第160話 このなまもの
四本腕の猿を倒した翌日、同じ採取路を川へ向かった。
壊されていた籠はすでに片づけられ、引き抜かれた罠の支柱も立て直されている。俺が猿の死体を運び込んだ後、小人たちは解体と並行して道の修復まで済ませたらしい。
切り離された四本の腕も、朝には二本が見当たらなくなっていた。どこへ持っていったのかは知らない。新しい道具か、罠か、もっと想像のつかない物になって戻ってくるのだろう。
今日は槍持ち二体、水の術士、斥候型の四体をそのまま連れてきた。前回の戦闘で目立った負傷はなく、槍を掴まれた一体の腕も問題なく動いている。
採取路の先には、湿った土と背の低い草が増えていった。木々の間から聞こえていた水音も、進むほど大きくなる。
やがて森が途切れた。
川幅は、入口付近から遠目に見た時より広い。対岸まで数十メートルはあり、中央に近づくほど水面の色が濃くなっている。流れも速く、浮かんだ枝が斜め下流へ運ばれていった。
小人たちの採取跡は川辺まで続いていた。
平たい石の上には殻を割った跡があり、水際には細い籠が沈められている。中を覗くと、銀色の小魚が何匹か跳ねていた。魚を捕る仕掛けまで、もう作っているらしい。
対岸には同じような森が広がっているが、こちら側より木が低く、明るい場所が多い。その間を茶色い背中がいくつか動いた。距離があり、形までは分からない。
寄生した小動物の反応も、川の手前で途切れていた。水辺に近づく個体はいても、向こう側まで広がった感触はない。
俺一人なら渡れない距離ではない。流れに入って泳ぐか、足場になりそうな岩を探せば向こうへ行ける。
蜥蜴人や荷物まで含めると話が変わる。
水の術士が川へ杖を向けた。流れの一部がわずかに盛り上がり、すぐに崩れる。この幅と水量を押さえ込めるほどの出力はないらしい。
「今日は見るだけにしよう」
対岸へ行くことより、全員で戻れる方法を先に考えるべきだった。
川沿いを少し歩き、幅が狭くなる場所がないか探した。途中で大きな岩が水面から突き出している場所を見つけたが、次の岩までが遠い。俺と斥候型なら渡れても、術士や荷物を運ぶには危ない。
帰りに流れが増せば、同じ場所を使える保証もない。
位置を覚え、今日は拠点へ戻ることにした。
採取路へ戻ってしばらく進んだ頃、斥候型の尾が低く下がった。
足を止める。
寄生した小動物の反応が、左右から散っていた。何か一体が近づいた時の崩れ方ではない。複数の気配を避け、それぞれ別方向へ逃げている。
槍持ち二体が前後へ分かれ、水の術士を間に入れた。
姿は見えない。
森の中から、落ち葉を踏む音が一度だけ聞こえた。右奥で枝が揺れ、少し遅れて左側の草が沈む。
こちらを囲もうとしている。
背後の採取路を確認する。拠点まではまだ距離があった。このまま歩けば、追っているものを小人たちのところまで連れて帰る。
俺は腰のナイフへ手を伸ばした。
「ここで止める」
前方の藪から、灰色の獣が飛び出した。
狼に似ていた。普通の狼より一回り大きく、肩の高さは俺の腰近くまである。胴は細いが脚が長く、灰色の毛の間に黒い筋が走っている。
一匹目は正面から来なかった。こちらの手前を横切り、槍持ちの注意を引く。
続いて左右から二匹が現れた。
斥候型が木の幹へ跳びつく。水の術士は杖を振り、左から来た一匹の足元へ水を叩きつけた。狼は身体をひねって避け、濡れた地面を蹴って距離を取る。
さらに後ろで二匹。
全部で六匹いた。
一匹ずつ飛び込まず、こちらが向きを変えるたびに別の個体が近づいてくる。獲物を疲れさせ、隊列から外れたものを狙う動きだった。
右側の一匹が槍持ちへ飛びかかる。穂先を向けられると空中で身体を捻り、着地と同時に下がった。
その隙に、別の一匹が水の術士へ向かう。
術士は杖を正面へ向けたが、間に合わない。
後ろにいた槍持ちが横から踏み込み、狼の胸へ穂先を突き入れた。
狼の身体が勢いのまま槍へ深く入り、槍持ちへぶつかる。二体が地面へ倒れた。
血の臭いが広がった。
残る狼の動きが一瞬止まる。
