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寄生虫と行く現代ダンジョン  作者: 脳タリン


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第103話 三層同行

 翌日の水門ダンジョンは、昨日よりも静かに見えた。

 人が少ないわけではない。管理拠点には警備員も、管理窓口の職員も、自衛隊員もいる。車両も資材も昨日と同じように並んでいる。それでも、俺には昨日より静かに感じられた。

 理由は分かっている。

 今日は訓練区画で終わらない。

 昨日の夜に送られてきた詳細には、集合時間、持参物、装備、行動範囲、撤退基準が並んでいた。水門異常空間三層、既存進入経路上の短時間進入。自衛隊同伴。接触時は自衛隊主対応。戸張透は撤退支援および接近阻止補助。

 文字で見ると、昨日説明された通りだった。

 文字で見ても、嫌なものは嫌だった。

 受付を済ませると、昨日と同じ職員に体調を確認された。睡眠、食事、痛み、気分不良。肩の痛みは少し残っていると答えたが、動かせないほどではない。体調確認のあと、防護ベストとヘルメットを渡された。

 昨日の訓練用より、少し重い。

 短棒も、昨日の樹脂製とは違っていた。金属ではないが、芯に硬い素材が入っているらしい。説明では、打撃用ではなく、接近阻止と距離確保用。言い方は違うが、要するに押し返すための棒だ。

「本日は、戸張さんを前衛には配置しません」

 三宅一等陸尉が、隊列図を指しながら説明した。

「前方は自衛隊側の防護要員二名。中央に記録と管理窓口側の確認員。戸張さんは中央後方寄りに入ってください。接触が発生した場合も、まずは自衛隊側が対応します」

「はい」

「戸張さんにお願いするのは、隊列が崩れた時の補助です。追ってくる相手を数秒止める。退避方向を空ける。遅れた隊員の横に入る。昨日確認した範囲の動きで構いません」

 昨日確認した範囲。

 力で押して、雑に止めて、ごまかしたつもりの動きだ。

「独断で追わない。深追いしない。隊列から離れない。前に出る場合は、指示がある時、または明確に撤退支援が必要な時だけです」

「分かりました」

「危険と判断した場合は、こちらの指示で下がってもらいます」

「はい」

 何度も確認されると、自分が危険物扱いされている気がしてくる。

 実際、危険物に近いのかもしれない。俺の中には、人に説明できないものがいる。水門の奥には、まだ白いものが残っているかもしれない。そこへ自衛隊と一緒に入る。考えれば考えるほど、まともな状況ではなかった。

 入口を抜けると、湿った空気が体にまとわりついた。

 昨日使った上層管理区画を通り過ぎる。訓練用のロープ、照明、滑り止めマット。その先へ進むにつれて、人間側の管理物は少しずつ減っていった。完全になくなるわけではない。目印も、仮設ライトも、退避方向を示す札もある。ただ、奥へ行くほど、水門ダンジョンそのものの空気が強くなる。

 水の音が近づき、足元の湿り気が増え、壁の表面は光を吸うように黒く濡れていた。

 第二層への経路を通る時、俺は余計なものを見ないようにした。水域奥側には近づかない。危険反応の残る区域には入らない。そう説明されている。それでも、意識だけが勝手にそちらへ引っ張られる。

 白い群体。

 亀山さん。

 配信の映像。

 あの時、見えたもの。

 見えなかったことにしたもの。

「戸張さん」

 三宅一等陸尉の声で、意識が戻った。

「大丈夫ですか」

「はい。すみません」

「体調に違和感があれば申告してください」

「大丈夫です」

 大丈夫ではない。ただ、体調の問題ではない。

 隊列は止まらず、さらに奥へ進んだ。

 三層への降り口は、自然の階段というより、崩れた水路の段差に近かった。足場は濡れている。自衛隊側が事前に設置したロープと仮設の足場があるが、それでも一歩ごとに気を使う。

 前衛の隊員が下り、続いて記録担当、管理窓口の確認員、三宅一等陸尉。俺は指示された位置で下りた。

 三層に入った瞬間、空気が変わった。

 上層よりも湿度が高い。水の匂いが濃い。足元には薄く水が張っていて、歩くたびに小さな波が広がる。天井は低い場所と高い場所が不規則に混ざり、壁の凹凸が影を作っていた。

