3-21話:いつか還る、あの光の向こうへ
天から降り注ぐ、神聖にして温かな奇跡の光――。 ライラとセレスが命を賭して紡ぎ上げた絶対の聖域『デュアル・サンクチュアリ』の輝きは、確かにアリーシャの肉体を包み込んでいた。
だが、漆黒の呪詛に蝕まれていた彼女の精神は、現実の光から遠く引き離された、底知れぬ深淵のなかにあった。
「――っ、ここは……一体……!?」
アリーシャは、虚無が支配する真っ暗な世界のなかに、ぽつんと一人きりで佇んでいた。 上下左右の感覚すら曖昧な、完全なる暗黒。冷たい沈黙だけが、どこまでも引き延ばされた空間に満ちている。
恐怖と焦燥が、アリーシャの胸を容赦なく締め付けた。彼女はたまらず、闇の向こうへ向けて叫び声をあげる。
「マスター……っ! マスター!? どこにいますか……っ!!」
届かない。彼女の全存在をかけて仕えるべき主、レオの気配はどこにもなかった。 焦ったアリーシャは、暗闇をがむしゃらに歩き出し、共に死線を潜り抜けてきた大切な仲間たちの名前を、次々と引き裂くように呼びかける。
「ミレイユ……! ライラ……っ! ジーク……!!」
しかし、どれだけ声を張り上げても、闇はただ彼女の声を吸い込むだけだった。何の反応もない。右も左もわからない真っ暗な世界を、アリーシャは一人、彷徨い続ける。それは、自分が本当に真っ直ぐ歩けているのか、それとも同じ場所をただ円を描いて歩いているだけなのかすら分からなくなるほどの、絶望的な暗黒世界だった。
「私は……どうして、ここに……」
立ち止まり、アリーシャは自らの指先を見つめた。感覚の薄い両手に、自分がこうなる直前の記憶を懸命に手繰り寄せる。
――そうだ。戦場のなかで、猛攻に晒されていた竜人族の彼女の姿が見えて。 ――彼女の窮地を救うため、私は迷わずその身体を突き飛ばして、身代わりになって……。
「私は……死んだのか?」
ぽつり、と呟いた言葉が、冷たく闇に消える。 暗黒呪詛の性質は知っていた。魂までをも腐食させ、死の淵へと引き去る最悪の魔術。 ならば、この果てしない暗闇は――。
「……これは、死後の世界と言うことなの……?」
抗えぬ運命を受け入れ、アリーシャが絶望に瞳を伏せようとした、その時だった。
『――まったく。勝手に死なないでよね、あんたは!』
「――えっ?」
静寂を切り裂いて、凛とした、どこか呆れたような懐かしい声が暗黒のなかに響き渡った。
驚きにアリーシャが顔を上げると、果てしない闇の向こうから、複数の小さな光の玉が揺らめきながら現れた。その光は意思を持つかのように、アリーシャを目指して徐々に大きくなり、まばゆい輝きを放ちながら、その輪郭を確かなものへと変えていく。
「な……嘘、でしょ……?」
暗黒の世界が、一瞬にして塗り替えられた。 アリーシャが立つ場所を中心に、まるで暖炉のなかにいるような、温かくて、心の底から懐かしい黄金の光がじわじわと広がっていく。冷え切っていた精神世界が、その光だけで優しく満たされていくのを感じた。
そして、光の霧が晴れたアリーシャの目の前には――かつて、血の滲むような戦場を共に駆け抜けた、無二の仲間たちの姿があった。
最初に声を響かせた、誇り高き女剣士――レイナ。 その背後には、身の丈ほどもある巨大な斧を肩に担ぎ、白い歯を見せてニカッと笑う戦士――ダン。 慈愛に満ちた穏やかな微笑みを湛える神官――ソニア。 そして、眼鏡の奥の優しい瞳で静かに佇む魔法使い――アイザック。
