第163話 盤面の外
小人たちが猪型へ取りつけた道具は、狼用のものよりずっと大きかった。
背中の土と樹皮を一部剥がし、厚い皮を何枚も重ねた帯を腹へ回している。左右には荷物を固定する枠があり、後ろからは太い縄が伸びていた。
一匹が歩くと、縄でつながれた丸太が地面を削りながら動く。
猪型は少し首を振っただけで、そのまま丸太を引いていった。
森の中では車輪より使いやすいのかもしれない。倒木や獲物を運ぶだけでなく、拠点の柵に使う木材も遠くから持ち帰れる。
寄生させた翌日には、もう仕事を与えられている。
四匹のうち二匹を拠点へ残し、二匹を連れ出した。狼は五匹すべて。蜥蜴人は槍持ち四体、水と火の術士を一体ずつ、斥候型一体を選んだ。
これまでより数が多い。
北東へ行くためだった。
小人たちは、俺たちが向かう方向を見ただけで作業の手を止めた。止めようとはしない。ただ、煙を出していた炉の上へ蓋を置き、干していた肉を屋根の下へ移していく。
狼の一匹が鼻先を上げた。
北東から流れてくる風の臭いを拾ったらしい。耳を伏せ、低く息を吐く。
まだ遠い。
それでも、狼には何か分かるようだった。
森へ入る前に、全体へ意図を伝える。
狼は先行して臭いと動きを探る。斥候型は木の上から狼を追い、危険を感じたら戻る。猪型は戦うためではなく、退路を塞ぐ倒木や藪を押し退ける。術士と槍持ちは俺の近くに残る。
大型を見つけても攻撃しない。
今日は姿と位置を確認するだけだ。
伝わった内容がどこまで正確かは分からない。それでも狼は前へ出て、二匹ずつ左右へ分かれた。残る一匹は少し後ろを進み、先行した個体との間を行き来する。
猪型は急がない。低い身体で藪を押し分け、踏まれた草と泥の上に幅の広い道を残した。
俺自身は、狼を吸収してから森での移動がかなり楽になっている。
足元を確認する回数が減った。根や石を避けるだけでなく、次に踏みやすい場所へ自然に身体が向く。速度を上げても上体がぶれず、枝を避けた直後に歩幅を戻せる。
今までなら蜥蜴人の移動に合わせる必要があったが、狼と猪型が道を作ることで隊列全体の速度も上がっていた。
一時間ほど進んだ頃、小動物から伝わる反応が薄くなり始めた。
一匹が止まる。
少し離れた別の一匹も動かなくなる。
死んだ感触ではなかった。地面へ潜るか、物陰へ身を伏せている。さらに奥では、反応そのものが途切れていた。
以前と同じだ。
大型が通る場所から、小動物が消えている。
狼たちも歩調を落とした。
先頭にいた一匹が戻り、俺の周囲を半周してから北東へ鼻先を向ける。何かを伝えようとしているのは分かるが、距離や数までは読み取れない。
斥候型が木の上から降りてきた。
尾を地面へつけ、両腕を大きく広げる。そのまま数歩進み、手のひらを下へ向けた。
大きいものが、低い位置にいる。
そういう意味だろう。
隊列を止め、ここからは狼二匹と斥候型だけを先へ出した。
残る個体には待つ意図を伝える。
猪型がその場で土を掻き、術士たちは木の陰へ入った。
俺は先へ出た三体の反応を追う。
小動物ほど曖昧ではない。狼が警戒し、足を止め、また動き出したことは分かる。それでも、狼の目を通して景色を見られるわけではなかった。
しばらくして、斥候型が戻ってきた。
動きが速い。
木から木へ飛び移り、最後は枝を掴んだまま地面へ降りた。尾が強く左右へ振られている。
危険が近い。
斥候型が来た方向へ、低い音が響いた。
鳴き声ではなかった。
太い木をゆっくり押し倒したような、長く重い音だった。
森の奥で鳥が一斉に飛び立つ。枝葉が揺れ、その揺れがこちらへ近づいてきた。
狼二匹が戻ってくる。
