第189話 安全装置
石橋は、集合場所に立っている四人目を見て、最初に思ったことを口に出さずに飲み込んだ。
誰だ、である。
互助会準備会で指定された集合場所には、石橋たち三人と槙野がいた。そして、槙野の後ろに、もう一人いる。背格好は男に見えるが、顔は貸与用らしいフルフェイスのヘルメットで隠れていた。服装も地味で、目立つ色はない。武器らしい武器も見当たらない。腰に短めのナイフ、背に小さな荷物。それだけだった。
「先に言っておきます」
槙野は、いつもの落ち着いた調子で言った。
「この人は、今回だけの臨時同行者です。身元は伏せます。報酬もいりません。戦利品の取り分も不要です。戦闘にも基本的には参加しません。指示役でもありません」
石橋の隣にいた仲間が、眉をひそめる。
「それ、同行する意味ありますか」
「あります」
槙野は即答した。
「命の危険が迫った時だけ、介入してもらいます。それ以外は見ているだけです」
石橋は、もう一度フルフェイスの相手を見た。
相手は何も言わない。ヘルメット越しに視線の向きも読み取りづらいが、こちらを急かす様子も、値踏みする様子もなかった。ただ立っているだけなのに、変に力んでいない。
「喋らないんですか」
石橋が聞くと、槙野が先に答えた。
「事情があって、現地での発言は控えてもらいます。必要があれば、ジェスチャー程度です」
「事情って」
「そこは聞かないでください。信頼できる人間、という説明しか今はできません」
仲間の一人が、息を吐いた。
「いや、かなり気になるんですけど」
「分かります」
槙野は頷いた。
「だからこそ、嫌なら今日の同行は断ってもらってかまいません。押しつけるつもりはありません。ただ、こちらとしては、一度目のボス戦に安全装置を付けておきたい。そう考えています」
安全装置。
その言い方は少し癪に障る気もした。
だが、同時に、ありがたくもあった。
石橋たちは前回、二層ボス部屋の前まで行って退いた。あの判断を槙野はきちんと評価し、準備会にも共有してくれた。そこから装備の見直しをして、撤退基準も班内で決め直し、今日ここに来ている。
その槙野が、ここまでして寄越してきた人間だ。
気味が悪いというだけで切るには、互助会側への信頼がもう育ってしまっていた。
石橋は仲間二人と顔を見合わせた。
短いやり取りだけで、考えていることは大体分かる。
得体は知れない。
だが、槙野を疑うつもりもない。
なら、一度だけなら。
「……一回だけですからね」
石橋が言った。
「今日だけ。次も、とはまだ言えません」
「それで十分です」
槙野は素直に頷いた。
「それと、もう一つ。この人は助けに入る条件がかなり厳しいです。危なそう、では動きません。本当に命に届くと判断した時だけです。そこは期待しすぎないでください」
「つまり、基本は自分らでやれってことですよね」
「はい。そういうことです」
石橋は苦く笑った。
結局そこは変わらない。
ただ、最後の最後に一本だけ細い綱が増える。それをどう受け取るかだ。
「分かりました」
石橋はフルフェイスの相手へ向き直る。
「今日はよろしくお願いします」
相手は声を出さず、軽く頭を下げた。
異常空間へ入ってから、石橋たちは前回より口数が少なかった。
緊張しているからだけではない。やることが増えていた。
先頭と最後尾の確認。
ライトの予備位置。
盾の固定具の再点検。
水と体調の残量確認。
誰か一人が中止を口にしたら、その時点で止まるという約束。
回収物があっても、移動を阻害するなら捨てるという確認。
前回、扉の前で退いたからこそ決めたことばかりだった。
フルフェイスの同行者は、後ろから一定の距離を保って付いてきた。
先頭を追い越さない。
壁や床を勝手に触らない。
声も出さない。
こちらの隊列を乱すことがないので、途中から石橋の警戒は意識の中心から外れていった。いることは分かる。けれど、邪魔にはならない。
二層奥の大扉が見えてきた時、石橋は一度足を止めた。
左右の石柱。
円形の浮き彫り。
前回見たままの、嫌に整った大きな扉。
床の色が一段濃い範囲も、やはりそのままだった。
誰も軽口を叩かなかった。
「確認する」
石橋が言う。
「耳鳴り」
「ある」
「こっちも」
「同じく」
「ライト」
