1-4話:虚空を穿つ執念
裏山の修練場に、木剣が空を切る鋭い音が響く。
「踏み込みが遅い!」
「はいっ!」
父上の声に応え、僕は再び地面を蹴った。
右足を踏み込み、腰を回す。
身体の力を腕へ伝え、最後に手首を返す。
木剣が、冷たい朝の空気を切り裂いた。
「まだ力んでいる。肩の力を抜け」
「はい!」
「同じ動作を繰り返せ。身体が覚えるまでだ」
以前の僕なら、同じ型を繰り返すだけの稽古に、意味を見つけられなかっただろう。
剣の才能がない自分へ、どうして父上は剣を教えるのか。
そんな疑問ばかりを抱えていた。
けれど、あの夜に最初の設計図を描いてから、僕の稽古に対する考え方は変わった。
(肩の力を抜く。踏み込みと同時に照準を合わせて、最後に手首を返す)
今、握っているのは木剣だ。
それでも僕の頭の中では、まだ形にもなっていない武器の機構が動いていた。
(無駄を削れ。この動きを、次の弾を送り込む機構へつなげるんだ)
父上から教わる一つ一つの動作が、僕には別の意味を持つようになっていた。
足の運びは、狙いを定めるために。
腰の回転は、反動を受け流すために。
手首の返しは、素早く次の動作へ移るために。
剣士としての才能がないのなら、その型に込められた理を学べばいい。
そして、錬金術によって自分の戦い方へ作り変える。
「もう一度だ」
「はい!」
僕は木剣を構え直した。
泥に足を取られ、何度も転ぶ。
父上の一撃を受けて、何度も地面へ叩き伏せられる。
手の皮が破れ、木剣の柄が血で滲んでも、立ち上がることだけはやめなかった。
夜明け前には、父上から剣の型を学ぶ。
昼は錬金術の基礎を勉強し、夜になれば自室で設計図を描き直す。
僕の生活は、その繰り返しになった。
最初に描いた図面は、ひどいものだった。
部品同士の大きさは合っていない。
魔力を流せば回路が途中で焼き切れる。
試しに木で作った円筒形の部品は、手首を返しても回らなかった。
「どうして動かないんだ……?」
机の上で部品を分解し、原因を探す。
軸が太すぎた。
それを直すと、今度は留め具が弱くなった。
金属で試作すれば、僅かな歪みによって弾倉が動かなくなる。
一つ直すたびに、別の問題が生まれた。
失敗するたび、机の上には使えなくなった部品が増えていく。
それでも僕は、捨てなかった。
失敗した理由を紙へ書き残し、次の設計図を描いた。
春が過ぎ、夏が来た。
秋になり、やがて雪が修練場を白く覆った。
季節が変わっても、僕の暮らしは変わらない。
夜明け前には木剣を振り、夜には羽ペンを握った。
それから一年が過ぎ、また一年が過ぎても――。
僕の武器は、まだ一発の弾丸すら放てなかった。
◇
「……相変わらず、無駄な汗を流しているな」
本館の二階。
豪奢な装飾が施された窓辺から修練場を見下ろし、長男のジークハルトが冷ややかに鼻を鳴らした。
視線の先では、泥まみれになったレオが、何度倒されても木剣を拾い上げている。
ジークハルトの背後から、足音が近づいた。
「何を見ているのですか、兄上」
声をかけたのは、次男のアルフォンスだった。
「ああ、お前か」
ジークハルトは窓の外を顎で示した。
「見てみろ。信託を受けてから何年も経つというのに、いまだ剣を諦められないらしい」
アルフォンスも修練場へ視線を向ける。
レオは父ギルバートの一撃を受け、泥の中へ倒れたところだった。
「【アルケミスト】に剣など扱えるはずがないというのに。よく飽きずに続けられるものですね」
「父上も父上だ」
ジークハルトの声に、不満が滲む。
「なぜ、あれほど無価値な弟へ時間を使う? 我らへ奥義を授ける方が、ヴァレンタイン家のためになるだろう」
「もしかすると父上は、レオに何かを期待しているのでは?」
アルフォンスが何気なく口にすると、ジークハルトの眉が僅かに動いた。
「馬鹿なことを言うな」
その声には、先ほどまでなかった苛立ちが混じっていた。
「戦闘適性のない錬金術師だぞ。父上が何を教えようと、あれが我々へ追いつくことなどあり得ない」
「もちろん、私もそう思いますよ」
アルフォンスは薄く笑った。
「飛べない鳥が、何年も羽ばたく練習をしているようなものです。努力している姿だけなら、立派に見えるかもしれませんがね」
「あら。二人揃って何を見ているのかしら?」
部屋の扉が開き、絹の衣擦れの音とともに、正妻エレオノーラが姿を現した。
「母上。レオを見ていたのです」
ジークハルトの言葉を聞き、エレオノーラも窓辺へ歩み寄る。
