第118話 懸賞金
映像は、白い群体が水路へ消える直前で止められた。
画面の中央には亀山が立っている。周囲には倒れた敵性生物と、制圧後も僅かに蠢いている白い小型個体。亀山自身は何もしていないように見えた。手を振ったわけでも、声を発したわけでもない。ただ群体は人間を避け、最後に彼の姿を観察してから撤退した。
中国国内の異常空間研究施設、その会議室に集められた十数人も、その点で意見が割れていた。
「再生を」
同じ場面が繰り返される。
白い群体は傷口や口、脚の付け根へ入り込み、敵性生物の動きを奪っていく。一体では小さい。踏めば潰せそうな個体が、数を増やし、相手の弱い部分だけへ集中していた。
画面の端には逃げる人間の足が映っている。しかし群体は、そこへ向かわない。
「人間全体を避けているようにも見えます」
「それでは、最後に対象を観察した理由が説明できない」
「観察とは限りません。匂い、体温、付着物。何らかの識別情報を確認した可能性があります」
「対象本人が命令を出した痕跡は」
「映像と音声からは確認できません」
答えた研究員が資料を切り替えた。
画面に亀山の経歴が表示される。異常空間との関係を持つ以前は、昆虫や両生類、淡水魚を扱う配信者だった。軍歴も研究職の経験もなく、特殊な訓練を受けた形跡もない。水門での遭難をきっかけに日本政府の記録協力者となり、現在は管理下の異常空間へ同行する立場にある。
「日本政府の声明では、特定個人が群体を操作した事実は確認されていない」
「確認されていないだけです」
「本人も否定しています」
「本人が仕組みを理解しているとは限らない」
会議の奥に座っていた男が口を開いた。
「可能性を整理しろ」
研究員が資料を一枚進める。
「第一に、対象が群体を何らかの方法で操作している。第二に、対象は操作していないが、群体から保護対象として認識されている。第三に、対象の身体や装備へ、群体が識別する物質が付着している。第四に、映像に映っていない別の要因が存在する」
「どれが最も可能性が高い」
「現時点では判断できません」
「では、何があれば判断できる」
研究員は少し間を置いた。
「本人の血液、毛髪、皮膚片。水門で使用した装備。群体と接触する前後の検査記録。可能なら、同一空間内での反応観察です」
最後の一項だけ、会議室の空気が変わった。
「日本側へ共同研究を打診しているはずだ」
「回答はありません。群体は未分類の危険生物として接触禁止になっています。対象本人についても、能力者として扱っていないという立場を崩していません」
「では、正式な照会は継続しろ」
男は机の上の資料を閉じた。
「国外から得られる情報については、予算枠を広げる。映像、試料、装備、医療記録。検証できるものであれば買い取れ」
研究部門の人間が顔を上げる。
「本人への接触も含まれますか」
「こちらから違法行為を指示することはない」
明確な答えには聞こえなかった。
「必要なのは、再現可能な情報だ。入手経路の判断は、現地の協力者へ任せる」
議事録には、国外情報収集予算の増額としか残らなかった。
最初の依頼書は、慎重な文面で作られていた。
対象者の公開情報。未公開映像。水門で使用された機材や装備。本人に由来すると確認可能な生体試料。それぞれに報酬が設定され、入手方法については各国の法令を守るよう注意書きが添えられていた。
それが国外の調査会社へ渡り、別の研究仲介業者へ転送される頃には、注意書きが消えていた。
依頼を受けた側にとって、依頼主が本当に欲しがっているものは明らかだった。髪の毛一本より血液。血液より本人。装備だけより、群体と接触した状態を直接観察できる方が価値は高い。
仲介業者は、正式な依頼書とは別に成功報酬を付けた。
住所や行動予定の確認には数十万円。
本人由来と確認できる血液や組織片には数百万円。
管理されていない環境下での能力発動映像には、さらに上乗せ。
