第140話 名乗り出る理由
会議室の扉が閉じた後、席に残った者は十五人まで減っていた。
画面には、先ほどまでとは異なる日本地図が表示されている。
確認済みの二百六十六か所を示す印は消え、代わりに黄色と赤の小さな点が各地に散らばっていた。
「現時点で、未申告の異常空間と関係している可能性がある個人、団体は三十四件です」
情報分析担当者が説明を始めた。
「このうち、複数の情報が一致している高優先対象が十一件。単独の情報しかなく、別の事情で説明できる可能性が高いものが二十三件です」
「入口を確認した事例は?」
「ありません」
即答だった。
高優先とされていても、未登録の回収品らしき物が流通した、説明の難しい負傷をした人物がいる、特定の山林へ装備を持って出入りしている、といった間接的な情報にすぎない。
実際に異常空間を所有しているのか。
他人が見つけた場所を利用しているだけなのか。
あるいは、異常空間とは何の関係もないのか。
現段階では、その区別もついていなかった。
「そもそも、未申告の異常空間が何か所あると見積もっていますか」
防衛省側の出席者が尋ねた。
「見積もれません」
「範囲すら出せない?」
「確認済みの発見経路から推測すれば、通常の調査で見つかる場所は減っています。しかし、意図的に隠されている場所の数を、通報や地理条件から算出することはできません」
担当者は地図上の三十四件を示した。
「ここにあるのは、隠しきれなかった痕跡です。本当に外部との接触を断ち、回収品も持ち出さず、私有地の中だけで利用している者は、この一覧には出てきません」
「見つける方法がない、と?」
「現状では、かなり難しいでしょう」
警察庁側の担当者が資料をめくった。
「だから自主申告を促す」
「はい」
画面が切り替わった。
未申告異常空間・自主申告促進方針。
その下には、テレビ、インターネット広告、自治体広報、動画配信サイト、探索者向け掲示板といった媒体が並んでいた。
「呼び掛けの文案です」
映像用の原稿が表示される。
所有地、管理施設、山林、地下構造物などで、異常空間と思われる入口を把握している方へ。
過去に届け出ていなかったことのみを理由として、直ちに刑事責任を問うものではありません。
匿名での事前相談も受け付けています。
所有者、発見者の氏名や所在地は、本人の同意なく公表しません。
「直ちに、という表現では弱くありませんか」
警察庁側から声が上がった。
「相談した後なら処罰される、と受け取られます」
「未申告を無条件で免責すると断言することもできません」
法務担当者が答えた。
「異常空間を利用して別の犯罪が行われていた場合まで、不問にはできません。また、現在の届け出義務を今後も無視してよいという意味にもなります」
「未申告そのものと、そこで行われた行為を分けて説明する必要があります」
制度担当者が文案を修正した。
一定期間内に自主的な相談を行い、安全確認と制度への移行に協力した場合、過去の未申告については行政処分を行わないことを基本とする。
ただし、異常空間を利用して行われた犯罪行為、他者への危害、危険物や回収品の違法な流通については、この限りではない。
「これなら、名乗り出た後の扱いも示せます」
「一定期間とは?」
「まずは三か月を想定しています」
「三か月を過ぎたら、条件を変える?」
「相談件数を見て延長を検討します。ただ、期限がなければ、いつまでも様子を見る者が出ます」
「期限を設ければ、追い立てられていると感じる者もいるでしょう」
どちらにも問題があった。
名乗り出る理由を作るためには、今動いた方が条件が良いと示す必要がある。
しかし、急かしすぎれば、入口を埋め、痕跡を消し、さらに深く隠れる者も出る。
「処分を猶予するだけでは足りません」
情報分析担当者が言った。
「未申告者が恐れているのは、罰金や資格停止だけではありません。入口を取り上げられること、自分の氏名が公表されること、これまでの活動を全て調べられることです」
画面に、未申告者側が想定している不利益が表示された。
逮捕。
入口の接収。
土地の立入禁止。
回収品の没収。
住所、氏名の報道。
政府機関による長期拘束。
「実際には行わないことも含まれています」
「実際にどうするかではなく、相手がどう考えているかが問題です」
