第164話 空を使う
二十メートル級の大型を確認した翌日、北東へは向かわなかった。
姿が分かっただけでも前進ではある。だが、見えた全身のうち、地上からまともに狙えるのは脚と、頭が下がった時の首周りくらいだった。
背中は低い枝より高い。俺が跳べる高さにも限界がある。風の刃を飛ばすことはできても、表面の硬さも分からない相手へ遠距離から撃ち続けるだけでは、寄生体の消耗が先に来る可能性がある。
高い位置へ届くものが必要だった。
拠点を出る前に、斥候型へ空を飛ぶ生き物を探す意図を伝えた。正確に理解したかは分からなかったが、斥候型は頭上を見上げ、尾を一度振った。
狼三匹と斥候型、水の術士、槍持ち二体を連れて森へ入る。猪型は拠点に残した。今回は道を押し広げるより、音を抑えて進みたかった。
六層には鳥がいる。
入口付近でも鳴き声は聞こえていたし、北東の大型が動いた時には群れが一斉に飛び立っていた。ただ、寄生させる意味があるほど大きなものは、これまで近くへ降りてこなかった。
狼には、羽や獣の死体が多く残っている場所を探らせた。
空を飛ぶ生き物でも、食べる時には地上か木へ降りる。巣や餌場があれば、臭いは残る。
午前のうちは、目立ったものを見つけられなかった。
狼が追った臭いの先にあったのは、小さな鳥の羽が散った場所や、木の洞へ運び込まれた木の実だけだった。斥候型も何度か木の上へ消えたが、戻ってくるたびに進む方向を変えただけだった。
昼を過ぎた頃、森の地面に白いものが増え始めた。
最初は石だと思った。
近づくと、乾いた糞だった。地面だけでなく、低い枝や葉の上にも落ちている。周囲には黒い羽根が何枚か引っかかっていた。
一本を拾う。
俺の前腕より長い。硬い軸の周囲に、黒に近い青色の羽が並んでいる。
斥候型が先へ進み、斜めに伸びた木を登った。
その先には、森の中から突き出すように岩壁が立っていた。高さは三十メートルほど。表面には細い亀裂や浅い窪みが多く、上部だけが木々の葉より外へ出ている。
岩壁の中ほどに、黒い塊がいくつも並んでいた。
翼を畳んだ鳥型だった。
身体だけでも大型犬に近い。首は短く、嘴は厚く湾曲している。畳まれた翼の先が岩肌から垂れ、尾羽と重なっていた。
見える範囲に六羽。
眠っているわけではない。何羽かは頭を動かし、下の森を見ている。
あの翼なら、空から大型の位置を追える。背中へ降りられるなら、高い位置へ寄生体や攻撃を運ぶこともできる。
問題は、飛ばれた後だった。
俺が意図を伝えても、寄生する前の鳥型が素直に降りてくるはずはない。翼を大きく傷つければ、空を使うために捕らえる意味がなくなる。
水の術士を呼び、岩壁の下を指した。
水を出す。
上にいる鳥型を濡らす。
落とすのではなく、飛びにくくする。
そこまで伝わったかは分からない。水の術士は岩壁を見上げ、杖を両手で構えた。
狼を左右へ分けた。飛び立った鳥型が低く降りた場合に追わせる。槍持ちには術士の前へ立たせ、斥候型は岩壁の横にある木へ上げた。
水の術士が杖を振る。
水の塊が弧を描き、岩壁の中ほどへぶつかった。
六羽が一斉に翼を広げた。
翼開長は四メートル近い。岩壁の表面が黒い羽で埋まり、遅れて強い風が地上まで降りてきた。
水をまともに受けた一羽だけが、離れるのに遅れた。
濡れた翼を何度も打ち、岩壁から落ちるように高度を下げる。墜落はしなかったが、木々の間へ入る頃には、枝を避ける余裕がなくなっていた。
翼が一本の枝へぶつかる。
鳥型の身体が傾き、地面へ落ちた。
狼が近づこうとしたため止める。
鳥型はすぐに起き上がり、翼を広げたまま嘴を開いた。喉の奥から、金属を擦ったような声が出る。
翼は折れていない。
俺が前へ出ると、鳥型は大きく跳ねた。
飛び立つには足りない。代わりに翼を叩きつけ、巻き起こした風と落ち葉で姿を隠す。
黒い影が横から来た。
