第116話 大蛇
大蛇が鎌首をもたげるにつれ、重なった鱗が擦れ、低い音が空間全体へ広がった。床に積もった骨が長い胴体に押され、乾いた音を立てて崩れていく。
頭部だけでも小人たちの住居より大きい。三層で戦ったリッチのような、近づくこと自体を拒みたくなる異様さはなかったが、純粋な質量なら比較にもならない。
「連れてこられた理由は、こいつか」
長い舌が口元から伸び、空気を舐めるように揺れた。体内の寄生体から伝わる警戒が強まり、直後、大蛇の頭部が視界から消えた。
身体が先に横へ動く。
さっきまで立っていた場所へ頭部が叩きつけられ、積もっていた骨がまとめて弾け飛んだ。避けた先へ首が振られる。後ろへ下がるのでは間に合わないと感じ、床を蹴って大蛇の頭上を飛び越えた。
着地と同時に山刀を振り下ろす。
刃は鱗の表面を割ったが、肉まではほとんど届かなかった。大蛇が頭を振り上げ、山刀ごと身体を持っていかれそうになる。柄から手を放して距離を取ると、山刀は鱗の隙間へ刺さったまま大きく揺れた。
「硬いな」
大蛇は首を石柱へ擦りつけ、山刀を弾き落とした。床へ滑っていく刃を追う間もなく、太い尾が横から迫る。
寄生体が動いた。
皮膚の下から白い筋が浮かび、左肩から脇腹へ滑らかな外殻が広がる。右腕の前面と、踏ん張った左脚にも断片的な白い層が重なったが、全身を覆うほどの量はない。
尾が白い外殻へ衝突した。
身体が床を滑り、骨の山へ押し込まれる。肩と脇腹を覆った部分には細い亀裂が走ったものの、骨まで砕かれた感覚はなかった。
外殻の端から白い欠片が剥がれ、床へ落ちる。欠片は動かず、徐々に輪郭を失っていった。
以前より薄い。
リッチ戦で使い、ここへ来るまでにも消耗した。残っている素材だけでは、守れる箇所を選ぶしかないらしい。
大蛇の口が開いた。
上顎から伸びた二本の牙の間に、黒緑色の液体が溜まっている。寄生体から強い拒絶が伝わり、俺は咄嗟に右手を前へ出した。
水が生まれる。
手のひらの前へ広がった水の膜に、大蛇が吐き出した液体がぶつかった。黒緑色の飛沫が左右へ散り、床に触れた箇所から白い煙が上がる。骨の表面が泡立ち、見る間に崩れていった。
「毒だけじゃなさそうだな」
全部を防げたわけではない。水で薄め、横へ流しただけだ。腕には重い疲労が残り、同じ量を何度も出すのは厳しそうだった。
大蛇が再び口を開く。
今度は受けず、指先へ火を集めた。生まれた炎を顔へ飛ばすと、狙った目から少し外れ、鼻先の鱗で弾けた。
傷にはならない。それでも大蛇は頭をのけぞらせ、酸を吐く動きを止めた。
「狙いは、まだ駄目か」
使えることと、使いこなせることは違う。
大蛇が苛立ったように胴体をうねらせた。床を覆っていた長い身体が左右から迫り、俺を囲もうとする。後ろには石柱があり、正面には大蛇の頭がある。
逃げ道を潰してから締め上げるつもりらしい。
石柱へ向かって走り、床を強く蹴る。柱の中ほどへ手をかけ、さらに上へ身体を引き上げると、その下で大蛇の胴体が閉じた。
太い身体が柱へ巻きつき、石が軋む。
俺は柱を蹴り、大蛇の背中へ飛び移った。鱗は硬く滑りやすい。隙間へ短棒を差し込み、振り落とされないように身体を支える。
大蛇はすぐに気づき、背を激しく波打たせた。
白い外殻が左手と前腕へ集まり、短棒を握る指を固定する。右側には回せない。限られた白いものを、必要な場所へ集めている。
空いた右手を鱗へ押し当てた。
火では表面を焼くだけだった。水を使っても、この巨体を押し流せるとは思えない。
残るのは雷だ。
手のひらの奥が痺れ、指の間を青白い光が走った。そのまま押し込むと、大蛇の身体が大きく跳ねた。
鱗の隙間を細い光が走り、巨体の各所で火花が弾ける。俺の右腕にも衝撃が返り、肘から先の感覚が一瞬消えた。
大蛇の胴体が柱から外れ、頭部が床へ落ちる。
完全には止まっていない。それでも、動きは明らかに鈍くなった。
背中から飛び降り、骨の間に落ちていた山刀を拾う。大蛇は首を持ち上げようとしていたが、筋肉が思うように動かないらしく、頭が何度も床へ落ちた。
最初に割った鱗が見える。
首の側面。鱗が一枚剥がれ、その下の黒い肉が露出していた。
大蛇の瞳がこちらを向く。
再び口が開き、牙の間へ黒緑色の液体が集まった。
