第111話 上書き
最初に動いたのは、一番近い壁のくぼみに座っていた個体だった。
膝を抱えていた腕が石を擦り、乾いた頭が持ち上がる。続いて隣、そのさらに奥でも、色の抜けた布に包まれた人型が姿勢を変えた。通路の左右に並ぶくぼみから、一体ずつ床へ足を下ろしていく。見える範囲だけで七体。奥にもまだ影があった。
倒した三体の中へ潜っていた白いキノコが、皮膚の裂け目から姿を現し始めた。眼窩から細い糸が垂れ、口の隙間から白い傘が押し出される。元の群れより小さく、柄も細い。乾いた肉体から取れるものが少ないのか、使った数ほどには戻っていなかった。
山刀を持つ個体が前へ出る。脇腹を補修された大柄な個体がその横へ並び、残りの三体が俺の前後へ分かれた。赤い小瓶を持つ個体だけは後ろへ下げている。
壁のくぼみから出た乾いた人型は、こちらへ駆けてはこなかった。短槍を持つ二体が前へ並び、その間を盾持ちが埋める。後ろには素手の個体と、先端が鉤状になった棒を持つ個体が続いた。通路の幅に合わせ、互いの武器がぶつからない間隔を取っている。
増えれば動きが乱れると思ったが、逆だった。
「下がる」
寄生ゴブリンたちが数歩ずつ後退した。乾いた人型は隊列を崩さず追ってくる。壁のくぼみが途切れ、少しだけ通路が広がる場所まで引きつけてから、俺は床へ石を投げた。
先頭の槍持ちが石へ反応した瞬間、大柄な個体が正面から体をぶつける。槍の穂先が白い筋の残る脇腹を掠め、乳白色の硬い部分にひびを入れた。もう一体の槍が首へ伸びる。
大柄な個体の肩に残っていた白いキノコが一斉に崩れた。糸が首の横へ集まり、薄い板を重ねたような白い殻を作る。穂先が殻へ当たり、表面を削りながら外へ逸れた。
俺が命じたわけではない。
だが、何が起きるかは分かっていた。
山刀が槍の柄を断ち、残りの個体が盾持ちの両腕へ掴みかかる。俺は横から鉤棒持ちへ石を投げた。顔に当たっても止まらなかったが、狙いが逸れた隙に短棒で膝を打ち抜く。関節が逆へ曲がっても倒れず、鉤を振り回してきたため、白い糸を腕へ巻きつけて壁へ引いた。
乾いた皮膚が裂け、骨が壁へ当たる。
背後で短い音がした。振り返ると、後方の壁のくぼみから遅れて出てきた一体が、赤い小瓶を持つ寄生ゴブリンへ刃物を突き出している。
間にいた寄生ゴブリンが腕を差し入れた。刃が前腕へ食い込み、骨に当たって止まる。
その肩には、白いキノコが二つ残っていた。
「そこを頼む」
言ってから、自分が何を頼んだのか理解した。
白い傘が潰れ、糸が傷ついた腕へ広がる。刃の周囲で絡み合い、前腕の外側へ細長い白い板を作った。寄生ゴブリンが腕を捻ると、板に挟まれた刃が折れた。
そのまま敵の首を掴み、壁へ何度も打ちつける。乾いた頭部が割れ、動きが止まった。
俺が使った。
残っていたものを減らし、別の一体を守った。
考えている余裕はなかった。山刀持ちへ短槍が二本同時に向き、大柄な個体の脇腹を覆っていた白い殻も砕け始めている。
通路の両側から白い糸を伸ばし、槍持ちの手首へ絡ませる。片方を手前へ引くと隊列が崩れ、大柄な個体が生じた隙間へ踏み込んだ。白い殻の残る肩で一体を壁へ押しつけ、拳を顔面へ叩き込む。山刀が二体目の腕を落とし、別の寄生ゴブリンが盾持ちの脚へ組みついた。
立っている敵が残り二体になったところで、後ろにいた素手の個体が俺へ向きを変えた。寄生ゴブリンの間を抜け、折れた腕をぶら下げたまま近づいてくる。
短棒を頭へ振り下ろした。骨が割れても手が伸びてきたため、二度目は首へ打ち込む。傾いた頭を白い糸で引き、床へ倒れたところを踏みつけた。
最後の一体が山刀で胸から斜めに切り裂かれ、壁へ崩れる。
動いているものがいなくなると、白いキノコはすぐに倒れた乾いた人型へ移った。眼窩、口、胸の裂け目から内部へ入り、残っていた肉や筋をほどいていく。しばらく待つと、小さな白い傘がいくつか戻ってきたが、外骨格と補修に使った分を埋めるほどではなかった。
食べれば増える。それでも、全部が戻るわけではない。
