第178話 人間のやり方
真壁が中央区画へ入った時、残っている要員はすでに再配置を始めていた。
戸張に有効打を与えられた四名は、判定上その場で戦闘終了となっている。第三班の一人も窓枠へ肩をぶつけたため、医療要員の確認が終わるまで復帰させない。残るのは真壁を含めて六名だった。
中央区画の奥には、戸張が到達すべき目標地点がある。地面へ黄色い枠が引かれ、その中央に訓練用の標識が立っていた。
そこまでの距離は約三十メートル。
障害物は少なく、正面から進めば最短になる。戸張ほどの身体能力があれば、数秒で駆け抜けられる距離だった。
真壁たちは目標地点の手前で隊形を組む。
盾を持つ三名が前へ出て、隙間を空けずに横一列へ並ぶ。その後方に塗料弾を使う二名を置き、真壁は少し離れた位置から全体を見た。
建物の屋上には、まだ二機の小型無人機が残っている。
拘束用ネットも一本だけ再使用できたが、先ほどと同じ方法を繰り返しても通じない。戸張は一度見た仕掛けを、次からは最初から警戒する。
真壁は無線で指示を出した。
「正面を開けるな。捕まえようとするな。目標地点へ入れなければいい」
戸張を拘束できる可能性は、先ほどの接触でかなり低くなった。
複数人で身体を押さえるところまでは成功したが、戸張は拘束具の機構だけを雷で止め、隊員が密集した瞬間を利用して抜けている。腕力だけで振り払わなかったのは、負傷者を出さないためだろう。
あの時、本気で力を使われていれば、三人が地面へ倒れるだけでは済まなかった。
人間を相手にした制御能力は確認できた。
次に見るべきなのは、正面から突破できる相手へ、戸張がどこまで手段を選ぶかだった。
通路の奥から足音が聞こえる。
戸張が姿を現した。
服の袖と背中、右脚には塗料弾の跡が残っている。足首を捕らえていた器具は外され、奪った模擬武器も途中へ置いてきたらしく、両手には何も持っていない。
歩く速度を変えず、盾の隊列と目標地点を見比べている。
その視線が真壁へ向いた。
戸張は、誰が指揮を執っているのか把握している。
真壁が監視室から出た時点で、通信の流れや隊員の動きが変わったのだろう。特別な感覚を使ったのか、単純に人間の反応を読んだのかは分からない。
どちらであっても、結果は同じだった。
「残り六名ですか」
戸張が距離を保ったまま尋ねた。
「人数を教える決まりはない」
「さっきまでより静かになったので」
「音で分かるのか」
「足音が減りました」
戸張の返答が、どこまで本当なのか真壁には判断できなかった。
監視カメラ越しに戸張の動きを見ていた時より、正面で向き合った方が体格の小ささが目につく。防具も武器もなく、見た目だけなら、盾を持った三名が一斉に進めば押し切れるように思える。
その判断が間違いだということは、参加者全員がすでに理解していた。
真壁は腕を上げた。
「前進」
盾班が一歩ずつ距離を詰める。
戸張はすぐには動かない。
後方から塗料弾が発射され、左右へ分かれて飛ぶ。一発は足元、もう一発は胸の高さを通り、避けた先へ三発目が続いた。
戸張は後ろへ下がらず、盾班と同じ方向へ横に動いた。正面を避けながら、隊列の端へ回ろうとしている。
盾班も向きを変える。
真壁は戸張の進行方向を確認し、無線へ短く告げた。
「一機目」
屋上から小型無人機が降下した。
戸張の頭上を通過するだけでなく、背後へ回って低い位置を飛ぶ。注意を上下へ分けたところへ、塗料弾がもう一度撃ち込まれた。
戸張は身体を沈め、一発を肩へ受けた。
赤い塗料が広がる。
命中はしたが、動きは止まらない。
盾班の左端へ近づき、片手を前へ出す。
風が来る。
三名は同時に姿勢を低くし、盾の下端を地面へ押しつけた。
正面から空気がぶつかり、身体全体が後ろへ押される。先ほどより強いが、隊列を崩すほどではない。三人が互いの肩を支え、足を滑らせながらも横一列を保った。
戸張の目がわずかに細くなった。
最初の盾班より、風への備えが早いことに気づいたのだろう。
「止めるな、前へ出ろ」
真壁の指示で、盾班が風の中を進む。
