2-26話:滝裏の聖域
翌朝。地下都市を包む湿った熱気の中、レオとアリーシャは装備を整え、ネネリの工房を訪れた。
「おはようございます!」
「お、早いな! 気合が入ってるじゃないか」
ネネリもまた、愛用のバトルハンマーを手入れし、準備を整えていた。彼女はレオの腰にある古ぼけた短剣に目を留めると、棚から一振りの剣を掴み出し、無造作に放り投げた。
「レオ、あんたにこれを貸しとくわ。ミスリル製の片手剣だ」
「えっ、いいんですか!?」
「剣は使えるんだろ? そんななまくらじゃ、いざという時に自分を守れやしないよ。……んじゃ、出発だ!」
三人は地下都市を抜け、再び山を登り始めた。五合目を越え、さらに険しい道を進む中で、レオはパロムとマロムが外に出たがった理由を悟った。地上は厳しいが、ここには地下にはない開放感と、まだ見ぬ未知が詰まっている。
しばらく登ると、隣接する巨大な巨峰が間近に迫る地点に出た。
「ここから少し降りるよ!」
ネネリはそう言うやいなや、ブーツの底を巧みに使い、雪山を滑るスキーヤーのように斜面を滑降していった。
「んなこと、できるかッ!」
レオは悲鳴を上げながら、木の枝や幹にしがみつき、泥だらけになって斜面を下る。先行するアリーシャが時折軽やかに振り返り、「マスター、こちらです」と優しく手を差し伸べてくれるのが唯一の救いだった。
ようやく下りきった先では、ネネリが腕を組んで仁王立ちしていた。
「遅いぞ! 時間は限られてるんだ、先を急ごう」
彼女の言葉を追うように、重低音の轟きが響いてきた。進むにつれ、空気はひんやりと冷たく、清涼な湿り気を帯びていく。森が開けたその先に現れたのは、白銀のカーテンのような巨大な滝だった。
ネネリは「こっちだ」と手招きし、滝の裏側へと潜り込んだ。そこには、口を開けた巨大な洞窟の入り口が隠されていた。レオが思わず足を踏み入れようとすると、ネネリの手がそれを制した。
「ちょっと待ちなお前さん」
彼女はバッグから小瓶の酒と、手製の小さなアクセサリーを取り出し、入り口の岩肌に供えた。目を閉じ、静かに祈りを捧げる姿は、奔放な彼女には珍しい「伝統を守る族長」の顔だった。
「……よし、待たせたね。行こうか」
洞窟内は意外にも明るかった。等間隔に配置された魔石が、幻想的な青白い光で足元を照らしている。頭上を流れる川の水が天井からポタポタと滴り、独特の湿り気が肌を撫でるが、道は驚くほど平坦に整備されていた。
「これだけ整備されていれば、魔物は出てこないんですか?」
「ああ、ここは主に運搬道だからね。道を整えて魔物を排除しておけば、採掘効率が上がるだろう?」
ネネリの合理的な答えに、レオはなるほどと頷く。しかし、歩きながらネネリが不意に、核心を突く質問を投げかけてきた。
「ところで……ちょっと気になる事を聞いてもいいかい?」
「はい、なんでしょう?」
「どうして、うちらがこの山にいるって分かったんだい? 人間との交流を絶って久しいっていうのにさ」
レオは言葉に詰まった。「そ、それは……」と助けを求めるようにアリーシャを見る。アリーシャは穏やかに微笑み、レオの代わりに口を開いた。
「私が提案したのです。代々、変わらぬ誇りを持って技術を継いでおられるなら、きっとこの聖なる山におられるはずだと……」
それは、アリーシャがかつての英雄アテナだった頃の、古い記憶に基づく推論だった。
「なるほどね! 確かに的確な読みだ。うちらはずっと昔からここで火を絶やさず生きてる。……だけど、その『かなり昔』の話を、今の人間がよく知っていたもんだね?」
ネネリの探るような視線に、今度はアリーシャも困ったように視線を泳がせた。正体を知られるわけにはいかない。レオは必死に頭を回転させ、苦し紛れに話題を逸らした。
「あ、ネネリさん! ところで、ヒヒイロカネとアダマンタイトの取れる場所って……やっぱりこの奥なんですか?」
「あー、その二つね。場所は知ってるよ。というか……『動いてる』というか、ね!」
ネネリのその返答に、レオは思わず「へっ?」と間の抜けた声を上げた。アリーシャの正体への追求をかわすことには成功したが、今度はネネリが投げた「予想外すぎる餌」に、レオ自身が完全にかかってしまったのだ。
「う、動いてる? ネネリさん、それってどういう……。鉱石って、地面に埋まってるもんじゃないんですか?」
「普通の鉱石ならそうさね。だが、あんたが求めてるアダマンタイトとヒヒイロカネは別格だ。あの二つはこの山の『主』……それも、とびきりデカくて血の気の多い連中が関係してるのさ」
ネネリは肩に担いだバトルハンマーを軽く叩き、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
「つまり、採掘ってのは建前さ。正解は『狩り』だよ。」
「か、狩り!? 石を掘りに行くんじゃなくて、戦って剥ぎ取るってこと!?」
レオは思わず、さっき貸してもらったばかりのミスリル剣の柄を握り直した。なんとか話題を逸らせて安心したのも束の間、今度は逃げ場のない「戦場」へ自ら飛び込んでしまったことに気づき、顔が引きつる。
「……マスター。先ほど『転移トラップ』などと仰っていましたが、それよりもずっと直接的な試練になりそうです」
アリーシャが、レオの動揺を察してか、少しだけ呆れたような、それでいてどこか頼もしさを感じさせる苦笑いを浮かべた。
「さて、整備された道はここまでだよ。気合を入れていくよ!」
ネネリがハンマーを握り直す。整備された灯りの届く道が途絶え、その先には原生のままの、闇深い空洞が広がっていた。




