第114話 相性が悪い
横から飛んできた火の塊を、半歩下がって避けた。人の頭より小さい炎が背後の石壁にぶつかり、乾いた音とともに弾ける。熱気が首筋を撫でたが、さっきまで浴びていたものと比べれば、火花に近い。
正面から突き出された短槍を山刀の腹で払い、陶器の仮面をつけた小柄な個体の懐へ入る。肩を押しただけのつもりだったが、灰色の身体は足を浮かせ、背後の仲間を巻き込みながら石畳を転がった。
力加減が、まだ合っていない。
倒れた二体の横を、四本脚の陶器人形が走り抜けようとする。膝ほどの高さしかない。山刀を振るには低すぎたので、右足で踏みつけると、陶器の胴が甲高い音を立てて砕けた。中から細い金属線が飛び出し、痙攣する脚を無理に動かそうとしていたが、もう前には進めない。
短い杖を持った個体が、両手で杖を突き出した。空気が押し固められたような衝撃が胸へ届く。足を止めるほどでもなく、そのまま近づくと、俺と杖を交互に見た仮面の奥の目が大きく開いた。
そいつの前へ、小盾を持った二体が割り込んだ。
守ろうとしている。
山刀を横へ振り、盾ではなく短槍の穂先をまとめて叩き落とす。返す刃を止め、柄頭で片方の仮面を殴ると、陶器が割れて灰色の顔が露出した。鼻の低い、皺の深い顔だった。口を大きく開け、声にならない息を吐きながら崩れ落ちる。
もう一体は盾を捨て、術士らしい個体の外套を掴んで走り出した。倒れた仲間を助けようとはせず、細い路地へ逃げ込んでいく。周囲に残っていた個体も、それに続いた。
「逃げるのか」
追おうとして、右足が止まった。
自分で止めた感覚ではなかった。足を踏み出そうとした瞬間、体内の白いものが強く縮み、危険に近い感覚が頭の中へ浮かんだ。
路地の入口を見る。石畳には砂と黒い煤が薄く積もり、その一部だけが不自然に平らだった。左右の壁には、俺の胸と首の高さに小さな穴が並んでいる。
落ちていた陶器の破片を拾い、平らな場所へ投げた。
石がわずかに沈む。
壁の穴から、細い金属の棒が一斉に飛び出した。破片の上を通過し、反対側の壁へ深く突き刺さる。一発では終わらず、少し遅れて腰の高さからも二列目が飛んだ。
「二段か」
先に逃げた二体は、石畳の端にある細い縁を踏んで通り抜けていた。追う側だけが中央を踏むように作られているらしい。
罠があるとは考えていた。生活しているように見える集落なら、侵入者を防ぐ手段があってもおかしくない。ただ、気づいたのは俺ではない。
足を止めた寄生体から、危険だという感覚が先に来た。その後で、壁の穴や石畳の違いが目に入った。
以前なら違和感を覚えても、何がおかしいのか探す時間が必要だった。今は、目や耳や足裏から入ったものが、俺の意識へ上がる前に整理されているような感覚がある。
石畳の端を歩いて路地を抜ける。逃げた二体の姿は見えなかったが、代わりに、曲がり角の手前でまた足が止まった。
今度は左側だった。
壁へ山刀の先を近づける。石を積んだだけに見えたが、隙間から僅かに風が流れている。奥に空間がある。
一歩下がり、道端に置かれていた壺を蹴った。壺が曲がり角へ転がった直後、壁の一部が内側へ倒れ、隠れていた三体が飛び出してきた。そのうち二体は短槍を構え、残る一体は太い縄を両手で引いている。
頭上で石が擦れる音がした。
後ろへ跳ぶと、路地を横切るように石の梁が落ちた。逃げ遅れた短槍持ちの一体が巻き込まれ、外套だけを残して下敷きになる。
俺を前後に分けるための罠らしい。後ろに仲間がいれば、石梁を挟んで分断されていた。
縄を持った個体が固まり、短槍を持ったもう一体が背中を向けた。逃げ出す前に横へ回り込み、山刀の柄で後頭部を殴る。縄持ちは抵抗せず、縄を放して両手を頭の前へ上げた。
降伏かどうかは分からない。
少なくとも、今すぐ攻撃するつもりはなさそうだった。俺が道を空けると、そいつは倒れた仲間も武器も放置し、建物の間へ走り去った。
追わずに石梁を見る。道を完全に塞ぐほどではなく、一人なら横の隙間を通れる。大人数なら、前に出た数人だけが取り残され、後ろは通過に時間がかかるだろう。