「では、何を保証しますか」
制度担当者が次の資料を開いた。
自主申告者へ提示可能な条件。
所有者情報の非公開。
相談段階での匿名性。
過去の未申告に対する行政処分の猶予。
安全確認後の継続利用。
一定期間の優先活動枠。
調査時の立ち会い。
回収品の正規買い取り。
五級制度への移行支援。
必要に応じた警護。
土地や施設を使用する場合の協力金。
「入口の所有権を認めるように見えます」
「認めるのは永久的な独占権ではありません」
「一定期間の優先活動枠も、正直に届け出た発見者との不公平が出ます」
「隠していた者ほど得をする制度にはできません」
「ですが、何も提示しなければ出てきません」
再び議論が止まった。
未申告者を優遇したいわけではない。
把握できていない異常空間を、危険が起きる前に制度へ接続するための交渉材料が必要だった。
「優遇ではなく、移行条件として扱います」
議長役の職員が言った。
「認めるのは、本人が既に使用している場所について、急激に全てを失わせないための経過措置です。期間、活動範囲、回収品の扱いは個別に決める。永久的な権利とはしない」
「正規に届け出た者への扱いも見直すべきです」
「同意します。発見者の立ち会い、一定の利用枠、協力金については、今後の新規申告にも共通して適用できる制度にしてください」
未申告者だけに利益を与えるのではなく、発見者全体の取り扱いを整える。
それなら、不公平感は多少抑えられる。
「公式の呼び掛けだけで、どれだけ反応があると思いますか」
防衛省側の出席者が尋ねた。
情報分析担当者は、すぐには答えなかった。
「多くはないでしょう」
「理由は?」
「政府が、名乗り出ても逮捕しない、入口を全て奪わないと説明しても、未申告者ほど信じません」
画面に、探索者向け掲示板や動画のコメント欄から集められた書き込みが表示された。
申告した瞬間に国に持っていかれる。
見つけた奴は検査名目で隔離される。
回復薬を持っていたら製薬会社に囲われる。
政府は公表していない入口を全部把握している。
根拠のない話が、事実と区別されないまま流れていた。
「テレビで説明すればするほど、隠している者には逆効果になる可能性があります」
「では、説明しないのですか」
「公式の説明は必要です。それとは別に、公式発表を信用しない層へ届く経路も用意します」
画面に新しい項目が追加された。
非公式経路を用いた情報浸透。
「何をするつもりですか」
警察庁側の声が低くなった。
「探索者掲示板、地域掲示板、動画のコメント欄、まとめサイトなどで、今回の方針を噂として流します」
「政府職員が一般人を装って書き込む?」
「案の一つです」
「世論工作でしょう」
「政策の内容を、別の経路で知らせるものです」
「呼び方を変えても同じです」
情報分析担当者は反論しなかった。
画面には、書き込み例が表示された。
未申告でも、今なら相談だけで処罰されないらしい。
匿名窓口ができるらしい。
全部取り上げる方針ではないらしい。
発見者に利用枠を残す案があるらしい。
「存在しない体験談を作るのですか」
「それは行いません」
「先ほどの文案に、知り合いが申告した、という例がありました」
「削除します。実在しない成功例は使いません」
「実在する例なら使う?」
「本人の同意と、特定されない処理ができる場合に限ります」
法務担当者が資料へ書き込んだ。
虚偽の体験談は作成しない。
存在しない処遇を断定しない。
脅迫的な情報を流さない。
政府への連絡を装って個人情報を収集しない。
実際に決定された方針のみを、断定を避けた形で流す。
「そこまで制限するなら、公式広報と何が違うのですか」
「発信者が政府ではないように見える点です」
「だから問題だと言っています」
「公式発表を見ない者、見ても信用しない者がいます」
「騙して信用させるのですか」
「信用させるのではありません」
情報分析担当者は、画面上の書き込み例を消した。
「選択肢があることを耳に入れます。信じるかどうかは、本人に委ねます」
議長役の職員が双方を見た。
「事実でない情報は使わない。それを条件に、具体的な運用案を作成してください。投稿を直接行うか、探索者団体や民間事業者を通じて周知するかも含めて検討します」
「政府が行っていることは、記録に残しますか」
「残します」
