3. 道場
あたしのおじいちゃんは、空手道場の師範をやっている。
そしてあたしは――
「せぇぇぇいっ!!」
打ち込んだ拳の衝撃が腕を駆け抜け、重いサンドバッグが道場の中央で大きく揺れた。
「そこまで!」
おじいちゃんの声が飛んでくる。
あたしは拳を引いて、構えを解いた。
「ふうっ!」
額の汗をぬぐう。
今日も修業は順調!
あたしがこの道場に入ったのは、3歳の頃。
つまり、もう7年近くここで空手をやっている。
魔法少女の修業もあるけど、こっちもあたしにとっては大切なものだ。
「エミちゃん、がんばれー!」
「エミちゃん、すごい!」
道場の隅から声が聞こえる。
「・・・・・・」
あたしはそっちを見た。
そこにいるのは、リーゼとセリカ。
なぜか今日も見学している。
「ねえ」
あたしは二人のところへ歩いていった。
「何?」
「なんで来てるの?」
「応援」
リーゼが当然のように答える。
「今日は試合じゃなくて、ただの練習なんだけど」
「だから応援してるの」
「意味分かんない!」
セリカが横から口を挟む。
「でも、エミちゃんが練習しているところを見るのは面白い」
「面白いって・・・」
まあ、別に嫌じゃないけど。
「エミルナ、そろそろ休憩終わり!」
おじいちゃんの声が飛んでくる。
「はーい!」
あたしはすぐに戻った。
そして。
道場の中でも、ひときわ目を引く人がいる。
「・・・・・・」
金髪で、背が高く、しかもイケメン。
そして、空手も強い。
何をやらせても優等生。
そう。
リーゼのお兄ちゃん、アレクシス・フェルメリア。
小学6年生。
「アレク先輩、すごーい!」
「今の見た!?」
「かっこいい!」
道場の女の子たちから黄色い声が飛ぶ。
アレクは少し困ったような顔をしながら、それでも淡々と稽古を続けている。
「・・・・・・」
あたしは、なんだか胸がモヤモヤする。
(前は、こんなじゃなかったのに・・・)
昔は、こんなんじゃなかった。
あたしがこの道場に入ったのは3歳。
そして、アレクが入ってきたのは――あたしが小学校に上がった頃だった。
年上の男の子が入ってきた。
ただ、それだけだった。
あたしが1年生。
アレクが3年生。
だけどその頃のアレクは2つも年上なのにあたしよりもちっちゃくって、細くって、お勉強ばっかりやってるみたいな子に見えた。
「よろしくお願いします!」
「う、うん・・・」
アレクはちょっと緊張していた。
当時のあたしは、もう何年も空手をやっていた。
だから。
「始め!」
間合いを一気に詰め、鋭い突きを叩き込む。相手の道着越しにズシッと確かな手応えが拳に伝わった。
「え?」
一発、二発、三発。
思っていた以上にあっという間だった。
「そこまで!」
あたしの踏み込みに押され、アレクはあっけなく床に尻もちをついた。
「・・・・・・」
目に涙を浮かべている。
「うぇ・・・」
「ええっ!?」
あたしの方が見開いた目に驚いた。
「泣かないでよ!」
「泣いてない!」
「男の子でしょ!」
「泣いてないったら!!」
その日のアレクは、ちょっとだけベソをかいていた。
あたしのその時の感想は、この子弱いな・・・って。
それだけだった。
だけどその後も、アレクは何度もあたしに挑んできた。
組手をするたびに、あたしが勝った。
何度も、何度も。
けど、やるたびにアレクは強くなっていく。
あたしはそれが、楽しくて仕方なくなって、だんだん仲良くなった。
「今日もやろう!」
「うん」
「今度は10本!」
「えっ、10本!?」
「10本だよ!」
そんな感じだった。
だけど、今から1年くらい前。
あたしが3年生。
アレクが5年生だった頃。
いつものように組手をした。
「始め!」
あたしはいつものように突っ込んだ。
「せやっ!」
自信満々に繰り出した突きの先には、しかし何の肉感もなく、あたしの拳は空を切った。
「・・・・・・」
あたしの突きを、アレクは息を殺すようにすっ、と軽くかわした。
「え?」
次の瞬間。
足首にチョン、と軽い衝撃が走った。
軸足を下段蹴りで狙われ、勢いに乗っていたあたしの体が思い通りに動かなくなる。バランスを完全に崩して視界が大きく傾いた。
「うわっ!」
支えを失ったあたしの体は、無格好に畳の上へ崩れ落ちた。
「一本!」
「・・・・・・」
頬に伝わる畳の硬さと冷たさに、あたしは床に転がったまま硬直した。
「え?」
もう一度。
「もう一本!」
今度はあたしが仕掛ける。
だけど、やっぱりかわされる。
そして。
またしても下段の微かな狙いだけで足元をすくわれ、あたしは何度も背中から倒された。
「そこまで!」
「・・・・・・」
またアレクに負けた。
「・・・・・・」
悔しい。
ものすごく悔しい。
「もう一回!」
あたしはすぐに立ち上がった。
「いいよ」
「今度は負けないから!」
だけど、その日は何度やっても勝てなかった。
こんなことは初めてだった。
その頃はじめて、以前は見下ろしていたアレクをいつのまにか見上げているのに気づいた。
「なんで・・・」
悔しくて、唇を噛んだ。
そして、それ以来。
アレクはあたしの組手の相手をしてくれなくなった。
「ねえ、アレク!」
現在の道場。
あたしは稽古の合間にアレクへ声をかけた。
「何だ?」
「組手やろうよ!」
アレクが苦笑する。
「またか」
「いいじゃん!」
「もう俺、6年生だぞ」
「だから何?」
「お前とリーチ差とか力ずくでやるの、やなんだよ。それにエミルナ、手加減すると怒るし」
「なによ!あたしの方がずっと・・・」
あたしは途中で言うのをやめる。
けど、とにかく手加減されるのは大嫌いなんだ!
