3-19話:重なる祈り、紡がれる絆
「セレス。これから唱える祈りは『サンクチュアリ』よ。――祈りの言葉は、ちゃんと頭に入ってるかしら?」
ライラは静かに目をつむり、自らの内にある神聖力をじわじわと高めながら、隣のセレスへと語りかけた。
「はい、わかります!」
セレスの力強い返事を聞き、ライラは口元だけで不敵に笑う。だが、その身体から立ち上る純白のオーラは、先ほどよりも一層その輝きを増していく。
「ただね――今回行うのは、私とセレスの神聖力を完全に同調させて行う『デュアル・サンクチュアリ』よ」
「デュアル……サンクチュアリ……ですか?」
聞いたことのない未知の祈りスキルの名に、セレスが思わず戸惑いの声を漏らす。 それもそのはずだ。『サンクチュアリ』の聖域効果は通常でも極めて高い浄化能力を誇り、それゆえに術者への負担も大きい。普通は重ね掛けなど絶対にしない、というか「できない」とされる禁忌に近い高等技術だった。
「何も心配いらないわ。要するに、ただのサンクチュアリの重ね掛けだから」
こともなげに言ってのける先輩に、セレスは内心で(そんな無茶な……!)と叫びそうになる。しかし、ライラが向けた眼差しには、冗談の一片すら混ざっていなかった。
「まぁ、私とセレスならたぶんできるから信じて! ――おしゃべりはここまでよ。さぁ、集中していくわよ!」
「……はいっ!」
セレスは深く息を吐き出し、自らの迷いを振り切るようにして目をつむった。 ゆっくりと二人の呼吸が重なり、それぞれの神聖力が境界線を無くしていくように、美しく同調を始めていく。
二人が完全に無防備な状態に入ったことを察し、レオはすかさず二挺の錬金銃を構え直した。より一層、周囲の暗闇への警戒を引き締める。
「レオ! 俺もいるから大丈夫だ。それに――ほら、あれを見ろよ」
隣で武器を構えるカイトが、短く声をかけて城壁の上を指さした。 レオが視線を誘われるようにそちらを見上げると――そこには、心配そうに拳を握りしめ、戦場を見つめていたミレイユの姿があった。
その瞳に浮かぶ不安の色に気づいた瞬間、レオの胸の奥に、男としての確かな覚悟が灯る。 もう、死の恐怖に怯えていたちっぽけな少年じゃない。
レオはミレイユの不安をすべて払しょくするように、いつもの不敵で、誠実な笑顔を浮かべ、城壁の上へ向けて力強く手を振ってみせた。 大丈夫、僕がみんなを守るから――。無言の背中でそう語るかのように、レオは再び前方を睨みつける。
だが、戦況はそれを生温く見守ってはくれなかった。
「――チッ。不快な光を放ちおって、何を企んでいる……!」
戦場のはるか後方、歪な魔力の奔流の中心で、ヘルヴィーナが忌々しげに顔を歪めた。ライラとセレスの二人が練り上げ始めた、尋常ではない規模の神聖力を察知したのだ。あれをまともに喰らえば、自らの呪詛が霧散しかねない。恐怖に似た苛立ちが、彼女の脳裏をよぎる。
「行け! 塵芥ども! あの二人の狂った神官を、今すぐ八つ裂きにしておしまい!!」
ヘルヴィーナの狂声を孕んだ鋭い指示が、戦場に響き渡る。 その瞬間、これまで前線のジークたちへと殺到していた魔物や、彼女が召喚したアンデッドたちの動きが一斉に止まった。ぎちぎちと不気味な音を立てて進行方向を変え、その全戦力を、無防備なライラとセレスの二人へと向け直したのだ。
ズズズ、と大地が鳴る。 数百を超える魔物の群れが、猛烈な砂埃を巻き上げながら、地崩れのような勢いでこちらへと向かって突進してくる。
「レオ! 来るぞっ!!」
カイトが警告の声を張り上げ、大剣を正眼に構えた。 だが、その猛烈な突撃の最前線に、城壁の上から夜空を昼間に変えるほどの凄まじい魔力の奔流が降り注いだ。
ミレイユがその華奢な身体からは想像もつかないほどの膨大な魔力を解放し、戦場全体を見下ろす。
