第120話 モデルケース
戸張透から参加承諾が届いたのは、案内を送付した日のうちだった。
候補日の中から選ばれていたのは、最も早い日程。通常参加だけでなく、訓練後の意見聴取にも応じると回答されている。
「早かったですね」
担当職員が画面を確認しながら言った。
異常空間対策部門の小会議室には、訓練プログラムの担当者と、民間調査員制度に関わる職員が集まっていた。村瀬もその一人として、参加者一覧を手元の端末に表示している。
「案内を見た時間までは分かりませんが、少なくとも迷っている様子はなさそうです」
「断られる可能性も考えていました。廃業倉庫の件で、こちらに警戒しているかもしれないと」
「していない方が不自然でしょう」
村瀬が答える。
「ただ、警戒していることと、制度から離れることは別です。戸張さんは今のところ、こちらとの接点を切ろうとはしていません」
正式五級への移行。追加確認への出席。公式記録への協力。訓練検証への参加。
記録だけを並べれば、戸張は制度への協力姿勢を維持している。
一方で、廃業倉庫奥の異常空間で起きた事件については、未申告の異常物品を使用した疑いが注意記録として残されていた。本人は境界型異常空間で手に入れた透明な液体を使ったと説明したが、現物も容器も確認されていない。
「その注意記録がある人物を、有識者枠へ入れることに問題はありませんか」
訓練担当の一人が尋ねた。
「有識者といっても、訓練を指導させるわけではありません」
村瀬の向かいに座っていた制度設計担当者が答える。
「通常参加者と同じ内容を実行してもらい、終了後に意見を聞く。それだけです」
「肩書きの問題です。疑いのある人間を国が評価したように見える可能性があります」
「では、正式処分を見送った人間を、疑いが残っているという理由だけで協力対象から外しますか」
相手はすぐには答えなかった。
正式な処分はない。しかし信用しきることもできない。制度側にとって扱いづらい位置に、戸張はいる。
「今回の話は、戸張さん一人をどう評価するかというだけではありません」
制度設計担当者が参加者一覧を閉じ、別の資料を表示した。
画面には、正式五級と五級仮登録者に認められている活動範囲が示されていた。国が確認した異常空間の低危険度区域。管理要員が配置された浅い層。決められた時間と装備による訓練、調査、採取。
「現在、五級登録者が制度内で経験できるのは、基本的にこの範囲です。ここだけを見ていれば、五級の中から大きく突出した人物が現れる可能性は低い」
「異常空間内での身体運用変化には個人差があります」
「それを含めてもです。管理区域では、危険な行動を取らせない。深く進ませない。強い敵性生物と長時間戦わせない。制度として当然の運用です」
画面が切り替わる。
未確認入口への侵入事例、通報前に内部へ入った発見者、無断侵入で保護された者。確認された件数だけでも、制度開始後から増え続けている。
「問題は、記録に残っていない側です」
制度設計担当者は言った。
「未申告の入口を見つけ、そのまま個人で使用している者が一人もいないと考える方が不自然です」
「いわゆる、プライベートダンジョンですか」
「民間で使われている呼び方ですね。正式な用語ではありませんが、現象としては想定しています」
山中、廃屋、私有地、使用されていない地下施設。偶然見つけても、通報せずに隠せる場所はいくらでもある。
入口を発見した人間が全員、政府発表どおりに立ち入りを避け、自治体や警察へ連絡するとは限らない。
「中へ入って何かを持ち帰った。身体が以前より動くようになった。敵性生物を倒したら、さらに変化したように感じた。そういう経験をした人間が、申告より先にもう一度入ろうとする可能性は高いでしょう」
「危険性を理解していないからですか」
「それだけではありません」
資料の端に、ダンジョンを題材にした創作作品や、インターネット上で使われている言葉が並ぶ。レベル、スキル、固有能力、覚醒、攻略、隠し部屋。
「日本では、今回の現象に似た創作上の概念が広く知られています。未知の変化を経験した時、それを既存の物語へ当てはめて理解する人間は必ず出ます」
「創作の影響で無謀な行動を取ると?」
「創作に触れている人間が危険だという話ではありません。理解できないものを、知っている形へ置き換えるのは誰でもやることです」
制度設計担当者は、画面に表示された言葉の一つを指した。
