第174話 誰が決める
戸張への聞き取りは、映像の確認が終わったあとも一時間以上続いた。
六層と判断した根拠、これまでに確認した生物、周辺環境の特徴、使用できる能力、素材を回収した経緯、今後も情報や回収物を提供する意思があるか。質問は事前に用意された項目だけでは足りず、一つ答えが返るたびに、そこから新しい疑問が増えていった。
得られた情報は少なくない。
六層には広い森林があり、四本腕の猿以外にも大型の肉食獣や飛行する生物が存在する。四本腕の猿は今回の二匹を含め、少なくとも三匹を戸張が倒しており、火、風、雷を意図して発生させ、戦闘へ利用できることも映像で確認された。
一方、六層へ至る入口や経路、到達に必要な時間、素材を加工した者、人型生物の有無、映像で見せた以外の能力、負傷からの回復に関する情報については、明確な回答を得られなかった。
戸張は曖昧な説明や虚偽を混ぜるよりも、話さないことを選んでいる。
制度側が自分を今後どう扱うのか示すまでは、すべてを開示しない。その姿勢は最後まで変わらなかった。
村瀬たちは、その場で確約できる範囲だけを整理して戸張へ伝えた。
提供された素材と映像は、本人の同意を得た範囲で検査と分析を進め、結果が出るまで非公開情報として扱う。今回の未申告活動だけを理由に、直ちに資格停止や活動禁止を命じることはせず、異常空間内で外部へ影響する重大な危険を確認した場合には、制度側へ優先的に連絡してもらう。
その先の扱いについては、現場担当者だけで決められる範囲を越えているため、上層部を含めた協議を経て改めて回答する。
説明を聞いた戸張は、強く反発する様子も、安堵した表情も見せなかった。
「いつ頃、回答をもらえますか」
「可能な限り早く、としか現時点では申し上げられません」
「一週間以上かかりますか」
「そこまではお待たせしないようにします」
「分かりました」
戸張は立ち上がる前に、検査のため預けた加工品へ視線を向けた。
「装備は返してもらえますか」
「表面検査と記録が終わり次第、お返しします。素材を切り取ったり、破壊検査を行ったりすることはありません」
「猿の腕は、そのまま提供します」
「よろしいのですか」
「そのために持ってきました。調べられるだけ調べてください」
戸張は六層生物の腕一本を、必要な書類へ署名したうえで国側へ譲渡した。
金額についての要求はなく、条件として示されたのは、検査結果を自分にも共有することと、許可なく一般公開しないことだけだった。
職員に案内されて戸張が建物を出た頃には、時刻は午後九時を回っていた。
村瀬は見送りに出る余裕もなかった。戸張を乗せた車が敷地を離れるより先に、映像の複製と保全、腕の暫定検査結果、加工品の写真、聞き取り記録、過去の活動履歴を一つの案件へまとめる作業が始まっていた。
当初の報告先として想定されていたのは、異常空間対策を担当する内閣府内の上席だった。
ところが、六層生物の素材が本物である可能性が高いと分かった段階で内閣官房へ共有範囲が広がり、戦闘映像が確認されると防衛省と警察庁の担当部署が追加された。さらに、人型生物の存在を戸張が否定しなかったという聞き取り結果まで加わり、翌日の定例報告を待つ案件ではないと判断された。
午後十時二十分、予定されていた報告は緊急協議へ切り替えられた。
村瀬が庁舎へ戻った時には、会議室の前へ追加の机と椅子が運び込まれていた。本来なら十人ほどで使う部屋だったが、出席予定者が増え続けたため、壁際にまで簡易椅子が並べられている。
入口では携帯端末を預けるよう求められ、配布資料には一部ずつ異なる管理番号が印字されていた。開始予定時刻も二度変更され、最終的には内閣府の対策部門だけでなく、内閣官房の危機管理担当、防衛省、警察庁、制度運用を扱う法務部門、生物安全管理と研究部門、さらに官房副長官補佐級の職員まで出席することになった。
村瀬が席へ着くと、異常空間対策室の室長が資料を抱えたまま近づいてきた。
「村瀬君。本人は帰したのか」
「はい。現時点で拘束する根拠はありません」
「帰すことに異論は出なかったか」
「警察側から確認はありました。ただ、任意で情報を提供しに来た人物です。出入口を封鎖したり、本人の意思に反して同行を求めたりすれば、次回以降の協力を失う可能性があると説明しました」
「その判断は記録へ残してあるな」
「残しています」
室長は一度頷いたあと、声を落とした。
「六層というのは、本当に六層なのか」
「本人は、一層から階層を示す石柱を順番に確認したと説明しています。現段階では本人申告以上の裏付けはありません」