 ここが、カエル型のいる層。

 そう思っただけで、短棒を握る手に力が入った。

「進入開始。予定経路を二十メートル前進。異常がなければ折り返します」

 三宅一等陸尉の声が低く響く。

 前衛二名が盾を構え、ゆっくり進む。銃は携行しているが、構えっぱなしではない。代わりに、盾と長い押し棒のような装備が目立つ。水門で自衛隊が学んだのだろう。撃ってすぐ止まる相手ばかりではない、ということを。

 俺は中央後方で歩きながら、周囲を見た。

 見すぎないようにするのが難しい。足元の水、壁の隙間、天井の影、曲がり角の奥。全部が気になる。気になるのに、気にしていると見られる。見られないようにするには、普通に警戒している顔をするしかない。

 普通の警戒というものが、もうよく分からない。

 十メートルほど進んだところで、足元の水が揺れた。

 前衛の隊員が手を上げる。

「停止」

 隊列が止まる。

 音がした。

 水を踏む音ではない。何かが、水の下から空気を押したような、鈍い音。続いて、低い鳴き声のようなものが通路の奥で響いた。

「前方、右側影」

 隊員の声。

 ライトが向く。

 壁際の暗がりから、ぬめった緑褐色の塊が動いた。

 カエル型。

 大きい。

 水門の映像で見たものより、近い分だけ大きく見える。目が横に張り出し、背中は濡れた岩のように膨らんでいる。四肢は太く、後ろ脚だけ妙に発達していた。

「接触。主対応、前衛」

 三宅一等陸尉の指示とほぼ同時に、前衛が盾を前に出した。

 カエル型が跳んだ。

 速い。

 銃声はなかった。盾にぶつかる鈍い音が先に来る。前衛二名が受け、押し棒で距離を作る。カエル型は一度下がったが、止まらない。水を跳ね上げ、横へ逃げるように動いた。

 隊列の左側が空く。

 そこは、記録担当と管理窓口の確認員に近い。

「左、詰めろ」

 指示が飛ぶ。

 前衛が向きを変えるより早く、カエル型がもう一度跳んだ。

 俺の体が先に動きかける。

 待て。

 指示。

 隊列。

 深追いしない。

「戸張さん、左補助」

「はい」

 許可が出た瞬間、俺は左へ踏み込んだ。

 倒す必要はない。

 数秒止める。

 短棒を両手で持ち、横から突っ込んでくるカエル型の進路に入れる。細かく狙うな。力押しだ。防護要員相手にやったのと同じように、前に出てくるものを止める。

 衝撃が来た。

 重い。

 人間の防護具とは違う。濡れていて、硬くて、滑る。短棒がずれそうになる。俺は肩ごと押し込み、足を水の中で踏ん張った。

 止まらない。

 止まらないが、逸れた。

 カエル型の進路が少しずれ、記録担当の前を通り過ぎる形になる。前衛の一人がそこへ押し棒を入れ、もう一人が盾で横から押さえた。

「下がれ」

 三宅一等陸尉の声。

 俺は一歩下がる。

 さっき確認された制限を頭の中でなぞり、隊列から離れない位置まで戻る。

 カエル型は押し込まれながらも、足をばたつかせていた。銃で撃てば終わる、という相手ではない。押して、逸らして、距離を作る。自衛隊側の動きは、そういうものだった。

 その時、足元の水が白く濁った。

 一瞬だけ。

 ライトが揺れ、前方の盾とカエル型に視線が集まっている。誰も足元を見ていない。俺だけが、その白さを見た。

 水の中に、細いものがいた。

 糸というより、濁りの中の線。生き物の形を取る前の、細い流れ。それが、俺の足首の近くをかすめた。

 内側が、反応した。

 声ではない。

 言葉でもない。

 俺の中にある白いものが、外の白いものへ向けて、ゆっくり手を伸ばすような感覚があった。実際に手が伸びたわけではない。体は動いていない。だが、神経の奥で何かが開いた。

 水の冷たさや壁の湿り、カエル型の足が水を押す圧、前衛隊員のブーツが作る波、奥の暗がりへ続く流れが、一瞬だけ別の角度から入ってきた。

 目で見たのではない。

 耳で聞いたのでもない。

 水門の中に散っていた感覚が、俺の内側に引っかかった。

「戸張さん」

 三宅一等陸尉の声が聞こえた。

 俺は返事をするのが一拍遅れた。

「はい」

「左後方、維持」

「はい」

 白い濁りは、もう消えていた。

 足元には、ただの水がある。ライトに照らされた水面が揺れているだけだ。けれど、内側の反応は完全には消えない。何かが噛み合った。こちらから命令できるわけではない。向こうが従うわけでもない。ただ、別々だったものが、一瞬だけ同じ場所を見た。

