第143話 増援
石扉は、見た目ほど重くなかった。
両手で押すと、床を擦る低い音を響かせながら内側へ開いていく。隙間から吹き出した風に、湿った獣の臭いが混じっていた。
扉の向こうは、五層の洞窟よりもさらに広い空間だった。左右には崩れた石柱と岩棚が並び、床の中央には大きなくぼみがある。その周囲には白い骨が散らばっていた。
ライトを上へ向けても、光は途中で闇に呑まれる。天井があることは分かるが、岩肌の形までは見えなかった。
ボス部屋と考えて間違いなさそうだ。
俺は槍持ちを三体、術士型を一体だけ先に入れ、自分も後へ続いた。
頭上から、羽ばたきが聞こえた。
見上げた先に、巨大な影が浮かんでいる。
鷲に似た頭部と翼。その後ろに続くのは、獅子のような胴体と四肢だった。広げた翼は、端から端まで大型車より長い。前脚の鉤爪は、蜥蜴人の胴ほどもある。
グリフォン。
創作の中で見たものと、ほとんど同じ姿だった。
高い岩棚に降り立ったグリフォンは、俺たちを見下ろしながら翼を畳んだ。すぐに襲いかかってくる様子はなく、頭を少し傾けている。
人間一人と蜥蜴人が四体。
自分の巣へ迷い込んだ獲物を、どう片づけるか考えているように見えた。
俺の後ろで、石床を擦る音が続く。
槍を持った蜥蜴人が三体、扉を通って入ってきた。その後ろから細身の斥候型が続き、壁際へ散っていく。
グリフォンが頭を戻した。
さらに槍持ちが入る。
術士型が二体目の杖を抱えて姿を見せ、その後ろにも尾が続いていた。
グリフォンの翼が、少しだけ開いた。
さっきまで随分と余裕がありそうだったが、今はボス部屋の入口と、増え続ける蜥蜴人を交互に見ている。
鷲と獅子を混ぜた顔から、細かな感情を読み取れる自信はない。
ただ、十体目が入ってきたあたりで、明らかに首の動きが止まった。
「……絶望してるように見えるな」
もちろん返事はない。
グリフォンは大きく翼を広げ、空気を震わせる声を上げた。
直後、部屋全体を押し流すような風が吹き荒れた。
前にいた蜥蜴人たちが槍ごと倒れ、軽い斥候型は壁から剥がされる。俺も腕で顔を覆い、腰を落として踏みとどまった。
グリフォンが岩棚から消えた。
温かい塊が、頭上から一気に近づいてくる。
「散れ!」
言葉ではなく、逃げろという意図を強く向ける。
蜥蜴人たちが左右へ飛んだ直後、グリフォンが床へ突っ込んだ。鉤爪が一体の肩から胸を掴み、そのまま身体を持ち上げる。
掴まれた蜥蜴人が槍を突き立てたが、穂先は羽毛の下へ浅く刺さっただけだった。
グリフォンは数度羽ばたき、蜥蜴人を石柱へ叩きつける。
身体が折れ、宿主としての感覚が途切れた。次の瞬間、砕けた鱗の隙間から白い糸が溢れ、石柱を伝って床へ散っていく。肉体を失った寄生体が、ホワイトスウォームへ戻ったらしい。
そのまま上空へ逃げようとするグリフォンへ、火球が二つ飛ぶ。
一発は外れ、もう一発が翼の端へ当たった。羽が焦げたものの、飛行を止めるほどではない。
グリフォンが旋回し、術士型へ狙いを変える。
俺は指先へ火を集めた。
蜥蜴人の術士ほど綺麗な球にはならない。揺れる炎を前へ押し出すと、狙いより少し上を通り、グリフォンの顔の前で弾けた。
威力は足りない。
目の前に火が現れたことで、進路は変わった。
グリフォンが身体を傾けた先へ、壁面に張り付いていた斥候型が飛び移る。爪を羽毛へ食い込ませ、背中にしがみついた。
もう一体が反対側の翼へ飛びつく。
グリフォンが大きく身体を振ると、一体は振り落とされ、床へ叩きつけられた。残った一体も嘴でくわえられ、そのまま噛み潰される。
また二体が宿主を失い、白い群れが床や岩壁へ散った。
数で押せてはいる。
相手が一度動くたびに、こちらも確実に減っていた。
グリフォンが羽ばたき、再び高度を取る。火球を警戒しているのか、天井近くまでは上がらず、石柱の間を縫うように飛んでいた。
火を当てるだけでは落とせない。
水を操る術士型へ、翼を狙う意図を向ける。
黒い杖の先から細い水流が放たれた。最初の一撃は外れたが、二発目が翼の付け根を濡らす。
グリフォンは気にした様子もなく飛び続けた。
続けろ。
水流が何度も翼へ当たり、羽毛が水を含んでいく。左右均等には濡れていない。片側だけが重くなり、旋回するたびに身体が外へ流れ始める。
グリフォン自身も変化に気づいたらしい。術士型へ向かって急降下する。
槍持ちが前へ出た。
一体が鉤爪に捕まり、もう一体は翼に弾かれて転がる。それでも残りが術士型の前へ重なり、突進の勢いを少しずつ削った。
グリフォンの爪が三体目を裂いたところで、斜め後ろから槍が翼へ刺さった。
壁面を回っていた斥候型だった。
グリフォンが振り向き、嘴で襲いかかる。
その隙に、別の槍持ちが反対側の翼へ穂先を突き込んだ。
大きな翼が床を叩く。
完全には飛べなくなっていない。それでも、助走なしで浮き上がるのは難しくなったようだ。
グリフォンは四本の脚で床を蹴り、今度は獣のように走り出した。
飛んでいるときより遅い。
鉤爪と嘴の届く範囲は広く、正面から受ければ蜥蜴人では止められなかった。
