第149話 森に散る
虎もどきの肉を食べ終えた寄生ゴブリンと蜥蜴人たちは、ひとまず落ち着いていた。
小人はその間にも働き続けている。
解体した肉の一部を細く切り、枝へ掛ける。火の近くには陶器の器が並び、毛皮は扉の横へ張られ始めていた。柵も少しずつ長くなり、森へ向いた側には浅い穴と尖らせた杭が増えている。
昨日まで何もなかった丘の上に、既に拠点らしい輪郭ができていた。
「本当に住むつもりなんだな」
返事の代わりに、灰陶族の一人が木槌のような道具を掲げた。
何を示したのかまでは読み取れない。
少なくとも、帰るつもりがないことだけは伝わった。
俺は寄生ゴブリンと蜥蜴人たちを見る。
森へ入るなら、戦力は多い方がいい。
その分だけ食料が必要になる。
虎もどき一頭でしばらくは持つとしても、今後も都合よく獲物が手に入るとは限らない。
七体の蜥蜴人と寄生ゴブリンを連れて歩けば、安全のための戦力なのか、食料を消費する集団なのか分からなくなってくる。
「人数を減らすか」
槍持ち四体のうち三体と、寄生ゴブリンを五層へ戻す。
火と水の術士型は一体ずつ残した。斥候型と、槍持ちも一体残す。
森へ入るのは、俺を含めて五体。
これなら多少は食料を抑えられる。
扉を越えた途端に空腹を感じなくなるなら、待機させる場所として五層は都合がいい。
灰陶族の食い扶持までは俺の責任ではない。
そう思いたかったが、丘の上へ新しい個体がまた二人増えているのが見えた。
「……自分たちでどうにかしてくれよ」
今のところ、その能力はありそうだった。
俺は森へ目を向ける。
道はない。
木々の間には無数の熱源が動いている。昨日より感覚へ集中してみても、大きさや種類までは判別できない。
近くの草むらに小さなものがいくつもいる。
木の上にもいる。
地面の下にも、かすかな熱が散っていた。
森へ入る前から、情報が多すぎる。
地下では役に立った感覚も、ここでは雑音に埋もれかけていた。
「全部を俺が見る必要はないか」
これまでの階層では、通路を自分の足で進んだ。
分岐を確認し、敵を見つけ、倒しながら奥へ向かった。
森には通路がない。
なら、俺だけが歩いて探す必要もなかった。
身体の内側へ意識を向ける。
寄生体が反応し、服の隙間から細い白い糸が這い出した。
一本ではない。
髪より細いもの、小さな虫に似た形を取ったもの、白い粒のように草へ落ちるもの。
それらを丘の斜面へ放つ。
「人間と灰陶族には触るな。森の中だけだ」
細部まで意図が届いたかは確かめようがない。
それでも、以前から決めている線引きは伝わっている。
白いものは風に煽られながら草の根元へ潜り、石の裏へ入り、木の幹を登っていった。
斜面の途中で一部を止める。
そこから先へ異常があれば、何かが伝わる程度でいい。
残りは森へ向かわせた。
灰陶族の一人が作業を止め、地面を這う白い群れを目で追っている。
近づこうとした別の個体の腕を、隣の個体が掴んで止めた。
こちらが触れさせないようにしていることを、何となく理解しているらしい。
「その方が助かる」
森の縁へ近づく。
白い群れの一部が、倒木の下で何かへ集まった。
小さな足音がして、茶色い生き物が飛び出す。
鼠に似ていた。
ただし耳が長く、背中には短い棘が生えている。俺の足首ほどの大きさしかない。
生き物は数歩走ったところで動きを止め、身体を小さく震わせた。
白い糸が毛の中へ消えていく。
しばらくして再び走り出した。
今度は森の奥へ向かっている。
俺の命令どおりに一直線へ進んでいるわけではない。倒木の陰を通り、匂いを嗅ぎ、食べられそうなものを探しながら移動していた。
元の習性を残したまま、寄生体がその身体を使っている。
木の上では、甲虫に似た虫へ白い糸が入り込んだ。
硬い翅を開き、枝から枝へ飛んでいく。
別の場所では、小型の蜥蜴に似た生き物が落ち葉の中へ潜った。
森の中へ、少しずつ寄生体が広がっていく。
見えているものが増えたわけではない。
鼠もどきの視界が、そのまま共有されるわけではない。甲虫の目を通して森を眺めることもできなかった。
それでも、動いていることは伝わる。
立ち止まった。
