2-56話深淵の魔喰樹(アビス・イーター)
「……ここがそうなのか」
王都の北東、地図に記された『魔喰の静寂』。その入り口に立った瞬間、レオの肌は総毛立った。 森の奥から溢れ出すのは、深海のような重苦しさを伴う濃密な魔素。吸い込むだけで肺が重くなるような感覚。ここがAランクの魔樹『深淵の魔喰樹』の領域であることは、疑いようもなかった。
「皆さん、ここからはどこに敵がいるかわかりません。慎重に……一瞬の隙も作らないでください!」
レオは『ツイン・レゾナンス』を左右に抜き放ち、錬金回路をフル回転させた。
「『ガード・バレット』、それと『ブースト・バレット』。装填、発射!!」
蒼と紅、二色の光が弾丸となって仲間の体に吸い込まれていく。身体能力の向上と防御膜の展開。
(……ふふっ、やっぱりこの名前、最高にかっこいいな)
レオは心の中で、自分自身のネーミングセンスに強く頷いた。実はこの名前、エイトリの宿屋で寝る間を惜しんで考え抜いた自信作だった。
(以前、「速度増加を撃った」とか説明してたけど、なんかこう、プロっぽくないっていうか、かっこ悪いし……。支援弾は無言でも撃てるけど、それだと受けた側が何が付与されたかわからなくて不安だろうしな。どうせなら、敵も味方も震え上がるような名前を叫びたいじゃないか!)
爆発する自らの「厨二心」を、レオは理性的な理屈で正当化しつつ、満足気に微笑んだ。
アリーシャを先頭に、ネネリ、レオ、そして最後尾にミレイユという陣形で、一行は死の森へと足を踏み入れた。
森の内部は、黒紫色の不気味な霧が足元から這い上がり、視界を著しく制限していた。
「皆さん、はぐれないように。この霧、魔力探知も狂わせています」
アリーシャが警告を発した直後――。
「シュルルルッ!」
視界の外から、大蛇のような太い樹の根が弾丸のごとき勢いで突き出された。
「――っ!」
アリーシャが瞬時に大盾でそれを受け流す。金属と硬い樹皮が擦れ、火花が散った。
「……たぶん、いましたね。今のは明らかに意志を持っていました」
しかし、どれだけ目を凝らしても、周囲は似たような黒ずんだ木々ばかり。どれが本体のアビス・イーターなのか、さっぱり判別がつかない。 すると、後方からミレイユがひょっこりと顔を出した。
「……あの、じゃぁ、一回焼きますか?」
「えっ? ……えええっ!?」
レオは思わず、二挺の銃を交差させたまま硬直した。 まさか、この儚げで大人しいミレイユの口から、「とりあえず全焼させよう」というバーベキューでも提案するような物騒な言葉が飛び出すとは。
「じ、じゃぁ……お願いしようかな?」
半ば引き気味にレオが許可を出すと、ミレイユは「えへへ」と少し照れながらバッグを漁り、ビー玉ほどの大きさの水晶を取り出した。内部でドス黒い炎が渦巻いている。
「嬢ちゃん、そりゃまたエグいもん持ってるな。フレイムリザードの魔石か?」
ネネリの問いに、ミレイユは首を振った。
「いえ、これはそれを模して作った研究所の『失敗作』なんです。魔力制御が効かなくて、一度火がつくとすべてを焼き尽くすまで消えないからって、私が拝借してきました」
失敗作のほうが凶悪じゃないか……とレオが戦慄する間もなく、ミレイユは魔力を一点に集中させた。
「では行きます……! 『ヘルファイア』!!」
その名の通り、黒味を帯びた地獄の炎が森を薙ぎ払った。 並の木々は叫ぶ間もなく灰へと還る。しかし、広大な焦土の中に、一点だけ悠然と枝を伸ばしている巨木がいた。
「あいつか! ようやく的が絞られたな!」
ネネリが巨大なバトルハンマーを振りかぶり、持ち前の跳躍力で空高く舞い上がった。重力と速度を乗せた一撃が、アビス・イーターの頭上から叩きつけられる。
ガギィィィン!!
「くっ、跳ね返された!? 障壁が厚すぎるぜ!」
ネネリの重い一撃すら、魔樹が展開する目に見えぬ力場に阻まれる。アビス・イーターは嘲笑うかのように無数の根を触手のように振り回し、猛烈な反撃を開始した。
「ネネリさん、下がって! ミレイユ、援護を!」
レオの指示に従い、ミレイユが次々と魔法素材を取り出す。
「『ファイアランス』!」
放たれた炎の槍が魔樹を貫こうとするが、アビス・イーターはその炎に触れた瞬間、それを霧のように吸収し、逆に枝を太く成長させた。
「ミレイユ、やめるんだ! たぶん奴には魔法そのものが逆効果だ!」
「そんな……。私、何もできない……」
がっかりと肩を落とすミレイユ。レオは必死に戦況を分析した。
(あの障壁も魔法の一種だ。なら、魔力の流れそのものを一時的に遮断できれば……!)
