2-14話:涙の洗礼と、月下の安らぎ
「レオ……!」
カイルの声は震えていた。弾かれたように立ち上がり、椅子が床を鳴らす。そこには、絶望の淵にいたはずの少年が、煤けながらも確かに立っていた。 レオは気まずそうに、けれど安堵を隠しきれずに呟く。
「カイルさん……」
感動の再会。レオがそう思った瞬間、カイルが地響きを立てるような力強い足取りで距離を詰めてきた。 その顔は怒りに満ち、大きく右腕が振り上げられる。
(殴られる……っ!)
レオはギュッと目をつぶり、奥歯を噛み締めて衝撃に備えた。 しかし、振り下ろされた手は拳ではなく、開かれた掌だった。
「――この、馬鹿野郎……ッ!」
カイルの手が、レオの頭をぐしゃぐしゃになるほど力強く撫で回した。怒鳴り声の裏には、喉の奥から絞り出すような安堵が滲んでいる。
「生きてればいい……! 生きていれば、なんだってやり直せるんだよッ!」
カイルの叫びと、その大きな掌がレオの髪をぐしゃぐしゃにかき回す光景。 それを見ていたアテナの青い瞳に、ふわりと静かな光が宿った。
(……ああ、そうだ。かつて、あの方たちも……)
450年前、魔王討伐の旅路。傷だらけで戻った自分を、同じように怒鳴りながら抱きしめてくれた仲間たちの姿が、目の前の光景に重なり、胸の奥を突き刺す。
平和のために戦ったはずの自分に、王都の民が向けたのは「化け物」を見るような冷たい視線だった。信じていた場所から拒絶され、心が凍りついていたアテナ。 けれど今、目の前で泣きじゃくる少年と、彼を不器用に案ずる冒険者の姿に、失ったはずの「人の温もり」を確かに感じていた。
(マスター……。あなたは、私にもう一度、信じる価値のある世界を見せてくれるのでしょうか)
アテナは静かに目を伏せる。その頬を伝う一筋の雫は、冷たい封印から解かれた彼女の心が、レオの涙に共鳴して流した「再誕」の涙だった。
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「さあ! 夜も更けて遅いわ。事情は明日聞くとして、今日はもう帰りましょう!」
リサがパンパンと手を叩き、沈痛な空気を明るく塗り替えた。
「そうだな! 疲労も限界だろ。解散だ!」
カイルが右手を挙げて背を向けた、その時。
「あ……ッ!」
レオは急激に現実へと引き戻された。 鉱石の採取は失敗し、依頼達成の報酬はない。つまり、今夜泊まる宿の金が一枚もないのだ。
「ど、どうしよう……宿代が……」
「なんだ、そんなことかよ」
カイルが呆れたように笑い、リサへ視線を送る。 リサはいたずらっぽく小首を傾げた。
「レオ君、『困ったことがあったら聞いてね』って言ったの、覚えてるかな?」
「あ、はい……!」
「王都に来る初心者の冒険者さんは、大抵お金を持っていないものよ。だからギルドには救済措置があるの。登録から一ヶ月間は、指定の宿代が免除される仕組みなのよ」
「本当ですか……!?」
レオの目の前がパッと明るくなった。リサは慣れた手つきで書類を書き上げると、最後にアテナを指した。
「今日はいろいろイレギュラーもあったし、そちらの彼女も一緒に泊まれるようにしておくわね。はい、これを宿に持っていって」
リサが軽やかにウインクをする。その洗練された美しさに、レオは思わず「やっぱり可愛いなぁ」と見惚れてしまった。
……その時。 背後から、背筋が凍りつくような鋭い「殺気」が突き刺さった。
「――っ!?」
慌てて振り返るレオ。しかし、そこにいるアテナは涼しげな顔で佇んでいるだけだ。
「……マスター? どうかなさいましたか?」
「え、あ……いや、なんでもない。気のせいかな……」
(まさかね、アテナさんがそんな……)
冷や汗を拭いながら、レオはアテナを連れてギルドを後にした。 王都フィラルモニアの月夜。 一人で迎えるはずだった夜は、騒がしい先輩と、優しい受付嬢、そして謎めいた伝説の勇者という、賑やかで少しだけスリリングな「合奏」へと変わり始めていた。




