす。
二射目が頭部を砕き、ようやく止まった。
「一体に何発使わせる気だ」
射手が呟く。
答える者はいなかった。
入口の暗闇が動いた。
甲殻型と四脚獣だけではない。
人の胴ほどの太さを持つ白い節足生物が、壁面を這って地上へ現れた。長い身体の左右から無数の脚が伸び、外壁へ貼りつく。頭部は平たい円盤状で、下面に小さな口が幾重にも並んでいた。
その身体には、黒い小型種が密集している。
節足生物が外壁を大きく震わせた。
小型種が一斉に空中へ放たれる。
「上だ!」
掌ほどの黒い影が、入口前の防衛線へ降り注いだ。
兵士たちは空へ銃口を向ける。
発砲するたびに小型種が弾けるが、数が多すぎた。
一体が兵士の首元へ取りつく。
外殻の下から針のような口器が伸び、防護服の継ぎ目へ突き刺さった。
兵士が悲鳴を上げる。
隣の兵士が小型種をつかみ、引き剥がそうとする。
脚が布地と皮膚へ食い込み、簡単には外れない。
銃床で殴る。
一度。
二度。
外殻に亀裂が入っても、口器は抜けなかった。
三度目でようやく砕ける。
首元から血が噴き出した。
その臭いに、地上へ出た四脚獣が一斉に振り向いた。
「負傷者を後ろへ!」
盾兵が前へ出る。
四脚獣三体が同時に突進した。
先頭の一体が盾へぶつかる。
兵士の靴が舗装面を滑る。
二体目が横から回り込み、盾兵の脇腹へ口を開いた。
小銃弾が集中する。
暗赤色の皮膚が裂け、身体へ複数の穴が開く。それでも四脚獣は止まらない。
一体が盾兵の脚へ噛みついた。
もう一体は倒れた負傷者の腕をくわえ、そのまま入口方向へ引きずり始める。
「離させろ!」
兵士たちが追う。
四脚獣の背中へ何発も命中する。
血が飛び散る。
だが、顎の力は緩まない。
負傷者の身体が舗装面を跳ね、入口へ近づいていく。
装甲車の機関砲は撃てない。
兵士と四脚獣が近すぎた。
一人が走り寄り、四脚獣の口へ銃身を差し込んだ。
引き金を引く。
頭部の内側から弾丸が抜け、ようやく顎が開いた。
負傷者を引き戻す。
その直後、外壁を這っていた白い節足生物が落下した。
車両一台分ほどの長い身体が、防衛線の中央へ叩きつけられる。
兵士二人が下敷きになった。
節足生物は身体を曲げ、無数の脚で周囲を薙いだ。
一人の兵士が胸部を打たれ、数メートル飛ばされる。
別の兵士は脚を払われて倒れ、身体の上を何十本もの脚に踏まれた。
小銃弾が白い外皮へ当たる。
表面が削れるだけだった。
「装甲車、撃て!」
車載機関砲が節足生物の中央部へ発砲する。
一発目が外皮を割る。
二発目が内部へ届く。
三発目で節の一つが千切れた。
身体が二つに分かれる。
兵士たちの間から歓声に近い声が上がった。
前半分が起き上がった。
後半分も脚を動かしていた。
頭部を持つ側は外壁へ戻ろうとし、残った側はその場で無差別に脚を振り回す。
「切れても動くぞ!」
機関砲が再び火を噴く。
前半分へ五発。
後半分へ四発。
白い外皮が砕け、ようやく脚の動きが鈍る。
その一体へ火力を集中している間に、入口から新しい群れが流れ出していた。
甲殻型。
四脚獣。
黒い小型種。
白い節足生物。
さらに、二メートルを超える背丈の獣が現れる。
前脚は太く、肩から硬い黒褐色の板が何枚も張り出している。頭部は小さく、首がほとんどない。鼻先から曲がった一本角が前方へ伸びていた。
入口の床へ前脚を置いた瞬間、施設全体が揺れる。
「大型個体!」
黒褐色の獣は防護扉の下を身体で押し上げた。
固定具が音を立てて外れる。
鋼鉄の扉が歪み、片側のレールから浮いた。
獣がもう一度肩を入れる。
防護扉が外れた。
数トンある鋼板が地上側へ倒れ、入口前の障害物と車両を押し潰す。
黒褐色の獣がその上を踏んで外へ出た。
装甲車の機関砲が正面から命中する。
黒い板が砕ける。
獣は頭を下げた。
撃たれた方向を確認するように、身体をゆっくりと向ける。
二台目の装甲車も発砲した。
肩の板がさらに剥がれ、赤黒い肉が露出する。
それでも獣の脚は止まらない。
走り出す。
最初の数歩は遅かった。
その後、巨体からは想像できない速度へ達した。
