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寄生虫と行く現代ダンジョン  作者: 脳タリン


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第180話 安心材料


 模擬戦の映像が停止すると、会議室の大型画面には、目標地点へ入った戸張と、数メートル後方で足を止めた選抜要員たちの姿が残った。

 画面の隅に表示された残り時間は、四秒。

 戸張へ九発の命中判定を与え、一時的とはいえ複数の拘束具を同時にかけ、最後には絶縁処理された捕縛具で進行を止めている。結果だけを並べれば、選抜側も十分に対抗できた訓練だった。

 しかし、会議室に集まった者の多くは、映像を見終えても安堵した様子を見せなかった。

 内閣府、内閣官房、防衛省、警察庁、法務部門、生物研究部門。前回の緊急協議に参加した部署へ、模擬戦の結果を評価する担当者が追加されている。

 村瀬は会議机の端に座り、手元の報告書と画面を交互に見ていた。

 模擬戦が実施される前と比べれば、確かな情報は増えている。

 戸張は人間を相手に能力を制御できる。事前に取り決めた禁止事項を守り、隊員へ重大な損傷を与えず、訓練終了の合図にも従った。政府側が用意した仕掛けへ腹を立てることもなく、自分が不利になる条件を受け入れたうえで最後まで戦っている。

 協力者として扱える可能性を確認するという目的については、十分な成果があった。

 問題は、もう一つの目的だった。

 危機管理担当者が、画面に残る四秒という表示を見ながら口を開いた。


「見方によっては、あと四秒あれば阻止できたとも言えるのではないか」


 三宅一等陸尉は、質問が来ることを予想していたように資料を開いた。


「訓練条件の範囲では、その評価も可能です。戸張氏は複数回の命中を受け、一度は拘束に近い状態まで追い込まれています。ただし、実際に制圧可能だという意味ではありません」


「なぜだ。映像では、動きを止めている」


「戸張氏が安全条件を守ったからです」


 三宅は、拘束班がネットと捕縛棒を使って戸張を押さえ込んだ場面を表示させた。


「この時点で、五名が戸張氏の周囲へ集まっています。本人は拘束具の機構だけへ放電し、姿勢を崩した隊員には有効打判定を取るために触れただけでした」


「実戦なら、雷を人間へ流すと」


「それ以外にも、強い風で全員を転倒させる、拘束具ごと引き倒す、密集した隊員を互いに衝突させるといった方法があります。映像で確認済みの能力だけでも、こちらが大きな損害を受ける可能性は高いと考えます」


 会議室の後方で、資料をめくる音が重なった。

 警察側の担当者が、別の場面を指す。


「最後の捕縛具については、放電への対策が成功している。実戦でも絶縁処理を進めれば、能力の一部は封じられるのではないか」


「既知の能力については対策可能です」


 三宅は否定しなかった。


「しかし、戸張氏は映像で見せたもの以外にも能力があると認めています。今回使用しなかった理由は、必要がなかったか、安全条件に適さなかったか、そのどちらかです。絶縁処理が有効だったという結果を、戸張氏の能力全体へ広げるべきではありません」


「では、止められるかどうかは依然として不明だと」


「遅滞や誘導は可能です。現在の装備と人員で、確実に拘束または制圧できるという結論には至りません」


 報告書にも同じ内容が記載されている。

 現行要員による遅滞可能性あり。

 既知能力への対策は一定の効果あり。

 対人状況における能力制御を確認。

 確実な制圧能力については確認できず。

 表現は慎重だった。

 九発の命中や四秒差だけを取り出し、戸張へ勝てると受け取る者が出ないよう、何度も修正された文章だった。

 危機管理担当者は腕を組み直した。


「本人は、実戦ならどうなると話している」


「双方に大きな被害が出る話になる、と」


 村瀬が答えた。


「自分が必ず勝つとは言わなかったのか」


「言っていません。実弾や爆発物まで使用されれば、自分も無傷では済まないと理解しています。ただし、その場合は本人も能力を制限しないため、勝敗より被害の規模が問題になるという説明でした」


「冷静なのか、自信があるのか判断に困るな」


「両方だと思います」


 三宅の返答に、危機管理担当者は小さく息を吐いた。

 戸張は銃器を無意味だとは考えていない。模擬戦でも、猿の打撃より塗料弾を避けることへ意識を使ったと話している。

 人間の武器が自分を傷つけられることを理解し、それでも敵対した場合には双方へ被害を出せると判断している。

 根拠のない万能感ではなく、危険性を把握したうえでの自信だった。

 法務担当者が資料へ目を落としたまま発言する。


「少なくとも、本人が自分を法律や社会の外側に置いている様子はありません。模擬戦の条件を守り、協力案へ署名し、定期連絡も受け入れた。強制手段を検討するより、合意を維持する方が合理的です」


「合意を破った場合の備えは必要だ」


 警察側から意見が出る。


「それは否定しません。ただし、備えることと、常時追跡することは別です。本人は入口を探すための尾行や監視を明確に警戒しています。現時点で協力関係を壊す行為を行うべきではありません」


