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【連載版】「青い手の女など要らない」と婚約破棄されたので、御前染めでは新しい婚約者様ご自身の手で夜明け色をお出しください  作者: ろくさんだ


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膝までの物差し

 家令の方は、しばらく黙っていらっしゃいました。暖炉の薪が一つ爆ぜ、灰が火床の奥へ崩れる音だけが客間に残りました。それから家令の方は書付の端を指で押さえ、一度だけ「膝まで、でございますか」と繰り返されました。


「はい。十八枚目の札のとおりでございます。衣装局の書庫で、どなたでもご覧になれます」


 御前染めの七日間に、わたくしが二十一枚の工程札を書き、衣装局へ納めたものでございます。書いた者が誰であろうと、札は札のとおりにしか読めません。


「組合は、腰までのほうが祝宴には華やかだと申しました」


「華やかかどうかは、わたくしには申せません。申せるのは、腰まで入れた布が雨の日にどうなるか、でございます」


 リンデン伯爵家の花嫁の手袋が青く染まったことを、王都で知らない家令はおりません。家令の方は小さく息をつき、書付を膝に置かれました。指先が、紙の上で一度だけ握り込まれ、すぐにほどけました。


「では、条件をお聞かせ願えますか」


「一反金貨十二枚。前金はいただきません。お納めするのは、今日から数えて四十五日目でございます。お納めする前に、そちらのお家の方が包みを解いて、試す反をお選びください。試し布は染め終わりの一端から幅いっぱいに採り、切り込みを入れて添えます」


 十二反で金貨百四十四枚。組合の値より高うございます。けれど、組合の布はまだ一反も届いておりませんので、比べようがございません。届いていない布は、安くも高くもございません。ただ、届いていないだけでございます。


「それと、もう一つお願いがございます。お召しになる方の、裾から膝までの丈を、お一人ずつお教えくださいませ」


 家令の方は、外套の内から別の紙を出されました。折り目が四つ、角が少し擦り切れておりました。王都から何日も、胸の内に入れて運ばれた紙でございます。


「十二人ぶん、寸法は控えてまいりました。……組合からは、一度も尋ねられませんでしたが」


 腰まで入れるのでしたら、膝の高さは要りません。尋ねる必要がなかったのでございましょう。尋ねずに済む仕事は、楽でございます。手順を省いた仕事の行き着く先を、わたくしは手袋一組ぶん、存じております。


 隣の椅子で、ユリウス様は最後まで何もおっしゃいませんでした。家令の方が客間を下がられ、廊下の足音が遠のいてから、ようやく、こちらへ少しだけ顔を向けられました。


「ひとつ尋ねてもいいか」


「どうぞ」


「四十五日で、あなたは眠れるか」


「眠れる日数を足して、四十五日にいたしました。四十日でも染まりますが、四十日ですと、わたくしが甕より先に機嫌を損ねます」


「そうか」


 それだけおっしゃって、ユリウス様は暖炉に薪を一本足してくださいました。足してもいいか、とは尋ねられませんでした。薪は、わたくしの手の中にはございませんので。


 火が少し高くなり、膝の上の寸法書きが、橙に透けました。


◇


 翌朝、工房の長屋に寸法書きを広げました。川からの風がまだ冷たく、甕の口に張った薄い湯気が、戸を開けるたびに横へ流れます。茜の根を刻んだ匂いが、土と鉄の匂いに混じって鼻の奥に残りました。


 十二人の丈は、短い方と長い方とで、手のひら一枚ぶん違っておりました。


「膝ってのは、布のどこのことだい」


 ハンナが寸法書きを覗き込み、大きな手で頭を掻きました。字の並んだ紙は、ハンナにとってただの黒い点の群れでございます。染め手十二人のうち、字の読めない六人は、四人がご自分の名だけは書けるようになりましたが、数の並んだ寸法書きはまだ読めません。


 紙で見せても伝わらないのでしたら、人の脚で見せるしかございません。


 戸口には、坂の上から送ってくださったユリウス様が、帰りそびれたように立っていらっしゃいました。外套の肩に、朝の霧がまだ細かく残っておりました。


「ユリウス様。膝の高さを、測らせていただいてもよろしいでしょうか」


 ユリウス様は、ほんの少しだけ間を置かれました。


「……どうぞ」


 わたくしの口癖でございました。染め手たちの肩が、いっせいに小さく揺れました。誰も声には出しませんでしたので、わたくしも出さずにおきました。耳の先が少し熱いのは、甕の湯気のせいでございます。


 干し場の柱の前に立っていただき、わたくしは竿の切れ端を、ユリウス様の踵のわきに立てました。乾いた木の、ささくれた手触りがいたしました。膝の皿のすぐ下に、ハンナが炭で印をつけます。炭の粉が、ユリウス様の長靴の先にこぼれました。ユリウス様は、払おうとなさいませんでした。


