第123話 生きたまま
戸張は、一定の距離を保ったまま二人の後を追った。亀山の後ろを歩く男は、スマートフォンを見ているように装っていた。歩く速度は一定ではない。亀山との距離が縮まると店の看板へ視線を向け、離れると歩調を速める。尾行に慣れているようには見えなかった。だからこそ、偶然ではないことが分かりやすい。
白いハイエースは男たちより先へ進み、次の交差点を左へ曲がった。駅へ向かうなら直進する道だ。戸張は少し速度を上げた。亀山はまだ気づいていない。肩から撮影機材の入った鞄を提げ、時折スマートフォンを確認しながら歩いている。駅前へ近づけば人通りは増えるが、その手前には店舗の途切れる区間があった。白いハイエースが曲がったのは、ちょうどその付近だ。
男がスマートフォンを耳へ近づけた。
「もうすぐです」
距離があったため、普通なら聞き取れないほどの声だった。戸張には聞こえた。
亀山が交差点を通過する。尾行していた男は電話を切り、少しだけ歩調を速めた。左へ曲がったはずのハイエースが、一本先の細い道から再び現れた。亀山の進行方向へ回り込み、道路脇へ寄せて停まる。後部のスライドドアが開き、男が二人降りてくる。一人は作業着姿で、もう一人は黒い上着を着ていた。どちらも周囲を確認してから、亀山へ近づいていく。
「亀山さんですよね」
作業着の男が声をかけた。
「はい。そうですけど」
「少しお話を聞かせてもらえませんか。取材の件で」
「取材は事務所を通してください。今は受けてません」
「五分だけでいいんですよ」
亀山は男たちと車を交互に見た。さすがに不自然さへ気づいたらしい。立ち止まったまま、道路の反対側へ移動しようとする。黒い上着の男が進路を塞いだ。
「急いでるんで」
「すぐ終わりますから」
「連絡先を教えてください。後で確認します」
後ろから追っていた男が、亀山との距離を詰める。三人で囲む形になった。亀山が振り返り、そこで初めて尾行していた男の存在に気づいた。顔から血の気が引く。
「何ですか、これ」
「騒がないでくださいよ。こっちも荒っぽいことはしたくないんで」
作業着の男が亀山の腕へ手を伸ばした。
「その人、俺と一緒です」
三人が同時に戸張を見る。亀山も目を見開いた。
「戸張さん」
戸張は歩調を変えず、亀山の隣まで進んだ。
「何してるんですか」
作業着の男が面倒そうに眉を寄せた。
「取材ですよ。あんたには関係ない」
「本人が断っています」
「だから、五分で終わるって言ってるでしょう」
男は口では取材と言いながら、亀山の腕を離さなかった。握る位置も強さも、引き止めるというより車へ連れていくためのものだった。
「亀山さん。警察へ連絡してください」
戸張が言った瞬間、黒い上着の男が動いた。上着の内側へ手を入れる。取り出されたのは、短い棒状の物だった。横についたスイッチへ親指をかける。高い放電音が鳴った。スタンガン。
「余計なことすんなよ」
男が戸張へ突き出す。動きは遅かった。戸張は半歩だけ身体をずらし、男の手首を外側から掴んだ。
力を入れすぎないようにする。握り潰さない。関節を壊さない。
手首の向きを変え、肘を曲げさせる。
「痛っ――」
スタンガンが男の手から落ちた。地面に当たり、放電音が途切れる。戸張は掴んだ腕を背中側へ回し、男の体勢を崩した。そのまま足を払うと、男は膝から地面へ落ちた。
「何やってんだ!」
尾行していた男が背後から殴りかかってくる。振り返る必要もなかった。足音と衣擦れで位置が分かる。戸張は一歩前へ出て拳を外し、伸びてきた腕を取った。勢いをそのまま利用し、男の身体を作業着の男へぶつける。二人がもつれ、亀山の腕が離れた。
「下がってください」
「は、はい」
亀山が数歩離れ、スマートフォンを取り出す。
作業着の男は倒れた仲間を押しのけ、戸張へ向き直った。
「お前、何なんだよ」
「通りすがりです」
「ふざけんな!」
男が腰へ手を伸ばす。何かを取り出す前に、戸張は距離を詰めた。胸元を掴み、車体へ押しつける。鈍い音が鳴った。強くしすぎたかと思ったが、男は意識を失っていない。戸張の腕を両手で外そうともがいている。