何かを避けた。
急に走った。
その程度の粗い変化が、離れた場所から薄く重なってくる。
地面へ残した白い群れからは、周囲を何かが通った揺れが伝わった。
木へ登らせたものからは、枝が大きく動いた反応が返ってくる。
方向と距離にはかなりの幅がある。
それでも、何も知らずに自分の身体を森へ入れるよりはずっといい。
「使えるな」
寄生体から、満足したような感覚が返ってきた。
森の生き物が多いほど、宿主にできる身体も増える。
小型のものなら食料の消費も少なく、敵と戦わせる必要もない。森の中を普段どおり動いてもらうだけで、そこに危険があるかどうかを知る手掛かりになる。
一般的な探索者なら、森の広さも生き物の多さも障害になる。
俺と寄生体にとっては、使えるものが最初から森中にいるようなものだった。
問題は、すぐに全体を把握できるわけではないことだ。
寄生させた生き物が広がるには時間がかかる。
安全な場所、水場、大型生物の縄張り。そうした情報を何度も重ね、少しずつ輪郭を作る必要がある。
なら、最初は入口周辺からでいい。
俺は丘から見えていた川の方向へ、寄生体を多めに向かわせた。
水辺には生き物が集まる。
危険も多いだろうが、森の中で位置を確認する目印にもなる。
俺たち自身は、白い群れが先に通った場所を少し遅れて進む。
斥候型を前へ出し、その左右に槍持ちと火の術士型。水の術士型は俺の近くに残す。
森へ一歩入ると、丘から見ていた以上に視界が狭くなった。
高い木々が光を遮り、足元には低木と蔓が絡んでいる。
湿った土は柔らかく、落ち葉の下に根や石が隠れていた。
進むたび、虫や小動物が逃げていく。
その一部へ白い群れが追いつき、新しい宿主が増える。
森を歩いているというより、薄く広がりながら進んでいる感覚だった。
しばらくは大きな異常もなかった。
木の上を移動していた小型生物が突然走り出す。
その少しあとに、別の個体も同じ方向へ逃げる。
何かが近づいたのかと思ったが、反応はすぐに落ち着いた。
足元の茂みから、鹿に似た四足の生き物が飛び出した。
俺たちを見るとすぐに向きを変え、木々の間へ消えていく。
追う必要はない。
食料にはなるかもしれないが、今は森の範囲を知る方が先だった。
さらに進む。
白い群れの反応が、少しずつ森の形を作り始めていた。
左側には小さな生き物が多い。
右は地面が湿っていて、動きが遅い。
正面には比較的大きな熱がいくつかあるが、こちらへ近づく様子はない。
地図にはならない。
それでも、濃淡のようなものは分かる。
生き物の多い場所。
動きの少ない場所。
何かが頻繁に通る場所。
その中で、一つだけ妙な変化が起きた。
森の奥へ進んでいた鼠もどきの反応が消えた。
死んだのか、寄生体だけが失われたのかは判別できない。
少し離れた木を移動していた甲虫も、ほぼ同時に途切れた。
その周囲にいた小型生物が、一斉に走り始める。
鳥に似た鳴き声が連続し、枝葉が大きく揺れた。
白い群れを一つ、その方向へ残す。
すぐに反応がなくなった。
「止まれ」
蜥蜴人たちが足を止める。
俺も動かず、森の奥へ意識を向けた。
姿は見えない。
熱源感知の範囲にも入っていない。
それでも、何かがいる。
何かが移動した場所だけ、寄生体と小動物の反応が次々に消えていく。
森の一部が、進行方向に沿って空白になっていた。
地面の奥から、低い振動が伝わる。
一度。
少し間を置いて、もう一度。
遠くで大きなものが歩いている。
捉えられたのは、それだけだった。
こちらへ向かっているのか、横切っているだけなのか。足音の進路までは読めない。
俺は進む方向を少し左へずらした。
「今日は、あれを確認しに行く日じゃないな」
誰も返事はしない。
ただ、斥候型の蜥蜴人も森の奥を警戒し、低く身体を伏せていた。
俺は新しい寄生体を左側へ散らしながら、危険な空白を避けて進む。
道のない森を、正面から攻略する必要はない。
時間をかけて、森の中にこちらの感覚を増やしていけばいい。
いずれ、この広い場所のどこに何がいるのかも、少しずつ見えてくる。
そのときまで、見つけなくていいものへ自分から近づく理由はなかった。




