第173話 評価不能
最初に動いたのは、細身の個体だった。
木を蹴り、戸張の右側へ回り込む。大柄な方は正面から地面を叩き、土を跳ね上げながら距離を詰めていた。
二体は、直前まで互いを殴り合っていた。
それが戸張を見た途端、争いを中断して左右へ分かれている。
三宅一等陸尉が映像を止めた。
「ここを、もう一度お願いします」
職員が数秒巻き戻す。
二体が同時に戸張へ顔を向ける。細身の個体が肩を下げ、大柄な個体が地面へ四本の腕をついた。
そのあと、目立った鳴き交わしも接触もないまま、片方が正面、もう片方が側面へ移動する。
「事前に群れで行動していた個体ではないんですね」
「見つけた時には殴り合っていました。縄張り争いだと思います」
「争っていた二体が、あなたを見て即座に共闘へ切り替えた」
「そう見えました」
三宅は画面から目を離さなかった。
映像が再開される。
細身の猿が木から飛び、大柄な猿が正面から腕を振り下ろす。戸張は後ろを確認せず、細身の攻撃が届くより早く前へ転がった。
飛び込んだ猿と大柄な猿の攻撃が重なり、一方の拳がもう一方の肩へ当たる。
戸張はその間を抜け、二体から距離を取った。
村瀬には、何が起きたのか理解するまで一拍必要だった。
映像の中では、戸張が攻撃を見てから避けたようには見えない。
見えていない位置から襲いかかる個体の動きに合わせ、先に身体を動かしていた。
「今のは、音で判断したんですか」
三宅の問いに、戸張は画面を見たまま答えた。
「音と、空気の動きです。あとは、二匹の位置から来そうな方向を考えました」
「背後を確認せずに」
「振り返っていたら間に合わなかったので」
説明として成立していないわけではない。
村瀬にも、それ以上の何かを隠しているように聞こえた。
ただ、戸張が今回開示すると決めた範囲は、映像に残っている能力と六層の情報までなのだろう。問いを重ねても、用意された線より先へは進まない。
映像の中で、大柄な猿が四本の腕を別々の高さから振るった。
戸張は一撃目をナイフで逸らし、二撃目の下へ潜る。三撃目が肩へ触れ、身体が横へ飛んだ。
面談室の誰も声を出さなかった。
細身の人間が、大型生物の腕を正面から受けた。
映像では軽く掠めただけにも見えるが、戸張の身体は地面を転がり、数メートル先で止まっている。
大柄な猿が追撃に入る。
戸張が片膝をつき、手を向けた。
白い光が走った。
猿の四本の腕が一斉に開き、巨体がその場で硬直する。
画面の明るさが一瞬だけ変わり、遅れて乾いた破裂音が届いた。
鹿島が観察室から戻り、面談室の後方で映像を見ていた。
「今の光は何ですか」
「雷です」
「放電現象を、意図して起こしたと」
「はい」
「機器や回収品を使わずに」
「使っていません」
鹿島が何かを書き留める。
驚きを表に出さないようにしているが、ペン先が紙の同じ場所で止まっていた。
映像の戸張は硬直した猿の懐へ入り、脇腹を切り裂く。追ってきた細身の猿を避け、再び二体の間から抜けた。
三宅が映像を止める。
「出力は調整できますか」
「ある程度は」
「この映像では、殺さない程度に抑えていますか」
「動きを止めるのが目的でした。強く流しすぎると、素材が傷むかもしれなかったので」
村瀬は戸張を見た。
未知生物を二体相手にしながら、素材の状態まで考えて出力を抑えていた。
戦闘に余裕があったと断定するには、映像の動きは危険すぎる。それでも、戸張は自分が何を使い、相手へどこまで影響を与えるかを判断している。
偶然発現した現象を振り回しているのではない。
制御された能力だった。
映像を進める。
大柄な猿の攻撃を受け、戸張が地面を滑った。
