3-11話:冥府の誘い
アイゼン・ガルド砦の跳ね橋付近は、文字通りの地獄と化していた。
だが、真の絶望は、魔物の軍勢の後方から、砂埃を上げ、味方の魔物さえも蹴散らしながら進んでくる巨大な影と共に現れた。
戦場に立ち込める空気の質が、劇的に変わる。 それは、死そのものが形を持って近づいてくるような、凍てつく圧迫感。
「ちっ……真打ち登場ってわけかよ。派手なお出迎えをしてやるぜ!」
ジークが喉を鳴らし、全身の魔力を槍――魔槍ゲイボルクへと集中させる。レオのフルドーピングバレットによって限界を超えて高まった魔力が、槍身から雷光となって溢れ出た。
「おらぁッ!! ぶっ飛べぇ!!」
咆哮と共に放たれたゲイボルクは、赤熱する流星と化してデビルエレファントへと一直線に突き刺さる。
ズドンッ!!!
大きく鈍い衝撃音が戦場を揺るがした。 地獄の象と称された巨躯は、悲鳴を上げる暇さえなく、内側から爆発するように霧散する。肉片と骨が雨のように降り注ぐ中、その背にいた影は、重力など存在しないかのように、しなやかに空中を舞った。
――トン。
悠然と着地したその姿に、ジーク、アリーシャ、ライラの三人は息を呑んだ。
そこに立っていたのは、禍々しい死の気配とは裏腹に、呆れるほどに妖艶な女魔族だった。 肢体を包むのは、漆黒の布地が申し訳程度に繋がれた、モノキニ風の際どいローブ。動くたびに、透き通るような白い肌と、豊満な胸元の渓谷、そして引き締まった腹部が露わになり、戦場の男たちの理性を毒のように蝕む。
彼女が歩を進めるたび、周囲を漂う紫の瘴気が揺れ、足元の草木は一瞬で枯れ果て、黒ずんだ死の大地へと変わっていく。
「ふふ……。目障りな虫どもめ」
彼女は、熟れた果実のような唇を妖しく歪め、上から物を見るような見下した視線を三人に向けた。その黄金の瞳には、慈悲など微塵も存在しない。
「我が名はヘルヴィーナ。……死霊伯ゼノス様への、良い手土産になってもらうわね」
鈴の音のような、だが背筋が凍るほど冷徹な声。 一歩、また一歩と近づいてくる彼女に対し、ジークたちは金縛りに遭ったかのように動けない。それは恐怖だけではない。彼女から放たれる、圧倒的な「格の違い」が、本能的に身体を硬直させていたのだ。
「あらあら、さっきまでの威勢はどうしたのかしら? ……どうしたの? かかってこないの? それとも……」
ヘルヴィーナは自身の豊かな胸元をなぞり、挑発するように身体をくねらせた。 「私の美貌と恐怖で、手も足も動かせないのかしら? あはははっ!」
その高慢な嘲笑が、ジークの我慢の限界を打ち砕いた。
「言わせておけば……! 野郎ども、下がってやがれッ!!」
ジークは「戻れ!」と叫びながら、ヘルヴィーナに向かって爆発的な加速で走り出した。その途中、地中から戻ってきたゲイボルクを完璧なタイミングで掴み取ると、その反動を全て推進力へと変換する。 身体をしならせ、音速を超えて放たれたゲイボルクの一閃が、ヘルヴィーナの首筋へと襲い掛かった。
「さすがですわね。この程度で到底、私は倒せませんが、まあ格下の魔族相手には致命的な一撃になるでしょうね」
ヘルヴィーナは避ける素振りさえ見せず、余裕ぶってジークを見つめたままだ。
「なっ……!?」
ジークの目が驚愕に見開かれる。 ゲイボルクは確かに彼女の首を捉えていた。だが、そこには、掠り傷一つ付いていない。彼女の周囲を漂う紫の瘴気が、ジークの渾身の一撃を、完全に無効化していたのだ。
「では、次はこちらから行きましょうか」
ヘルヴィーナが、自身の白い指先を下から空へと翳す。
「――起きなさい、私の可愛い下僕たち(子供たち)」
地響きと共に、地面から10体のアンデッド――ソルジャースケルトンが現れ、ジークに襲い掛かる。
「ジーク!」
ライラとアリーシャが叫び、すさかず加勢に入る。アリーシャが盾で骨の剣を受け止め、ライラが聖なる闘気を纏った拳で肋骨を粉砕する。
「ふふふっ……あははははっ! たった挨拶代わりだというのに、すでに必死とは、なんと滑稽な……」
ヘルヴィーナは、際どいローブの隙間から覗く腹部に、さらに禍々しい魔力を練り上げた。
「これで私を倒そうと思っていたなど、虫唾が走るわ!! ――もっと愉しませて、下僕ども(ソルジャーグール)!」
彼女の魔力を注がれたソルジャースケルトンたちが、肉を纏い、より強靭なソルジャーグールへと進化する。ウガアアアと雄たけびを上げながら、以前とは比較にならない速度と力で3人に向かって襲い掛かってきた。
アリーシャがシールドチェインを放ち、グールの動きを拘束。その隙にライラとジークが攻撃を叩き込もうとした瞬間、戦場の奥から黒い鎖が伸び、二人の手足を絡め取った。
「なっ……これは!?」
目線を鎖の先へと移すと、そこには、盾と黒い鎧を着たスケルトンが、静かに佇んでいた。
「これは……シールドチェイン!? まさか……」
驚愕に震えるアリーシャの中に、最悪の予感が走る。 そのスケルトンの盾の構え、そして鎖を操るその仕草。それは、彼女がかつて共に戦い、そして死別した、亡国の近衛騎士団の仲間のものと、酷似していた。
「あははは、気づいたのかしら? ……そうよ、彼らもまた、私のコレクションの一つ」
ヘルヴィーナは、自身の長い脚を弄びながら、愉悦に満ちた声を上げた。
「主を守れなかった無能な騎士たちの無念……。死してもなお、我が奴隷として戦う姿、美しいとは思わない?」
ヘルヴィーナの言葉に、アリーシャの視界が絶望に染まりかける。
――ダアァン! ダアァン!