「正常」
「予備もある」
「盾ベルト」
「問題なし」
「水」
「残量十分」
ここまでは予定通りだった。
石橋は一呼吸置き、後ろを振り返る。フルフェイスの同行者は、離れた位置で壁際に立っていた。
「……それ、見えますか?」
思わず聞いてしまった。
視界が狭そうなヘルメットだったからだ。
相手はすぐに頷いて、親指を立てた。
石橋の仲間が、思わず吹き出しかける。
「そこは分かりやすいんだな……」
緊張が和らいだ。
石橋も短く息を吐き、扉の方へ向き直る。
「行こう」
濃い床の範囲を横切った瞬間、扉の奥で低い音が鳴った。
石を引きずるような音だった。
左右の柱の間から、空気が重くなる。
扉がゆっくりと開き、その隙間の奥で、巨大な影が立ち上がった。
石像兵だった。
人型。
全高は二メートルを少し超える。
全身が灰色の石でできており、胴は分厚く、腕は人間より長い。右手に石剣、左腕には長方形の石盾。頭部に顔らしい凹凸はあるが、表情はない。胸の中央だけが黒ずんでいて、そこに何か埋まっているようにも見えた。
「デカいな……」
仲間の一人が呟く。
「でかいだけなら助かる」
石橋は短く返した。
「散るな。正面固定、左右は取りすぎるな。床を見る」
石像兵は、扉をくぐったところで一度止まり、次の瞬間には石剣を振り下ろしてきた。
速い。
石の塊のくせに、速い。
石橋は盾を出しながら半歩ずれた。真正面で受けると、体ごと持っていかれる。剣は床を叩き、硬い音を立てて石片を散らす。
左から仲間が短槍を突き出し、膝裏を狙う。
もう一人が石盾の外側から胴を打つ。
石像兵は振り向きざまに盾を横へ払ったが、そこへ石橋が踏み込んで肩口を打ち、体勢を崩させた。
前回の自分たちなら、ここで焦っていたかもしれない。
強い敵を前にして、倒すことしか頭にならなかったかもしれない。
だが今日は違う。
石像兵の足元を見る。
互いの位置を見る。
誰が押されているかを言葉に出す。
息が上がっても隠さない。
無理に攻めず、下がる時は下がる。
「右、来る!」
「見えてる!」
「一回引く!」
「了解!」
短い声が飛び交うたび、班内の動きが揃っていく。
石橋はその感覚に、奇妙な手応えを覚えていた。
槙野に言われて仕方なく決めた撤退基準や声かけが、いまは戦うための土台になっている。
進みすぎないから崩れない。
崩れないから、また踏み込める。
石像兵の左脚に傷が集まり始めた。
石盾の縁も欠けている。
石剣を振るう動きは重いが、単調ではない。体格に見合わない速度の踏み込みが時々混じるのが嫌だった。まともに食らえば、骨がどうなるか分からない。
石橋は、石像兵の剣が高く上がるのを見た瞬間に声を張った。
「上!」
仲間二人が同時に散る。
振り下ろされた剣は床を叩き、鈍い音とともに石像兵の体勢が前へ傾いた。
そこへ、石橋たちは迷わず入った。
膝。
脇腹。
首元。
そして胸の黒ずみ。
狙いを絞った打撃が重なる。
胸部に入った一撃で、石像兵の芯が鈍く軋んだ。
「通った!」
「もう一回!」
石橋たちは押していた。
明らかに押していた。
フルフェイスの同行者は、その間、一度も動かなかった。離れた壁際で、ただ戦いを見ているだけだった。
石像兵の左脚がついに砕け、巨体が片膝をついた。
石盾が落ちる。
剣も半ばから欠ける。
石橋の仲間が横から胴を打ち、もう一人が胸の黒ずみを狙って短槍を突き込んだ。
鈍い破砕音が響く。
胸部に埋まっていた黒っぽい塊にひびが走り、石像兵の全身から力が抜けた。
「やった!」
思わず声が出た。
石橋自身も、勝ったと思った。
石像兵の上体が前へ崩れ、そのまま動かなくなるように見えた。
次の瞬間だった。
倒れ込みながら、石像兵の右腕だけが跳ねるように動いた。
折れた石剣の先端が、最後の力で投げつけられる。
狙われたのは、胸を狙って前へ出ていた仲間だった。
距離が近すぎる。
避ける暇も、盾を上げる暇もない。
まともに入れば終わる。
石橋の目には、その一瞬が長く見えた。
間に合わない。
そう思った時、横から何かが飛んだ。
小さな石だった。
拾っただけのような、手のひらに収まる程度の石。
それが一直線に飛び、投げ放たれた石剣の根元ではなく、石像兵の手首を正確に打った。
