5. 二通目の手紙について(後)
2通目の手紙の最初には、まず手紙が遅くなったことを詫びる文面があった。
その後は前回と変わらず、封筒の中に数枚の手紙が入っているが、前回とは異なり、細かく丁寧……とは言い難い文章が並んでいた。
いや、文章自体は相変わらず丁寧な言葉が紡いである。だがなんというか、前回のようにスペースを埋めるような几帳面な書体ではなく、子供の作文のような感じというか、やけに字が大きく、乱雑になっていたのである。
そしてそのぶん手紙の枚数は嵩張るのだろう、投函された封筒の束は前回よりも厚かった。
ただし、先に述べたように文章自体は理路整然としているため、読むのに苦労は無さそうだ。
書き手が異なるのか、これもまた不気味ではあるものの、ひとまず続きを読む。そして、ひとつの感想を持つに至った。
この手紙の差出人は邪悪である。
好奇心の代償を他人に支払わせる。そしてその行為に対しては、もはや反省するそぶりも無い。
正直に語っているという点では好感が持てるとも言えるかもしれないが、他人の心の内側とは、こうも闇深いものなのかと戦慄してしまう。
やがて自分の行ないに対する感覚も薄れ、淡々と身代わりを立てては次の標的を狙っていく。
それはもはや事務的ですらあり、何の感情も込められてはいない。
最後に爪先が壊死した事を告白しているが、それで手紙の期間が開いたのだろうか。
確証はなくとも、今までのやってきたことを考えると因果応報という言葉が頭に浮かぶ。
呪法の内容について一切語られないことから、どのような作用が起きているのかは不明だが、細かい描写が存在しない事を考えると、この手紙の差出人は『はごろも』とは?という部分に対する答えは求めていないようである。
それどころか、死者の羽衣を祓いたいという感情も、今や持ち合わせてはいないのではないだろうか。
それほどまでに、手紙の中での主は淡々としているように感じてしまう。
しかしそうなると、何故このような手紙を送ってきたのか?という疑問が残る。
イタズラや暇つぶしにしては手が込みすぎている。
例えば双子の巫女について。
多少目につくタイプなのは確かなようで、近くに住む知人に尋ねた時も、すぐに誰のことかは分かったようだった。
とはいえ、別にただの老婆である。知人もそう思い、幼少期から気にしたことすらないらしい。それこそ町の顔役に聞くまでは、近所とはいえ存在も忘れていたそうだ。
だが実際に、巫女たちには正体不明の部分があった。手紙のとおりであるし、町の顔役の言ったとおりでもあった。
二通目の手紙を読み終わったあと、こちらでも双子の巫女たちについて調べてみることにした。本来であればもっと前にやる予定であった、職業柄でも扱う資料の出番である。
だが、面白い事に、双子の巫女の情報はひとつとして出てこなかった。
何かの冗談かと思い、業務連絡のついでに担当者へも確認したし、予想できる範囲での、双子の巫女たちに関わりのありそうな資料も請求した。しかし情報は出てこない。
資料請求については返答が無かったわけではない。きちんと理由も添えられていた。
本件の閲覧には、担当エリアにおける統括部長以上の権限または承認が必要な情報が含まれております。
閲覧制限がかかった情報に行き着くのは、自分の勤務地域では二度目である。
それが意味するところは、双子の巫女たちは実際に何者かではあるという事実と、何があっても関われぬということだけであった。
ただ、これは重要なヒントともなるので気落ちするほどでもない。何故なら、そこまで知っているのなら、この手紙は真実を含んでいるという証拠にもなるからだ。
権限がない以上は表立って関わることは出来ず、また守秘義務も生じるため誰かに言うことも出来なくなってしまったが、この手紙のやり取りで得られるものを考えれば、随分と面白いことになってきたのではないだろうか。
ひとまずのところは、ここで考察を区切ろうと思う。呪いが回って死んでいなければ、また手紙が届くはずだ。
それまで特に出来ることもやるべきことないので気長に待つことにする。