 カエル型が、盾を押し返す。

「後退準備」

 三宅一等陸尉が指示を出す。

 前衛が一歩ずつ下がる。記録担当と確認員が先に退く。俺は左後方に立ったまま、カエル型の動きを見た。

 いや、見ただけではない。

 水が先に教える。

 後ろ脚が沈む。力が溜まる。跳ぶ方向は、正面ではない。左斜め。前衛の盾を避けて、隊列の隙間を狙う。

「左、来ます」

 言った直後に、カエル型が跳んだ。

 前衛が反応する。

 俺も動いた。

 今度は、完全に止めようとはしない。止められないのは一度目で分かった。進路をずらす。跳んでくる相手の正面ではなく、横へ短棒を入れる。力で押す。細かくやりすぎるな。力で押しているように見せろ。

 短棒が濡れた皮膚に当たり、滑る。肩に衝撃が来て、足が水の中でずれる。それでも、カエル型の体が半身だけ流れた。盾がそこを受け、押し棒が喉元の下へ入る。

「よし、下がる」

 前衛が距離を作る。

 俺も下がる。

 追う必要はない。止め切る必要もない。隊列が戻る数秒があればいい。

 カエル型は、しばらく押し合ったあと、奥の水溜まりへ跳ねるように下がった。逃げたのか、距離を取ったのかは分からない。三宅一等陸尉は追撃を命じなかった。

「撤退」

 短い指示だった。

 隊列は、来た道を戻り始めた。

 俺は後方寄りで、左側を見ながら下がる。足元の水は、さっきより多くのことを伝えてくる気がした。前衛の足、記録担当のぎこちない歩幅、管理窓口の確認員の呼吸の乱れ、奥で動く重いもの。全部が分かるわけではないし、分かりすぎても困る。

 俺は、なるべく視線と足の動きだけで処理した。内側の感覚に引っ張られると、動きが変わる。変われば見られる。見られれば、説明できない。

 三層の降り口が見えた時、ようやく背中の汗に気づいた。

 上へ戻り、第二層を抜け、上層管理区画へ戻る。

 入口の外に出た時、外の空気が肺に入って、足の力が少し抜けた。

 誰かが俺の肩を支えようとしたが、俺は手で制した。

「大丈夫です」

 声は出た。

 大丈夫かどうかは別として、立ってはいられる。

 装備確認と体調確認が始まった。肩に打撲。手首に軽い違和感。転倒なし。出血なし。意識混濁なし。管理窓口の職員が記録し、自衛隊員が装備の傷を確認している。

 俺の短棒には、ぬめった粘液のようなものがついていた。

 それを見た瞬間、足元の白い濁りを思い出した。

 あれは、何だったのか。

 水門に残っていたもの。

 俺の中のものと、どこか似ているもの。

 同じではない。完全な他人でもない。少なくとも、そう感じた。

 考えるのは後だ。

 今、顔に出すわけにはいかない。

 三宅一等陸尉が、防護装備の隊員たちと短く確認をしていた。俺は水を飲みながら、聞こえないふりをする。

「左が崩れませんでした」

 防護隊員の一人の声が、少しだけ届いた。

「止めたというより、ずらした形です」

「数秒作れた」

 三宅一等陸尉の声。

「ええ。あの数秒があると、盾が戻せます」

 それ以上は聞こえなかった。

 聞こえない方がよかったのかもしれない。

 しばらくして、三宅一等陸尉がこちらへ来た。

「戸張さん。本日の補助、助かりました」

「いえ。指示された範囲で動いただけです」

「その範囲で十分です」

 十分。

 その言葉が、褒め言葉なのか、次の面倒の入口なのか、もう判断できない。

「後ほど、管理窓口から正式な確認があります。今日はこれ以上の進入は行いません」

「はい」

「肩と手首は、念のため医療担当に見せてください」

「分かりました」

 三宅一等陸尉は、それだけ言って隊員の方へ戻った。

 俺は濡れた床を見た。

 もう白くはない。ただの水だ。けれど、内側ではまだ、細い振動のようなものが残っていた。水門の奥へ続く流れ、暗い壁の隙間、何かがそこにいて、こちらを見ているような感覚。

 見られている。

 自衛隊に、管理窓口に、記録用カメラに。そして今は、水門の奥に残る白いものにも。

 俺は短棒を返却し、手についた水をタオルで拭いた。

 拭いても、内側に残った感覚までは落ちなかった。


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