固定カメラでは、その一撃がまともに入ったように見えた。
戸張は木の根へ背中をぶつけ、数秒間動かない。
村瀬は隣に座る本人へ目を向けた。
目立った外傷はない。
映像が撮影されたのは前日だと聞いている。
「この時の負傷は」
「打撲と、口の中を切ったくらいです」
三宅が画面と戸張を交互に見る。
「あれを受けて、その程度ですか」
「まともには受けていません。身体をひねって、力を逃がしました」
映像では、そうは見えなかった。
拳が接触する直前に戸張の上体がわずかに回り、地面へ落ちたあとも同じ方向へ転がっている。説明されて初めて、衝撃を一点へ受けない動きをしていたと分かる。
それでも、人間が実行できる範囲を越えていた。
戸張が立ち上がる。
二体の猿が並び、同時に前へ出た。
細身の個体が上から押さえ、大柄な個体が逃げ道を塞ぐ。
戸張は細身の猿へ手を向け、もう一度雷を放った。硬直して倒れた身体を掴み、勢いを利用して大柄な猿へぶつける。
三宅が小さく息を吐いた。
映像を止めようとはしなかった。
戸張は細身の猿の首へナイフを突き立て、一体目を仕留める。
直後、大柄な猿が吠えながら突進した。
戸張も正面から走り出す。
体格差を考えれば、選ぶ理由のない動きだった。
衝突の直前、戸張の身体が低く沈む。脇腹の傷へ手を当てた瞬間、猿の身体が大きく崩れた。
固定映像では、何をしたのか分からない。
職員が胸部カメラの映像へ切り替えた。
画面の揺れが激しくなり、猿の毛と皮膚が視界を埋める。
戸張の手が傷口へ触れる。
低く唸るような音のあと、血と肉片が外へ弾けた。
大柄な猿の身体が沈み、戸張は脇の下を抜けて背後へ回る。
映像が止められた。
鹿島が画面を凝視している。
「傷口の内側で、何をしましたか」
「風を起こしました」
「風」
「外へ押し広げるように」
鹿島はすぐには質問を続けなかった。
火や雷のように目立つ現象より、今の使い方に強く反応している。
小さな傷口へ力を集中させ、内部から組織を破壊する。能力の規模ではなく、精度と応用の問題だった。
三宅が腕を組む。
「人間にもできますか」
室内の空気が張りつめた。
戸張は三宅を見た。
「同じように風を出すことはできます」
「結果も同じになる」
「人体へ使えば、そうなると思います」
戸張は隠さなかった。
脅す口調でも、自分の力を示そうとする口調でもない。質問されたから事実を答えたように聞こえる。
その平静さが、村瀬にはかえって重かった。
三宅も追及せず、映像の再開を指示した。
戸張は大柄な猿の背中へ乗り、首と肩の間へナイフを二度突き立てる。巨体が膝をついたあと、正面へ回り、胸へ雷を放った。
猿の腕が途中で止まり、そのまま地面へ倒れる。
固定カメラの画面に、二体の死体と戸張だけが残った。
戸張はしばらく動かず、周囲を確認している。
その後、胸元のカメラへ手を伸ばし、録画時刻を読み上げた。二体の全身、四本の腕、口内、傷口を順番に撮影し、提供された腕を切断する過程まで記録している。
映像が終わった。
室内の照明が画面へ反射する。
誰もすぐには話し始めなかった。
村瀬は手元の資料へ視線を落とした。
戸張の登録等級は五級。
現行制度では、単独活動が認められる最低等級に近く、危険度の低い区域を中心に経験を積む段階として扱われる。
目の前で見た映像と、書類上の等級が結びつかない。
二体の未知生物を単独で倒し、複数種の現象を意図的に発生させ、攻撃を受けても翌日には通常の状態で現れている。
六層へ入る経路を持ち、同種の素材を以前から回収し、何者かが加工した装備まで所有している。
しかも、ここまで見せたうえで、戸張はまだ何もかも話した様子を見せていない。
