第167話 崩す
森砕きが二度目の突進へ入った。前脚の傷から黒い血を流しながら泥を蹴り、最初より速い速度で頭を低くしたまま迫ってくる。
俺は正面に残った。背後には蜘蛛型が張り直した糸があり、今避ければ森砕きの脚をもう一度そこへ誘い込める。
額が届く直前に右へ踏み込むと、森砕きも広い頭部を横へ振った。こちらの動きを読んだというより、首を動かすだけで避けた先まで攻撃範囲へ収まっている。
白い腕を額へ当て、衝撃を受け止めずに身体を押し上げた。勢いへ乗って両足を地面から離し、頭部の上を滑るように抜ける。
背中の隆起へ手を伸ばした瞬間、森砕きが身体を大きく振った。
指先は硬い皮膚へ触れただけで、掴む前に空中へ放り出された。肩から地面へ落ち、白い殻へ土が当たる。視界の端では巨大な前脚が持ち上がっていた。
転がって避けた直後、前脚が地面へ落ちた。土が深く沈み、伝わった衝撃だけで身体が浮く。
森砕きは足を止めず、そのまま蜘蛛型の糸へ踏み込んだ。
落ち葉の下から白い束が持ち上がり、前脚へ絡みつく。蜘蛛型三体は左右の木を走り、すでに張ってあった糸へさらに新しい糸を重ねた。
今回は猪型へ直接つないでいない。森砕きの脚と複数の木を結び、前へ進むほど締まる形にしてある。
一歩進むと糸が張り、太い木が同時に軋んだ。さらに一歩踏み出したところで、そのうち一本が根元から傾く。
止めることはできない。それでも前脚の動きは確実に遅れていた。
狼二匹が左右から姿を見せ、森砕きの注意を散らす。頭が一匹を追って動いた隙に、反対側から槍持ち二体が走り込んだ。
狙うのは、最初に作った傷だった。
一本目の穂先が硬い皮膚の隙間を押し広げ、二本目がその奥へ重なる。黒い血が槍の柄まで流れた。
森砕きが吠える。
それまでの低い声とは違い、空気を裂くような太い咆哮が間近から身体を叩いた。槍持ち二体が耳を押さえ、動きを止める。
森砕きの前脚が横へ振られた。蹴るというより、地面ごと周囲を払う動きだった。
俺は槍持ちへ走り、一体の胴を抱え、もう一体の肩を白い腕で押した。二体を別方向へ飛ばした直後、前脚が俺の身体へ当たる。
白い殻が軋み、視界が一度途切れた。
木々の間を飛ばされ、背中から地面へ落ちる。そのまま何度か転がり、ようやく止まった時には息が詰まり、右腕の感覚が鈍くなっていた。
肩から肘までを覆っていた白い殻が割れ、その下の腕は不自然な角度へ曲がっている。
折れていた。
寄生体がすぐに動き、骨の位置を戻し始める。筋肉と血管がつなぎ直される感覚の後から強い痛みが押し寄せ、俺は歯を食いしばった。
森砕きは追ってこなかった。糸へ絡んだ前脚を振り、つながった木ごと引き抜こうとしている。
蜘蛛型は糸を切らず、脚の近くまで降りて隆起の間へ通し直していた。一体が糸を固定し、別の一体が反対側の木へ運び、最後の一体がその上へさらに重ねる。
そこへ森砕きの尾が横から迫った。
鳥型二羽が急降下し、一羽が尾の上を掠め、もう一羽が蜘蛛型の身体を鉤爪で持ち上げた。直後に尾が木へぶつかり、幹が裂ける。張られていた糸の半分が一度に切れた。
鳥型は蜘蛛型を離して上昇する。助けられた蜘蛛型は別の枝へ落ちたが、すぐに八本の脚を広げて踏みとどまった。
森砕きが前脚を引くと、残った糸が硬い皮膚の隙間へ深く食い込み、傷口から流れる血が増えた。
浅い傷でも、同じ場所へ攻撃を重ねれば広がる。
右腕の骨がつながった。指を握ると、痛みは残るが力は入る。
俺は地面を蹴り、絡んだ前脚の内側へ潜り込んだ。虎もどきのナイフを傷へ差し込み、途中で止まった刃へ身体ごと体重をかける。
硬い皮膚の下で、何かが裂けた。
森砕きの脚が大きく震え、そのまま持ち上がる。俺の身体も一緒に浮いたため、柄から手を離して地面へ落ちた。
森砕きが脚を振ると、刺さったままのナイフが抜け、遠くへ飛んでいく。残った傷口は拳が入るほどまで開いていた。
水の術士が杖を向け、水を傷口へ叩き込む。
森砕きが脚を引いたところへ、俺は風を集めた。広く飛ばす必要はない。開いた傷の中だけへ通す。
見えない刃が水と一緒に入り込み、黒い血が勢いよく噴き出した。
森砕きの右前脚が、初めて地面へつかなかった。三本の脚だけで巨体を支え、頭を大きく振っている。
効いている。
槍持ち四体は負傷した脚へ近づかず、反対側へ回って残る前脚の付け根を狙う。森砕きがそちらへ頭を向けた時、狼が後脚へ噛みついた。
牙は硬い皮膚まで届かない。それでも森砕きは狼の存在へ反応し、尾を横へ振る。
狼が離れた直後、空振りした尾が地面を打ち、土と石を巻き上げた。
鳥型がその上を越え、森砕きの背中へ近づく。脚につけた袋から蜘蛛型の糸を垂らし、一羽が隆起の隙間へ鉤爪を差し込んだ。
