表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
寄生虫と行く現代ダンジョン  作者: 脳タリン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

132/420

第132話 用意された答え

 隔離区画から出られたのは、帰還から三日後だった。

 コールの脚には傷痕すら残っていない。血液検査、画像検査、神経反射、運動機能の測定を繰り返しても、今回の負傷による異常は見つからなかった。

 赤い液体を飲んだことによる副作用も、現時点では確認されていない。

 その結果を聞いたエレナは、安心するより先に医師へ尋ねた。


「現時点では、ですね」


「そうです。未知の物質ですから、長期的な影響については判断できません」


「経過観察は続けます」


 答えたのはコールだった。


 検査着のまま椅子へ座り、採血された腕を押さえている。三日間で抜かれた血の量を数え、途中から文句を言うのを諦めていた。


「次は何を取られる?」


「今日はもうありません」


「その言葉を昨日も聞いた」


「昨日の検査は追加で必要になったものです」


「今日は追加がないことを祈るよ」


 医師が退室すると、入れ替わるようにスーツ姿の男女が入ってきた。


 スポンサー企業の広報担当と法務担当だった。


 グラントは二人が持ってきた資料へ目を落とした。


「会見は午後一時から。予定どおり?」


「はい。主要な報道機関へは既に案内しています」


 広報担当が三人へ薄い冊子を配った。


 表紙には会見の進行予定、その下にはハウンド・スリー帰還報告と書かれている。


「先に、想定される質問と回答方針をご確認ください」


 グラントは最初のページを開いた。


 第四層の危険度について。


 黒い槍の性能について。


 赤い液体を使用した経緯について。


 コールの現在の体調について。


 質問ごとに、推奨される回答が記されている。


「これは誰が答える文章だ」


「皆さんです」


「俺たちの名前で、そっちが作った文章を読むのか」


「表現を統一するためです。情報が錯綜すれば、誤解や模倣行為につながります」


 エレナが冊子をめくる。


 赤い液体についての回答欄で手が止まった。


「緊急時対応手順に基づき、現場判断で使用した」


「何か問題がありますか」


「そんな手順はなかった」


 広報担当の表情は変わらなかった。


「生命に重大な危険がある場合、現場で使用できることは契約書にも記載されています」


「使用を認める条項があっただけです。何を確認して、誰が判断するかという手順は決まっていなかった」


「細部まで説明すれば、企業側が使用を妨害したと受け取られる可能性があります」


「実際、止めようとしたでしょう」


 法務担当が口を挟んだ。


「未知の物質を人体へ投与しようとしていたのです。地上側が慎重になるのは当然です」


「それは理解しています」


 エレナは冊子を閉じた。


「だから、起きたことをそのまま説明すればいい。地上は使用を保留するよう求め、私は救助まで持たないと判断して使った。どちらにも理由があった」


「短い会見で、その差異が正確に伝わる保証はありません」


「正確に伝える努力をするのが、今日の会見じゃないんですか」


 広報担当はすぐには答えなかった。


 コールが横から冊子を覗き込む。


「俺の状態は重度の脚部負傷となってる」


「医療情報を必要以上に公開しないためです」


「脚が千切れかけたって言わなくていいのか」


「千切れかけてはいません」


 エレナが訂正した。


「じゃあ、かなり裂けて骨もやられていた」


「それも推奨しません」


 広報担当が答えた。


「負傷の映像は刺激が強く、赤い液体の効果を過度に印象づけます。既に一部では万能治療薬という表現も使われています。会見では、負傷の詳細よりも、現在は健康であることを強調してください」


「それだと、少し怪我をして薬を飲んだら治ったみたいに聞こえる」


「映像は後日、適切な編集を行ったうえで公開します」


 グラントが顔を上げた。


「編集するのは誰だ」


「映像権は契約に基づき、共同管理となっています」


「共同なら、俺たちの同意なしには出せない」


「安全保障上の問題や、企業機密に該当する部分を除外したうえで――」


「第四層で起きたことが、いつから企業機密になった」


 室内が静かになった。


 グラントは冊子を机へ置いた。


「黒い槍も、赤い小瓶も、そっちが作ったものじゃない。俺たちが見つけて持ち帰った。今回はコールが死にかけ、エレナが使うと決めた。地上が止めようとしたことも含めて、全部が現場記録だ」