「警察へ連絡しました!」
亀山の声が響く。ハイエースの運転席にいた男が、こちらを振り返った。
「乗れ! もういい!」
後部座席に残っていた男が、開いたままのドアから身を乗り出す。
「置いてくのかよ!」
「捕まるよりましだろ!」
エンジン音が大きくなり、車が急発進する。開いたスライドドアが揺れ、後部の男が慌てて車内へ引っ込んだ。
「車、撮ります!」
亀山がスマートフォンを向ける。撮影機材を扱ってきただけあり、反応は早かった。逃げていく車体と後部、ナンバーが映る位置まで追いながら撮影する。
戸張もナンバーを記憶した。ただし、見た瞬間に違和感があった。数字の並び以前に、プレートの端が不自然に浮いている。別の車両から外したか、上から何かを重ねている可能性が高い。
「追わなくていいんですか」
亀山が尋ねる。
「車には追いつけません」
本気で走ればどうかは考えないことにした。
足元では、最初に倒した男が起き上がろうとしている。戸張はその背中へ片膝を置き、動きを止めた。
「大人しくしてください」
「ふざけんな、離せ!」
「警察が来るまでです」
「俺らは何もしてねえだろ!」
「スタンガンを持って、人を車へ連れていこうとしたように見えました」
「取材だよ!」
「取材にスタンガンが必要なんですか」
男が黙った。作業着の男も車体へ押しつけられたまま、荒い呼吸を繰り返している。戸張は男の腰へ手を伸ばし、先ほど取ろうとした物を確認した。折り畳まれた黒い布。頭から被せるための袋に見える。反対側のポケットには、太い結束バンドが何本も入っていた。
「取材道具ですか」
「知らねえよ。俺のじゃねえ」
「あなたのポケットから出ましたけど」
「渡されただけだ」
「誰に?」
男は答えない。
遠くからサイレンの音が聞こえ始めた。尾行していた男が、急に暴れた。
「離せ! 俺は見てただけだ!」
「さっき殴りかかってきました」
「こいつらに言われたんだよ! 亀山が店から出たら連絡しろって!」
作業着の男が振り返ろうとする。
「黙れ!」
「お前らが失敗したからだろ! 俺は関係ねえ!」
「誰に言われたんですか」
戸張が尋ねると、男の動きが止まった。
「知らない。直接は知らねえよ」
「何をする仕事だと聞いていました?」
「尾行だけだ」
「車へ乗せようとしているのを見ても?」
「俺は乗せてない!」
「連れていった後は?」
「知らねえって言ってるだろ!」
男は必死に否定していた。だが、その次の言葉だけは隠しきれなかった。
「生きたまま渡さなきゃ、金にならないって聞いただけだ!」
亀山が息を呑んだ。戸張も男を見る。
「誰に渡すんですか」
「知らない」
「いくらです?」
「俺に入るのは――」
「全体で」
男は口を閉ざした。作業着の男が低く唸る。
「それ以上喋るな」
その声で、答えはあるのだと分かった。
戸張が何も言わず見下ろしていると、尾行していた男は耐えきれなくなったように顔を背けた。
「三千万だよ」
亀山の顔から、さらに血の気が引いた。
「三千万……俺が?」
「最大でだ! 俺らが全部もらえるわけじゃねえ!」
近づいてくるサイレンが、はっきりと聞こえる。周囲の店舗からも人が出始めていた。遠巻きにこちらを見ながら、スマートフォンを向けている者もいる。亀山は自分を撮影していた端末を下ろした。
「戸張さん」
「はい」
「これ、さっきまでの騒ぎとは、違いますよね」
戸張はすぐには答えなかった。掲示板の噂や、無責任な取材依頼とは違う。亀山の行動を調べ、訓練終了後を狙い、複数人と車を用意していた。
生きたまま引き渡す。最大三千万円。
その金額が本当かどうかは分からない。だが、信じて動く人間が現れたことだけは事実だった。
押さえつけていた男のポケットから、電子音が鳴った。短い通知音。画面が点灯する。戸張は触れずに、その表示を見た。
送信者名は登録されていない。
文章は一行だけだった。
『確保できたか』
警察車両の赤い光が、道路の先に見えた。