「後から公開を求められた場合は?」
「非公開指定の解除後に判断します」
完全に問題がなくなったわけではなかった。
それでも、公式の広告だけを出して待つより、届く可能性は上がる。
次の資料へ進んだ。
未申告異常空間対策室、設置案。
「臨時の合同組織です」
内閣府の担当者が説明した。
「制度管理、警察、情報分析、土地・登記、回収品流通、デジタル解析の担当者で構成します。必要に応じて、消防、自衛隊、地方自治体から連絡員を加えます」
「人数は?」
「常勤十八人。対象地域ごとに追加要員を編成します」
「対策室が直接、異常空間へ突入するのですか」
「原則として行いません」
対策室の任務は、候補の抽出、事実確認、所有者への接触、制度移行の交渉だった。
未登録の回収品。
不自然な装備購入。
山林や廃施設への反復した出入り。
説明できない負傷や身体能力の変化。
土地所有者と無関係な集団の滞在。
そうした情報を組み合わせ、未申告異常空間との関連が強い対象を絞る。
「調査権限は従来の範囲を超えません」
警察庁側の担当者が確認した。
「はい。対策室を作ったからといって、令状なしで私有地へ立ち入れるわけではありません」
「接触時の方針は?」
資料に手順が表示された。
最初の接触は、制度担当者を中心とする少人数。
警察官は同行するが、原則として前面には出ない。
周辺には不測の事態へ備えた人員を待機させる。
相手へは、直ちに入口を引き渡すよう求めず、匿名性と移行条件を説明する。
「拒否された場合は?」
「その場では引きます」
「監視は続ける?」
「危険性に応じて継続します」
「協力しない者を放置することになります」
「協力を拒んだだけで、強制措置へ移ることはできません」
議長役の職員が言った。
「拒絶と攻撃は分けて扱います」
資料の次の項目には、強制措置へ移行する条件が並んでいた。
調査員や周辺住民への攻撃。
人質、監禁、強制的な探索行為。
モンスターや危険な回収品の外部持ち出し。
犯罪組織による占拠。
証拠隠滅を目的とした危険な破壊。
周辺地域への差し迫った被害。
「その場合は、対策室から警察へ引き継ぎます。必要に応じて自衛隊、消防、医療機関と連携し、周辺封鎖と制圧を行います」
「相手が五級以上の身体能力を持っている可能性があります」
防衛省側の出席者が言った。
「承知しています」
「未申告のまま継続して内部へ入っていたなら、現在把握している正式五級より強い可能性もある」
「だから、最初から制圧を目的に接触するべきだと?」
「そうは言っていません。ただ、通常の立て籠もり事案と同じ想定では危険です」
対策室が相手を刺激しないこと。
同時に、相手の能力を過小評価しないこと。
交渉と警戒を両立させる必要があった。
「対策室の目的を明確にしておきます」
議長役の職員が言った。
「未申告者を逮捕することではありません。異常空間を制度へ接続し、周辺への危険を減らすことです」
画面には、高優先対象の十一件が再び表示された。
「見つけ出すことが目的ではない」
一つ目の対象には、山間部の私有倉庫へ夜間に出入りする複数の車両。
二つ目には、出所不明の傷薬を知人へ渡した人物。
三つ目には、廃工場内で繰り返される不審な資材搬入。
「見つけた後、敵にしないことが目的です」
「既に敵対していた場合は?」
警察庁側の担当者が尋ねた。
「その時は、相応に対処します」
会議終了後、広報用動画の試作映像が再生された。
派手な音楽も、制服姿の警察官も映っていない。
落ち着いた声の職員が、相談窓口について説明している。
未申告であったことだけを理由に、直ちに入口を接収することはありません。
匿名での相談が可能です。
安全確認後の利用についても、個別に協議します。
映像が止まった。
「この内容で、名乗り出ると思いますか」
誰かが尋ねた。
情報分析担当者は、高優先対象の一覧を見たまま答えた。
「名乗り出る者はいるでしょう」
「どの程度?」
「分かりません」
三十四件の候補。
その背後に、痕跡を残していない者が何人いるのかは分からない。
「ですが、何も提示しなければ、名乗り出る理由は一つもありません」
画面の隅に、自主申告窓口の開設予定日が表示された。
その下では、未申告異常空間対策室の設置準備が、同じ日付に合わせて進められていた。




