刻みを数える朝
十二枚の端切れを油紙の上に重ね直し、角を揃えて包みました。七人目の棒は、その脇に寝かせたままにいたしました。明日の朝、工房へ持って戻ります。
「返書は、今夜のうちに書きます」
「書き終えるまで、ここにいてもいいか」
「どうぞ。火が落ちませんように」
ユリウス様は炉に薪を一本足し、それきり手を膝に戻されました。
返書は短くなりました。
衣装局の書庫に、十八枚目の札がございます。茜の仕上げ浸しは裾から膝の高さまで、と書いてございます。閲覧の手続きをなされば、どなたでもご覧になれます。夜明け工房では、お召しになる方お一人ずつに、裾から膝までの丈をお尋ねしております。
組合の名は書きませんでした。十二枚の際が一本の線の上に並んでいたことも、書きませんでした。端切れは包みのままお返しいたします。布を並べるのは、あちらのお家の方でございます。並べれば、布はわたくしに答えたのと同じことを、あちらにも答えるはずでございます。
封をして顔を上げると、炉の火はまだ高いままでございました。
◇
翌朝、川霧が坂の下に溜まっているうちに、工房の戸を開けました。甕の口から立つ湯気が、冷えた空気の中で白く折れ曲がります。
坂を下りてこられたユリウス様は、敷居の一歩手前で足を止められました。
「入ってもいいか」
「どうぞ」
一日に幾度となく口にする言葉でございます。染め手に、ティモに、甕の見立てを尋ねる誰にでも申します。それなのに、この朝の一度だけは、喉のどこを通って出たのか分かりませんでした。ユリウス様が敷居を越えられる音を聞いてから、ようやく、自分が息を止めていたことに気づきました。
わたくしは包みから七人目の棒を出し、壁の右から七つ目の木釘に、紐で掛け戻しました。空いていた場所が、ひとつ埋まりました。
「ハンナ。数えてくださいますか」
「あいよ」
ハンナは大きな指で、一本目の頭から刻みを撫でてゆきました。一つ。二つ、三つ。七本目で指が少し長く止まり、刻みを七つ、声に出して数えました。それから甕の脇に積んだ反物の端へ回り、紐の結び目を一つずつ数えます。結び目七つの一反の前で、ハンナは壁の七本目を振り返り、頷きました。
「十二本。十二反。全部、合ってる」
字は一つも要りませんでした。
ここで、一つだけ手順を足しました。先日の札、棒が欠けたら寸法書きから作り直すという一枚の、すぐ後ろに綴じるものでございます。
「棒を館から運んだ日は、使う前に、刻みと結び目を数え合わせます」
館と工房のあいだには坂がございます。坂を往き来したものは、往き来したというだけで、一度数え直す値打ちがございます。
ミアが絵札を描きました。館の屋根、矢印、棒を握る手、刻みを撫でる指、紐の結び目、それから丸をひとつ。ハンナが角に刻みを入れ、綴じた札の最後に加えました。ローザがその一枚を手に取り、壁の前で七本目の刻みを指でなぞってから、反物の結び目を同じ指でなぞってみせました。
「札のとおりに」
ティモが申しました。
◇
昼前、ハイネ伯爵家の一反目を台に広げました。端の紐の結び目は一つ。壁から、刻み一つの棒を外します。
棒の足を裾の端にぴたりと付け、膝の刻みのところで、ハンナが細い紐を布の幅いっぱいに渡しました。左の耳、中央、右の耳。三か所で棒を当て直し、紐がどこでも刻みの高さにあることを、ティモが巻き尺で確かめます。
「寸法書きのとおりに。三か所とも、同じ高さでございます」
茜の甕からは、藍とは違う湯気が上がっておりました。根を煮出した甘い土の匂いに、少しだけ鉄が混じります。湯気が頬に当たると、そこだけ肌が赤らむような気がいたしました。