 前回の会議では、戸張の活動をどう止めるかという意見が何度も出ていた。

 今回は、止めるという言葉を使う者が減っている。

 代わりに議論されているのは、連絡が途切れた場合の対応、戸張から提供された情報の管理、専用窓口の権限、素材の買い取り基準、共同活動を依頼する際の手順だった。

 模擬戦によって戸張への警戒が消えたわけではない。

 強制的な管理を現実的な選択肢として語る者が減ったのだ。

 内閣官房の担当者が、制度運用部門へ尋ねる。


「登録等級はどうする。五級のままでは、実態とかけ離れすぎている」


「通常の昇級基準では扱えません。本人が制度上の活動で六層到達を証明したわけではなく、入口や場所も非公開です。今回の映像を一般の審査資料へ回すこともできません」


「では、五級の登録者が六層生物を三匹倒した状態を放置するのか」


「公開上の等級と、内部での対応区分を分けるべきです」


 制度運用担当者が、新しく作成した案を画面へ表示した。

 戸張の登録等級は、当面の間、五級のまま維持する。

 一方、通常の登録者対応からは切り離し、専用窓口を通じて個別に連絡を行う。活動参加の案内、素材の受け入れ、共同活動の依頼、緊急時の判断は、一般窓口ではなく対策室と関係部署が協議して決定する。

 文書上の名称は、特別協力対象者となっていた。


「新しい等級を作るのではないのか」


「現時点で戸張氏一人を基準に公開制度を変更すれば、能力と活動内容を外部へ示すことになります。今後、同様の特殊な能力や独自の経路を持つ者が現れた場合にも使える、内部運用上の区分として整備します」


 戸張との模擬戦が、今後の特殊人材案件のモデルケースになるという三宅の意見が、制度案へ反映された形だった。

 自分たちの把握を越えて成長した者。

 制度へ参加しながら、すべてを開示しない者。

 危険性と有用性を同時に持ち、通常の命令系統へ組み込むことが難しい者。

 戸張が最初の一人であって、最後とは限らない。

 危機管理担当者が案を読み終え、村瀬へ目を向けた。


「専用窓口は、引き続き君が担当するのか」


「現時点では、その予定です」


「負担が大きくないか」


「人員を追加していただけるなら助かります」


「胃薬では足りないと」


「最近は、効いているのか分からなくなってきました」


 会議室の一部から、小さな笑いが漏れた。

 緊張がわずかに緩んだところで、研究部門から素材提供に関する説明が行われる。

 四本腕の猿の腕は、感染性や急性毒性の検査を継続している。骨、筋肉、腱、皮膚には既知生物と異なる特徴が複数確認され、特に腱と骨の強度については、装備素材としての利用可能性が高い。

 戸張が持ち込んだ加工品についても、使用された道具や設備が不明なまま、素材の性質を生かした構造が採用されている。

 研究担当者は、加工品の拡大画像を表示した。


「切断面や縫合部分を見る限り、単純に皮を重ねただけではありません。荷重のかかる方向を考慮して繊維が配置され、腱の収縮性を留め具として利用しています」


「現地に、加工技術を持つ存在がいる可能性は」


「否定できません」


「戸張氏は答えないままか」


「はい。今回の協力案が始まったことで、今後の開示を期待するしかありません」


 すぐに入口や協力者について話すとは、誰も考えていない。

 しかし、素材を一つ持ち込むたびに検査結果を返し、対価を支払い、情報を勝手に公開しないことを積み重ねれば、次の情報が出てくる可能性はある。

 政府側が戸張を信用できるか試しているのと同じように、戸張も政府側を試している。

 その認識は、会議の参加者へ共有され始めていた。

 議題が一通り終わったところで、危機管理担当者が報告書の最後のページを開いた。


「この補足記録は何だ」


 村瀬は、何を見つけられたのかすぐに分かった。


「訓練後の発言記録です」


「社会を破壊する意思に関する確認、とあるが」


「本人から、自分には現在の社会を壊す理由がないという説明がありました」


「その理由が、アイスなのか」


 会議室の視線が村瀬へ集まる。

 報告書には、戸張の発言がほぼそのまま記録されていた。

 文明のある社会を捨て、石器時代へ戻りたい願望はない。

 いつでもアイスを買える環境を、自分で壊すほど馬鹿ではない。

 村瀬は真面目に答えた。


「アイスだけが理由ではないと思いますが、現在の生活を維持する意思を示す発言として記録しました」


「冗談ではないのか」


「冗談です。ただし、本人が何を守りたいと考えているかを判断する材料にはなります」


 法務担当者が資料を閉じながら頷いた。


「社会を支配したいと言われるよりは、はるかに安心できる」


「国家への忠誠ではなく、夜中にアイスを買える生活への執着か」


「動機としては十分でしょう。国家も、その生活を維持するために存在しています」


 今度は先ほどより大きな笑いが起きた。

 戸張がこの場にいれば、報告書へ書かなくてよいと言ったはずだった。

 実際には、能力、危険性、行動傾向と並んで、社会へ敵対する意思が低いと判断する補足材料に使われている。

 会議の最後に、今後の方針が確認された。

 戸張との暫定協力関係を維持し、専用窓口を通じて定期連絡を受ける。六層に関する素材と情報には正式な対価を設定し、検査結果を共有する。入口や未開示能力については強制的に聞き出さず、協力の積み重ねによる段階的な開示を求める。

 警戒と対処計画の検討は続けるが、本人や周辺への不用意な接触、入口を特定するための独断での追跡は認めない。

 公開上は五級登録者のまま、内部では特別協力対象者として扱う。

 決定事項が読み上げられ、各部署の担当者が資料を回収していく。

 戸張を完全に理解できた者はいない。

 能力の上限も、六層で何をしているのかも、誰が装備を作っているのかも分かっていない。

 それでも、最初の映像を見た夜とは違い、政府側には一つだけ確かな安心材料が増えていた。

 戸張は社会の外へ出たいのではなく、今ある生活の中へ戻ってくるつもりでいる。

 その理由が、いつでもアイスを食べられることだったとしても、何もないよりは十分だった。


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