嘴を避け、首の付け根へ腕を回した。羽の下へナイフの先を入れ、皮膚だけを切る。
白い糸が傷口へ入った。
鳥型が暴れ、翼が背中と腕を打つ。力は強いが、猪型の突進ほどではない。首を押さえたまま耐えていると、次第に翼の動きが小さくなった。
完全に静かになる前に、頭上から鳴き声が降ってきた。
残る五羽が、岩壁の周囲を旋回している。
一羽が翼を畳み、急降下した。
槍持ちが穂先を上へ向ける。俺は鳥型から手を離し、槍持ちの前へ出た。
急降下してきた個体は地面へぶつかる直前に翼を広げ、身体を浮かせる。伸びた脚の鉤爪が俺の肩を狙った。
身体を沈めて避ける。
背後で枝が裂けた。
鳥型は再び上昇しようとしたが、寄生を終えた一羽が翼を広げて追った。
濡れた羽から水滴を散らしながら、低い位置を飛ぶ。俺が一羽ずつ動かしているわけではない。仲間の進路へ入り、身体を寄せ、上昇を邪魔している。
二羽が接触した。
羽根が舞い、急降下してきた個体が高度を失う。
水の術士がもう一度杖を振った。
水が翼へ当たり、鳥型が地面へ滑るように落ちた。
狼が左右から囲む。
逃げようとして翼を開くたび、寄生した一羽が上から進路を塞いだ。
俺が傷を作り、二羽目へ寄生体を入れる。
二羽になれば、空にいる仲間を下へ追い込めるようになった。
残る鳥型は岩壁へ戻ろうとしたが、寄生した二羽が先に窪みの前へ入る。元から同じ群れだったためか、飛び方と距離の取り方がよく似ていた。
追いつき、横から翼を重ね、進む方向を変えさせる。
地上の狼と斥候型が、低くなった個体を待つ。
六羽すべてへ寄生体を入れるまで、かなり時間がかかった。
最後の一羽が地面へ降りた頃には、水の術士は杖へ寄りかかり、狼たちも舌を出していた。
鳥型に致命傷はない。
濡れた羽を広げて乾かす個体、嘴で羽根を整える個体、岩壁へ戻って周囲を見下ろす個体。それぞれの動きは寄生前と大きく変わっていなかった。
空へ上がる意図を伝える。
六羽は同時には動かなかった。
一羽が岩壁を蹴り、翼を広げる。別の二羽が後を追い、少し遅れて残りも飛び立った。
森の上へ黒い影が上がっていく。
寄生体から届く感覚は、狼よりさらに曖昧だった。
高い。動いている。周囲に大きな乱れはない。
見えている景色までは分からない。それでも、地上へ散らした小動物とは違う範囲を動いていることは伝わる。
鳥型の一羽が円を描いて高度を下げた。
太い木の幹へ脚を伸ばし、鉤爪を食い込ませる。そのまま翼を畳み、ほとんど垂直の幹へ張りついた。
飛ぶだけではない。
大型の背中や側面へ取りつかせることもできる。
空から位置を追い、高い場所へ近づき、寄生体を運ぶ。
必要だった二つの役割を、一種類で補えるかもしれない。
六羽を連れて拠点へ戻る。
森の上を飛ばせば、小人たちを怯えさせる可能性がある。拠点へ近づく前に高度を下げ、木々の間を進ませた。
それでも、黒い翼が見えた時点で柵の中が慌ただしくなった。
小人たちは屋根の下へ入る。狼たちも頭上を見上げ、低く身構えた。
鳥型へ地面へ降りる意図を伝える。
六羽が少し離れた場所へ順に着地した。翼を畳んでも、小人から見れば十分に大きい。
俺が一羽の横へ立ち、敵ではないことを示す。
しばらくして、一人の小人が屋根の下から出てきた。
鳥型の周囲を一周し、翼の長さと脚の鉤爪を確認する。嘴へは近づかず、尾羽を持ち上げた。
仲間へ向かって手を振る。
今度は布と細い縄を持った小人たちが集まってきた。
狼の時より慎重ではある。
それでも、利用すること自体を迷っている様子はなかった。
小さな袋を鳥型の脚へ結びつけようとするのを見て、一度だけ止めた。
まずは飛ばせる重さを確かめる必要がある。
小人は少し考え、袋の中身を半分に減らした。
やめるという選択肢はなかったらしい。
空を使う駒が増えた。
北東へ向かう準備は、また一つ進んだ。