ローザとアンナが布の両端を持ち、裾から甕へ下ろしてゆきます。二人の目は、布ではなく紐を見ておりました。紐が湯の面に触れる手前で、二人の腕がそろって止まりました。どちらかが下がれば、どちらかが上がります。二人は声も掛け合わずに、紐の高さを湯の面と平らに保ちました。
甕の脇では、ミアが砂時計の前に座っておりました。砂が落ちきるたびに、ミアは小さく息を吸ってから返します。第三話で色むらを出した手は、今は砂時計の縁を、指の腹で確かめるように持っておりました。
引き上げた布は、膝の紐を境に、下だけが茜を含んでおりました。藍の上に赤が重なり、裾のほうから明るい紫へ、夜明け前の空のほうへ寄ってゆきます。紐から上は、藍のままでございました。
ティモが紐の際に顔を近づけ、しばらく黙っておりました。
「紐の上は、一筋も濡れておりません」
十二人いれば、膝は十二通りございます。今日の一反は、その一通り目でございます。
◇
夕方、明日からあの一反を流す水を見ておくことにいたしました。水晒しの見回りでございます。
戸口でわたくしは、外套を取りかけた手を止めました。ユリウス様は、まだ長屋の隅で、ティモの巻き尺の傷んだ端を見ておられました。
「ユリウス様。見回りに、ご一緒なさいますか」
ユリウス様は顔を上げ、少しだけ間を置かれました。
「隣を歩いてもいいか」
「どうぞ。川のほうを」
引き口では、修繕した覆い板の下から、水が途切れずに入っておりました。落ち葉が一枚、板の縁で回ってから流れてゆきます。籠のそばでは、空の籠の目を水がまっすぐ抜けてゆくのを見ました。出口では、流れが川へ戻る音を、二人で黙って聞きました。
ユリウス様は、ずっと川のほうを歩いておられました。土手の縁は濡れて滑りやすく、そちらを歩けば裾が汚れます。わたくしが川のほうを、と申したのは、そういう意味ではございませんでしたが、訂正はいたしませんでした。
◇
五日後、ハイネ家へ向かう使いの方が、館に立ち寄って知らせを置いていかれました。
あのお家は、返書を受けたのち、書庫で十八枚目の札をご覧になったそうでございます。それから組合をお呼びになり、二つのことを尋ねられました。十二反ぶんの茜を、どこから仕入れるのか。お召しになる十二人の膝の高さを、なぜ一度も尋ねなかったのか。
組合は、どちらにも答えられなかったそうでございます。茜の入手先を示さぬまま、見本だけで注文を取ろうとしていたことになります。お家は組合への注文を取りやめ、見本の代金も払わないとお決めになりました。見本十二枚の手間賃が銀貨十二枚、王都の倉からお家まで見本を届けた往復の馬車代が銀貨八枚。合わせて銀貨二十枚は、組合の持ち出しのまま残りました。
わたくしは何もいたしておりません。札が書庫にあり、端切れがあちらにあっただけでございます。
◇
その翌朝、二反目の結び目を数えていたときでございました。
坂の上から、足音が一つ下りてまいりました。馬車の音はございませんでした。川霧の向こうに現れたのは、外套の胸に組合の徽章を付けていない、五十がらみの男の方でございました。徽章の留め跡だけが、布に小さく白く残っておりました。
オスヴァルト・クレーマー様でございます。組合長でも、組合の使いでもなく、ただのクレーマー様として。
壁際でユリウス様が、こちらへ顔を向けられました。わたくしは小さく首を振りました。ユリウス様は、その場から動かれませんでした。
クレーマー様は敷居の前で、足を止めませんでした。
尋ねることもなく、そのまま一歩、工房の内へ踏み込まれました。
(第23話へ続く)
本文に出てまいりました布の「耳」は、織った布の左右にある、ほつれにくい縁のことでございます。作中では、左右の耳だけでなく中央にも棒を当て、浸す高さを確かめております。布を下ろす前のひと手間にも、染め手たちの慎重さを感じていただけましたら幸いです。