ほんの数センチだけ、軌道がずれる。
石剣の切っ先は仲間の胸を外れ、肩口を裂きながら後ろの壁に突き刺さった。
「っ、あ……!」
仲間が尻もちをつく。
血は出ている。だが、立っている。呼吸もある。
胸を貫かれてはいない。
沈黙が落ちた。
石橋は、石像兵より先に、石の飛んできた方を見た。
壁際。
さっきまで一歩も出てこなかったフルフェイスの同行者が、右手を下ろしたところだった。
石橋の胸元に固定した記録用カメラも、その方向を捉えていたはずだ。
同行者は何事もなかったように、親指を立てた。
石橋は、数秒遅れて意味を理解した。
助けたのだ。
本当に、命の危険が迫った、その瞬間だけ。
「……今の」
石橋の口から、間の抜けた声が出る。
フルフェイスの相手は何も言わない。
ただ、もう一度だけ親指を立てて、それから肩口を裂いた仲間の方を指した。早く傷を見ろ、という意味だろう。
石橋は慌てて我に返った。
「止血! 座れ、深くないか見る!」
「だ、大丈夫、たぶん骨は……」
「たぶんで喋るな、見せろ!」
仲間の傷は浅くはなかったが、致命傷ではなかった。
数センチずれていれば、たぶん胸に入っていた。
あの石がなければ、間に合わなかった。
石橋たちが応急処置をしている間も、フルフェイスの同行者は余計なことをしなかった。近寄りすぎず、離れすぎず、ただ周囲を見ている。
それがかえって異様だった。
助けた本人のはずなのに、誇るでもなく、恩着せがましくするでもなく、自分の出番はもう終わったとでも言うように静かだった。
やがて、呼吸が整い、石橋たちはようやく石像兵の残骸を見た。
胸部の黒ずみに埋まっていたのは、小さな黒い核のようなものだった。回収品として価値があるかどうかは分からないが、今はそれ以上に、全員が生きていることの方が大きい。
「……勝った、んだよな」
仲間の一人が言う。
「勝った」
石橋は答えた。
「俺らが倒した」
そこまでは言い切れた。
そして、続けて言う。
「でも、最後は助けられた」
その事実も、飲み込まずに言った。
ごまかす必要はない。悔しくないわけではないが、命を拾ってもらったことまで見ないふりをすると、次を間違える気がした。
石橋は立ち上がり、フルフェイスの同行者へ向き直る。
「ありがとうございました」
相手は首を横に振った。
礼は不要なのか、そういう意味かと思ったが、続いて石像兵の方を指し、次に石橋たち三人の方を順に指した。
お前たちが倒した、ということらしい。
石橋は、力の抜けた笑みを浮かべた。
「それでも、さっきのは助かりました」
フルフェイスの相手は、今度は否定せず、軽く親指を立てた。
帰路についた石橋たち三人の空気は、行きよりずっと静かだった。
疲労もある。
負傷もある。
初めてのボス戦を越えた実感もある。
その全部の上に、最後に見たものが乗っていた。
拾った石一つ。
それだけで、命に届く攻撃を逸らした。
あんなことができる人間を、槙野はどこから連れてきたのか。考えても分からない。
ただ一つ分かったのは、槙野が言っていた条件に嘘はなかったということだった。
本当に、危険が命に届く瞬間にだけ手を出した。
それ以外は、最後まで見ているだけだった。
異常空間の入口へ近づく頃、石橋は低く言った。
「次も頼む、とは簡単に言えないな」
「うん」
「でも、一回だけって言われて、一回で済んだのは分かる」
「うん」
「あと、槙野さんにはちゃんと報告しよう。勝ったことも、最後に何があったかも」
仲間たちは頷いた。
手柄の話ではない。
保険がどう働いたかという話だ。
互助会が次に同じことを考えるなら、そこは曖昧にしない方がいい。
入口の光が近づく。
フルフェイスの同行者は、最後まで一言も喋らなかった。
ただ、出口の手前で石橋たちの方を見て、また一度だけ親指を立てた。
石橋は、今度は素直にそれを見返した。
勝った、と思う。
けれど、それだけでは足りないとも思う。
自分たちは確かに石像兵を倒した。
同時に、死にかけた。
その両方を、今日の報告にはきちんと書かなければならない。
互助会に必要なのは、勝った話だけではない。
どこで勝ち、どこで死にかけて、どこで一本の石に命を拾われたのか。
そこまで含めて、たぶん次の誰かの役に立つ。




