第161話 空白の記録
未申告異常空間対策室では、週に一度、対象者の記録をまとめて見直していた。
新たに自主申告した者、相談だけで終わった者、未登録品の売買へ関与した疑いがある者。警察や自治体から回ってきた情報もあれば、異常空間管理窓口の記録から拾われた名前もある。
人数は多い。
その大半は、確認を進めれば未申告異常空間とは関係がなかった。
山林へ繰り返し入っていた者が、ただの猟師だったこともある。高額な装備を買い集めていた者が、登録を迷っているだけの希望者だったこともある。
疑わしいというだけで踏み込めば、制度への相談そのものが止まる。
机の上に並ぶ端末には、それぞれ異なる一覧が開かれていた。
会議の進行役を務める主任が、一件ずつ確認を進める。
「次。未登録回収品の流通が疑われていた個人事業主」
「仕入れ先まで確認済みです。異常空間由来ではありません。海外製の模造品でした」
「優先度を下げて継続確認」
画面上の名前が一段下へ移された。
「次。山間部の廃工場へ出入りしている三名」
「二名は動画撮影目的と確認できました。残る一名は、現在も接触できていません」
「警察側の情報は」
「廃工場周辺で事件や失踪は確認されていません。現段階では強制的な確認を求める根拠がありません」
「自治体からの通常連絡を先に。異常空間の話は出さなくていい」
返事とともに、次の資料が開かれる。
そうしていくつかの名前が流れた後、一人の職員が手を止めた。
表示されたのは、異常空間調査員として登録されている人物だった。
「戸張透。正式五級」
室内で資料を確認していた何人かが顔を上げる。
初めて見る名前ではなかった。
活動中の負傷、未申告物品の使用疑い、犯罪者との接触、倉庫で起きた一連の事件。そのどれもが、単独では決定的なものにならない。
積み重ねた時だけ、通常の登録者とは違う形が見えてくる。
「最近の活動記録は」
「ありません。最後の公式入場から九日です」
主任は画面を見たまま聞いた。
「休止申告は」
「なし。負傷報告、長期療養、資格返上の相談もありません。管理窓口への連絡は通常どおり受信されています」
「返答は」
「一斉送信の案内に対する既読のみです。個別連絡は行っていません」
別の職員が資料を切り替えた。
戸張の登録後の活動履歴が、時系列で表示される。参加回数だけを見れば、極端に多いわけではない。それでも、正式五級となってから継続していた記録が、ある日を境に止まっていた。
「九日なら、特別長くはないでしょう」
警察側から出向している職員が言った。
「正式五級に活動日数の義務はありません。仕事や家庭の都合で二週間以上入らない登録者もいます。この記録だけで対象として扱えば、休むことまで監視されていると受け取られます」
「そのとおりです」
主任は否定しなかった。
「九日休んだこと自体に問題はありません」
「では、継続確認だけでいいのでは」
別の職員が、戸張の過去資料を開いた。
「過去の未申告物品疑惑が処分なしで終わっています。本人は説明会にも応じ、制度上必要な連絡も守っている。今のところ、こちらとの接点を切ろうとしている様子はありません」
「切ってはいない」
最初に戸張の名前を挙げた職員が答えた。
「ただ、活動が止まった時期が、自主申告の周知開始後と重なっています」
「それだけなら偶然です」
「ええ。偶然かもしれません」
端末上に、別の資料が並べられた。
正式五級として記録された身体能力、現場での判断、倉庫事件後に集められた証言。数字だけなら説明できる部分もある。現場環境や証言者の混乱を考慮すれば、確定できない箇所も多い。
それでも、記録の中に残る戸張は、見るたびに少しずつ違っていた。
同じ基準で測られているはずなのに、評価する側が想定した範囲へ収まらない。
「四級候補から外した判断は変わっていませんか」
「外したのではありません」
主任が画面から目を上げた。
「通常の候補者と同じ手順では扱わないと決めただけです」
「結果として、本人には何も伝えていません」
「伝えられる段階ではなかった」
室内が静かになる。
戸張には、四級候補に選ばれなかった理由を説明していない。能力不足と判断されたわけではないことも、別枠で資料が回されていることも知らされていない。
本人から問い合わせもなかった。
「今もどこかで活動している可能性を考えていますか」
問われた主任は、すぐには答えなかった。
「活動していないという記録ではありません」
表示された九日前の日付を指す。
「こちらに記録が残る活動をしていない。それだけです」
「未申告異常空間へ継続的に出入りしていると」
「その可能性を確認するのが、この室の仕事です。可能性を事実として扱うのは違います」
主任の声は変わらない。
強制捜査を行う根拠はない。戸張の自宅や行動を追跡すれば、現在の方針そのものに反する。
未申告者をすべて摘発対象として扱えば、今後、自主的に相談へ来る者はいなくなる。制度へ接続できる人間まで地下へ潜らせることになる。
「警察側からの接触は行いません」
主任は先に線を引いた。
「尾行や生活確認も不要です。現時点で、戸張透に違反は確認されていない」
「では、待ちますか」
「通常の活動案内を送ってください」
「一斉案内ではなく、個別で?」
「管理窓口からです。正式五級向けの経路確認か、低層調査の補助。戸張一人を呼び出す形にはしないでください」
担当職員が入力を始める。
「参加した場合は」
「通常どおり記録します」
「断った場合は」
「理由が添えられていれば、その内容を確認します」
「返答がなかった場合は」
主任は少しだけ考えた。
「もう一度、管理窓口から連絡します。それでも制度との接点を避けるようなら、こちらから面談を申し入れます」
「未申告異常空間対策室の名前を出しますか」
「その時は出します」
連絡文面が作られ、室内の共有画面へ表示された。
正式五級登録者を対象とした経路確認活動。
日時は複数から選択可能。
参加できない場合は、今後の日程調整のため返信を求める。
内容だけを見れば、他の登録者にも届く通常の案内と変わらない。
「これで反応を見る、と」
「反応を試すわけではありません」
主任は言った。
「制度とのつながりを残す機会を、こちらから一度用意します」
職員が送信を確定する。
戸張透の欄に、小さく連絡済みの表示が加わった。
その上には、九日前で止まった活動記録が並んでいる。
資格は有効。休止の届け出はない。処分も警告もない。
記録上、戸張透は何もしていなかった。
何もしていない者の空白としては、その九日間は少しだけ目立ち始めていた。