「退避!」
装甲車が後退を始める。
間に合わない。
一本角が車体前面へ突き刺さった。
金属が潰れる。
装甲車の前部が持ち上がり、そのまま横転した。
車載機関砲の銃身が地面へ折れる。
獣は角を引き抜き、倒れた車両の側面へ前脚を叩きつけた。
装甲板がへこむ。
内部から乗員の声が聞こえる。
二台目の装甲車が側面へ回り、撃ち続ける。
弾丸が肩板のなくなった箇所へ入る。
獣が身体を揺らす。
一歩下がる。
しかし、倒れない。
「対戦車班!」
建物の陰で待機していた兵士が携行式対戦車兵器を構えた。
照準を合わせる。
黒褐色の獣が横転した装甲車へ前脚を乗せる。
射手は息を止め、引き金を引いた。
弾頭が獣の脇腹へ命中する。
爆発が入口前を白く覆った。
衝撃波で周囲の小型種が吹き飛び、窓ガラスがまとめて割れる。
黒褐色の獣の身体が横へ倒れた。
しばらく動かない。
「停止を確認しろ!」
煙が薄れる。
脇腹は大きく抉れていた。
内臓らしいものが舗装面へ垂れ下がっている。
獣の前脚が動いた。
鉤のような蹄が地面を削る。
身体を起こそうとしていた。
「嘘だろ」
二発目の対戦車弾が発射される。
頭部と肩の境へ命中した。
爆発で上半身が砕け、巨体が再び倒れる。
今度は起き上がらなかった。
一体を止めるために、装甲車一台と対戦車弾二発を消費していた。
その間にも、別のモンスターが施設へ入り込んでいる。
甲殻型は倒れた兵士や血の付いた装備へ集まり、黒い器官を伸ばす。
四脚獣は医療区画の壁を破り、搬送が間に合わなかった負傷者を引きずり出す。
黒い小型種は換気設備から管制棟へ入り、職員を襲う。
白い節足生物は車両の下や建物の外壁を移動し、銃口を向けにくい位置から兵士へ落下する。
入口前の第一線は、すでに防衛線の形を失っていた。
「第二線まで下がれ!」
警備責任者が叫ぶ。
「車両を捨てろ! 負傷者だけ運べ!」
兵士たちは退却を始める。
だが、地上へ出たモンスターは無秩序に暴れているわけではなかった。
血の臭い。
人間の声。
車両の振動。
逃げる集団。
反応する対象は異なっていても、すべてが人間の多い場所へ集まっていく。
外周道路では、避難車列がまだ詰まっていた。
先頭車両の事故処理が終わらず、後続のバスや輸送車が動けない。
研究員と民間作業員が車外へ降り始めていた。
「車内に戻れ!」
警備兵が叫ぶ。
その時、管理施設の屋根を越えて黒い小型種の群れが現れた。
数百の影が空を覆う。
羽音はない。
薄い膜を広げ、風に乗るように滑空してくる。
避難車列へ降り注ぐ。
フロントガラス。
屋根。
窓。
人間の肩や背中。
車外にいた職員が両手で頭を守る。
小型種が腕へ取りつく。
別の個体が頬へ張りつく。
口器が皮膚へ刺さる。
職員が倒れる。
周囲の人間が助けようとして集まり、さらに多くの小型種が降りる。
バスの運転手が扉を閉める。
閉まる直前、一体が車内へ入った。
乗客が悲鳴を上げる。
狭い通路で人間が押し合い、後部へ逃げようとする。
小型種は最も近い人間へ飛びつき、首筋へ口器を差し込んだ。
隣の者が鞄で叩く。
外殻が割れない。
別の者が消火器を持ち上げ、何度も殴る。
ようやく潰れた時には、刺された職員は床へ倒れ、身体を痙攣させていた。
外では、白い節足生物が車列へ到達した。
長い身体をバスの側面へ這わせる。
窓の外を何十本もの脚が通り過ぎる。
車内の人間が反対側へ逃げる。
節足生物は窓枠へ円盤状の頭部を押しつけた。
小さな口が一斉に開閉する。
ガラスに細い亀裂が入る。
一度。
二度。
三度目で窓が割れた。
節足生物の頭部が車内へ入る。
先頭にいた乗客の肩へ複数の口が食いついた。
悲鳴。
後方へ逃げようとする人間が転倒する。
その上を別の者が踏む。
外周警備の兵士が発砲する。
弾丸はバスの車体と節足生物の外皮へ当たる。
車内に人間がいるため、機関銃は使えない。
兵士が近づき、窓へ銃口を入れる。
節足生物が身体を振った。
長い尾部が兵士の胸を打つ。
兵士は道路へ倒れ、そのまま動かなくなった。
「車列を放棄しろ!」
外周指揮官が無線で命じる。