「レイナ……っ! みんな……!?」
息が止まった。アリーシャの身体が、歓喜と、それ以上の衝撃に激しく震える。
「ほんとだぜ。何自分は死んだ気でいるんだか!」
ダンがいつも通りの豪快な調子で、首を振りながら言葉を紡ぐ。
「アテナ、あなたには、まだこの場所でやることがあるみたいよ?」
優しく、諭すようにソニアが微笑みかける。
「――小さなマスターを、お守りするのでしょう?」
アイザックが、すべてを見通しているかのように静かに告げた。
「みんな……みんな、なぁに、で……っ」
長年寝食を共にし、命を預け合ってきた、かけがえのない最初の仲間たち。その変わらない笑顔、変わらない声、変わらない空気感に触れた瞬間――アリーシャの切れ味の鋭い琥珀色の瞳から、大粒の涙が堰を切ったように溢れ出てきた。
張り詰めていた心の糸が、音を立てて千切れる。 これまで、どれほど過酷な状況でも、最強のインペリアルガードとして凛とした態度を崩さず、気高く振る舞い続けてきたアリーシャ。だが、この懐かしい温もりの前では、ただの傷ついた一人の少女だった。
「ごめん……っ、本当に……ごめんなさい……っ!!」
アリーシャはその場に膝をつき、両手で顔を覆って泣き崩れた。
「みんなには、あんなにつらい戦いをさせて……っ、私のせいで、みんなを死なせてしまった……っ! 私が、どんなに謝っても……どれだけ悔やんでも、もうみんなは、戻ってこないのに……っ!!」
嗚咽が、黄金の空間に痛々しく響き渡る。 ずっと、ずっと胸の奥底に、何年もの間、重い楔のように打ち込まれていた罪悪感だった。「自分だけが生き残ってしまった」という、誰にも打ち明けられなかった生々しい痛みが、堰を切ったように溢れ出していく。長い間、暗い檻のなかに閉じ込めていた本心を、アリーシャは生涯で初めて、ようやく当事者である仲間たちに向けて吐き出すことができたのだ。
声をあげて子供のように泣きじゃくるリーダーの姿を、かつての仲間たちは、ただ優しい眼差しで見つめていた。
「何、泣いてるのさ。らしくないよ、アテナ」
レイナが歩み寄り、泣き崩れるアリーシャの肩を優しく叩く。
「そうだぜ? 今までみたいに、ツンと凛としてくれた方が、俺達も安心して見てられるってもんよ!」
ダンが胸を叩いて笑う。
「ほら、アテナ、立って。私たちが案内するわ。みんな、あなたが帰るのを待っているのよ? いつまでもこんな場所で、泣いていられないでしょ?」
ソニアがそっと手を差し伸べ、アリーシャを立ち上がらせる。その手の温もりは、幻とは思えないほど確かなものだった。
「俺達は、いつまでもアテナと一緒です。これっぽっちも、あなたのことを恨んでなんていませんよ。その逆だ。私達は、いつまでも、どこにいたって、アテナのことを見守っていますからね」
アイザックが眼鏡を押し上げながら、穏やかに、しかし絶対の信頼を込めて告げた。 誰もアリーシャを責めない。それどころか、彼女が新たな居場所を見つけ、新しい仲間のために命を燃やしていることを、誇らしく思ってくれている。その事実が、アリーシャの傷ついた魂を、何よりも深く癒やしていく。
「ったく、本当に最後の最後まで手のかかるリーダーだな、あんたは!」
ダンが頭を掻きながら、いつも通りの軽口を叩いた。
――ドスッ!!
