3-23話:ルーン・ブランド
圧倒的な速度で肉薄する黄金の流星――アリーシャ。 死霊使いヘルヴィーナの網膜に、凄まじいプレッシャーと共に迫る少女の姿が焼き付く。
「おのれ、調子に乗りおってからに……!」
ヘルヴィーナは忌々しげに顔を歪めると、禍々しい紫の魔力を狂ったように放出させた。その意志に応じ、戦場に転がっていた無数の魔物の屍、そして辛うじて動く残党どもが、意思を持たない肉の壁となって彼女の前に幾重にも折り重なる。盾の突撃を肉量でねじ伏せるための、文字通り強固な「肉の防壁」だ。
しかし、新生したアリーシャの勢いは、そんな小細工などで止まる次元にはなかった。
ドゴォォォォンッ!!!
激突の瞬間、戦場に響き渡ったのは肉が潰れる音ではない。それは爆弾が炸裂したかのような衝撃音だった。 アリーシャの構える大盾が肉の壁に激突した瞬間、強風に煽られたゴミが虚空へ舞い上がるかのように、数百キロはある魔物たちの巨体が次々と全方位の空へと打ち上げられていく。血肉を撒き散らしながら宙を舞う魔物の雨のなかを、アリーシャはただ一直線に、ヘルヴィーナだけを見据えて突き進む。
「チィッ! 勢い付きおった小娘ごときがぁぁ! 舐めるなぁぁ!!」
防壁を一瞬で突破されたヘルヴィーナが、屈辱に震えながら叫ぶ。 彼女は自身の身体に極彩色の闇魔法の障壁を幾重にも纏わせると、十本の指の爪をまるで禍々しい黒鉄の剣のように長く、鋭く延伸させた。迎撃の体勢は一瞬。突進してくるアリーシャの頭上から、その爪の剣を容赦なく振り下ろす。
ガキィィィィィィンッ!!!
鼓膜が裂けんばかりの、巨大な金属音が戦場に響き渡った。 ヘルヴィーナの鋭利な爪と、アリーシャの黄金の大盾が正面から激しく衝突し、凄まじい火花が二人の間で爆散する。互いの全魔力と筋力が一点に集中し、大気が軋むような押し合いが始まった。
「ハァァァァッ!!」
「ぬ、ぐ……っ、この小娘、これほどの膂力を……!?」
ヘルヴィーナの顔に焦りが浮かぶ。かつて瀕死にまで追い詰めたはずのパラディンが、いまや自分と互角以上のパワーで押し返してきているのだ。 だが、アリーシャの進化は防御力だけではない。 押し合いの最中、アリーシャは腰に帯びていた片手剣を滑らかに引き抜いた。視界の広い大盾をあえてブラインド(目隠し)として利用し、ヘルヴィーナの死角から、その脇腹を狙って鋭い一撃を仕掛ける。
「しまっ――!?」
完全に裏をかかれたヘルヴィーナは、咄嗟に障壁を集中させて刃を弾いたものの、その均衡は大きく崩れた。
二人のハイレベルな攻防に、少し離れた位置にいたジークや翼竜を駆るイグニスは、言葉を失って圧倒されていた。一瞬、その神がかった戦いぶりに見入ってしまう。 だが、戦場はそれを許さない。アリーシャが最初に放った絶対的な威圧によるバインド(行動不能)状態から、徐々に回復し始めた魔物の大群が、再びおぞましい咆哮を上げて周囲の仲間に襲いかかってきたのだ。
「チッ、まだ湧いてきやがるか! おいイグニス、アリーシャの邪魔をさせるな!」
「分かっているさ! レオの弾丸が無駄にならないよう、私たちがここを食い止める!」
ジークとイグニスは即座に意識を切り替え、再び殺到する魔物の処理へと追われることになった。
その様子を、ヘルヴィーナと刃を交えながら横目で捉えたアリーシャの琥珀色の瞳が、冷静に光る。
(皆にこれ以上の負担はかけさせません。ここは、私の戦場です)
アリーシャは一度、ヘルヴィーナとの距離を引き離すために、地面を蹴って後ろ方へと大きく跳躍した。驚異的な身軽さで宙を舞い、着地すると同時に、引き抜いていた片手剣を天へと高く掲げる。
そして、その刃で、自身の構える大盾の表面を力強く叩き据えた。
キィィィィィンッ!!!