戸張は出力を上げなかった。人間を転倒させるほど強くすれば、盾同士がぶつかり、下敷きになる者が出る可能性がある。
安全条件を守る限り、正面から隊列を吹き飛ばすことはできない。
その制約は、選抜班側にも使える。
戸張が風を止め、右へ走った。
盾班が追うより速い。
後方の射撃要員が進路へ塗料弾を集中させ、戸張は建物の壁へ向かって跳ぶ。靴底を壁へ当て、そのまま斜め上へ身体を運んだ。
通常なら届かない高さの窓枠へ手をかける。
真壁は待っていた指示を出した。
「二機目、ネット」
屋上に残っていた無人機が戸張の進路へ入り、正面から接近する。戸張が顔を伏せた瞬間、別の屋上から拘束用ネットが投射された。
先ほどと違い、身体を直接狙っていない。
戸張が掴んでいる窓枠と、その下の壁を覆うように広がった。
壁へ固定されたネットが戸張の腕と肩へ絡み、上へ進む動きを止める。
盾班が方向を変え、壁際へ距離を詰めた。
戸張は片手でネットを掴み、引き裂こうとはしなかった。素材そのものを破壊できるだけの力を出せば、飛んだ金具が隊員へ当たる可能性がある。
代わりに足を壁へつき、身体を後ろへ倒した。
固定されたネットが大きく伸び、支点の一つが外れる。
戸張はそのまま地面へ降りたが、着地した場所には盾班が迫っていた。
三枚の盾が半円を作り、壁との間へ戸張を囲う。
後方から塗料弾が二発当たり、腹と左脚へ色が広がった。
戸張は盾へ手をつけたが、風を使わない。
正面へ押せば、後ろから支える隊員ごと壁へぶつける。
上へ逃げようにも、ネットが窓を塞いでいる。
真壁は中央の盾のすぐ後ろまで近づいた。
ここで拘束を急げば、先ほどと同じことになる。戸張を囲った状態を維持し、時間を使わせる方がいい。
訓練の残り時間は三分を切っていた。
「そのまま押さえろ。距離を詰めすぎるな」
戸張が盾越しに真壁を見る。
「今度は近づかないんですね」
「同じ失敗を二度する理由はない」
「勉強が早い」
「そちらほどじゃない」
戸張の視線が、盾、壁、ネット、射撃要員の順に動く。
力で突破せず、風も雷も使わない。安全条件の中で抜けられる方法を探している。
真壁はそれを待った。
戸張が能力を使わず時間を失えば、選抜班側が勝つ。使えば、どこまで精密に制御できるかという新しい情報が取れる。
どちらへ進んでも意味があった。
戸張が左手を地面へ向けた。
真壁が警告するより先に、足元から風が巻き上がった。
砂や小石を飛ばすほどの強さではない。戸張自身の服だけが大きく揺れ、身体が一瞬軽くなる。
その場で高く跳ぶのではなく、盾の上端へ片足をかけた。
中央の隊員が盾を持ち上げて落とそうとする。
戸張は沈む動きに合わせて膝を曲げ、再び風を使った。
盾の上で身体を反転させ、三人の頭上を越える。
背後へ着地した時には、真壁との距離が二メートルもなかった。
真壁は模擬警棒を抜き、戸張の肩へ振る。
戸張は腕で受けた。
判定装置が赤く点灯する。
有効打だった。
同時に、戸張の手が真壁の胸へ伸びる。
真壁は半歩下がり、警棒を横へ払って腕を逸らした。後方の射撃要員も、戸張の足元へ塗料弾を撃ち込む。
戸張は真壁への追撃を止め、盾班と射撃要員の間を抜けようとした。
真壁が背後から肩を掴む。
細い身体だった。
しかし、引いて止められる重さではない。
戸張は真壁の手首を掴んだものの、投げずに身体の向きだけを変えた。真壁の姿勢が崩れ、戸張との位置が入れ替わる。
そこへ盾班が戻ってくる。
戸張は真壁を盾として使わなかった。手を離し、横へ一歩ずれて三人の進路を空ける。
その一瞬、目標地点への直線が開いた。
戸張が走り出す。
射撃要員の塗料弾が背中と脚へ続けて当たったが、訓練上、命中だけでは止められない。
真壁も追う。
目標地点まで残り十メートル。
盾班は追いつけない。
屋上の無人機を降下させるが、戸張は見上げずに進路だけを少し変えた。
残り五メートル。
真壁は最後の捕縛具を腰から外した。短いワイヤーの先に輪がついた、近距離用のものだった。
走りながら投げる。
輪が戸張の右腕へかかり、締まった。