「皆さんの行動を否定しているわけではありません」


「なら、整えて別の話にするな」


 広報担当は法務担当と視線を交わした。


「会見そのものを延期することもできます」


「どうして」


「回答方針について合意できない状態で、公の場へ出すことはできません」


「もう記者は呼んでるんだろ」


 コールが尋ねた。


「延期は可能です」


「俺たちの体調を理由に?」


「必要であれば」


 コールは自分の脚を軽く叩いた。


「これはよく動く。会見を休む理由にはならないな」


 午後一時、三人は会見場の舞台裏にいた。


 壁の向こうから大勢の話し声が聞こえる。国内の報道機関だけでなく、海外メディアや動画配信事業者まで集まっていた。


 企業側との話し合いは、結局まとまらなかった。


 会見は予定どおり開く。


 ただし、赤い液体の詳細な使用映像は公開せず、三人は質問に自分の言葉で答える。企業側は、契約上開示できない情報に触れた場合のみ進行を止める。


 妥協と呼ぶには、互いに警戒が残りすぎていた。


「緊張してるか」


 グラントが尋ねる。


「ロデオの決勝よりカメラが多い」


 コールは新しいズボンの上から脚を撫でた。


「でも、牛はいない」


「記者の方が話は長い」


 エレナは腕時計を確認した。


「余計なことは言わないで」


「どこからが余計なんだ」


「今の質問も含む」


 会場へ出ると、一斉にフラッシュが光った。


 三人が席へ着く前から、記者たちは名前を呼び、質問を投げかけてくる。


 司会者が静粛を求め、企業側の説明が始まった。


 ハウンド・スリーは第四層で新たなモンスター二体と遭遇した。コール・マーサーが負傷したが、回収済みの赤色物質を使用して回復。三人は自力で帰還し、現在の健康状態に問題はない。


 説明が終わると、最初の記者が立った。


「マーサーさん、赤い液体を飲んだ直後、どのような感覚がありましたか」


「脚の中が熱くなった。その後、痛みが消えた」


「現在も体調に変化はありませんか」


「採血されすぎて、そっちで倒れそうだ」


 会場に小さな笑いが起きた。


 別の記者が手を上げる。


「ルイスさん。あの液体は、どのような怪我でも治せる万能薬と考えてよいのでしょうか」


「考えないでください」


 エレナは即座に答えた。


「確認できたのは、一本の赤い液体を一人へ使い、今回の負傷が回復したという事実だけです。別の怪我、別の人間、別の量で同じ結果になる保証はありません。安全性も確認中です」