正面から走る。
寄生体から危険が押し寄せたが、足は止めなかった。大蛇が液体を吐く直前に横へ踏み込み、頭部の脇へ回る。
左肩と胸、右前腕へ白い外殻が形成される。飛び散った黒緑色の液体が外殻の端へ触れ、表面から煙が上がった。
焼けるような痛みは伝わってこない。代わりに、白い層が急速に薄くなっていく。
長くは保たない。
山刀を露出した肉へ突き立てた。
刃が深く沈み、大蛇が頭を振り上げる。柄を握ったまま身体ごと持ち上げられたが、左腕を覆う外殻が肘と手首を固め、指が離れるのを防いだ。
山刀を通して雷を流す。
赤錆びた刃を中心に、青白い光が弾けた。
大蛇の巨体が硬直する。長い胴体が床を叩き、骨の山を崩しながら暴れ回った。山刀を握った両腕へも雷が逆流し、筋肉が勝手に縮む。
それでも力を止めなかった。
やがて大蛇の口が大きく開き、身体から力が抜ける。
頭部が傾いたところで山刀から手を放し、床へ飛び降りた。直後、巨大な頭が骨の上へ落ち、空間全体が揺れる。
長い胴体はしばらく痙攣していたが、もうこちらへ向かってこない。
右腕の痺れを確かめながら近づき、首へ刺さった山刀を引き抜く。黒い血が刃を伝い、焼けた肉の匂いが広がった。
大蛇は十分に危険だった。
ただ、リッチの時とは違う。攻撃を見て避け、硬い場所を避け、通る場所へ刃を入れた。今の俺でも正面から届く相手だった。
「魔術がなければ、もっと面倒だっただろうけどな」
体内の寄生体から、安堵に近い感覚が伝わってくる。その直後、大蛇へ向けた欲求が急速に強まった。
止める理由はなかった。
「好きにしろ」
言葉が通じたわけではないだろう。それでも寄生体は、拒絶されなかったことを感じ取ったらしい。
大蛇の首に開いた傷から白い糸が入り込む。続いて鱗の隙間や口、潰れた片目へ広がり、巨体の内側へ潜っていった。
大蛇の身体が一度だけ大きく震えた。
死んだはずの胴体が僅かに持ち上がり、すぐに床へ落ちる。鱗の下を白いものが走り、黒い肉が内側から崩れていく。
リッチの核を吸収した時のような、急激な変化は起こらなかった。
新しい感覚も、魔術のような明確な使い方も浮かばない。ただ寄生体から伝わる満足だけが、以前よりはっきりしていた。
「食べただけか?」
返事はない。
使い道があるとしても、今の俺には分からないらしい。
大蛇の身体が少しずつ萎み、太い骨と鱗だけが残り始めた頃、床の奥で石が動く音がした。
大蛇が囲んでいた場所から、黒い石の箱がせり上がってくる。
蓋を開けると、赤い液体の入った小瓶と、灰色の胸当てが収められていた。
小瓶は、暗渠で手に入れたものとよく似ている。色も大きさもほとんど同じで、少なくとも同じ系統の品には見えた。
胸当ては金属に見えるが、持ち上げると予想より軽い。表面には大蛇の鱗を重ねたような模様が刻まれ、裏側には留め具らしいものがない。
「装備品ってことでいいんだろうな」
効果は分からない。
黒い脚絆と同じなら、身につければ何か起こるのかもしれないが、今ここで試す必要はない。小瓶をしまい、胸当てを片腕に抱える。
背後から、石扉が開く音がした。
青い仮面の小人が、扉の隙間から恐る恐る中を覗いている。俺と大蛇の残骸を交互に見た後、ゆっくりと部屋へ入り、その場で膝をついた。
額が床へ触れるほど深く伏せる。
その後ろから、別の小人たちも次々に入ってきた。
全員が同じように伏せるのかと思ったが、違った。
一体が大蛇の残骸を見て甲高い声を上げると、後ろにいた小人たちが一斉に騒ぎ始めた。両手を上げて跳び回る者、隣の個体と抱き合う者、持ってきた陶器の器を打ち鳴らす者までいる。
さらに外から小人が押し寄せ、石扉の向こうまで歓声が広がっていく。
青い仮面だけは床へ伏せたままだった。
その背後では、子供らしい小さな個体が四本脚の陶器人形へ跨がり、周囲を走り回っている。誰かが黒い実を放り投げ、別の誰かがそれを仮面で受け止めようとして失敗した。
さっきまでの厳粛な空気は、跡形もない。
「お祝いムードか」
誰にも通じない声が、歓声にかき消された。
青い仮面はなおも俺へ頭を下げ、その後ろでは器が割れたらしい音と、さらに大きな歓声が上がった。
どうやら、静かに帰らせてもらえる雰囲気ではなかった。