短時間の身柄確保には一千万円。
国外へ移送可能な状態での引き渡しには、最大三千万円。
依頼主の欄には、中国の政府機関も研究施設も記載されていない。登録地だけが存在する小さな研究財団と、数社の仲介会社が並んでいた。
それでも、裏で情報を売買する人間には分かった。
ただの民間企業が、正体不明の配信者一人へ出す金額ではない。
国家が欲しがっている。
その噂だけで、依頼の価値はさらに膨らんだ。
ある仲介人は、受け取る予定の金額から自分の取り分を引き、別の人間へ流した。次の人間も同じことをした。依頼は細かく分割され、対象の住所を探す仕事、行動を記録する仕事、使用品を盗む仕事、本人へ接触する仕事として売り出された。
中には、最初から身柄を確保する必要はないと考える者もいた。
髪や使用済みの衣服だけでも金になる。移動経路を売るだけなら、直接顔を合わせる必要すらない。
だが、満額の数字を見れば別の考えも浮かぶ。
細かい情報を集めるより、生きた本人を引き渡した方が早い。
裏の情報交換所に、亀山の写真と報酬額が掲載された。
公開映像から切り取られた顔には赤い枠がつけられている。説明欄には、白い群体を操作する可能性を持つ日本人能力者と記されていた。
証拠は必要ない。
依頼を見る人間に、そう思わせれば十分だった。
日本国内でその情報を見つけた男は、最初に金額を数え直した。
「これ、円にしたらいくらだ」
隣にいた男がスマートフォンの画面を覗き込む。
「満額で三千万くらい」
「このおっさん一人で?」
「生きたまま引き渡せたらな。住所だけでも金は出る」
三人目の男は、画面に添付された映像を再生していた。
水路から白い群体が溢れ、巨大なカエル型の身体へ取りつく。敵性生物が倒れた後、群体は人間の足元を避け、亀山の前で動きを止める。
「こいつ、本当に操ってんのか?」
「だから高いんだろ」
「外で使えるなら、近づいた時点で俺たちもこうなるぞ」
「使えるなら、とっくにもっと派手にやってる。映像でも立ってるだけじゃねえか」
亀山が何度も否定していることも、説明欄には書かれていた。
男たちはそれを、能力を隠すための嘘だと受け取った。
「国の仕事に出てるんだろ。警備は」
「撮影の時だけだ。普段まで自衛隊がついてるわけねえ」
「ただの配信者だったんだろ?」
「ああ。虫とか魚とか撮ってた奴らしい」
画面を操作していた男が笑った。
「じゃあ簡単じゃねえか」
三人目の男だけは笑わなかった。
「簡単なら、なんで俺たちまで話が回ってくるんだよ」
その言葉で、少しだけ静かになる。
依頼はすでに複数のグループへ流れていた。住所を売るだけの者もいれば、本人の使用品を狙う者もいる。最初から満額を狙い、身柄を押さえようと考える者もいた。
失敗しても依頼主は困らない。別の人間が続くだけだった。
「先に動いた奴がいるかもしれねえな」
「なら、まず住んでる場所だけでも押さえるか」
「それを売るのか?」
「三千万取れそうなら、そのまま連れていくだろ」
画面には、亀山の過去の配信、公式記録映像、本人が出演を告知した番組が並んでいる。
どれも公開情報だった。
男は最も新しい亀山の写真を保存し、依頼の受諾欄を押した。
同じ頃、別の場所でも、同じ依頼が開かれていた。
金に困った窃盗団。国外逃亡を考えている犯罪者。能力者を捕まえるという話に興奮した半グレ。亀山を有名人としてしか知らない者たちが、同じ金額を見て動き始める。
全員が最初から拉致を考えていたわけではない。
行動予定を調べるだけ。
使用済みの物を盗むだけ。
髪の毛か血液を手に入れるだけ。
そう考えて依頼へ近づき、満額三千万円の数字を見て、その先を考え始める。
依頼を出した側が求めていたのは、検証可能な情報だった。
仲介人が欲しいのは、手数料だった。
末端の男たちが見ているのは、亀山につけられた値札だけだった。
その誰も、白い群体が本当は何に従って動いているのかを知らなかった。