「自分にだけ能力が発現した。自分は選ばれた側だ。国へ申告すれば、発見した場所も採取物も取り上げられる。今のうちに一人で強くなった方がいい。そう考える者は出ます」
「現に、無断侵入は止まっていません」
村瀬が補足する。
「今のところ保護できたのは、失敗して戻ってきた人間か、入口を押さえられた人間が中心です。成功している者がいた場合、こちらには見えません」
会議室が静かになる。
失敗した者だけが表に出ている可能性。
制度側にとっては、以前から想定されていた問題だった。
「その中から、本当に通常の範囲を外れた能力を持つ人間が出た場合、どう扱うか」
制度設計担当者が続ける。
「拘束しますか。資格を取り消しますか。入口を隠していたことを理由に、最初から処罰だけを提示しますか」
「違反があれば、処分は必要です」
「必要です。ただし、最初の接触でそれしか示さなければ、次の人間はさらに深く隠れます。能力も、入口も、採取物も申告しなくなる」
違反を見逃すことと、制度へ戻る道を残すことは違う。
自主申告期間や、採取物の申告制度を整備したのも同じ理由だった。隠した人間を全員厳しく排除すれば、制度の外側に人と物が流れる。
「突出した能力を持つ可能性がある個人を、国がどう保護し、制度へ接続するか。そのモデルが必要です」
「保護、ですか」
「能力が確認された瞬間に、研究対象や危険人物として扱われると思わせないことです。氏名や情報を不用意に公開しない。企業や国外勢力による囲い込みを防ぐ。本人の健康状態を確認する。制度内で活動する利益を示す。その代わり、記録や検査、活動条件には応じてもらう」
「野放しにするわけではない」
「当然です。本人にも社会にも危険があるなら、制限は必要です。ただ、制限しか示さない制度には誰も入ってきません」
担当職員が、戸張の記録を改めて開いた。
「戸張さんを、そのモデルケースにするということですか」
「候補の一人です」
断定はしなかった。
制度側は、戸張が未申告の異常空間を個人で確保しているとは知らない。通常より高い能力をどこで得たのかも、そもそも本当に制度外で何かをしているのかも確認できていない。
ただ、公式活動の記録から見ても、戸張の動きは五級の平均から外れ始めている。
「疑いがあるから適任、というのは皮肉ですね」
「疑いしかない人間なら呼びません」
村瀬が言った。
「戸張さんは、少なくともこちらの呼びかけに応じています。現場では指示に従い、帰還後は報告を出す。倉庫の件でも、自分から位置情報を共有し、逃げなかった」
「説明に不自然な部分は残っています」
「残っています。だから注意記録も消していません」
信用したから疑いを捨てるわけではない。
疑っているから排除するわけでもない。
その中間を制度として成立させられるか。それを確かめる対象として、戸張は都合がよかった。
「訓練で能力測定を行う予定はありません」
訓練担当者が確認する。
「通常の記録は取りますが、本人だけに限界まで動かせるような指示は出さない。一般参加者と同じ条件から開始します」
「それで構いません。ただし、彼が簡単に成功したからといって、その動作を五級全体の標準にはしないでください」
「再現性は別に確認します」
「戸張さんには、実行可能性だけでなく、一般参加者に要求する内容として無理がないかを見てもらう。前へ出る人間が強すぎる場合に、後続へどんな問題が出るかも確認したい」
確認事項が一つずつ追加されていく。
表向きには、民間活動者を対象にした試行訓練だった。
集団での移動、撤退、負傷者への対応、記録担当を含む隊列の維持。今後、登録者が活動するために必要な内容を確認する。
その中で、戸張のような人物を制度内に置き続けられるかも試される。
「戸張さんを信用したから呼ぶ、という説明では弱いと思います」
最初に疑問を出した職員が言った。
「その説明をするつもりはありません」
制度設計担当者が答えた。
「信用できるか確認するためにも、関係を切らないんです」
「もし、こちらが考えている以上のものを隠していたら?」
「それでも同じです。こちらから扉を閉めれば、向こうは別の入口を使うだけです」
村瀬は画面に表示された戸張の参加承諾を見た。
最も早い日程。
意見聴取にも協力。
制度側から見れば、まだ扉は開いている。
その向こうに何が隠されているのかは、誰も知らなかった。




