第170話 次の戦いの準備
森砕きの解体は、その日のうちには終わらなかった。
小人たちは首や前脚の傷から外皮を剥がし、運べる大きさまで肉を切り分けていた。硬い皮膚は何人もかけて縄で引き、骨には楔を打ち込んで少しずつ割っている。森砕きが倒れた場所と拠点の間では、猪型がソリを引いて何度も往復していた。
肉は拠点へ運ばれると、すぐに薄く切られて燻製台へ並べられた。外皮は地面へ広げられ、付着した肉や脂を削ぎ落としている。牙や太い骨の周囲には道具を持った小人が集まり、切断できる場所を探していた。
森を砕いて進んでいた身体が、今度は食料や道具へ変わっていく。
森砕きの通り道も、そのまま放置されてはいなかった。倒された若木を切り、地面から突き出した根を削り、拠点と解体場所を結ぶ運搬路として整え始めている。
危険な獣が通った跡を、その獣の死体を運ぶ道に使う。
切り替えが早いというより、生きるために使えるものを残さないのだろう。
小人たちの俺への接し方にも、少し変化があった。作業の邪魔にならない場所へ座ると、誰かが水や食べ物を置いていく。森へ戻る準備を始めれば、頼んでいないうちから道具の点検が始まった。
崇められているような雰囲気はない。
俺が伸ばした白い刃を見ても、驚いたのは最初だけだった。外皮を切れると分かってからは、作業の続きを求める視線の方が強い。
俺も何度か森砕きの外皮へ刃を入れ、形を変えながら切れ味を確かめた。
前腕から伸ばす短い刃は安定している。手の甲からまっすぐ出すより、腕の外側へ沿わせた方が力を通しやすかった。指先の鉤爪も硬い皮膚へ食い込み、重いものを引く時には役に立つ。
細い針はまだ使いにくい。形を保つだけで意識を取られ、横から力がかかると簡単に欠ける。
寄生体が得た構造を、俺の身体へ合わせるには練習が要るらしい。
森砕き戦で傷ついた者たちの補修も進んでいた。猪型の裂けた皮膚は閉じ、翼を痛めた鳥型も枝の上で羽を広げられる程度まで戻っている。蜥蜴人たちも壊れた槍や服を小人へ預け、普段の動きに戻りつつあった。
身体は直せても、消耗した分まで一度に戻るわけではない。全員を休ませ、拠点周辺の警戒だけに役割を絞る。
狼は森の外側を回り、鳥型は上空から広く見る。蜘蛛型には集落の外へ警戒用の糸を張らせ、猪型と蜥蜴人は小人たちの近くへ残した。
伝えた意図は単純だった。
ここを守る。
勝てない相手が来たら、戦わずに逃げる。
森砕きを倒した直後だからこそ、次も勝てると思わせたくはなかった。あれ以上のものがいない保証はなく、俺がいない間に無理をさせる理由もない。
小人たちは俺が拠点を離れる準備をしていると気づいたらしい。ナイフを作った一人が、森砕きの外皮を細長く切ったものを持ってきた。
まだ加工の途中で、厚みもばらついている。何に使うのか分からず見ていると、そいつは俺の腰と外皮を交互に指差し、何かを巻く動きをした。
鞘か、ベルトの補強にするつもりなのだろう。
受け取ろうとすると首を振られ、完成してから渡すというように作業場へ持ち帰っていった。
今回はおあずけ、戻ってくる前提で作っているらしい。
俺は拠点を一度見回し、現実側へ戻った。
家へ着いた時には、外が暗くなっていた。
服を着替え、身体へ残る血や泥を落としてから、電源を切っていたスマートフォンを起動する。
通知がまとめて表示された。
登録者向けの案内、管理窓口からの活動参加依頼、折り返しを求める短い連絡。その間に、同じ番号からの着信履歴もいくつか残っていた。
文面そのものは穏当だった。
最近の公式活動記録が確認できないため、状況確認を兼ねて個別活動を案内したい。都合のよい時に連絡してほしい。
強制でも、処分の通知でもない。
だからこそ、こちらの反応を見ているように感じる。
俺は画面を閉じ、机の上へスマートフォンを置いた。
連絡を返すだけなら簡単だ。最近は私生活が忙しかった、体調を整えていた、参加できる案件がなかった。理由はいくらでも作れる。
それで一度は済むかもしれない。
次も同じように済む保証はなかった。
公式の活動を避け続ければ、記録の空白はさらに伸びる。制度側が俺へ関心を持ち始めている以上、待っているだけでは状況が悪くなる。
こちらから情報を出し、扱いを変えさせる必要がある。
問題は、何を見せるかだった。
小人も、寄生体を入れた動物たちも、白い外殻も見せられない。森砕きの存在まで伝えれば、この場所の危険度も一気に上がる。
魔術は交渉材料になる。
ただ、口頭で使えると言うだけでは足りない。制度側が欲しがるのは、確認できる記録と再現性だ。
四本腕の猿を倒した時のことを思い出す。
あの戦闘なら、身体能力と魔術の両方を示せた。死体の大きさも、小人が作った道具の価値も分かりやすい。
映像があれば使えた。
だが、あの時は撮影していない。
ここで都合よく記録が増えることはない。必要なら、これから作るしかなかった。