一匹はまっすぐ俺のところまで来たが、もう一匹は後ろを何度も振り返っていた。
全員を退かせる。
猪型を先に動かし、来た道を戻らせる。槍持ちと術士をその後ろへ入れ、狼は左右へ広げた。
俺だけが少し残った。
姿を確認しないまま戻れば、ここまで来た意味がない。
風は北東からこちらへ吹いている。臭いで気づかれている可能性は高いが、木々の揺れは俺たちを追っているようには見えなかった。
地面へ手をつき、寄生体へ周囲の反応を探らせる。
返ってくるのは、大きな空白だった。
そこに何かがいるという情報ではない。寄生した小動物がいなくなり、周囲の生き物も動きを止めたことで、その場所だけが抜け落ちている。
木の幹に隠れながら、揺れの中心へ目を向けた。
最初に見えたのは背中だった。
灰色とも茶色ともつかない表面が、木々の間を横切っている。毛なのか、硬い皮膚なのかも距離があって分からない。
高い。
背中だけで、周囲の低い枝と同じ位置にある。
一本の若木が傾き、その向こうから頭部らしい塊が現れた。
太い首が低く前へ伸びている。四本の脚で歩いているように見えたが、胴が長すぎて後ろ半分はまだ木の陰だった。
動きは遅い。
ただ、一歩ごとに地面へ重さが伝わってくる。
離れているのに、足裏から振動が上がった。
頭部が木の根元へ下がる。
何かを食べているのか、臭いを探っているのかは分からない。少しして頭を上げると、口元から折れた枝が落ちた。
その横を通った木が、幹の途中から押し曲げられる。
全身が見えたのは数秒だけだった。
頭から尾の先まで、二十メートルはある。
もっと長いかもしれない。
肩の位置は、猪型を二匹重ねても届かない。脚一本だけでも、俺の身体より太く見えた。
四本腕の猿が大きいと思ったことが、急に遠い話になった。
あれは、森の中にいる大型の獣だった。
目の前のものは、森の地形を変えながら移動している。
大型が顔をこちらへ向けた。
距離がある。それでも、何かに見られた感覚があった。
首の動きが止まる。
俺も動かなかった。
狼たちはすでに下がっている。蜥蜴人と猪型も、今なら十分に離れているはずだ。
大型の鼻先がわずかに上がった。
風を嗅いでいる。
次の瞬間、頭を別の方向へ戻した。
こちらへ来ることなく、太い脚が地面を踏む。背中が木々の間へ沈み、長い尾らしいものが最後に枝を薙いだ。
姿が消えた後も、森の揺れはしばらく続いた。
追わなかった。
今見えたものだけで十分だった。
来た道を戻り、待たせていた隊列へ合流する。狼たちは俺の姿を見ると警戒を緩めたが、北東へ背を向けるまでは足を止めなかった。
猪型二匹を見上げる。
昨日は、正面から攻撃を受け止められる駒が増えたと思った。
あの大型が相手なら、一匹ずつでは意味がない。四匹すべてを並べても、突進を止められるとは思えなかった。
水で足場を崩す。火で進路を変える。狼で位置を追う。槍持ちに脚を狙わせる。
それだけでは足りない。
寄生体の数を増やす必要がある。
ただ増やすのではなく、あれを止めるための役割がいる。
空を使えるもの。高い位置へ攻撃できるもの。身体へ取りついて動きを鈍らせるもの。猪型とは別の方向から力をかけられるもの。
将棋の駒を揃えるつもりでいた。
だが、あれは盤面の外から腕を伸ばし、駒ごと盤をひっくり返せる大きさだった。
それでも、倒せないとは思わなかった。
今のままでは足りないと分かっただけだ。
拠点へ戻る頃には、小人たちが入口近くで待っていた。
北東から戻ってきた俺たちを見て、猪型や狼の数を一体ずつ確かめている。
全員いると分かると、すぐに作業へ戻った。
俺は森の奥を振り返る。
二十メートル級。
次に向かう時は、見るだけでは終わらせない。




