3-27話 朝陽の食卓、戦いの報告へ
窓から差し込んでいた銀色の月光は、いつの間にか柔らかな朝の光へと変わっていた。
その光が、窓際の机へ伏せるレオの金髪を淡く照らしている。
コン、コン――。
「マスター、おはようございます」
扉の向こうから、アリーシャの声が聞こえた。
しかし、部屋の中から返事はない。
「マスター?」
もう一度呼びかけても、沈黙が続く。
昨夜のレオは、一人で立っていることさえつらそうなほど疲れていた。その姿を思い出したアリーシャの胸に、僅かな不安がよぎる。
「マスター! アリーシャです! いらっしゃいますか?」
先ほどよりも少し強く扉を叩く。
それでも返事はなかった。
アリーシャは逡巡したあと、ドアノブへ手をかける。
「……失礼いたします」
念のため回してみると、ガチャリと音を立てて扉が開いた。
どうやらレオは昨夜、部屋へ戻った安心感から、施錠することを忘れてしまったらしい。
アリーシャが静かに部屋へ入る。
最初に目を向けたベッドには、レオの姿がない。
「マスター……?」
部屋の中を見回すと、窓際の机に金色の頭が見えた。
レオは椅子へ座ったまま机に伏せ、眠っていた。その腕の下には、母の形見である錬金術書が開かれている。周囲には、魔導回路や意味の分からない図形が書き込まれた紙が、何枚も散らばっていた。
昨夜、休むように言われたはずなのに、また限界まで調べ物を続けていたのだろう。
「まったく、マスターは……」
呆れたように呟きながらも、アリーシャの表情は自然と緩んだ。
眠っているレオの横顔には、戦場で見せた張り詰めた表情も、力不足に悩む苦しさもない。そこにあるのは、年相応のあどけない寝顔だった。
頬には、錬金術書の頁に押しつけていた跡が薄く残っている。
アリーシャは思わず微笑み、その寝顔をもう少し眺めていたいと思った。
しかし今日は、王へ戦いの詳細を報告しなければならない。仲間たちも、すでに朝食の席で二人を待っているはずだ。
「マスター、朝ですよ。起きてください」
アリーシャはレオの肩へ手を添え、優しく揺らした。
「んっ……」
「マスター?」
「んん……あと、少しだけ……」
レオは目を覚まさないまま、錬金術書を抱き込むように腕を動かした。
その様子に、アリーシャは困ったように微笑む。
「いけません。今日は王へのご報告があります。皆様もお待ちですよ」
「んん……王……?」
レオの瞼が、ゆっくりと開く。
ぼんやりとした碧眼が、すぐ隣に立つアリーシャを捉えた。
数秒の沈黙。
「……んん!? えっ、アリーシャ!?」
状況を理解したレオが、勢いよく身体を起こした。
「ど、どうして僕の部屋に!?」
「何度お呼びしても、お返事がありませんでしたので。それに――」
アリーシャは、開いたままの扉を示した。
「マスター、鍵が開いていましたよ?」
「鍵……?」
レオは寝ぼけたまま首を傾げる。
やがて昨夜、部屋へ入るなり装備を外し、そのままベッドへ倒れ込んだことを思い出した。
「あっ……。そういえば昨日、部屋へ戻って安心して、そのまま倒れ込んだんだっけ……」
その後、戦闘を思い返して眠れなくなり、錬金術書を読み始めたのだ。
「とりあえず、先に朝食へ参りましょうか?」
「う、うん……」
アリーシャに促され、レオは立ち上がりかける。
しかし、自分の服や寝癖のついた髪を見下ろし、すぐに動きを止めた。
「あっ! ちょっと待って!」
「どうされました?」
「その……アリーシャは、部屋の外で待っていてくれる?」
理由が分からない様子で、アリーシャが首を傾げる。
「あ、いや、ほら……シャワーも浴びたいし、着替えもしないと……」
レオは恥ずかしそうに笑いながら、自分の寝間着を指差した。
「あはは……。さすがに、この格好では行けないから」
「…………」
そこでようやく、自分が男性の寝室へ入り込んでいたことを意識したのだろう。
アリーシャの顔が、みるみる赤くなっていく。
「す、すみません! そ、そうですよね!」
アリーシャは慌てて一礼すると、逃げるような早足で部屋を出た。
「お待ちしておりますので、ごゆっくり――いえ、できるだけお急ぎください!」
扉が勢いよく閉じられる。
部屋へ一人残されたレオは、その扉を見つめながら小さく首を傾げた。
「……どうしたんだろう、アリーシャ」
◇
急いでシャワーを浴び、身支度を整えたレオが部屋を出ると、アリーシャだけでなく、腕を組んだライラも待っていた。
「ごめん、遅くなっちゃった」
「本当よ。いつまで寝ているつもりだったの?」
ライラは腰へ手を当て、呆れたようにレオを見た。
「私が様子を見に来なかったら、アリーシャまでいつまでも戻ってこないところだったわ」
「仕方ないでしょう? ほとんど寝ていなかったみたいですから」
アリーシャがレオを庇う。
「ほとんど寝ていない?」
ライラの眉が、ぴくりと動いた。
「ア、アリーシャ。それは、まだ言わなくても……」
レオが慌てて口を挟むと、ライラは深いため息をついた。
「これだから子供は……」
「子供って……ライラも僕と一歳しか変わらないじゃないか」
レオが苦笑しながら言い返す。
「ほら! そんな屁理屈を言っている場合じゃないでしょう! みんなを待たせているんだから、早く行くわよ!」