俺はもう一度スマートフォンを手に取った。管理窓口の番号を開き、通話ボタンの上で指を止める。
こちらの準備が終わる前に話を始めれば、相手の質問へ答えるだけになる。見せられるものと隠すものを決め、主導権を少しでも持てる状態にしてから連絡したい。
分かっていても、指はすぐには動かなかった。
一度情報を出せば、以前の立場には戻れない。便利な登録者として扱われるのか、監視すべき危険人物として囲われるのか、それとも両方になるのか。
胸の奥に残った迷いは、考えるほど大きくなる。
俺は椅子の背へ身体を預け、長く息を吐いた。
「覚悟を決めなきゃな」
口に出したところで、不安が消えるわけではない。それでも、先送りをやめるための区切りにはなった。
通話はまだ押さず、代わりに必要なものを書き出す。
身体へ固定できる小型のアクションカメラ。胸部用の固定具、予備電池、予備の記録媒体。戦闘全体を撮るための広角カメラと、小型の三脚も要る。
身体につけた映像だけでは揺れが激しく、敵の大きさや数が伝わりにくい。固定映像があれば、俺が単独で戦っていることも確認できる。
翌日、必要な機材を揃えた。
小型のアクションカメラは胸の中央より少し上へ固定し、腕を動かしても画角が大きくずれない位置を探す。服の上から目立たないように装着し、走る、屈む、転がる動作を試した。
固定用のカメラは木へ巻きつけられる支持具と、小さな三脚を用意した。森の中では平らな地面を探すより、幹へ固定した方が安定する。
予備電池と記録媒体は防水袋へ入れ、戦闘用の荷物とは分けた。
撮影する内容も決める。
小人たちや他の者は映さない。
白い外殻も使わない。
異常な補修が必要になるほどの傷は避ける。
魔術は火、風、雷のうち、戦闘に必要なものだけを見せる。水は状況次第で使うが、すべてを一度に披露する必要はない。
相手として考えたのは虎もどきだった。
大型の肉食獣で、見た目だけでも危険性が伝わる。以前の個体と同程度なら、外殻を使わずとも戦えるはずだ。
俺は機材を鞄へ収め、暗渠ダンジョンへ戻った。
小人の拠点には寄らず、入口側から別の方向へ進む。同行させる者もいない。撮影場所の周囲へ他の姿が入れば、それだけで説明する情報が増えてしまう。
索敵には、周辺へ広げた寄生体の反応を使った。
小動物の動きが急に止まった場所、一定の方向を避けている場所、同じ範囲から戻ってこない個体。その変化を重ねれば、大きな捕食者がいる方向は絞れる。
目を借りて景色を見ているわけではない。
分かるのは、動いている、止まった、逃げているといった粗い反応だけだ。それでも、何もない森を歩き回るよりは早い。
数時間ほど探したところで、大きな反応を見つけた。
複数の小動物が同じ範囲を避け、近くにいた一匹が急に動きを止める。その少し後、別の方向にいたものが一斉に逃げ始めた。
反応の中心は一か所にまとまっている。
大きな獣が動き回っていると考えた。
虎もどきなら好都合だ。
風下へ回り、痕跡を探しながら近づく。
最初に見つけたのは足跡ではなく、折れた枝だった。俺の頭より高い場所で太い枝が折れ、幹には何かを叩きつけたような跡が残っている。
虎もどきの爪痕とは違う。
さらに進むと、低い唸り声が聞こえた。
一つの声が長く響き、少し遅れて別の声が重なる。
足を止める。
粗い反応では、一か所にいる大きなものとしてしか捉えられなかった。近い場所で激しく動いていたため、二つの動きを分けられなかったらしい。
木々の間から覗くと、開けた場所に四本腕の猿がいた。
一匹ではない。
二匹が向かい合い、互いの肩や胸を四本の腕で殴り合っている。
片方は以前倒した個体より少し大きく、上側の腕が太い。もう片方は一回り細いが、木を蹴って横へ回り込み、長い下腕で相手の脚を狙っていた。
縄張り争いらしい。
周囲の木には新しい傷がいくつもあり、地面には踏み荒らされた跡が広がっている。
虎もどきを一匹撮る予定だった。
四本腕の猿が二匹というのは、完全に予定外だ。
今ならまだ引き返せる。
二匹のどちらかが立ち去るまで待つ手もある。
だが、管理窓口へ見せる映像としては、一匹より価値が高い。以前の俺なら一匹でも苦戦した相手を、外殻を見せずにどこまで処理できるかという確認にもなる。
問題は、二匹が争いをやめて同時にこちらへ向かってきた場合だった。
俺は距離を取り、風向きと周囲の地形を確かめる。
固定カメラを太い木へ取りつけ、二匹と開けた場所が画角へ収まるよう調整した。録画を開始し、胸元のアクションカメラも動かす。
二台の録画表示を確認してから、ナイフへ手を置いた。
白い外殻は使えない。
他の力も借りない。
映るのは俺一人だ。
管理窓口へ連絡を入れたあとの方が、本当の交渉になる。ここで撮る映像は、その席へ持っていくための武器だった。
俺は息を整え、二匹の猿が争う場所へ目を向ける。
「さあ、次の戦いの準備だな」
言葉に反応したわけではないだろう。
四本腕の猿二匹が、ほぼ同時にこちらを見た。




