2-38話:アルカナの記憶
無事に宿屋を確保したレオとアリーシャは、色とりどりの魔石の光が溢れるアルカナの街へと繰り出した。王都フィラルモニアのような厳格な秩序とは異なり、どこか享楽的で、それでいて探求者の熱気が渦巻くこの街の空気に、レオは圧倒されていた。
「ところでさ、アリーシャ。少し気になったんだけど、君がいた時代にもここはあったの?」
ふとした疑問に、アリーシャは歩みを止め、空を覆う巨木と街の境界にある巨大な石壁を見上げた。
「……昔もありました。ただ、当時はこれほどの都市というよりは……そうですね、軍事要塞、といった趣だった気がします」
彼女は遠い記憶の断片を、霧の中から拾い上げるように慎重に話す。
「ここが要塞!? ……まあ、言われてみれば高い石壁に深い堀、あの頑丈な跳ね橋……。魔物から守るというより、対人間を想定したような名残があるよね」
「はい、そうです。その基本構造は昔と変わりません。跳ね橋などは新調されているようですが、この街の『拒絶』の精神は、数百年経っても土台に刻まれています」
劣化する場所を新調しながら、歴史を積み重ねていく街。レオは感心しながらも、その「拒絶」が必要だった時代の背景を思わず尋ねてしまった。
「なんか、昔のことばかり聞いて申し訳ないんだけど……そんなに争いが激しかったの?」
アリーシャは嫌な顔一つせず、レオの隣を歩きながら静かに語り始めた。
「私の時代、最大の敵は魔物ではなく『魔族』でした。魔王が存在し、知性ある魔族たちが組織的に街を襲っていたのです。彼らは魔物を使役することができました。魔族が攻めてくる前兆は、常に、使役された魔物による『スタンピード(大暴走)』でした。防衛のために人員を割かれ、陣形を乱された隙を突かれる……。狡猾で、非常に厄介な相手でした」
その言葉を聞いた瞬間、レオの背筋に冷たいものが走った。思い出したのだ。アリーシャがかつて魔王討伐の過酷な旅路で、信じていた仲間たちを全員失っているという事実を。
「……ご、ごめん! アリーシャの傷を広げるようなことを聞いちゃって……」
レオは急激に落ち込み、自責の念に駆られた。せっかく新しい旅が始まったのに、なんて無神経な質問をしてしまったのか。
「いえ、マスターにはいずれ話さなければならないと思っていましたから」
アリーシャは淡々と答えたが、深く項垂れるレオを見て、ふと瞳に悪戯っぽい光を宿した。
「……ああ、マスターに酷く傷つけられちゃいましたね。私」
わざとらしく、心に穴が空いたような仕草で胸に手を当てるアリーシャ。
「うっ……ほ、本当にごめん」
真面目すぎるほどに謝り倒すレオ。すると、アリーシャは顔を近づけ、覗き込むように言った。
「じゃあ、傷物になった私の責任、とってくれますか?」
「マスターなんだし、もちろん! 責任を持って君を守るよ!」
レオが真剣な瞳で宣言し、彼女の顔を正面から見据えた。その瞬間、アリーシャの表情が劇的に崩れた。 ぷぷっ……、と口元を押さえ、必死に笑いを堪えている。
「はは……あははははっ!!」
アリーシャはついに我慢できなくなったように、腹を抱えて思い切り笑い出した。 レオは、彼女がこれほどまでに感情を爆発させて笑う姿を、初めて見た。 金色のサラサラとしたロングヘアを夜の風になびかせ、少女のように屈託なく笑う姿。普段の「伝説の騎士」としての凛々しさからは、想像もできないほど瑞々しい美しさだった。
「アリーシャ! さっきのは……おちょくったんだな!」
「ふふ、すみません。あまりにも真剣に落ち込んでいたので……さっきのミレイユさんの件もありましたし、少しだけ意地悪したくなりました。でも、『責任をとる』という言質はいただきましたよ?」
ドヤ顔を浮かべる彼女に、レオはハッとして思い出す。
「そ、それはマスターとしてって意味だよ! 拡大解釈しないでくれ!」
「あら、そんな言い訳、もう遅いです。つまり、最後まで面倒を見てくれるんですよね? ずっと一緒にいてくれるってことですよね?」
ぐいぐいと距離を詰めてくるアリーシャに、レオは言葉に詰まり、「な、何も言えない……」と沈黙するしかなかった。
「……ふふ、ちょっとやりすぎましたかね。まあ、これからどのみち長い付き合いになります。今は今まで通りで行きましょう」
アリーシャが大人びた微笑みで締め括り、再び歩き出す。だが、レオは彼女の背中に向けて、ふと思ったことを口にした。
「……でも、アリーシャは今の感じがいいかな、って思うよ」
予想外の発言に、アリーシャの肩がびくんと跳ねた。 「へっ!?」 聞いたこともないような、甲高い裏声が彼女の口から漏れる。
「なんかさ、今までの堅苦しい感じより、今の方が話しやすいというか……なんていうか、可愛らしいというか。女の子らしくて、いいと思うんだ」
レオが照れ隠しに淡々と(しかし本心を込めて)言うと、アリーシャの足取りがぴたりと止まった。 その顔は、見る見るうちに真っ赤に染まり、赤さは耳たぶにまで達している。
「が、がんばります……」
蚊の鳴くような声でそう答えるのが精一杯のアリーシャ。 しかし、彼女の胸の奥底で、数百年もの間、氷のように固まっていた心の殻が、また一つパリンと音を立てて破れた。
アルカナのネオンが、赤面した騎士と、少し照れくさそうに歩く少年の背中を、優しく包み込んでいた。




