第191話 砂の下
第七層は、砂漠だった。
扉の向こうへ踏み出した足が砂に沈む。靴底の下で乾いた粒が崩れ、土とも石とも違う感触が足首までまとわりついた。背後にある六層の森から流れてくる湿った空気は、熱を含んだ風に押し返されている。
息を吸うと、砂と乾いた草、それから遠くにある水の匂いが混じっていた。
振り返れば、白く乾いた石の扉が開いたまま立っている。六層側では岩壁に埋もれていたが、こちらから見ると、砂漠の端に残された門のようだった。扉の隙間から森の緑が見えているだけに、境目の異様さが際立っている。
狼型が砂へ足を取られて鼻を鳴らし、蜘蛛型は脚の置き方を変えながら進み始めた。鳥型はすぐに飛び上がり、近くの上空を旋回する。
小人たちは何人かが最初の一歩で転んだものの、すぐに砂の硬い場所を探して歩き出した。指の間から砂を落としたり、足跡を見比べたりしながら、少しずつ進み方を変えている。
前方にはオアシスが見えていた。
砂丘の間に濃い緑が固まり、その中央で水面が白く光っている。距離は近そうに見えるが、実際に歩いてみると足が沈み、一歩ごとに余計な力を取られた。砂丘を上がれば砂が後ろへ流れ、下れば足元ごと前へ滑る。
見通しは広い。
六層の森のように木々へ遮られることもなく、かなり遠くまで見渡せる。それなのに、安心できる感じはなかった。砂の表面は風で絶えず形を変え、何かが通った跡も残りにくい。地面の下に何がいるかは、目で見ても判断できなかった。
しばらく進んだところで、鳥型が低く鳴いた。
前方の砂に細い盛り上がりが走っている。風で崩れただけにも見えたが、その筋は斜面を横切るように移動していた。鳥型が反応しなければ、そのまま踏み込んでいたかもしれない。
今回は、動き出す前の敵を拾う手段がない。
「……苦戦しそうだな」
俺が呟いた直後、小人の足元から砂が弾けた。
細い棘のようなものが突き出し、小人が横へ跳ぶ。砂の中から現れたのは、掌より少し大きい平たい虫だった。甲殻は周囲の砂とほとんど同じ色で、体を伏せれば石片にしか見えない。
続けて周囲の砂がいくつも破裂した。
同じ虫が飛び出し、足首や手首へ食いつこうとする。背中には後ろ向きの棘が並び、口元にも短い針のような突起があった。毒があるか確かめる気にはなれない形をしている。
俺は足元へ跳びついてきた一体を踏み潰した。乾いた殻が割れ、薄い体液が砂へ染み込む。靴の側面へ張りつこうとした個体は、ナイフの柄で叩き落とした。
小人たちは散り、棒や短い槍で虫を払っている。蜘蛛型が砂の上へ低く糸を張ると、飛び込んだ虫の脚が絡んだ。狼型は噛みつかず、前足を振り下ろして殻ごと潰している。
鳥型も上空から何度か狙ったが、虫が砂へ潜ると追えなくなった。
強い相手ではない。
だが、最初の一撃を受けるまで見つけにくい。残った虫が砂へ潜り直すと、周囲は何事もなかったように静かになった。潰れた殻も、砂を被れば地面の一部に紛れていく。
小人たちは落ちている棘と甲殻を拾い始めた。
俺はオアシスへ視線を向ける。
水場には生き物が集まる。あの虫が通りかかる獲物を待っているなら、オアシスの周囲には別のものも潜んでいるはずだ。
ここで六層へ引き返すこともできるが、扉の近くを見ただけでは次に来ても何も変わらない。少なくとも水場の周辺までは確認しておきたかった。
オアシスへ近づくにつれて、砂の色が少し濃くなっていく。表面は乾いていても、その下には水分があるらしく、足元もわずかに硬くなった。
太い幹を持つ木が何本も立ち、厚い葉を広げている。その下には背の低い草が生え、中心には池のような水場があった。水は澄んでいて、浅い場所では白い砂と小石が底まで見える。そこから細い流れが何本か、周囲の砂地へ伸びていた。
小人たちは水辺へ着くと、すぐに手足を水へ入れた。砂で汚れた顔を洗う者や、近くの仲間へ水を飛ばす者もいる。冷たさに驚いた一人が後ろへ転び、水しぶきが上がった。
俺は水面と周囲の砂へ目を配る。
蜘蛛型は木の根元へ移り、狼型は水辺の外側を回っている。鳥型は枝へ止まり、地面と水面を交互に見下ろしていた。
水際の砂に、細い筋が何本も残っている。水が引いた跡にも、何かが這った跡にも見えた。
その一部が、わずかに持ち上がった。