槍持ちを左右へ分ける。
グリフォンが一体を追えば、反対側から脚と腹を狙う。向きを変えるたび、尾を持つ蜥蜴人たちは岩場を滑らずについていった。
一体が踏み潰される。
別の一体が嘴で腹を裂かれる。
宿主を失うたび、白い糸が砕けた身体から抜け出し、戦場の端へ逃れていった。蜥蜴人としての戦力は減っても、寄生体そのものまで消えたわけではない。
残った宿主へ向ける意図が強くなっていく。
囲め。
飛ばせるな。
脚を止めろ。
俺が一つずつ細かく動かしているわけではない。寄生体が全体へ意図を流し、蜥蜴人たちは元の身体が知る連携で動いている。
火球がグリフォンの正面へ飛び、顔を背けさせる。
その瞬間、水流が濡れた翼の付け根へ集中した。二本の槍が後脚へ突き刺さり、グリフォンの身体が沈む。
俺は走った。
グリフォンがこちらへ頭を向ける。
温かい塊の中心が動き、嘴が開く前から軌道が分かった。
身体を横へ倒す。
以前なら姿勢を崩していた角度まで腰が曲がり、嘴が頬のすぐ横を通り過ぎた。地面へ手をつき、翼の下へ潜り込む。
濡れた羽毛が、目の前にあった。
雷を使えば、俺まで巻き込まれるかもしれない。
周囲の蜥蜴人へ、離れろと意図を飛ばす。
槍持ちが一斉に後退した。
俺は濡れた翼へ掌を押し当てる。
指先ではなく、腕の奥から押し出すように力を込めた。
白い光が弾けた。
音が遅れて部屋へ響く。
手首から肘まで強い痺れが走り、俺自身も肩を引かれた。グリフォンの身体は大きく跳ね、四肢が一瞬だけ石床から浮いた。
焦げた羽毛の臭いが広がる。
完全に倒せてはいない。
グリフォンは脚を震わせながら、もう一度立ち上がろうとしていた。
俺は赤錆の山刀を抜き、首元へ回り込む。
羽毛の薄い部分を狙い、刃を突き立てた。
一度では浅い。
グリフォンが首を振り、俺の身体を地面へ投げる。立ち上がるより先に鉤爪が迫ったが、槍持ち二体が横から飛びつき、その脚へ体重をかけた。
俺は山刀を握り直し、同じ傷へ刃を押し込んだ。
今度は深く入った。
グリフォンの嘴が開き、声にならない空気が漏れる。翼が何度か床を叩き、やがて力を失った。
部屋の中が静かになる。
残った蜥蜴人たちは、倒れたグリフォンを囲んだまま動かなかった。
戦いを始める前は十体を越えていた。今、蜥蜴人の姿で立っているのは七体だけだった。
「楽に勝てた、とは言えないな」
数で押し切れたからこそ、俺自身は大きな傷を負わずに済んだ。その代わり、前へ出した宿主を失った。
砕かれた身体から抜け出した白い群れは、壁際や岩陰で蠢いている。寄生体そのものが全て失われたわけではない。それでも、槍を持ち、魔術を使い、五層を進める身体は戻らなかった。
倒れたグリフォンへ近づくと、身体の内側で寄生体が強く動いた。
食べたいらしい。
「今回は止めないよ」
首元の羽毛へ手を触れる。
掌から白い糸が伸び、山刀で開いた傷の中へ入り込んだ。それを合図に、壁際や岩陰へ逃れていたホワイトスウォームも一斉に動き始める。
白い糸や小さな虫の形をした群れが床を這い、倒れたグリフォンの周囲を埋めていく。裂けた翼、嘴の隙間、鉤爪の根元から内部へ潜り込み、巨大な身体を内側から少しずつ崩していった。
羽毛が白い群れに覆われ、輪郭を失っていく。肉も骨も寄生体に触れたところから細かくほどけ、そのまま吸収されていった。
大蛇を取り込んだときと同じように、身体の奥へ何かが流れ込んでくる。
胸の内側が一瞬浮き上がるような、妙な感覚があった。
瞬きをすると、目の前の光景が急に近くなったように感じた。
倒れた石柱の表面に走る細い傷。部屋の反対側に落ちている羽毛の一本一本。先ほどまでは暗がりに埋もれていた岩棚の奥まで、輪郭がはっきりと見える。
ライトを天井へ向ける。
光そのものが強くなったわけではない。それでも、さっきは闇に沈んでいた高さに、岩の亀裂や張り出した足場が見えた。
「目か」
視界の端まで、以前より輪郭が崩れにくい。
遠くを見るだけでなく、暗い場所で拾える情報そのものが増えていた。
ほかにも何か変わった気配はある。腕や皮膚の内側に、今までとは違う感覚が残っていたが、立っているだけでは何が起きたのかまでは分からない。
寄生体からは、満足感だけが強く返ってくる。
吸収が終わるころには、床に血も羽毛も残っていなかった。宿主を失っていた白い群れの姿も減り、その多くがグリフォンから得たものと混ざり合い、俺の中へ戻ってきたようだった。
蜥蜴人の身体が復元されたわけではない。
失った宿主は七体の後ろへ戻らず、白い群れが補われただけだ。
その奥で、重い石の動く音がした。
部屋の中央にあったくぼみの底が持ち上がり、黒い石の台座が姿を現す。
俺は山刀を収め、残った蜥蜴人たちを見回した。
グリフォンが最後まで警戒していたのは、俺だったのか。
それとも、入口から次々と入ってきたこいつらだったのか。
もう確かめることはできない。
ただ、最初に見下ろしてきたときより、最後の方がずっと余裕のない顔をしていたことだけは確かだった。