「――燃え尽きなさい! 『インフェルノ・ノヴァ』っ!!」
彼女の叫びと共に、突撃する魔物たちの真ん中に巨大な火球が着弾した。直後、爆発という生温いものではない、大地そのものがひっくり返るような極大の烈火の拒絶――文字通りの「新星爆発」が巻き起こる。猛烈な熱波が押し寄せ、前衛の魔物たちは悲鳴をあげる暇すらなく一瞬で蒸発した。
だが、上位魔法の連発はそれだけでは終わらない。間髪入れずにエレナが杖を天へと掲げ、鋭い眼差しで詠唱を紡ぐ。
「――荒れ狂う天をここに。『サンダー・ストーム』!!」
今度は戦場の上空に激しい暗雲が立ち込め、エレナの風の魔力によって生み出された猛烈な暴風が渦巻いた。それだけではない。風に煽られた無数の雷撃が、雨あられとなってアンデッドの群れへ容赦なく突き刺さる。風の刃が肉体を切り刻み、紫電の雷が群れをまとめて消し飛ばしていく。
二人が放った最高峰の属性魔法の波状攻撃は、押し寄せる絶望的な数の軍勢に対し、完璧な「死の境界線」を作り出していた。
「魔物達は私たちに任せてください! 下の防衛は頼みます!!」
ミレイユが城壁の上から、張り裂けんばかりの声で叫ぶ。その健気で力強い支援に、レオは短く「おう!」と応え、引き金にかけた指に力を込めた。
しかし、真の脅威は魔物だけではなかった。 爆炎を突っ切り、身体の一部を欠損させながらも、一切の痛覚を持たないアンデッドの群れが、執念深くライラの元へと這い寄ってくる。
「おいおい、お前らどこにいくんだ? お前らの相手は、この俺だぜ?」
その行く手を遮るように、一閃。 凄まじい風切り音と共に、ジークがその愛槍『ゲイボルグ』を豪快に薙ぎ払った。一撃で数体のアンデッドの首が宙を舞い、胴体が消し飛ぶ。ジークは不敵に笑いながら、次々と迫り来る死者どもを無慈悲に解体していった。
――が、異変はその直後に起きた。
「……あァ?」
ジークが眉をひそめる。 彼がバラバラに切り伏せたはずのアンデッドたちが、傷口から黒い煤のようなモヤを噴き出しながら、ガタガタと肉体を再結合させ始めたのだ。そして何事もなかったかのように立ち上がり、再びライラたちへと歩みを進める。
「チッ、これだから死人野郎は面倒なんだよ! 倒しても倒しても、しばらくすると復活しやがる!」
幾度突き刺そうが、核を破壊しようが、ヘルヴィーナの魔力が供給される限り、彼らはゾンビのように蘇る。ジークの超絶的な槍術をもってしても、足止めが限界だった。
その膠着状態を破ったのは、上空からの凄まじい熱量だった。
「――『ドラゴンブレス』っ!!」
可愛らしく両頬をぷくっと膨らませたイグニスが、その小さな口から、およそ人間のものとは思えない極大の烈火を吐き出した。 紅蓮の炎がアンデッドの群れを瞬時に包み込み、その肉体を骨の髄までドロドロに溶かしていく。イグニスの放った超高熱の炎に焼かれたアンデッドたちは、黒い煤すら残さず完全に消滅し、二度と復活してくることはなかった。
「ふぅ……! ジーク、私のこれならアンデッド行けそうだ!」
イグニスが自慢げに胸を張って叫ぶ。それを見たジークは、額の汗を拭いながら盛大に吠えた。
「それなら、もっと早くにやってくれよ! 体力がいくらあっても足りねぇわ!」
「むぅ、これだって結構魔力使うんだからね!」
二人の掛け合いを視界の端で捉えていたレオの脳裏に、電撃のような閃きが走った。 炎なら復活を阻止できる。イグニスの魔力だけでは限界があるが、もし、ジークの圧倒的な手数に「炎」を付与することができたら――。
レオは、かつて自分が『ブレイドモード』を使用した際、銃身から放たれたあの術式――『フレイムバレット』の構造を瞬時に脳内で再構築した。あれをオリジナルではなく、仲間の武器に錬金術の媒介として撃ち込めば!