身体を揺らされながらも離れず、もう一羽が近くへ降りて糸を背中へ引っかける。地上にいた蜘蛛型が、その糸を伝って上り始めた。
森砕きが背中を震わせる。一羽はすぐに飛び立ったが、もう一羽は鉤爪を深く入れ、翼を広げて耐えた。
蜘蛛型が背中へ届き、八本の脚を隆起の間へ差し込んで低く伏せる。口元から糸を吐き、一本、二本と身体を固定していった。
その時、森砕きが突然身体を横へ傾けた。
倒れるつもりだ。
自分の背中を地面へ叩きつけ、取りついたものをまとめて潰そうとしている。
鳥型へ離れる意図を送り、鉤爪を外させる。黒い翼は上へ逃れたが、蜘蛛型は糸を切るのが間に合わない。
俺は前へ走り、森砕きの脇腹が落ちる直前に蜘蛛型から伸びた糸を掴んだ。全力で引くと、蜘蛛型の身体が背中から剥がれてこちらへ飛んでくる。
白い腕で受け止め、そのまま地面を転がった。
直後、森砕きの胴が落ちた。
押し出された空気が土と枯れ葉を巻き上げ、地面が波打つ。俺は身体を伏せ、蜘蛛型を白い腕の内側へ抱え込んだ。
森砕きが横倒しになったことで周囲の木は何本も折れ、張っていた糸の大半も切れた。戦うために整えた窪地は、もう元の形を残していない。
森砕きは地面へ身体を擦りつけ、背中に残った糸や小袋を潰した。そのまま四本の脚を動かし、立ち上がろうとする。
猪型四匹が走り込み、腹側へ二匹ずつ別方向から頭を入れた。持ち上げることはできなくても、起き上がる側へ身体を押しつければ動きを遅らせられる。
森砕きの脚が、一匹の猪型の背中へ当たった。
押し潰される前に退かせる。猪型は横へ逃れたが、牽引用具が裂け、背中から血を流していた。
森砕きが立ち上がる。
負傷した前脚を地面へついた瞬間、身体が大きく沈んだ。傷は確実に効いているが、それだけで倒れるほどではない。
森砕きの視線が、狼、蜥蜴人、猪型、鳥型、蜘蛛型の順に動き、最後に俺へ止まった。
さっきまでとは違う。目の前の小さな敵を追い払おうとしているのではなく、周囲にいるすべてを敵として認識していた。
喉を鳴らすと、身体の隆起が持ち上がる。隙間に溜まっていた土と枯れ葉が落ち、その下から灰色の皮膚が露出した。
前半身が低く沈み、次の瞬間には今まで以上の速度で動き出す。
負傷した前脚をほとんど使わず、残る三本の脚で地面を蹴る。頭から突っ込むのではなく、胴全体を横へ振りながら槍持ちへ向かった。
槍持ちは散ったが、一体だけが遅れた。森砕きの肩が近くの木へぶつかり、その木が槍持ちの逃げ道へ倒れる。
斥候型が枝から飛び降り、槍持ちの腕を掴んで木へ引き上げようとした。二体分の重さで枝が沈み、その下から森砕きの尾が迫る。
俺は雷を放った。
狙ったのは身体の表面ではない。黒い血と水で濡れた、前脚の傷口だった。
白い光が走り、雷が傷の中へ入る。
森砕きの巨体が跳ねた。
尾の軌道がわずかに下がり、槍持ちと斥候型の下を通り抜ける。二体は枝から落ちたが、尾には巻き込まれなかった。
森砕きが初めて膝をついた。
右前脚が折れ曲がり、巨大な頭部が地面へ近づく。
鳥型が一斉に降下し、蜘蛛型三体も残っている木々から糸を伸ばした。
頭を押さえる。
今しかない。
鳥型が額の隆起へ鉤爪を入れ、そこから糸を落とす。蜘蛛型はその糸を伝い、森砕きの頭部へ移った。
一本を牙へ巻きつけ、もう一本を首の隆起へ回す。三体目は頭と前脚を結ぶように、何重にも糸を重ねた。
森砕きが立ち上がろうとすると、猪型四匹が蜘蛛型の糸を牽引用具へつなぎ、揃って後方へ走る。
巨大な頭が引かれ、首がわずかに横へ向いた。
狼たちが前へ出て吠え、槍持ちは負傷した前脚へ穂先をそろえる。水の術士が傷口を濡らし、火の術士は森砕きの反対側へ炎を走らせて逃げる方向を塞いだ。
揃った。
俺は走り、森砕きの前脚を踏み台にして跳んだ。白い殻で覆われた指を隆起へ引っかけ、身体を持ち上げて肩へ移る。
森砕きが首を振ろうとしたが、猪型が糸を引き、蜘蛛型が張り直したことで動きが一瞬止まった。
その隙に肩から首へ走り、硬い隆起の間へ足を置いて背中へ上がる。森砕きが身体を震わせるたび、白い殻の指を隙間へ差し込み、振り落とされないよう固定した。
眼下で森全体が大きく揺れている。
地上から見上げていた背中へ、今は俺が立っていた。
首の付け根には、隆起同士が重なっていない場所がある。頭を上下させるための隙間で、硬い皮膚が折れ曲がるたびに同じ線が開いていた。
外から殴り続けるより、そこへ攻撃を集中させた方がいい。
森砕きが前脚へ力を入れる。猪型が引きずられ、蜘蛛型の糸が軋み始めた。
長くは持たない。
俺は白い拳を握り、風を集める。
狙う場所は決まった。
森砕きが立ち上がるより先に、この首を壊す。