「しかし、重傷が数分で治ったことは事実ですね」


「はい。だからこそ、勝手な使用を勧めるつもりはありません」


「重傷とは、具体的にどの程度だったのでしょうか」


 司会者が回答を制限しようとしたが、エレナが先に口を開いた。


「大腿部の深い裂創と大量出血があり、骨か関節にも損傷があると判断しました。止血を続けても、救助が到着するまで持たない可能性が高かった」


 会場の空気が変わった。


「地上の医療班も、使用を推奨したのですか」


 エレナは一度だけ企業側の席を見た。


「地上からは保留を求められました。未知の物質なので、慎重になる理由は理解できます。私は現場で、待てば死亡する可能性の方が高いと判断しました」


「命令に反して使用したということですか」


「現場の医療判断は私に任されていました」


 グラントが続ける。


「コールを生きて戻すために必要だと判断した。俺も同意した」


「通信を切ったという情報がありますが」


 会場の端で、企業関係者が動いた。


 司会者が次の質問へ移ろうとする。


「事実です」


 グラントが答えた。


「複数の人間が同時に話し始め、現場で必要な情報が聞き取れなくなった。判断を終えるまで送信を止めた」


「スポンサー企業との間に対立があったのでしょうか」


「地上は未知の物質を残したかった。俺たちは目の前の一人を残したかった。それだけだ」


 シャッター音が増えた。


「ヘイルさん。黒い槍についても、企業側と公開方針が一致していないと聞いています」


「聞いた相手に確認してくれ」


「黒い槍には、モンスターの防御を無効化する能力があるのですか」


「無効化という言葉は使わない。第四層の甲殻へ、通常の武器より深く刺さった。確認できたのはそこまでだ」


「次の探索でも使用しますか」


「使える状態なら使う」


「次の探索を行う予定があるのですか」


 グラントは左右を見た。


 エレナは表情を変えない。


 コールは机の下で両脚を動かし、怪我がないことを確かめていた。


「俺たちは第四層の入口を少し歩いただけだ」


 グラントは答えた。


「一人が死にかけ、持っていた赤い小瓶を一本失った。それで攻略したと言うつもりはない」


「では、再挑戦を?」


「条件が整えば戻る」


 企業側が準備していた回答にはなかった言葉だった。


 記者たちの声が重なる。


 次の契約は決まっているのか。黒い槍の所有権は誰にあるのか。赤い液体を再び発見した場合、誰が管理するのか。


 司会者が一度会見を止め、質問を一つに絞るよう求めた。


 コールがマイクへ顔を近づける。


「一つだけ言っておく」


 会場が静かになった。


「赤い薬を探しに第四層へ行こうと思ってる奴がいるなら、先に映像の最初から最後まで見ろ。俺は助かった。でも、あれを飲めるところまで持っていく仲間がいなければ、瓶を持っていても死んでいた」


 隣でエレナがわずかに目を細めた。


 グラントは止めなかった。


「薬だけ持って帰ってきた英雄みたいに書くな。あの二人が連れて帰ったんだ」


 短い沈黙の後、またフラッシュが光った。


 会見終了後、三人は舞台裏の廊下へ戻った。


 広報担当が待っていた。


「合意した回答範囲を超えています」


「どこが」


 グラントが尋ねる。


「通信の遮断、使用判断を巡る意見の相違、再探索の可能性。いずれも事前調整が必要な情報です」


「質問されたから答えた」


「契約には、企業価値を損なう発言を避ける義務があります」


 コールが自分の胸元を見下ろした。企業のロゴがいくつも並んでいる。


「今日、一番映ったのはこれだ。価値は上がったんじゃないか」


「冗談で済む問題ではありません」


「俺が生きてることも宣伝に使うんだろ」


 広報担当が言葉を止めた。


 エレナが間へ入る。


「検査には引き続き協力します。使用記録も渡す。ただし、あの時の判断を企業の手順どおりだったことにはしません」


「今後の契約にも影響します」


「それは契約の時に話しましょう」


 グラントが出口の扉を開けた。


 建物の外には、会見を終えた記者たちが回り込み、三人を待っていた。警備員が通路を作っているが、呼びかける声は途切れない。


 ハウンド・スリー。


 奇跡の生還者。


 第四層の英雄。


 次々に違う名前で呼ばれる。


 企業が用意した車へ乗り込むと、エレナはすぐに広報担当から渡された資料を開いた。次回契約の協議事項と、探索映像の公開範囲がまとめられている。


 車が動き出してからも、彼女は顔を上げなかった。


「次は、今の三人では行かない」


 グラントが声を落として言った。


 コールは隣へ顔を向けた。


「企業の監視役でも連れていくのか?」


「斥候だ」


 グラントは窓の外を見たまま続ける。


「前方の索敵、地形の記録、退路の確認。今回、俺たちは進行方向しか見ていなかった」


「俺が後ろを見てた」


「見つけられなかっただろ」


 コールは言い返さなかった。


 壁の亀裂から伸びた尾に気づいた時には、既に脚を貫かれていた。


「エレナが治療へ回れば、俺は周囲を守る。一人倒れただけで、前を見る人間も退路を確認する人間もいなくなる」


「四層は、三人じゃ足りないってことか」


「少なくとも、今の役割のままではな」


 コールは少し考えた後、口元を緩めた。


「それなら、やっとこのダサい名前から解放されるな」


「おい。それ、気に入ってる奴もいるから気をつけろよ」


「おいおい。まさかグラント、お前、意外とセンスがないのか?」


 グラントは首を横に振った。


 それから、前の座席で資料を読み続けているエレナへ目を向ける。彼女は二人の会話に気づかず、契約書の一文へ線を引いていた。


 コールもその視線を追った。


「まじで?」


「まじだ」


 声を抑えた二人の会話は、走行音に紛れた。


 エレナは振り返らない。


 コールはしばらく黙った後、窓へ身体を寄せた。


「四人目が入っても、名前はそのままか?」


「本人に聞け」


「聞けるわけないだろ」


 グラントは答えず、タブレットを取り出した。


「必要なのは、戦闘が得意な人間じゃない。俺たちより早く異常を見つけて、止まるべき時に止まれる人間だ」


「見つかるのか、そんな奴」


「探すところから始める」


 グラントが候補者資料の請求画面を開く。


 第四層へ戻る意思は、三人とも変わっていなかった。


 次に必要なのは、新しい武器でも追加の報酬でもない。


 三人より先に危険を見つけられる、もう一人の探索者だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