仲間が倒れたことを理解している。その一瞬が過ぎれば、次はもっと激しく来る。
全部を殺す必要があるか。
狼たちは拠点を荒らしていたわけではない。俺たちを獲物として追い、群れで狩ろうとしただけだ。
寄生体へ意識を向けた。
殺さない。
群れを壊さず、こちらへ従わせる。
伝わった感触は曖昧だったが、戸惑いは返ってこなかった。
正面の狼が低く身を沈める。
俺はナイフを抜いて前へ出た。飛びかかってきた口を避け、肩口を浅く切る。灰色の毛の下から血が滲んだ。
左手から伸びた白い糸が、傷口へ潜り込む。
狼が地面を転がった。
残り四匹が一斉に動く。
槍持ち二体が穂先を振り、距離を保つ。水の術士が地面を濡らし、狼の進路を狭める。斥候型は木の上から降りず、回り込もうとする個体へ枝や石を落とした。
寄生した一匹が立ち上がった。
首を振り、俺を見た後、仲間へ向き直る。
鳴き声はなかった。
残りを殺したくないという意図を受けたのか、狼は自分から駆け出した。飛びかかろうとしていた仲間へ横からぶつかり、二匹が絡み合って地面を転がる。
俺はそこへ走り、押さえ込まれた狼の脚へ傷をつけた。白い糸が二匹目へ入る。
残る三匹が距離を取った。
逃げるなら追わなくてもいいと思ったが、群れの二匹がこちら側へ回ったことで動きが定まらなくなっている。離れようとしては振り返り、低く唸る。
寄生した二匹は、俺の指示を待たずに前へ出た。
左右へ分かれ、仲間との間隔を狭めていく。獲物を追い込んでいた時とよく似た動きだった。俺が一匹ずつ動かしているわけではない。群れで狩るために身につけた動きを、今度は仲間を押さえるために使っている。
一匹が飛びかかり、噛み合う。
傷ができれば、寄生体を送り込める。
時間はかかったが、最後の一匹が地面へ伏せるまで、蜥蜴人が新たに槍を突き立てることはなかった。
五匹の狼が、少し離れた場所でまとまっている。
毛は血と泥で汚れていたが、傷は寄生体によって塞がり始めていた。耳を動かし、周囲の臭いを嗅ぐ姿は、戦う前と変わらない。
鼠や虫へ広がった時より、こちらの意図がはっきり行動へ現れている。
死んだ一匹だけが、槍のそばで動かなかった。
槍持ちは倒れた際に背中を打ったようだが、立ち上がれる。術士を守るために刺した結果で、責める理由はなかった。
俺は死体の前へしゃがんだ。
「こいつは吸収していい」
白い糸が毛の間へ広がった。
肉も骨も、沈むように少しずつ形を失っていく。残った五匹はその様子を見ていたが、逃げも襲いもしてこなかった。
吸収が終わった後、立ち上がる。
足元の根を避けたつもりはなかった。身体が勝手に置きやすい場所を選び、次の一歩へつながった。
何かが変わったらしい。
詳しく確かめるのは後でいい。
五匹を連れて拠点へ戻る。
狼たちは俺の真後ろへ固まらず、左右の森へ少し広がりながら進んだ。一匹が先へ出て臭いを嗅ぎ、止まれば別の一匹が前へ出る。逐一指示しなくても、群れとして道を確かめている。
蜥蜴人も、徒歩より狼に乗せた方が速く動けるかもしれない。
小人なら体重にも余裕がある。荷物を積み、拠点と川を往復させることもできる。
そこまで考えながら柵へ戻ると、小人たちが一斉に集まってきた。
最初は警戒すると思っていた。
一人が狼の鼻先へ手を伸ばし、臭いを嗅がれる。別の一人は脚を持ち上げ、肉球を押していた。さらに二人が背中の高さを確かめ、どこから持ってきたのか皮紐まで広げ始める。
狼たちは、小人を敵ではないと理解しているらしい。噛みつく様子はないが、身体のあちこちを触られて落ち着かなそうに耳を動かしている。
俺が一匹の傷を確認している間に、隣の狼の背中へ小人がよじ登った。
毛を掴み、腹を跨ぎ、当然のように座る。
別の小人が皮紐を渡した。
乗られた狼は首を回して背中を見ようとしたが、振り落としはしなかった。そのまま数歩進むと、背中の小人が片手を上げる。
周囲から何人かが集まり、今度は別の狼へ近づいていく。
連れて帰ってから、まだ十分も経っていない。
「なんなんだろうな、このなまもの」




