第165話 糸を張る
鳥型を寄生させた翌朝、拠点の上には六つの黒い影が回っていた。
高く上げすぎると、寄生体から届く感覚はほとんど位置だけになる。高度を下げれば、移動していることや警戒していることは分かりやすくなるが、森の奥までは見通せない。
俺が鳥型の目で周囲を見られるわけではない。
それでも、森の上を移動できるものがいるだけで、地上の探索範囲は大きく変わった。
小人たちは昨夜のうちに、鳥型の脚へ取りつける小さな袋を作っていた。
最初に飛ばした一羽は、袋を気にして何度も脚を振った。二度目にはそのまま岩壁まで飛び、戻ってくる。中に入れていた小石も残っていた。
運べる重さは多くない。小人一人を乗せて飛べるほどでもない。
薬や短い縄、軽い道具なら運べる。
大型の背へ寄生体を送り込む役には、それで十分だった。
問題は、寄生させるための傷をどう作るかだ。
二十メートル級の表面が、普通の獣と同じ硬さとは思えない。鳥型の鉤爪だけで破れる保証はなかった。背中へ取りつけたとしても、振り落とされれば終わる。
まずは大型の動きを鈍らせる必要がある。
猪型で押さえる。水で足場を崩す。狼で進路を追う。
それでも、脚を一度止める手段が足りなかった。
鳥型のうち四羽を空へ上げ、北東とは反対側の森を探らせる。残る二羽は拠点近くの木へ止めた。
今日は狼三匹、斥候型、火の術士、水の術士を連れている。
空へ出した鳥型には、大型の獲物を狙わせていない。森の上を広く回り、異常を感じたら戻る。その程度の意図しか伝えていなかった。
一時間ほど進んだ頃、一羽の反応が急に乱れた。
飛んでいる感覚が落ち、高度が下がる。動きが止まった後、強い警戒が伝わってきた。
残る三羽も周囲を旋回し始める。
方向を変え、狼を先へ出した。
鳥型の位置は地上から正確には分からない。森の上を回る三羽の影と、寄生体から届く感覚を頼りに進んだ。
やがて、木々の間に白い線が見えた。
細い光が枝から枝へ伸びている。
一本ではない。
上を見上げると、十メートル近い高さまで、白い糸が何重にも張り巡らされていた。光の当たり方によって見えたり消えたりするため、知らずに入れば気づくのは難しい。
その中央で、鳥型の一羽が翼を広げたまま動けなくなっていた。
片翼と尾羽へ糸が絡み、枝の間へ吊られている。
残る三羽が周囲を回っているが、近づけば同じように絡め取られる。
飛ぶものを捕らえる巣らしい。
糸の太い部分は、俺の指ほどあった。
近くの一本へナイフを当てる。
刃は入ったが、すぐには切れない。何度か往復させてようやく断ち切ると、糸が縮み、枝を強く引いた。
これを何本も脚へ絡められれば、あの大型でも完全には無視できないかもしれない。
問題は、この糸を作ったものだった。
斥候型が頭上を見たまま、ゆっくり後ろへ下がった。
白い糸の向こうで、枝が沈む。
最初に見えたのは、長い脚だった。
黒褐色の節が枝を掴み、その後ろから丸い胴が降りてくる。身体の中心だけで人の胴ほどあり、八本の脚を広げると三メートル近い。
蜘蛛に似ていた。
一体だけではない。
鳥型の周囲に二体。さらに太い木の裏側から一体が動く。
見える範囲に三体いた。
蜘蛛型の一体が、吊られた鳥型へ近づく。
前脚で糸を伝い、口元から新しい糸を伸ばした。
俺は火の術士を止めた。
火を使えば、蜘蛛型を追い払うことはできるかもしれない。だが、欲しい糸まで燃える。
水の術士へ、吊られた鳥型の周囲を濡らす意図を伝える。
杖が上がり、水の塊が糸へぶつかった。
白い網が大きく揺れた。
蜘蛛型が一斉に動きを止める。
水を受けた糸は重く垂れ、鳥型の身体が少し下がった。
俺は狼を左右へ分け、斥候型を木へ上げる。
蜘蛛型を殺さず、地上へ降ろす。
鳥型には翼を畳む意図を伝えた。
絡め取られた一羽が身体を縮める。糸へかかる面積が減ったところで、ナイフを持って木へ登った。
狼を吸収してから、足場の選び方は地上だけでなく木の上でも役に立っている。枝の太さを見て、重心を移す。蜘蛛型ほど自由には動けないが、以前より迷いは少ない。
吊られた鳥型へ近づき、翼に絡んだ糸を切る。
背後で枝が震えた。
蜘蛛型が糸の上を走ってくる。
一本の糸だけを踏んでいるとは思えない速さだった。
俺は鳥型を抱え、下の水場へ落とした。