「映像の場所を、既存の異常空間と照合できないのか」
「特徴のある建造物や地形は映っておらず、位置情報も記録されていませんでした」
「消されていた?」
「カメラ側の位置情報記録を、最初から切っていたようです」
室長は手元の資料を閉じた。不満を示したのではなく、戸張が偶然ではなく意図して開示範囲を管理していた事実を、改めて受け止めたようだった。
会議が始まると、まず鹿島から生物素材に関する暫定報告が行われた。
提供された腕は既知の大型類人猿とは一致せず、骨格、筋肉、血管、神経が連続した構造を持っていることから、生前に機能していた生物組織と考えてよい。急速な腐敗や危険な揮発物は確認されていないが、感染性や毒性については、まだ否定できる段階にない。
画面へ切断面の画像が表示されると、それまで写真だけを見ていた出席者も、内部へ収まった骨と筋肉の構造を前にして、これが外見だけを似せた作り物ではないと理解した。
続いて戦闘映像が再生された。
二体の猿が画面に現れた時点で、後方の席から小さな声が漏れた。そこへ戸張が一人で歩いて入り、二体が争いをやめて同時に向き直る。
火、風、雷を使い、人間なら一撃で行動不能になってもおかしくない打撃を受けながら立ち上がり、最後には二体を地面へ倒して自分だけが残る。
映像が終わったあとも、会議室ではすぐに発言する者がいなかった。
最初に口を開いたのは、内閣官房の危機管理担当者だった。
「確認するが、この人物の登録等級は五級で間違いないのか」
制度運用担当者が資料を確認して答える。
「現在の正式登録は五級です」
「四級候補でもなく?」
「五級です。既存の制度には、六層へ到達したという申告を評価する仕組みがありません。そもそも国内で、六層到達を正式に確認した事例自体がありません」
「では、なぜ今まで把握できていなかった」
質問を向けられた村瀬は、そのまま答えた。
「本人が開示していなかったためです」
「活動記録は」
「制度上の活動には参加しています。ただし、今回の異常空間に関する記録は提出されていません」
「入口も不明、活動頻度も不明、能力も一部しか分からない。その状態で自宅へ帰したのか」
警察側の担当者が口を挟んだ。
「現行法上、任意で来訪した登録者を、能力が高いという理由だけで留め置くことはできません。素材も本人から正式に譲渡されており、少なくともその場で身柄を確保する根拠はありません」
「根拠がないことと、安全であることは別だ」
「その点は同意します。ただし、根拠のない強制措置を取れば、別の危険を生みます、以前からこういった特殊な人物への警戒と対応は報告書と議事録に記載しています」
そこから会議室では、複数の意見が同時に出始めた。
戸張へ活動停止を求めるべきだという意見があれば、まず入口を開示させるべきだという意見もあり、六層素材を継続的に提供させる方が優先だと主張する者もいた。能力の全容を確認するまで一般の登録活動へ参加させるべきではないという声に対しては、六層生物の組織を持ち帰れる人物を未申告だけで処分すれば、今後の情報提供が途絶えるという反論が出た。
結局、どの意見も同じ問題へ突き当たる。
判断の前提となる情報が足りない。
しかし、その不足を埋めるために強く踏み込めば、戸張は次から何も出さなくなる可能性がある。
防衛省側の担当者が、映像の一場面を止めさせた。
戸張が背後を確認せず、細身の猿の攻撃を避ける直前だった。
「本人は、音と空気の動きで判断したと説明したそうですが、これをそのまま受け取るのですか」
三宅一等陸尉が映像を見ながら答える。
「説明の一部だと考えています。映像内には、二体の動きを同時に捉えているように見える場面が複数あります」
「別の感覚器官か、何らかの能力がある可能性は」
「否定できません」
「申告は」
「ありません」
別の出席者が、加工品の写真を机へ置いた。
「これは誰が作った」
「回答を拒否されました」
「本人ではない可能性がある?」
「あります」
「地上の協力者か」
「異常空間内の協力者も、想定から外すことはできません」
人型生物の存在について尋ねられた際、戸張は否定せず、今回の回答範囲には含めないと答えている。
その記録が読み上げられると、先ほどまで重なっていた声が止まった。
未知の人型生物、生物素材を人間用の装備へ加工できる技術、六層を繰り返し往復できる経路、戸張本人の未開示能力。本来なら一つずつ別の案件として扱うべき情報が、今はすべて一人の登録者へ集まっている。
危機管理担当者が村瀬へ視線を向けた。
「戸張氏は、何を求めている」