「ここが膝。ここから下が茜。ここから上は、入れない」


「入れないと、どうなるんだい」


「入れないと、夜明けの色になります。入れると、ただの赤い裾になります」


 ハンナは竿の切れ端を手に取り、印のところに刻みを一本入れました。小刀が木に食い込む、短い音がいたしました。それから寸法書きを見ずに、わたくしの顔を見ました。


「十二人ぶん、こういう棒を作ればいいんだね。一人に一本」


「はい。寸法はわたくしが読みます。刻むのは、ハンナです」


 その日の昼までに、十二本の物差しが並びました。長さはそれぞれ、寸法書きの丈のとおり。わたくしが数を読み上げ、ティモが巻き尺を当て、ハンナが刻みます。三人の声と小刀の音が、甕の湯の沸く音と交互に長屋に響きました。棒の頭には、一本目に刻み一つ、二本目に刻み二つと、十二本目まで刻みを入れました。反物の端にも同じ数の結び目をつくった紐を縫いつけ、刻みと結び目の数が合う棒だけを、その反に当てることにいたしました。


 字が読めなくとも、指で刻みを数え、指で結び目を数えれば、間違えようがございません。間違えようのない手順を、手順と申します。


 ティモが寸法書きを片手に、十二本を一本ずつ巻き尺で測りました。


「札のとおりに……いえ、寸法書きのとおりに。十二本とも、狂いはございません」


 午後には家令の方にも来ていただき、ご自分の目で十二本を測っていただきました。家令の方は三本目で巻き尺を当てるのをおやめになり、残りは数えるだけになさいました。数えるだけで足りると思っていただけたのでしたら、棒の役目は半分済んでおります。


 絵札はミアが描きました。裾に棒を当て、棒の先まで茜の色を塗った布。その上の、腰のあたりには、×をひとつ。ミアの筆は、×のところだけ少し強く紙を押しておりました。ハンナが絵札の角に、棒の刻みと同じく一から十二の刻みを入れ、十二枚を紐で綴じました。


 ローザが新しい絵札を手に取り、裾に棒を当て、棒の先を指で押さえてみせました。字は一つも要りませんでした。字の読めない六人のうち、いちばん若い一人が、ローザの指の位置をじっと見て、それから自分の膝を、そっと手で押さえました。


◇


 家令の方が王都へお戻りになる前の晩、お家からの早馬が館に着きました。蹄の音が中庭の石畳で止まり、湿った馬の匂いが、客間の扉の隙間から少しだけ入ってまいりました。


 グラーフェン侯爵家からのお返事が、写しで同封されておりました。家令の方は、それを客間のテーブルに広げてくださいました。わたくしに読ませる必要はございませんのに、と思いましたが、広げられたものは読みます。


 侯爵家は、廃嫡したセドリック様がかつて組合の顧問として署名した注文について、家として一切の保証をしないこと。組合が負った違約金を、家からは一枚も出さないこと。それから、セドリック様に預けていた家の紋入りの封蝋を、この冬のうちに引き上げること。そう書かれておりました。


 かつて同じ家の名で、わたくしとの婚約を取り消す書状が届いたことがございます。あのときの封蝋も、同じ紋でございました。紋は、押す方を選ばないものと思っておりましたが、押させる方は選ぶようでございます。


「この写しは、当家だけでなく、同じく組合に頼んでいた家々にも回ったそうです」


 家令の方は、指で二つの家の名を示されました。


「この二家も、ハーゼル産の茜とグラーフェン様の署名が入った注文を持っておりました。合わせて二十反。昨日のうちに、どちらも注文を取りやめ、前金の金貨四十枚を組合から返させたと」


 家の保証のない署名は、ただのインクでございます。インクで茜は染まりませんし、前金も留まりません。


「当家は、こちらの十二反を待ちます。四十五日目に」


 家令の方はそうおっしゃって、注文書を二通、差し出されました。わたくしは作り手の欄に自分の名を書き、その下に工房の名を書きました。夜明け工房。インクが紙に沈むまで、少し時間がかかりました。隣でユリウス様が、手を膝に置いたまま、ペン先が止まるまで待っていてくださいました。覗き込むことも、肩越しに読むこともなさいませんでした。


 書き終えてペンを置くと、ユリウス様は小さく一度だけ頷かれました。何に頷かれたのかは、尋ねずにおきました。


◇


 組合の馬車がもう一度ハーゼルに入ったのは、家令の方が発たれて四日目の朝でございました。


 今度は一台きりで、荷台に籠は積まれておりませんでした。車輪が坂の轍を噛む音が、川霧の向こうから近づいてまいります。馬車は茜干し場の前を素通りし、川辺の工房の前で止まりました。


 降りていらしたのは、セドリック様ご本人でございました。紋のない外套をお召しで、手には組合の名の入った注文書の写しをお持ちでした。外套の襟元には、以前は留め金のあった場所に、糸の跡だけが残っておりました。


「その十二反は、組合が先に受けた注文だ。裾から腰まで、と私が書いた」


 お答えする必要は、ございませんでした。注文を取りやめたのは、あちらのお家でございます。わたくしは甕の前から動かず、ユリウス様は戸口の内側で、一歩も出ずに立っておられました。甕の湯が、ことりと小さく鳴りました。染め手たちは、誰も手を止めませんでした。


 セドリック様は干し場を見回し、壁に立てかけた棒の列に目を留められました。


 ハンナが刻んだ十二本の物差しのうちの一本へ、セドリック様の手が伸びました。


(第21話へ続く)

今回の物差しは、字の代わりに刻みと結び目の数で照らし合わせる仕組みです。木の棒に刻み目を入れて数を覚えておく方法は、昔から各地で使われてきた素朴なやり方だそうです。作中では、棒の頭の刻みと反物に縫いつけた紐の結び目が合ったときだけ、その反に当てる決まりにしております。お読みいただきありがとうございます。


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