図星を突かれたライラは、誤魔化すように踵を返した。
「はいはい」
「返事は一回!」
先頭を歩くライラを、レオとアリーシャが並んで追いかける。
城の食堂へ入ると、銀翼の旅団のジーク、セレス、カイト、エレナに加え、ミレイユとイグニスもすでに朝食を取っていた。
「おっ、ようやく来たか」
ジークがレオの顔を見るなり、悪戯っぽく笑う。
「おそようさん」
「おはようございます……。遅くなって、すみません」
「レオ、こっちへどうぞ」
ミレイユが手招きし、自分の隣の席を示した。
「ありがとう」
レオが席へ着くと、目の前へ温かなスープと焼き立てのパン、卵料理が並べられる。
湯気とともに漂う香りを嗅いだ途端、空腹を思い出したレオの腹が小さく鳴った。
聞こえていないことを祈りながらパンへ手を伸ばすと、隣に座るミレイユが尋ねた。
「昨晩は、よく休めましたか?」
「えっ?」
レオの手が止まる。
「あ、ああ! うん、もちろん。ぐっすり休めたよ!」
できる限り自然な笑顔を作ったつもりだった。
しかし――。
「嘘だな」
ジークが即座に言った。
「ああ、嘘だ」
イグニスも迷いなく続く。
「嘘ですね」
セレスが穏やかな笑顔のまま断言した。
「レオは嘘が下手だなぁ!」
カイトが声を上げて笑う。
エレナは口元へ手を添え、二人のやり取りを見ながら小さく笑っている。
「はぁ……」
ライラだけは、予想どおりだったと言わんばかりに、深いため息をついた。
「うぐっ……」
全員から否定され、レオは言葉に詰まる。
「僕って、そんなに顔へ出ちゃう?」
最後の望みを託すように、レオはアリーシャを見た。
アリーシャは少し考える素振りを見せたあと、にこりと微笑んだ。
「はい。はっきりと出ていますよ」
「アリーシャまで……」
あまりにも容赦のない答えに、食堂が明るい笑い声で包まれる。
顔を赤くしたレオは、恥ずかしさを誤魔化すようにパンを口へ詰め込み、急いでスープを飲み始めた。
「マスター、そんなに急いで召し上がると、むせてしまいますよ?」
「だ、大丈夫だよ。このくら――ごほっ、ごほっ!」
言った直後、レオは胸を押さえて咳き込んだ。
「だから言ったじゃありませんか」
アリーシャは困ったように微笑みながら、レオの背中を優しくさすった。
「だ、大丈夫……。ちょっと急いで食べすぎただけだから……」
渡された水を飲み、レオはようやく息を整える。
その様子を見て、食卓には再び笑い声が広がった。
戦いの最中には、誰もが命を懸けていた。
ほんの一歩判断を誤れば、この食卓を囲む者の誰かが、ここにいなかったかもしれない。
だからこそ、こうして仲間たちと同じ朝を迎え、くだらないことで笑い合える時間が、レオには何物にも代え難く感じられた。
(こういう時間を、守れたんだ……)
昨夜は自分の力不足ばかりを考えていた。
けれど、仲間たちの笑顔を見ていると、自分たちが成し遂げたことの意味も、少しだけ実感できるような気がした。
温かなスープの香り。
食器の触れ合う小さな音。
窓から差し込む朝日。
それらすべてが、長い戦いの終わりを静かに告げている。
レオはもう一口だけ水を飲むと、今度こそ慌てることなく朝食へ手を伸ばした。
やがて、食事が終わりに差しかかった頃。
食堂の扉が静かに開き、一人の侍従が入ってきた。
「皆様、ご歓談中のところ失礼いたします」
侍従は一同の前まで進むと、姿勢を正して深々と頭を下げた。
「陛下が玉座の間にて、皆様をお待ちでございます。お食事がお済みになりましたら、昨夜お戻りになった皆様より、アイゼンガルド防衛戦について詳しいご報告を伺いたいとのことです」
先ほどまで笑い声に満ちていた食卓の空気が、わずかに引き締まった。
ジークは椅子の背もたれから身体を起こし、セレスも静かに食器を置く。イグニスとミレイユの表情からも、先ほどまでの柔らかさが消えていた。
ライラは仲間たちを見回したあと、王女としての凛とした表情を取り戻し、侍従へうなずいた。
「分かったわ。こちらも、父上にすべてをお伝えするつもりでいたの。支度が整い次第、すぐに向かいます」
「かしこまりました。玉座の間にてお待ちしております」
侍従はもう一度一礼すると、静かに食堂を後にした。
閉じられた扉を見つめながら、レオは昨夜の戦いを思い返す。
襲い来る魔物の群れ。
戦場を包んだ炎と轟音。
傷つきながらも、最後まで戦い抜いた仲間たち。
そして――自分の目の前で起きた、すべての出来事。
朝食を終えたからといって、あの戦いの記憶まで消えるわけではない。
今度はそれを、自分たちの言葉で王へ伝えなければならないのだ。
「それじゃあ、行きましょうか」
ライラが席を立つ。
その声に応じるように、仲間たちも一人、また一人と立ち上がった。
レオも最後に残っていた水を飲み干し、椅子から立ち上がる。
朝の穏やかな光が差し込む食堂を後にして、一行は玉座の間へ続く回廊を歩き始めた。
戦いを終えた者たちが、その結末を語るために。
そして、クレスヴァーデンで過ごす新たな一日を始めるために――。
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次回の更新は8月28日(金)AM1時を予定しております。