水の術士が作った浅い泥へ鳥型が落ちる。狼が近づき、翼へ残った糸を噛んで引いた。
蜘蛛型の前脚が俺のいた枝へ突き刺さる。
先端には、黒い鉤のような爪がついていた。
身体を下げて避け、脚の関節へナイフを当てる。
深くは切らない。
表面へ傷ができればいい。
白い糸を送り込もうとした瞬間、蜘蛛型が脚を引いた。
距離が足りない。
蜘蛛型は別の糸へ移り、俺の頭上へ回る。
口元が動いた。
白い塊が飛んでくる。
腕で顔を守ると、粘つく糸が袖と木の幹をつないだ。
引いても外れない。
蜘蛛型が糸を縮め、俺の身体を枝から引き上げようとする。
ナイフで袖を切り、そのまま枝を蹴った。
落ちながら、蜘蛛型の腹へ手を伸ばす。
指先が届いた。
傷は小さい。
それでも寄生体は入り込んだ。
俺は地面へ着地し、膝を曲げて衝撃を逃がす。
頭上で蜘蛛型が暴れた。
脚が何本もの糸を引き、網全体が揺れる。残る二体も動き出し、枝の上からこちらへ糸を飛ばした。
水の術士が地面を濡らし、飛んできた糸を重くする。火の術士は炎を小さく出し、俺たちの退路へ張られた一本だけを焼き切った。
寄生体を入れた蜘蛛型の動きが弱まる。
やがて枝へ伏せたまま止まり、数秒後に脚を動かした。
残る二体を殺さず捕らえる。
その意図を受けた蜘蛛型は、糸の上を走った。
仲間へ直接飛びかかるのではない。相手が使っている糸を切り、別の糸を張り直す。
一本の足場を失った蜘蛛型が、低い枝へ落ちた。
斥候型が上から石を落とし、狼が地上から吠える。
蜘蛛型が逃げる方向を変えたところへ、水の塊が当たる。濡れた脚が枝から滑り、地面へ降りた。
俺が前へ出て脚の付け根へ傷を作る。
二体目へ寄生体が入った。
二体になれば、残る一体の動きを抑えるのは難しくなかった。
巣の糸を切る。進路へ新しい糸を張る。残る一体が木の幹へ移ったところで、上下から挟む。
三体目を寄生させた時には、森の一角に張られていた網の半分が崩れていた。
蜘蛛型たちはすぐに巣を直し始めた。
俺が命じたわけではない。
切れた糸を口元へ運び、新しい糸を枝へ固定していく。元から持っていた習性が、そのまま残っている。
鳥型の翼へ絡んだ糸も外させる。
細かな作業だったが、蜘蛛型は自分の脚と口を使い、羽根を傷めずに糸を剥がした。
試しに、二本の木の間へ低く糸を張る意図を伝えた。
三体は別々の場所から動き始めた。
一体が幹へ糸を固定し、もう一体が反対側へ運ぶ。最後の一体が途中へ糸を重ねる。
出来上がったのは、俺の腰ほどの高さに張られた太い線だった。
狼へ手前で止まるよう伝え、近くにいた猪型を一匹だけ呼び寄せることを考えた。
今日は連れてきていない。
代わりに、切り倒されていた太い木へ糸を巻かせた。
三体で幹と倒木を何重にもつなぐ。
俺が倒木を押す。
最初は動かなかった。
力を込めると糸が伸び、幹がわずかに軋む。それでも、すぐには切れない。
二十メートル級を完全に縛るのは無理だ。
一本の脚へ何重にも絡め、木や猪型へつなげれば、一歩を遅らせることはできる。
一歩でいい。
その間に別の脚へ糸をかけ、鳥型を背中へ降ろす。
必要だった役割が、また増えた。
三体の蜘蛛型を連れて拠点へ戻る。
鳥型は一羽だけ低く飛ばせた。翼の糸は取れているが、羽根が乱れている。しばらく休ませた方がいい。
拠点へ着くと、小人たちは蜘蛛型を見たまま動かなかった。
狼や猪型、鳥型とは反応が違う。
八本の脚が同時に動く姿は、小人たちにも受け入れにくいらしい。
一体が口元から糸を垂らす。
小人たちは一歩下がった。
そのうちの一人が、落ちた糸を木の棒で持ち上げた。
引っ張る。
切れない。
別の小人が近づき、今度は二人で引いた。
さらに三人目が刃物を持ってくる。
警戒していたはずの集団が、少しずつ糸の周囲へ集まり始めた。
俺は蜘蛛型を拠点の外側に待機させる。
小人たちの生活圏へ自由に入れるには、まだ早い。噛まないこと、勝手に巣を張らないこと、他の眷属を餌と見なさないことを何度か伝える必要がある。
小人たちは、離れていく蜘蛛型より、地面に残った一本の糸を見ていた。
狼は乗り物になった。猪型は丸太を引いている。鳥型には袋がついた。
蜘蛛型が何にされるかは、考えたくないような、少し見てみたいような気がした。
北東へ向かうための準備は揃ってきた。
次は、増やした駒をどう動かすかだった。