村瀬は胃の奥を押さえた。
昼に飲んだ薬の効き目は、とうに分からなくなっていた。
「確認したいことがいくつかあります」
村瀬が切り出すと、戸張は静かに頷いた。
「答えられる範囲でなら」
「まず、六層という判断の根拠を教えてください」
「階層を示す石柱があります。一層から順番に確認して、六つ目の区域です」
「入口から六層まで、単独で移動したんですか」
「はい」
「所要時間は」
「そこは回答を控えます」
「六層へ到達したのは、今回が初めてではありませんね」
「違います」
「何回目ですか」
「正確には数えていません」
村瀬の隣で、制度運用担当者が顔を上げた。
「数えていない程度には、往復していると」
「そうなります」
戸張はあっさり認めた。
政府側が到達そのものを大きな成果として扱う階層へ、戸張は回数を記録しなくなるほど出入りしている。
村瀬は次の質問へ移った。
「六層には、この四本腕の生物以外に何がいますか」
「大型の虎に似たものや、蜥蜴に近いもの。空を飛ぶ生き物もいます。確認できていないものも多いです」
「人型の生物は」
戸張の表情は変わらなかった。
「今回、開示する情報には含めません」
否定ではない。
三宅の目がわずかに細くなる。
村瀬は質問を書き留めた。
戸張は答えないことで、何が手元に残っているかを伝えている。人型の存在、加工技術、六層への経路。制度側が知りたい情報を、交渉が成立する前に無償で渡すつもりはない。
素材と映像は、信用を得るための前払いだった。
ここから先には条件がつく。
「最後に、能力について確認します。映像で使用したものは、火、風、雷の三種類で間違いありませんか」
「はい」
「ほかにもありますか」
「あります」
答えは短かった。
鹿島が手元の資料から顔を上げる。
三宅も戸張を見た。
村瀬は、胃の奥に新しい痛みが生まれるのを感じた。
「それについても、現時点では回答を控えると」
「俺が今後どう扱われるのか分からないまま、全部を話すつもりはありません」
戸張の言葉に、険しさはなかった。
当然の交渉として、自分の手札を残している。
村瀬は反論できなかった。
制度側が戸張の立場なら、同じ判断をする者は多いだろう。
問題は、その伏せられた手札がどこまであるのか、誰にも見当がつかないことだった。
村瀬は三宅、鹿島、制度運用担当者へ順番に目を向けた。
この場で回答できる段階は過ぎている。
戸張の単独活動を止めるのか。
六層への立ち入りを申告制にするのか。
素材提供への対価をどう定めるのか。
未申告の経路と能力をどこまで求めるのか。
強く踏み込めば、戸張は次から何も持ってこなくなる。
弱く扱えば、制度の外側で六層探索を続ける存在を、事実上放置することになる。
どちらも選べない。
「戸張さん。少し時間をいただけますか」
「どれくらいですか」
「本日中に、こちらの考えをお伝えします。別室でお待ちいただくことになりますが」
「分かりました」
戸張は席を立ち、職員の案内で面談室を出ていった。
扉が閉まる。
その音を待っていたように、制度運用担当者が息を吐いた。
「五級のまま扱える相手ではありません」
三宅が椅子の背へ身体を預ける。
「等級を上げれば済む話でもないでしょう」
鹿島は検査室に置かれた腕を見ていた。
「六層の素材を、次も持ち帰れる人です。接触を断つ選択だけは避けるべきです」
三人の視線が村瀬へ集まる。
村瀬は空になった胃薬の包みを指で押し潰した。
「分かっています」
一度だけ、目を閉じる。
制度側が戸張を評価する場のはずだった。
実際に突きつけられたのは、戸張を測るための制度が足りていないという事実だった。