真壁は両手でワイヤーを握り、全体重を後ろへかける。
戸張の身体が止まった。
完全には引き戻せなくても、目標地点へ入るまでの時間を削れる。
戸張が振り返る。
真壁はワイヤーを放さなかった。
「これも、近づいたことになりますか」
「十分近いです」
戸張の右手から青白い光が走る。
真壁は放電を予想し、絶縁素材で覆われた取っ手を握っていた。
光はワイヤーを伝ったが、判定装置も捕縛具の機構も止まらない。
対策が機能した。
戸張の表情に、初めて明確な驚きが出た。
真壁は足を踏み込み、さらに引く。
戸張の腕が後ろへ伸び、目標地点から身体が遠ざかった。
残り時間は二十秒。
盾班が追いつき始めている。
戸張がワイヤーを掴んだ。
強く引けば、真壁の身体を簡単に引き寄せられるだろう。地面へ叩きつけることもできる。
しかし、戸張は力を加えなかった。
代わりに真壁へ向かって走り出した。
距離が一気に縮まる。
真壁は先ほどの拘束班と同じ対応をされると理解し、ワイヤーを手放そうとした。
戸張の手が先に届く。
胸部判定装置へ指先が触れ、電子音が鳴った。
『指揮要員、被撃判定』
真壁は訓練上の戦闘終了となった。
戸張はその場で止まらず、緩んだワイヤーを腕から外して目標地点へ走る。
残り九秒。
盾班が左右から迫り、射撃要員が最後の弾を撃つ。
戸張は一発を背中へ受け、二発目を避けた。
残り四秒。
目標地点の黄色い線へ足が入る。
警報音が訓練区域へ響いた。
『目標到達。訓練終了』
各班がその場で動きを止めた。
戸張も線の内側で足を止め、両手を下ろす。
服には複数の色が付着し、右腕と左脚には捕縛具の跡が残っていた。映像で四本腕の猿二体を倒した時より、見た目だけなら多くの攻撃を受けている。
それでも、息が大きく乱れた様子はない。
真壁は胸部判定装置を確認し、戸張の方へ歩いた。
「こちらの負けです」
「残り四秒なら、ほとんど負けかけていましたよ」
「到達された以上、負けは負けだ」
戸張は塗料のついた袖を見た。
「人間相手の方が、やりにくいですね」
「四本腕の猿よりも?」
「力は比べものになりません。でも、同じことを二度やらないし、俺ができることを見て対策を変えてくる。倒せば終わりという条件でもない」
真壁はその言葉を聞き、今回の訓練で必要だったものの一つは得られたと判断した。
戸張は人間を怪物と同じ方法で処理しなかった。
隊員を投げることも、関節を壊すことも、強い風や雷で動けなくすることもできたはずだが、最後まで有効打判定と装備への干渉だけで戦っている。
訓練条件を守り、こちらの連携を観察し、同じ罠に二度はかからなかった。
同時に、選抜班側も戸張へ複数の命中を取り、一度は全身に近い拘束を成立させ、最後には対策済みの捕縛具で時間を削った。
正面から止められるとは言えない。
それでも、何もできないわけではなかった。
三宅が監視室から中央区画へ入り、二人の前で足を止めた。
「双方、負傷の確認を先に行います。講評はそのあとです」
「了解しました」
真壁が答えると、戸張も頷いた。
医療要員が各班の確認を始める。窓枠へ肩をぶつけた隊員にも大きな問題はなく、転倒した者たちも打撲程度だった。
戸張には、塗料弾の命中箇所と捕縛具が触れた部分に赤みが残っている。本人は問題ないと答えたが、規定どおり検査を受けることになった。
真壁は訓練区域を見渡した。
使えなくなった拘束具、地面へ広がったネット、塗料の跡、風で押し流された煙幕の残り。十名で準備し、地形と装備を使い、相手の能力を事前に知ったうえで、四秒差まで追い込んだ。
結果だけなら敗北だった。
しかし、戸張もまた無傷では通れず、人間の連携を無視できなかった。
敵対した場合に止められるという結論にはならない。
一緒に動く価値があるかという問いには、はっきり答えが出た。
戸張一人では持てない視界と手段を、組織は補える。
組織だけでは突破できない相手を、戸張なら処理できる。
問題は、どちらが上かではない。
同じ方向を向いた時に、互いの力をどこまで重ねられるかだった。