俺がナイフへ手をかけた直後、湿った砂から平たい頭が現れる。トカゲに似た生き物だった。体は横へ広く、背中は砂と同じ色をしている。目と鼻先だけを出して潜り、水辺へ近づくものを待っていたらしい。
トカゲ型が水の中にいた小人へ飛びかかった。
狙われた小人は足を滑らせ、後ろへ倒れる。開いた口が頭上を通り過ぎ、トカゲ型は浅瀬へ着地した。すぐ近くにいた小人が蹴った水が背中へかかり、張りついていた砂が剥がれ落ちる。
狼型が横から飛び込んだ。
トカゲ型は体を伏せ、砂へ逃げ込もうとする。乾いた場所ならそのまま姿を消していたかもしれないが、水際の重い砂では動きが鈍い。狼型の牙が尾の付け根を捉え、半分埋まった体を引きずり出した。
俺は首の後ろへナイフを突き入れた。
刃が硬い皮を抜け、浅瀬に薄い血が広がる。トカゲ型は大きく体を震わせたが、首を深く切ると動かなくなった。
小人たちは倒れたトカゲ型の周りへ集まり、背中の皮や前脚を調べ始める。襲われた一人も起き上がり、濡れた服を絞っていた。
虫もトカゲ型も、飛び出す直前まで砂に紛れていた。
今は、鳥型や狼型の反応と、目に見える砂の動きへ頼るしかない。敵そのものは倒せても、常に後手へ回るのは厄介だった。これがもっと大きな相手なら、最初の一撃を受けた時点で終わる可能性もある。
オアシスの外側には砂丘が続き、遮る木や岩はほとんどない。六層とは比べものにならないほど遠くまで見えるが、砂の下にいるものまでは映らない。
風が吹き、砂丘の表面を薄い砂が流れた。
その向こうで、地面が動いた。
最初は砂丘が崩れただけに見えた。白っぽい稜線がゆっくり沈み、その横から別の砂が盛り上がっていく。
だが、動いている範囲が広すぎる。
鳥型が枝から飛び立ち、狼型が低く唸った。蜘蛛型も脚を止め、水辺にいた小人たちまで遠くの砂丘へ顔を向ける。
砂の向こうから、巨大な円筒状のものが持ち上がった。
遠すぎて細かな形までは捉えられない。それでも、大きさだけは嫌になるほど伝わってくる。砂丘の奥から現れた胴体が大きな弧を描き、砂煙を引きずりながら再び地面の下へ沈んでいった。
ワーム型。
そう呼ぶしかない姿だった。
見えているのは体の一部だけなのに、六層で倒した森砕きよりもはるかに大きい。太い胴体が砂丘一つ分を横切り、沈んだ後には地形が変わったような跡が残っている。
少し遅れて、足元へ低い振動が届いた。水面が揺れ、木の葉が擦れ合う。こちらへ向かっているわけではなく、遠くを通っただけでこの圧だった。
「……でっか」
口から勝手に出た。
寄生体で体を強化し、狼型や蜘蛛型を連れ、戦える個体を増やしたとしても、どう戦えばいいのか想像がつかない。胴体へ攻撃が届いたとして、どれほど傷をつければ止まるのか。砂の下からまともに姿を出す相手なのかさえ怪しかった。
俺は額を押さえた。
「これ、個人じゃなくて軍で相手する奴だろ」
言ってから、軍なら何とかなるのかと考える。
銃火器が通じにくい敵は珍しくない。あの巨体が硬い外皮を持ち、砂の下を自由に動くなら、人数と火力を並べれば済む話でもない。隊列を組んだところで、足場ごと崩されればまとめて飲み込まれる。
頭に浮かぶのは、勝ち方より被害の出方ばかりだった。
「無理だろ、あれ」
巨大な胴体がもう一度、遠くの砂丘から姿を現した。
光を受けた表面は岩のようにざらつき、いくつもの節が連なっている。先ほどより短い時間で砂へ沈み、その後には長い砂煙だけが残った。
あれが、この階層のボスなのか。
決まったわけではない。だが、あれ以上のものまでいるとは考えたくなかった。
小人たちは水と倒したトカゲ型、拾った虫の甲殻をまとめている。遠くのワーム型はこちらへ来る様子を見せていないが、行動範囲も、砂の中に潜む敵の種類も分からない。初回の探索で、これ以上踏み込む必要はなかった。
「帰るか」
俺は扉の方向へ向き直った。
今日は第七層へ入り、オアシスまで来た。砂の下に潜む虫とトカゲ型を確認し、遠くには巨大なワーム型を見つけた。
十分だ。
最後の一つは、見なくてもよかった気がする。
帰路へ足を踏み出すと、靴の下で砂が崩れた。俺は足元を確かめ、ナイフから手を離さないまま歩き出す。
遠くのデカブツを考えるのは、まずこの砂の下にいるものへの対処を決めてからだった。