二発の鋭い銃声が戦場に響き、ライラとジークを縛っていた鎖が弾け飛んだ。
「二人とも、大丈夫ですか!?」
レオだ。魔力無効化の弾丸『ヴォイド・ゼロ』を、遠距離から完璧な精度で命中させたのだ。 二人は即座に間合いを取るように下がり、アリーシャの隣に並んで構える。レオは流れるような動作で、アリーシャに『エーテル・バレット』を撃ち込み、枯渇しかけた彼女の魔力を充填させた。
「……アリーシャ、ヤツを知っているのか?」
ジークが、ゲイボルクを構え直しながら、横目でアリーシャに問う。
「……いえ。あの魔族は初めて見ますが、彼女が操るアンデッドの戦い方が……私が知っている、過去に戦った仲間と、あまりに似すぎていて……」
アリーシャは深くは話さなかったが、その声は微かに震えていた。
「要は、簡単にはいかないって事ね」
ライラはそう言うと、自身の唇を噛み切り、その血を拳に塗った。
「はああああッ!!」
闘気を一気に練り上げる。
「神聖拳奥義! 奇門遁甲、八神!!――直府!!」
神による加護で自身の身体に強力なバフ(強化)を掛ける。ライラの全身が、神聖な白い闘気によって包まれ、その力強さは、ヘルヴィーナの瘴気を一時的に押し返すほどだった。
「アリーシャ! 一度解除しろ! このままじゃ、お前が動けない」
ジークの指示に従い、アリーシャは鎖を解く。自由になったグールたちが一斉に襲い掛かるが、それよりもライラの動きの方が遥かに速かった。
「ジーク、私が先行するわ!」
地面を蹴り上げたライラは、レオの『アクセルバレット』と奥義『直府』の相乗効果により、白い光の矢と化した。瞬く間にソルジャーグールたちを粉砕していくが、それを見つめるヘルヴィーナの口角が、さらに深く吊り上がった。
瞬間、白銀の鋭い針のような突きがライラを襲う。
――ピアーシングラッシュ!?
白銀の、鋭い針のような突きが、ライラを襲った。アリーシャが悲鳴のような声を上げる。それは、かつての仲間、レイピア使いのレイナが得意としていた、高速連撃だった。
「くっ……!」
ライラは高速の連撃を紙一重で回避するが、逃げ切れなかった数発が肩や太ももをかすめ、鮮血が舞う。
「はあああッ!!」
ジークが高く跳躍し、空中から『槍雨連撃』を叩き込む。だが、再び盾を持ったスケルトンがその前に立ちふさがり、一点の隙もない動作で全ての攻撃を防ぎ切った。
「くそっ!! 」
ジークが毒づく。それは、かつて客船でアリーシャがジークの攻撃をガードした時と、全く同じ動きだった。
「――シールドチェイン!!」
今度はアリーシャが、ライラを執拗に攻撃する、レイピアを持ったスケルトンを拘束した。
アリーシャはそのスケルトンを凝視する。 錆びついた鎧、ボロボロの衣服。そしてその手にある、かつて彼女と背中を預け合った時に見た、見覚えのあるレイピア。
「やはり……あれは……レイナの……」
かつて共に戦い、そして命を落とした仲間の名前が、アリーシャの唇からこぼれ落ちた。
ヘルヴィーナの嘲笑が、戦場に響き渡る。 完璧な美貌と色香を纏った死神が操る、亡き仲間たちの軍勢。 アリーシャ、ライラ、ジークの三人は、かつてない絶望と、過去のトラウマに、じわじわと押しつぶされようとしていた。
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