西日に照らされた修練場では、レオが一人で型を繰り返していた。ギルバートとの稽古を終えたあとも残り、自主的に木剣を振っているのだ。
「何年経っても、まだ続けているのですね」
エレオノーラは扇で口元を覆った。
「母上からも、父上へお伝えください。レオへ稽古をつけるなど、時間の無駄だと」
ジークハルトが訴える。
しかしエレオノーラは、すぐには答えなかった。
「好きにさせておけばよいのです」
「よろしいのですか?」
「ええ。いくら足掻いたところで、信託によって定められた職業は変わりませんもの」
細められた瞳には、冷たい光が宿っていた。
「届かないものへ手を伸ばし続ければ、いつか自分で限界を悟るでしょう。そのとき、あの子はようやく理解するのです」
エレオノーラは、泥にまみれたレオを見下ろした。
「側室の子である自分に、ヴァレンタイン家で居場所などないのだと」
アルフォンスが小さく笑う。
「それもそうですね、母上」
「それに――」
エレオノーラは、息子たちへ視線を移した。
「あなたたちは、あの子のことなど気にする必要はありません。ジークハルトは騎士として、アルフォンスは魔法使いとして、この家を支える存在になるのですから」
「はい、母上」
ジークハルトは満足げにうなずいた。
「我々とレオでは、最初から立っている場所が違うということですね」
窓辺から離れる三人の背後で、修練場のレオは再び木剣を振り上げていた。
彼らはまだ知らない。
レオが学んでいるのは、もはや届かない剣の振り方だけではない。
踏み込みの一歩。
重心の移動。
反動を受け流す腰の回転。
そして、次の動作へ移るための手首の返し。
そのすべてが、まだ名も持たない武器を完成へ導くための一部になっていることを。
◇
窓の向こう側で自分が笑われていることなど、僕は知らなかった。
木剣を振り、父上から教わった型を身体へ刻み続ける。
「……もっと速く」
踏み込む。
木剣を振る。
手首を返し、すぐに構え直す。
同じ動きを、何度も繰り返す。
「まだ無駄がある……」
わずかに肩が上がっていた。
足を踏み込みすぎて、次の動作が遅れている。
気づいた問題を一つずつ修正する。
それは夜の研究も同じだった。
ある日の深夜。
僕は新しく作った円筒形の部品を、震える指で回した。
これまで何度試しても、途中で引っかかって動かなかった機構だ。
手首を返し、側面の留め具を押す。
カチッ。
小さな音を立て、円筒が一つ分だけ回転した。
「……動いた」
もう一度、同じ動作を繰り返す。
カチッ。
円筒は再び回った。
「動いた……!」
思わず立ち上がり、椅子が背後へ倒れた。
まだ弾丸を撃つことはできない。
魔力を流せば壊れるかもしれない。
武器と呼べる段階には、遠く及ばなかった。
それでも、何年も紙の上にしか存在しなかった機構が、初めて僕の手の中で動いた。
胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。
「間違ってなかった……」
泥にまみれた日々も。
父上から何度も打ち倒されたことも。
数え切れないほど設計に失敗した夜も。
そのすべてが、この小さな音へつながっていた。
カチッ。
もう一度、円筒を回す。
静かな部屋に響いたその音は、あまりにも小さかった。
けれど僕には、いつか虚空を穿つ銃声のように聞こえた。
春が過ぎ、夏が来る。
秋を越え、冬を耐える。
僕は夜明け前に剣を振り、夜には金属と図面へ向き合い続けた。
一年。
二年。
そして、五年――。
十歳だった僕の身体は少しずつ成長し、木剣を握っていた手には、火傷と切り傷が増えていった。
設計図は何度も描き直され、机の上には改良を重ねた部品が並ぶようになった。
それでも、僕が求める武器は完成していない。
「もっとだ……」
僕は新たな図面を広げ、羽ペンを握った。
「もっと速く。もっと正確に」
誰に笑われても構わない。
無能だと言われても、もう立ち止まらない。
「僕にしかできない戦い方を、必ず完成させる」
五年という歳月の中で研ぎ澄まされたのは、剣の腕だけではなかった。
何度壊れても、何度失敗しても、答えへ手を伸ばし続ける執念。
その執念こそが、まだ見ぬ一発を虚空へ放つための、レオ・ヴァレンタインにしか持ち得ない力になろうとしていた。
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