「一方的に活動を止められないこと、提供した情報を不用意に公開しないこと、素材を合法的に持ち込み、検査結果を共有できる窓口を用意すること。この三点は明確にしています」
「金銭は」
「本人から要求はありません。ただし、今後も継続的な提供を求めるなら、相応の対価は設定する必要があります」
「ほかには」
「本人の扱いが決まる前に、能力や協力者に関する情報をすべて渡すつもりはない、と」
「当然だろうな」
それまで黙っていた法務担当者が、資料を閉じながら言った。
「こちらは、彼をどう扱うか決めていない。その状態で相手にだけすべてを話せというのは、交渉ではありません」
危機管理担当者は指を組み直した。
「では、活動を認めるのか。六層へ一人で入ることを、政府として容認すると」
「容認という表現は避けるべきです」
制度運用担当者が慎重に答える。
「現在も、本人は制度側の許可を得て六層へ入っているわけではありません。一方で、禁止命令を出せるかどうかも整理されていない。現状を確認したうえで、連絡と情報提供を条件に暫定的な協力関係を結ぶ方が現実的です」
「すでに勝手に入っている者へ、こちらが条件をつけられるのか」
「条件を受け入れる利益を、こちらが用意する必要があります。素材の正式な買い取り、検査、装備開発、医療支援、活動情報の秘匿、それに他部署からの不用意な介入を避けるための専用窓口です」
警察側の担当者が眉を寄せた。
「それでは、制度に従わず先へ進んだ者が優遇される形になる」
「処分して六層情報を失う方が、公平でしょうか」
返答はなかった。
議論はいったん休止され、各部署が短時間で意見をまとめることになった。
廊下では連絡用の電話を使う者が並び、会議室には追加資料が何度も運び込まれた。映像の保存先を増やすなという指示が出され、素材検査へ参加する人数も絞られた。海外へ情報が漏れた場合の影響が照会され、戸張がこれまで参加した登録活動の映像や報告書も、改めて洗い直されることになった。
警察は武装犯罪者との事件記録を引き出し、防衛省側は過去の訓練映像を集め始めた。
深夜を過ぎても、最終的な結論はまとまらなかった。
戸張を警戒対象として扱うべきだという点では、多くの出席者が一致している。同時に、敵対させてはならないという点でも意見は揃っていた。
問題は、その二つをどのように両立させるかだった。
三宅が映像を再び止めた。
二体の猿が左右から戸張へ迫る場面が、画面に映っている。
「一つ、確認する方法があります」
会議室の視線が集まった。
「本人が人間を相手にどこまで力を制御できるか、複数人による連携へどう対応するか、こちらの指示と安全条件を守れるか。一度、管理された環境で確認するべきです」
「能力試験か」
「対人の模擬戦闘です。自衛隊側の選抜要員と行います」
警察側の担当者が表情を硬くした。
「戸張氏を制圧できるか試すという意味か」
「それも評価項目から外すべきではありません」
三宅は否定しなかった。
「ただ、それだけが目的ではありません。今後、六層で共同活動を行う可能性があるなら、現場の人間が彼の動きを知る必要がありますし、彼にも組織的に動く人間が何をするか知ってもらう必要があります、今後の特殊人材案件のモデルケースにもなる」
「断られた場合は」
「強制はしません。一度限りの協力依頼として提示します」
村瀬は胃の奥へ手を当てた。
戸張がどう答えるかは想像できない。政府側が自分を測ろうとしていることには、すぐ気づくだろう。そのうえで受けるのか、手札を見せすぎると判断して拒むのか、今の段階では読めなかった。
会議では、対人訓練を含む暫定協力案を作成する方針が決まった。
単独活動を直ちに禁止せず、専用窓口を設置し、一定期間ごとの連絡と重大危険の報告を求める。素材と情報には正式な対価を設定し、開示された内容は厳格に管理する。そのうえで一度だけ、自衛隊側の選抜要員との模擬戦闘を依頼する。
最終承認は翌朝へ持ち越された。
会議室を出た時には、窓の外がわずかに明るくなり始めていた。
村瀬は自動販売機で水を買い、残っていた胃薬を取り出す。袋を開けようとしたところで、室長から呼び止められた。
「村瀬君」
「はい」
「戸張氏への説明は、君が担当してくれ」
村瀬は手元の胃薬と、夜通し修正された提案書を順番に見た。
「分かりました」
戸張が十日ほど公式記録から姿を消した結果、日本政府は一晩で専用の協力案を作ることになった。
胃薬を水で流し込みながら、村瀬は今度こそ本人へ直接言おうと決めた。
何もしていない時くらいは、本当に何もしていないでほしい、と。