「本気でやってよ!」
「やだよ!」
「なんで!」
「なんででもだ!」
こうやって、いつもはぐらかされる。
アレクは少しだけ笑った。
「今の俺とやったら、エミルナが怪我するかもしれない」
「しない!」
「する」
「しない!」
「する」
「絶対しない!」
むぅぅぅ・・・無性に腹が立つ。
「だいたい!」
あたしは指を突きつけた。
「あの日勝っただけじゃん!」
「・・・・・・」
「それまであたしが何回勝ったと思ってるの!?」
「覚えてない」
「ほら!」
あたしは胸を張った。
「つまり、あたしの方が勝ち越してるんだから!」
「まあ、それはそうだな」
「だったらあたしの方が強い!」
「・・・・・・」
アレクが少し考える。
「昔はな」
「むっ!」
またそれだ。
昔は、昔はって!
「今だって強いもん!」
「分かってる」
「じゃあ組手しよう!」
「それは断る」
「なんでよぉ!」
リーゼが、少し離れたところで笑っている。
「お兄ちゃん、エミちゃんには弱いね」
「弱くない」
「でも、いつも言い負かされてる」
「・・・・・・」
セリカも頷いた。
「確かに」
「お前たちまで・・・」
アレクが困ったように頭を掻く。
「そもそも、俺がエミルナと組手をしない理由は別にある」
「何?」
あたしは少し身を乗り出した。
アレクは、あたしを見る。
そして。
「今も昔も、エミルナは俺の目標だからだ」
「・・・・・・」
一瞬。
何を言われたのか分からなかった。
「・・・・・・え?」
「俺がこの道場に入った時、エミルナの強さに追いつきたいと思った」
「・・・・・・」
「だから、辛い訓練にも耐えられた」
アレクは淡々と話す。
「お前という目標が無かったら、俺はとっくにやめていたかもしれない」
「・・・・・・」
なんだろう。
胸が、変な感じ。
「だから、今でもエミルナは俺の目標だよ」
「・・・・・・」
ドキッ。
心臓が大きく跳ねた。
「な、何よ、それ・・・」
顔が熱い。
「1回勝ったぐらいで変わってないし。もし2回、3回・・・いや、10回勝ってもそれは変わらない」
アレクはいつもの顔。
本当に、何でもないことみたいに言っている。
「だから、組手をしなくてもいいだろ」
「よくない!」
思わず叫んだ。
「なんで!?」
「なんとなく!」
「なんとなく?」
「なんとなくなの!」
自分でもよく分からない。
ただ、さっきまでのモヤモヤとは、少し違う。
なんだか胸の奥がくすぐったい。
「エミちゃん、顔赤いよ」
リーゼちゃんがニヤニヤしている。
「赤くない!」
「赤い」
セリカちゃんまで言う。
「暑いだけ!」
「今日はそんなに暑くないよ」
「もう!うるさいよっ!」
あたしは二人から顔を背けた。
そして、ちらっとアレクを見る。
アレクはもう、次の稽古を始めていた。
「・・・・・・」
昔は、あたしに負けるたびに悔しそうな顔をしていた。
今は、あたしが何を言っても余裕の顔。
そして、いつの間にか、あたしの方が追いかける側になっている。
「・・・・・・」
あたしだってわかってる。
今のアレクには敵うわけがないって。
だけど、いつか絶対にもう一度追いついてやるんだから!
そして――
「その時は、ちゃんと組手してよね!」
あたしが叫ぶと、アレクが振り返った。
「ああ」
そして、少しだけ笑った。
「楽しみにしてる」
「・・・・・・」
また、胸がドキッとした。
もう!
なんで今日はこんなにドキドキするのよぉ!