「ジーク! これを!!」
レオは二挺の銃口をジークの愛槍へと向け、迷わず引き金を引いた。
――キィィン!!
放たれた弾丸がゲイボルグの刃に命中した瞬間、戦場に響いたのは、通常の着弾音とは明らかに異なる、どこか神秘的で硬質な金属音だった。 着弾と同時に、レオの放った錬金魔術がジークの槍の刀身へとまたたく間に融解し、定着していく。
「――なっ、おおお!?」
ジークが驚愕の声をあげる。 彼の持つ『ゲイボルグ』の刃が、爆発的な轟音と共に、猛烈な紅蓮の炎に包まれたのだ。それはただの炎ではない。レオの錬金術によって極限まで圧縮された、不浄を焼き尽くす高密度の魔力炎だった。
「最高じゃねぇか、レオ! 気に入ったぜ!」
ジークの目が狂喜に細まる。炎の槍を豪快に一回転させると、彼は再起してきたアンデッドの群れへと文字通り突撃した。 紅蓮の軌跡が夜闇を切り裂く。今度は、ジークの槍がかすめただけで、アンデッドたちは復活の余地すら与えられず、一瞬で灰へと変わって崩れ去っていった。前線の防衛力が、一気に跳ね上がる。
「ちっ……ったく、小癪な真似を……っ!!」
その光景を遠巻きに見ていたヘルヴィーナは、激しい悔しさから、血が出るほどに美貌の唇を噛み締めた。自分の無敵の軍勢が、たった一人のガキの妙な術によって瞬時に無力化されている。
しかし、ヘルヴィーナの怒りは、次の瞬間、奇妙な戦慄へと変わった。 彼女の鋭い瞳が、二挺の銃を構えて前線をコントロールするレオの姿をじっと捉える。その銃の構え、魔力の変質のさせ方、そして何より、周囲のありふれた触媒を瞬時に超一級の魔導武装へと変える、そのあまりにも異常な錬金術の『冴え』。
「……ま、まさか、ね。そんなはずは……。だけど、あのガキの術の術式、どこかで……」
ヘルヴィーナの脳裏に、かつて自らの同胞たちが関わった『ある忌々しい過去の記憶』がよぎる。そこにあった、傲岸不遜なあの男の顔が。 いや、あり得ない。あの時すべて終わったはずだ。まさか、目の前のこの少年が――。
「ああっ、煩わしいわね!!」
ヘルヴィーナは不気味な思考を振り払うように頭を振り、猛烈な苛立ちを露わにして杖を地面に突き立てた。
「何をぐずぐずしているの! さっさとあの神官二人をやっておしまい!!」
彼女の怒声と共に、大地の底から、さらに禍々しい紫黒の魔力が噴き出す。倒された傍から、新たなアンデッドの軍勢が、さらに数を増して地面から這い出てきた。
「くそっ、本当にキリがないな……!」
前線は維持しているものの、敵の物量は圧倒的だ。レオは二挺拳銃で迫る魔物を引き撃ちしながら、この無限に続くような消耗戦を打破するための策を、必死に思考の海から探し出そうと視線を巡らせる。敵の核を叩くか、あるいは――。
焦燥に駆られながら、レオは一瞬だけ、後ろをチラリと振り返った。 守るべき二人の進行状況を確認するために。
その瞬間、レオの視界が、圧倒的な「純白」によって染まった。
「――っ」
ライラとセレス。 背中合わせで完全に意識を同調させた二人の中心から、目も眩むような神聖力が、とてつもない質量となって湧き上がっていたのだ。 二人の身体の周りには、まるでもう一つの太陽が地上に降り立ったかのような、まばゆく、清廉な光の球体が形成されつつある。その光が放たれるたび、周囲の澱んだ大気や、ヘルヴィーナの放っていた暗黒の呪詛が、じりじりと音を立てて消滅していくのが分かった。
二人の祈りは、すでに臨界点を超えている。 戦場全体を包み込むほどの規格外の聖域――『デュアル・サンクチュアリ』の発動は、もう、目の前だった。
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