集団を止めて、ばらすための仕掛けだ。
その先でも、同じようなことが続いた。
石畳の下に空洞がある場所では、寄生体が足裏に伝わる僅かな反響を拾った。短棒で叩くと床が崩れ、底に並べられた黒い杭が現れた。穴自体は狭かったが、前の人間が落ちれば、後ろから押された者も続けて落ちる幅がある。
建物の間に張られた糸は、俺の目では光の加減が変わるまで見えなかった。だが、寄生体は空気の揺れか匂いの違いを拾ったらしく、近づく前から拒絶に近い感覚を伝えてきた。
糸へ石を投げると、左右の屋根から網が落ち、その上へ壺が三つ続けて投げ込まれた。割れた壺から出た黒い粉が舞い、鉱石灯の火へ触れた途端、路地全体が炎に包まれる。
網に捕まった人間をまとめて焼くつもりだったのだろう。
炎が消えるまで待ち、煤の積もった路地へ入る。壁の陰から小型の火弾が飛んできたが、見てからでも避けられた。隠れていた術士の腕を掴み、杖を取り上げる。杖は細い骨か木のような材質で、俺が握っただけでは何も起こらない。
術士は取り返そうとせず、その場に尻をついて後ずさった。
「これはお前らが作ったのか?」
聞いても返事はない。言葉が通じないのか、答える気がないのかも分からない。
杖を足元へ放ると、術士はすぐに拾った。俺ではなく逃げ道を見ながら立ち上がり、外套を引きずって走っていく。
敵自体は、相手になっていない。
それでも、この集落へ複数人で入れば話は変わる。前を歩く人間が罠を踏み、避けようと散った者が別の罠にかかる。石梁で隊列を切られ、動けないところへ火や槍が飛んでくる。誰か一人が見つけても、後ろの全員へ伝わるまでには時間がかかるし、十人いれば十人分の足元を確認しなければならない。
俺は一人だ。
正確には、もう一人とは言い切れないものが体内にいる。だが、動く身体は一つで、危険を感じた瞬間には足が止まる。声を出して伝える必要も、判断を待つ必要もない。
寄生体が罠の意味を理解しているのかは分からない。ただ、危険を見つけ、それがどこから来るのかを、以前よりはっきり俺へ渡している。
また右足が止まった。
目の前には、何もない広場がある。中央に炉が一つあり、その周りへ割れた陶器が散らばっていた。向こう側には仮面をつけた小柄な個体が三体立ち、短槍を振ってこちらを挑発するような動きを見せている。
分かりやすい。
広場の石畳をよく見ると、炉を中心に円を描くような細い溝が走っていた。淡い青色の鉱石が、溝の中へ等間隔に埋め込まれている。
陶器の破片を投げても反応しない。短棒も投げてみたが、何も起こらなかった。
重さか、生き物に反応するのか。仕組みまでは分からない。
ただ、入るなという感覚は消えなかった。
広場の端を見回し、脇に積まれていた石を一つ持ち上げる。両手で抱えるほどの大きさだったが、今の身体には軽い。それを中央の炉へ投げつけた。
石が炉を砕いた瞬間、地面の溝から青白い光が噴き出した。細い光が広場を何度も横切り、残っていた陶器を焼き切る。挑発していた三体は反応する前に背を向け、建物の奥へ逃げ込んだ。
光が収まるまで待ち、砕けた炉の横を通る。寄生体から伝わっていた拒絶感も消えている。
「このフロア、大人数で入ったらまずいけど、俺たちとは相性が悪いな」
返事はなかった。
代わりに、警戒とも満足ともつかない感覚が小さく動く。俺の言葉を理解したわけではないだろう。罠を避けられたことか、先へ進めることへの反応なのかもしれない。
それでも、俺たちと言ったことを訂正する気にはならなかった。
広場の先には、他より少し大きな石造りの建物があった。入口の左右に陶器人形が並んでいたが、俺が近づく前に、四本の脚を鳴らして中へ逃げていく。
それまで集落の奥から聞こえていた金属を叩く音も、いつの間にか止まっていた。
入口の暗がりで、陶器の仮面が一つだけこちらを覗き、すぐに引っ込む。
今度は、誰も出てこなかった。