「ぶふぉっ!?」
黄金の空間に、鈍い肉声が響く。レイナが目にも留まらぬ速さで、ダンの無防備な腹部に鋭い拳を叩き
込んだのだ。
「うっ……レ、レイナ……おま、不意打ちは……っ」
お腹を押さえて悶絶する大男を見下ろし、レイナはふん、と鼻を鳴らした。
「あんたは昔から、そうやっていっつも雰囲気を台無しにするよね! ほんとにさぁ!」
「面目ねえ……」
腰を曲げて苦しむダンと、腰に手を当てて怒るレイナ。何年経っても、何が起きても変わらない、かつての旅路で毎日繰り広げられていた騒がしい日常の光景。
「――っ、フフ……あははっ……!」
アリーシャの涙で濡れた頬が、自然と緩んだ。 愛おしくて、温かくて。久しぶりに心の底から込み上げた笑い声が、彼女の唇から溢れ出す。
その晴れやかな表情を見た瞬間、レイナたち四人の顔にも、これ以上ないほどの眩しい笑顔が咲いた。
「やっぱり、アテナは、その表情が一番似合いますね」
ソニアが嬉しそうに目を細める。
「さあ、現世の仲間たちが待っていますよ。急ぎましょう」
アイザックが闇の先を指さした。
「そうね! アテナ。――ううん、これからは『アリーシャ』、ね。これが私達との、本当のお別れよ。今まで本当にありがとう! あとの事はさ、もう勇者のためじゃなく、あなたの好きなように、あなたの人生を生きなさい!」とレイナが言う。
そこで一度言葉を区切り、レイナはどこか照れくさそうに、けれど心からの愛おしさを込めて、ふっと微笑んだ。
「――それとさ……私とダンを倒してくれて、本当にありがとう。あの時、私達もアリーシャ達を襲うのが本当に嫌でさ。でも、身体が勝手に動いちゃって、どうすることもできなかったの……。だから、あんたが全力で倒してくれたおかげで、私達もやっと呪縛から解き放たれて、スッキリすることができて本当に良かったわ!」
レイナの言葉に、後ろでダンも「おうよ!」と力強く親指を立てる。ソニアもアイザックも、深く頷いていた。
「だからさ、アリーシャ。あのヘルヴィーナって女、あんたの手で絶対にぶっ倒してやりなさい! ――大丈夫、私達もいつだってあんたの心の中で、あなたの力になるからさ!」
レイナがアリーシャの目を真っ直ぐに見つめ、最後の言葉を贈る。
「レイナ……みんな……っ」
その言葉を最後に、レイナたちの身体が、さらに強い光を放ち始めた。四人の輪郭はゆっくりと眩い光の玉へと還り、そのまま、これまでアリーシャが彷徨っていた深く冷たい暗黒世界のなかへと、真っ直ぐに突き進んでいく。
流星のように駆け抜けた四つの光は、闇を切り裂き、その遥か先にある『現実世界』へと繋がる、一本の美しく輝く「光の道」を作り上げた。
『さあ――行きなさい、アリーシャ!!』
遥か遠くから、レイナの、みんなの声が響く。
アリーシャは、溢れ出る涙を乱暴に袖で拭った。
「今まで、本当に……本当にありがとう……っ!! 最後の、最後まで……私のために、力になってくれて……っ!」
拭ったはずの瞳には、また次から次へと、溢れんばかりの涙が溜まっていく。視界が滲んで、前がよく見えない。 それでもアリーシャは、もう迷わなかった。
過去の愛する仲間たちに、最高の感謝と決別の笑みを。 そして、今、自分を必死に呼び戻そうとしてくれている、新しい大切な仲間たちの元へ。
少しだけ俯きながら、アリーシャは光の道を一歩、力強く踏み出した。 そのまま、速度を上げて走り出す。
一歩、また一歩と走るたびに、彼女の目から溢れた涙の雫が、きらきらと光の尾を引いて後ろへと飛び散っていく。 過去の未練を、悲しみを、すべて愛おしい思い出に変えて、彼女の身体は光の道を駆ける。
――今、行く。 ――マスター達が、みんなが待つ、あの温かな光の場所へ。
精神世界を貫く光の道を猛然と駆け抜けたアリーシャの意識は、現実世界の戦場に満ちる、ライラとセレスの神聖なる奇跡の光のなかへと、力強く還っていくのだった。
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次回の更新は7月17日(金)AM1時を予定しておりますので、よろしくお願いします!