甲高く、どこまでも澄んだ音が戦場全体に響き渡る。その音の波紋に合わせるように、アリーシャの唇が厳かに開いた。
「――『ロイヤル・エディクト(皇命の布告)』!!」
その瞬間、アリーシャの足元から視覚化された透明な「空気の波紋」が、凄まじい速度で戦場全域へと広がっていった。 それは、インペリアルガードの絶対的な権能。戦場にうごめくすべての敵の敵意を、強制的に自身へと固定する挑発スキルだった。
「グルアァァァッ!?」
「ガアァァッ!!」
ジークたちに向かっていた魔物、そして後方に控えていたすべての魔物たちの目が、一斉に血走った赤へと染まる。彼らの脳内は、いまや「アリーシャを殺す」という狂暴な衝動だけで塗りつぶされていた。何千という魔物の大群が、津波のようになり、アリーシャ一人の細い身体めがけて猛突進を開始する。
その絶望的な光景に、後方で銃を構えていたレオの心臓が跳ね上がった。いくら強くなったとはいえ、あまりにも無茶な数の暴力だ。
「アリーシャァァァ――ッ!!」
悲鳴にも似たレオの叫び。だが、地響きを立てて迫る魔物の群れを前にして、アリーシャはただ、愛おしい少年の方を振り返り、優しく、そして最高の笑顔で応えてみせた。
「マスター。見ててください。……これが、私の新しい力です」
彼女は再び前方を向くと、その凛とした声を戦場に響かせる。
「――『インペリアル・ウォール(帝国を護る不落の城壁)』!!」
ドォォォォンッ!!
アリーシャが力強く大盾を地面へと突き刺した。 刹那、彼女を中心に、天をも突くほどの巨大な黄金の光の壁が展開される。まばゆい聖なる輝きを放つその壁は、文字通り一国の国境を遮断する城壁のようだった。 このスキルを発動中、アリーシャ自身は一歩も動くことができない。だが、その必要すらなかった。
ドガッ! ズガガガガガッ!!!
狂ったように突進してきた魔物たちが、勢いそのままに黄金の光の壁へと次々と衝突していく。しかし、その壁は揺らぎさえしない。それどころか、壁に触れた魔物たちは、内側から溢れ出る圧倒的な神聖力によって、骨も残さず次々と光の粒子へと「浄化」されていくのだ。ぶつかった先から、魔物の群れが煙のように消えていく。
「な……な、何なのだ、これは……!?」
背後でその光景を見ていたヘルヴィーナは、恐怖と屈辱で顔を引きつらせた。 自身の使役する死霊の軍勢が、ただの壁にぶつかって消滅していく。己の力を遥かに、文字通り次元ごと凌駕する未知の輝きを前に、彼女のプライドは完全に粉砕された。
「こんな……こんな力の存在が、この世界で許されると思っているのかぁぁぁ!!」
絶叫するヘルヴィーナの身体から、どす黒い魔力が噴出する。彼女は、己の全存在を代償にするかのように、通常の闇魔法の域を遥かに超えた、禁忌の【暗黒魔法】をその身に纏わせた。 その瞬間、彼女の白い肌の一面に、ドロドロとした紫色の刺青のような呪詛の模様が浮かび上がる。瞳は不気味な血の赤へと染まり、全身の血管が黒く浮き出て脈打った。爪はさらに鋭く変形し、口元からは牙が突き出す。 かつての妖艶な美しさは完全に消失し、そこにあるのはただ、怨念のみで動く野蛮な「化け物」の姿だった。
「死ね、死ね、死ねぇぇぇ!!」
理性を失ったヘルヴィーナが、凄まじい速度でアリーシャへと突撃する。 それを防ごうと、ジークとイグニスが咄嗟に武器を構えて前に出ようとした。だが、それをアリーシャの声が制する。
「ジーク、イグニスは私より後ろへ下がって!!」
その張り詰めた叫びに、二人の足がピタリと止まる。長年の修羅場をくぐり抜けてきた戦士としての勘が、アリーシャの言葉の裏にある「確信」を察知したのだ。二人は迷うことなく、即座にアリーシャの背後へと大きく下がった。
「この死にぞこないの小娘がぁぁぁ!! もう一度、死ねぇぇ!!」
漆黒の獣と化したヘルヴィーナが、猛烈な勢いで黄金の光の壁へと爪を突き立てる。
「――『ダークネス・スプラッシュ(常闇の濁流)』!!」
爪の先端から、視界を完全に遮るほど禍々しい黒い霧状の呪詛が溢れ出し、彼女の爪を極限まで強化した。ギチギチと不穏な音を立てて、黄金の壁に爪が深く突き刺さっていく。 そして――。
パリィィィィィィンッ!!!
