2-3話:境界の一歩、15歳の決断
小鳥たちのさえずりと、岩の隙間から差し込む柔らかな朝陽が、レオのまぶたを優しく叩いた。 春の朝特有の、少し湿った土の匂い。レオはゆっくりと体を起こし、固まった関節を解くように背伸びをした。
「……朝だ」
まずは、使わせてもらった場所の片付けを始める。 燃え残った薪の灰を丁寧に土に埋め、踏み荒らした地面を平らにならす。 この街道は、父が領民のために守り続けてきた道だ。自分を追い出した家とはいえ、その「仕事」を汚すような真似はしたくない。それが、ヴァレンタインの血を引く者としての、そしてこの道に一晩守られた者としての、レオなりの矜持だった。
身支度を整え、背負い袋の紐を強く締め直す。 再び歩き出すと、やがて視界の先に、古びた、けれど堅牢な石造りの石柱が見えてきた。
そこが、ヴァレンタイン領の終端。 この柱を越えれば、もうそこは「家」ではない。
「…………」
石柱の手前で、レオの足が止まった。 一歩。たった一歩を踏み出すだけのことだ。けれど、その一歩の重みに足がすくむ。
目を閉じると、この15年間の記憶が走馬灯のように駆け巡った。 亡き母の膝の上で聞いたお伽噺。 父との血の滲むような稽古の日々。 「無能」と蔑まれ、それでも必死に図面を引いた夜。 そして、昨日失ってしまった、街の友人たちの笑顔。
苦しいことの方が多かったはずなのに、いざ離れるとなると、屋敷の冷たい石床の感触さえもが愛おしく、名残惜しい。
(……お母様。お父様。僕、行ってくるよ)
レオはぐっと拳を握りしめ、肺いっぱいに冷たい空気を吸い込んだ。 心細さは消えない。不安も消えない。 けれど、自分の手の中には5年かけて作り上げた「鉄くず」があり、胸には母のブローチがある。
「――よしっ!」
自分に気合を入れるように、短く声を上げた。 迷いを断ち切るように、15歳の男はヴァレンタインの地を蹴り、境界線を力強く踏み越えた。
その瞬間、肌を撫でる風の色が変わった気がした。 ここからは王都の直轄領。もはや「辺境伯の息子」という肩書きさえ通用しない、ただのレオという一人の人間としての旅が始まる。
「目指すは、王都。……待ってろよ、世界」
前を見据える瞳には、朝陽を反射して鋭い光が宿っていた。 一歩、また一歩。 振り返ることをやめた少年の足取りは、昨日よりもずっと力強く、未知なる未来へと刻まれていった。