「ミレイユ! 魔法素材の中に、魔力阻害に特化したものってないかな?」
レオの呼びかけに、ミレイユの瞳に再び光が宿った。彼女は急いでバッグから、虹色に輝く美しい鳥の羽を取り出した。
「これ……見た目は綺麗ですけど、魔鳥『ヴォイド・クリーパー』の羽です。強力な魔力阻害を起こせます。でも、これを使うと術者の魔法も消えちゃうから、今まで使い道がなくて……」
「それだ! 貸してくれ!」
レオは羽を受け取ると、即座に錬金術を発動させた。魔力を遮断し、空間を無効化するイメージを極限まで高める。 銃身の中で新たな弾丸が形成された。
「……できた。その名も、魔力無効化弾!」
レオは弾丸を装填し、前線の二人に叫んだ。
「アリーシャ! ネネリ! 障壁を剥がす一瞬を作る! なんとか奴の根を引き付けて、正面を開けられるかい?」 「がってんだ!!」
「承知いたしました、マスター!」
二人はわざと押されているかのように背を見せ、囮となって敵の注意を引く。アビス・イーターの幹に浮かぶ不気味な節が、ニィと歪んだ。勝利を確信した魔樹が、トドメを刺そうとすべての根を二人へ向けて放つ――。
「今です!!」
アリーシャの合図と同時に、レオの銃口が火を噴いた。
カアン!!
これまでの支援弾とは違う、硬質で冷ややかな銃声。放たれた『ヴォイド・ゼロ』がアビス・イーターの障壁に激突した瞬間、キラキラとした虚無の粉が辺りに舞った。
「ギ、ギギギィッ!?」
アビス・イーターを覆っていた不可視の防壁が、ガラスが砕けるように霧散した。
「アリーシャ! ネネリ! あとは頼んだぞ!!」
レオの叫びと同時に放たれた『ヴォイド・ゼロ』が、アビス・イーターの鉄壁の障壁を霧散させた。その瞬間、防戦一方を演じていた二人の空気が一変する。
「演技はおしまいです……ここからは私たちの番ですよ!」
アリーシャが鋭い踏み込みと共に、白銀の剣を閃かせた。 彼女は襲いくる無数の根の嵐の中を、まるで見えない糸を潜り抜けるような滑らかな動きで突進する。 「はぁぁぁっ!」 一閃。ブースト・バレットの強化を受けたその一撃は、鋼鉄よりも硬い魔樹の根を、まるでおが屑のように一瞬でそぎ落とし、細切れにして戦場に撒き散らした。
本体を守る盾を失い、完全に剥き出しとなったアビス・イーターの核。そこへ、真打ちが躍り出る。
「よくやったレオ! アリーシャ! お返しだぜぇ!!」
ネネリが巨大なバトルハンマーを頭上に掲げ、全身の魔力を一点に叩き込んだ。
「ガァァァァッ!」
彼女の咆哮に呼応するように、ハンマーは眩いばかりの青白い雷を纏い、バチバチと激しい火花を周囲に撒き散らす。その圧力だけで、周囲の地面がひび割れ、空気が焦げ付く。
「くらえ! 『トールハンマー』!!」
ネネリが重力をも味方につけ、叩き落とした一撃。 その着弾と同時に、暗雲立ち込める空から巨大な落雷が、狙い違わずアビス・イーターの真芯へと突き刺さった。
ドガァァァァン!!!
鼓膜を突き破らんばかりの轟音。視界を真っ白に染める雷光。 爆風が吹き荒れ、砂塵が収まった後に立っていたのは、勝利の余韻に肩で息をする三人。 そしてその中央には、かつての森の主の面影もなく、ただ沈黙する真っ黒焦げの炭柱へと成り果てたアビス・イーターの姿があった。
「おし、仕留めたぜ!」
ネネリが額の汗を拭う。しかし、レオは顔を青くした。
「ネネリさん、あんなに派手にやっちゃって……材料まで丸焦げじゃないですか?」
「ガハハ、心配すんなっての!」
ネネリは平然とノコギリを取り出すと、炭化した幹を大胆にトリミングし始めた。すると、真っ黒な外皮の中から、紫色に妖しく、かつ美しく輝く硬質な芯が現れた。
「これだよ、これ! この『核』の部分こそが、極上の素材なんだ。表面がどれだけ焼けようが、こいつは無傷よ!」
無事に最高級の素材を回収し、証拠品の枝も確保した一行。 レオは、見渡す限り焼け野原になった『魔喰の静寂』を振り返り、少しだけ頬を掻いた。
「……ヘルファイアで焼いちゃったし、ネネリさんの雷でトドメ刺しちゃったし……。まぁ、元々危ない森だったみたいだし、これでいいよね?」
「はい、結果オーライです、マスター!」
アリーシャの明るい声に、ミレイユも「お役に立ててよかったです」と微笑んだ。 一行は意気揚々と、夕暮れに染まり始めた王都への道を歩み出した。