「徒歩で南門へ移動! 装甲車を盾にしろ!」
人々が車両から降り始める。
その判断が、四脚獣を引き寄せた。
管理施設から走ってきた暗赤色の群れが、外周道路へ雪崩れ込む。
先頭の一体が逃げ遅れた作業員へ飛びかかる。
背中へ前脚を乗せ、首へ口を開く。
警備兵が撃つ。
一発が肩へ入る。
二発目が脇腹を抜く。
四脚獣は作業員へ噛みついたまま離れない。
別の一体が警備兵へ突進する。
銃を向け直すより早く、脚へ食らいつかれた。
人間とモンスターが入り乱れ、射線が消える。
装甲車の機関砲は使えない。
重機関銃も同じだった。
広い道路に用意した火力が、人間の中へ入り込まれた途端に封じられる。
兵士たちは小銃と銃剣、盾、工具で戦うしかなかった。
一体へ数人がかりで撃ち込む。
倒れたと思った個体が起き上がる。
腕を失っても噛みつく。
腹部を撃ち抜かれても走る。
頭部か身体の中枢を完全に壊すまで止まらない。
弾倉が空になる。
交換している間に距離を詰められる。
負傷者が増える。
血が流れる。
甲殻型が集まる。
警備責任者は第二防衛線から全体を見ていた。
第一線は壊滅。
外周道路も崩れ始めている。
地上へ出た個体数は、すでに百を超えていた。
小型種を含めれば、数える意味もない。
それでも入口からの流出は続いている。
「増援部隊はどこだ」
『北側道路へ到着。装甲車十二、歩兵約二百。現在展開中』
「外周道路へ入れるな。避難民と接触する」
『ではどこへ』
「南側の開けた区画へ回せ。モンスターを人のいない場所へ誘導する」
『誘導手段は』
警備責任者は答えられなかった。
モンスターが反応するのは人間と血だった。
人のいない場所へ引きつける手段など、まだ誰も持っていない。
管制棟から緊急報告が入る。
『内部の監視情報を復旧しました』
「映せ」
携帯端末へ入口内部の映像が送られる。
第一層の通路を、モンスターが埋め尽くしていた。
床。
壁。
天井。
種類の違う個体が互いを踏み越えながら、地上へ向かっている。
その奥に、さらに大きな影が見えた。
通路いっぱいの幅を持つ。
低い天井へ背中を擦りつけ、前方の小型個体を押し潰しながら進んでいる。
映像が揺れる。
一度消え、再び映る。
警備責任者は端末を見たまま言った。
「司令部へ伝えろ」
「何と」
「現有火力では封鎖できない」
近くで爆発が起きた。
横転した装甲車の弾薬に火が入った。
車体が内側から膨らみ、砲塔の一部が吹き飛ぶ。
爆風で周囲のモンスターが倒れる。
甲殻型が転がる。
四脚獣が壁へ叩きつけられる。
数秒後、何体かが再び立ち上がった。
燃えた身体のまま、近くの人間へ向かって走り始める。
警備責任者はその光景を見た。
銃弾は効いている。
機関砲も効く。
対戦車兵器なら大型個体も倒せる。
だが、一体を止めるために必要な弾薬と時間が多すぎた。
こちらが一体を倒す間に、入口から三体、五体と増えていく。
火力が通用しないのではない。
火力を注ぎ込んでも、数が減らない。
外周道路から、避難民の悲鳴が聞こえる。
施設内では銃声が途切れない。
入口の奥では、巨大な影が地上へ近づいていた。
「第二防衛線、後退準備」
警備責任者が命じる。
副官が顔を上げた。
「ここを放棄するのですか」
「施設はもう維持できない」
「入口を明け渡せば、さらに出てきます」
「残れば人間が餌になる」
警備責任者は、負傷者を運ぶ兵士たちを見る。
彼らの後ろを、甲殻型が追ってくる。
機関銃が発砲する。
一体が倒れる。
別の一体がその横を抜ける。
「全員、南側封鎖線まで後退」
命令が各部隊へ送られた。
世界で最初に五層へ到達した中国の管理部隊は、その日のうちに入口施設を放棄した。
残された建物へ、モンスターが入り込んでいく。
医療所。
兵舎。
研究棟。
補給倉庫。
壊れた車両と人間の遺体が散らばる地上施設は、ダンジョン内部と変わらない場所になり始めていた。
入口から、次の大型個体が頭部を出す。
施設の向こうでは、避難車列がまだ完全には動いていない。
モンスターは、そちらを向いた。