寄生ゴブリンの首や腕に残った白い殻も、傷一つない状態には戻らなかった。槍を受けた箇所には欠けとひびがあり、指で触れると薄い石のような硬さがある。
俺は乾いた人型の列を見た。奥のくぼみにはまだ何体か残っているが、動き出す様子はない。一定の距離まで近づくか、音や戦闘に反応する範囲が決まっているのかもしれない。
「行こう」
今度は、近づく前に配置を確かめた。槍を持つ個体がいる場所では大柄な個体を正面へ置かず、山刀で柄を狙わせる。盾持ちは二体で左右から押さえ、素手の個体は俺の前へ出さない。白いキノコは乾いた床を歩かせず、寄生ゴブリンの肩や服の隙間へ分けて乗せた。
戦闘は何度か起きたが、最初ほど手間取らなかった。壁のくぼみから出られる数には限りがあり、動き出す前に武器を奪えた個体もいる。倒すたびに白い群れが死体へ入り、わずかに数を戻す。傷が増えれば、その分だけまた減った。
俺も一度、短槍で左肩を掠めた。皮膚が裂けた感覚の直後、服の中にいた白いものが傷へ向かおうとしたため、手で押さえて止めた。
「これはいい」
寄生体だけで塞げる程度の傷だった。白い糸が内側から皮膚を寄せ、出血を止める。足元へ落ちかけた小さなキノコは、しばらく俺の手を見上げるように傘を傾けてから、服の隙間へ戻った。
俺と寄生ゴブリンで扱いが違うのか、それとも俺が止めたから従っただけなのかは分からない。
三層は一層や植物エリアほど入り組んでいなかった。直線の通路と四角い部屋が続き、壁には同じ形のくぼみが並んでいる。曲がり角をいくつか越えると下り階段があり、その先では天井が高くなった。
途中の部屋には、乾いた人型が道具を並べていたような石台が残っていた。錆びた刃、崩れた壺、細い金属棒。使えそうなものは見当たらず、調べる時間も取らなかった。
進むほど壁のくぼみは大きくなり、中に座る個体の装備も変わっていった。槍の穂先が長くなり、盾には骨片が貼りつけられている。中には胸を白い布で何重にも覆った個体もいた。
それでも、止まるほどではなかった。
弱点も、動き出す距離も、通路での並び方も分かり始めている。傷つけば白い群れが補い、倒した敵から少しだけ材料を取り戻す。俺たちは減りながら、減った分を拾い、三層の奥へ進んだ。
やがて、通路の先に両開きの石扉が現れた。
扉は完全には閉じておらず、人一人が通れるほどの隙間が空いている。内側から冷たい空気が流れ、わずかに金属が焼けたような臭いがした。
山刀を持つ個体が隙間へ近づく。俺は止め、先に中へライトを向けた。
広い部屋だった。
天井はこれまでの通路より高く、太い石柱が左右に並んでいる。床の中央には色の抜けた長い布が敷かれ、その奥に大きな石の椅子が置かれていた。
椅子の前に、一体の乾いた人型が立っている。
二メートルを超える背丈があり、骨格もこれまでの個体より太い。全身へ白茶けた布を巻き、その上から何体分あるのか分からない骨片を重ねて防具にしていた。手には黒い長槍を持っている。周囲には、盾と槍を持つ乾いた人型が六体、片膝をついた姿勢で並んでいた。
本来の三層ボスなのだろう。
部屋へ足を踏み入れると、中央の大柄な個体がゆっくりと長槍を持ち上げた。周囲の六体も立ち上がり、俺たちへ正面を向ける。
寄生ゴブリンたちが前へ出た。肩や脇腹に残る白いキノコが崩れ、傷ついた箇所を中心に薄い殻を作り始める。
黒い長槍の穂先がこちらへ向く。
次の瞬間、大柄な乾いた人型の胸から紫色の炎が噴き出した。
音はなかった。
炎は布の表面を舐めるのではなく、身体の内側から染み出すように広がった。骨片の防具が紫に透け、黒い長槍を握る腕まで一度に包み込む。
周囲の六体にも、同じ炎が上がった。
構えを取ったままの身体が崩れ、布も骨も武器も紫炎の中で形を失っていく。熱が届くより早く、三層のボスと取り巻きは黒い灰へ変わった。
俺たちは何もしていない。
灰の向こう、石の椅子に何かが座っていた。
さっきまで空だったはずの場所に、擦り切れた黒い長衣をまとった細い人型がいる。骨の指が長い杖を握り、俯いていた頭がゆっくりと持ち上がった。
眼窩の奥で、紫色の光が灯る。
ああ、やばい。
このパターンは。