まるで巨大なガラスが一斉に割れたかのような、凄絶な音が響き渡った。アリーシャが展開していた不落の『インペリアル・ウォール』が、ヘルヴィーナの命を賭した一撃によってついに崩壊し、光の破片となって飛び散る。
「フハハハッ!! 所詮、この程度か!!」
アリーシャの最大のスキルを打ち破ったヘルヴィーナは、勝利を確信して耳障りな高笑いを上げた。 無防備に立ち尽くすアリーシャの肉体を、その黒い爪で今度こそ引き裂こうと振り下ろす。
だが――アリーシャの瞳に、絶望の色など微塵もなかった。 それどころか、彼女が構え直した大盾そのものが、崩壊した壁の光をすべて吸い込むようにして、いまや眩いばかりの純金色の輝きを放ち始めている。
「あれは……!」
後方で見守っていたレオの脳裏に電撃のように走った。 あの盾が金色に輝く状態――それが何を意味するのか、レオは分かっていた。あれは、アリーシャの大技発動の証。防衛によって蓄積された絶対的なエネルギーを、一撃の破壊力へと変換する「反撃の形態」だ。
ガシャン……ッ!!
精密な機械音と共に、金色の輝きを放つ大盾の中央が左右へとダイナミックに展開していく。そして、そのシールドの内部から、まばゆい光に包まれた一振りの美しい「剣」が姿を現した。
アリーシャは静かにその柄へと手を伸ばし、引き抜く。
「ヘルヴィーナ。……これで最後です」
アリーシャの冷徹な、しかしすべてを終わらせるという強い意志がこもった言葉と共に、剣が完全に引き抜かれた。 その瞬間、インペリアルガードのスキルによって極限まで蓄積されていた黄金の魔力が、一気に刃へと流れ込む。パチパチと神聖な火花を散らしながら、白銀の刃の表面に、見たこともない未知の「ルーン文字」が一本ずつ、鮮烈な光を放ちながら刻まれていく。
「――『ルーン・ブランド(神祖の刻印)』!!」
アリーシャは、眼前に迫るヘルヴィーナへと向けて、一切の躊躇なくその剣を一閃した。
縦一文字に振るわれた刃から、戦場全体の闇を完全に払拭するほどの、巨大な十字の光の斬撃が放たれる。
「くっ……あ、ガ……くそぉぉぉぉぉぉ!!!」
ヘルヴィーナの狂叫が響く。彼女が纏っていた暗黒魔法の霧は、その光の斬撃に触れた瞬間から、 まるで朝日に溶ける霧のように瞬時に消滅していった。 斬撃の光はヘルヴィーナの身体を完全に包み込み、その因縁に満ちた肉体を、内側から優しく、しかし絶対的な力で浄化していく。
「ゼ、ゼニス様……申し訳ありません……」
徐々に光のなかに消えていくヘルヴィーナが、最後に、まだ見ぬ上位の存在へ伝達するかのように、血を吐くような声で呟いた。
「ですが……例の子は……見つけました……っ」
その言葉を最後に、死霊使いヘルヴィーナの姿は光の粒子へと完全に分解され、大気の中へと消滅した。クレスヴァーデンを恐怖に陥れた大幹部は、跡形もなくこの世界から駆逐されたのだ。
ボスを失ったことで、使役の術式が完全に解けた魔物たちの群れは、正気に戻ると同時に、未だアリーシャの身体から放たれている圧倒的な格上の威圧感に恐怖し、一斉にクモの子を散らすようにして荒野の奥へと逃げ去っていった。あれほどいた魔物の気配が、一瞬にして消え去る。
静寂が、戦場を包み込んだ。
「……終わった、のか」
レオが、持っていた愛銃をゆっくりと下げながら、深く、深く息をついた。全身の緊張が一気に抜け、膝が震える。
その静寂を破ったのは、豪快な男の声だった。
「おらぁぁ!! 野郎ども、勝鬨をあげろぉぉぉ!!」
ジークが槍を天に突き上げ、喉が裂けんばかりの大声で叫ぶ。 その瞬間、背後に控えていた、そして生き残っていたすべてのクレスヴァーデンの兵士たちが、一斉に顔を紅潮させて拳を突き上げた。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」
「勝った! 俺たちの勝ちだぁぁぁ!!」
割れんばかりの歓声と、大地を揺らすほどの勝鬨が響き渡る。兵士たちは涙を流し、互いの無事を喜び合っていた。
その喧騒のなか、アリーシャは手の中の、輝きを失い元の美しい白銀へと戻った剣を大盾の鞘へと収めた。ガシャン! と再び精密な機械音が響き、展開していた盾が元の強固な一枚の姿へと閉じていく。
彼女は深く一つ息を吐くと、盾をしっかりと手に持ち直し、いつもの、どこまでも穏やかな足取りで、ゆっくりとレオの元へと歩き始めた。 黄金の夕日が、戦いを終えた二人の影を、長く、温かく照らし出していた。
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次回の更新は7月31日(金)のAM1時を予定しておりますので、よろしくお願いします!




