2-42話:泥だらけ
結局のところ、今回のバジリスク討伐において、レオが自ら引き金を引き、魔物を仕留める機会は一度も訪れなかった。『ツイン・レゾナンス』の真の攻撃性能を拝むことはお預けとなったが、代わりに得たものは大きかった。
「……まあ、この『双頭の涙』が手に入っただけでも、良しとしなきゃいけないのかな」
レオは異空間収納に収められた、深海のように濃い青色を放つレア素材を思い浮かべた。ユニークモンスターから採取されたそれは、通常のバジリスクの涙よりも数倍濃い魔力を含んでいる。錬金術師としての血が、これでどんな弾丸を作ろうかと、疲れを忘れて騒ぎ出していた。
本格的に降り出した雨の中、二人は魔法都市アルカナへと引き返した。 広大な草原を抜け、再び「神秘の森」へと足を踏み入れる。すると、空を覆う巨大な木々の葉が天然の屋根となり、レオたちの全身を叩いていた激しい雫を遮ってくれた。
「ふぅ、ようやく森まで戻ってきたね。なんだか今日はいろいろあって……どっと疲れがきたよ」
レオが肩を回しながら言うと、隣を歩くアリーシャからは「そうですね……」と、消え入りそうな声が返ってきた。見れば、彼女は耳まで垂れそうなほどにしょんぼりと肩を落としている。
「アリーシャ? そんなにさっきのことが心残りだったのかい? バジリスクを全部倒しちゃったこと」
レオが気遣うように尋ねると、アリーシャは視線を足元の湿った土に向けたまま、静かに口を開いた。
「それもあるのですが……。少し、昔のことを思い出してしまって……」
「昔のこと?」
「昔も、パーティーのみんなで討伐依頼をしている時……私、どうしても役に立ちたくて張り切りすぎて、今回みたいにたくさんの敵を釣ってきてしまったんです。その後、みんなにがっつりと叱られたことを思い出しまして……」
「あ……」
レオは思わず歩みを止め、呆れたような、それでいてどこか納得したような顔で彼女を見た。その「豪快すぎるうっかり癖」は、数百年経っても治っていない、いわば彼女の「筋金入り」の性質だったのだ。
「でもさ、なんでアリーシャはそんなに過剰っていうか、張り切りすぎちゃうの?」
問いかけながらも、レオはハッとした。アリーシャが今にも泣き出しそうなほどショックを受けている姿を見て、言葉選びを間違えたかと後悔する。
「それは……」
彼女は言葉に詰まり、唇を噛んだ。その瞳の奥には、単なる「失敗への反省」だけではない、もっと重く、暗い何かが揺らめいているように見えた。
(……何か原因があるみたいだな。でも、今はまだ言えないみたいだ)
レオはそれ以上追及するのをやめ、努めて明るい声で話題を切り替えることにした。
「まあ、今回はレアな素材も手に入ったんだ! アルカナに着いたら、景気づけに何か旨いご馳走でも食べようや!」
「そ、そうですね! マスター!」
アリーシャは無理に作ったような笑顔で応えたが、その表情にはまだ翳りが残っていた。
二人はようやく北門をくぐり、光輝くアルカナの街へと帰還した。
「……そういえば、今回はキマイラと遭遇しなかったな」
レオはふと不思議に思う。王都からここへ来るまでに2体、以前の討伐では1体を倒している。個体数が少ないとはいえ、これだけの距離を往復して気配すら感じなかったのは、ただ運が良かっただけなのだろうか。
しかし、今のレオにそれを深く考察する余裕はなかった。 街の住民たちが、こちらを「汚いものを見るような目」で見ていることに気づいたからだ。
「うわぁ、やっぱり目立ってるよ……」
「……この格好では、無理もありませんね」
湿原を全力で走り回った二人は、全身びしょ濡れのドロドロ。歩くたびに、魔法都市の美しい石畳に黒い泥の足跡が刻まれていく。幸い、激しくなった雨が足跡を洗い流してくれているが、通行人たちの引きつった顔までは消せなかった。
逃げ込むように宿屋へ戻ると、番頭のおばちゃんが目を丸くして迎えてくれた。
「おやおや、一体どこの沼に落ちてきたんだい! お湯と着替えを渡すから、さっさと洗っておいで!」
おばちゃんの厚意に甘え、二人は各自の部屋で装備と体を清めた。泥を洗い流し、清潔な貸衣装に袖を通すと、ようやく「生きた心地」を取り戻すことができた。
その夜、宿の一階。温かいスープと肉料理を前に、二人はこれからの予定を話し合った。
「ギルドへの報告は明日にして、明日は一日体を休めよう。……明後日には、王都への帰路に就くことにするよ」
「わかりました。……おやすみなさい、マスター」
食事を終え、自室に戻ったレオはすぐに深い眠りに落ちた。 しかし、アリーシャは違った。
暗い部屋の中で仰向けになり、天井を見つめていた彼女は、何度も何度も寝返りを打つ。
「……また、やってしまった……」
窓を叩く雨音を聞きながら、彼女は今日犯した失態と、それと重なる遠い昔の記憶を反芻していた。勇者と共に歩み、仲間に叱られながらも笑い合っていた日々。そして、自分が「やりすぎてしまった」せいで、何かが壊れてしまったあの瞬間のこと――。
「マスターにだけは……嫌われたくないのに」
悔やみ、祈るように呟きながら、アリーシャはだんだんと重くなっていく瞼を閉じた。 彼女の心に空いた穴は、アルカナの眩い光でも、レオの優しい言葉でも、まだ完全には埋まりきっていないようだった。




