折れる根
茜の根は、乾いていれば、ぽきりと折れます。
湿りが残っていれば、折れずに曲がります。曲がる根を棚に積んでおくと、ひと月のうちに白い黴がまいります。黴は根の皮の継ぎ目から、粉を吹いたように広がります。そうなった根を甕に入れると、赤は濁り、夜明けの色にはなりません。
秋に掘った四百束のうち、婚礼の四十八反と呉服屋の八反に使った残りを干し場の奥の棚に吊してございますが、雪の季節は外の湿りが棚まで上がってまいります。板壁の隙間から入る冷えは乾いておりますのに、足もとの土間からは、雪解けの水の匂いがゆっくりと立ちのぼってまいります。ですから、わたくしは週に一度、束を下ろして確かめることにしておりました。
その朝、干し場の息は白く、棚の茜は土と鉄を混ぜたような、少し甘い匂いをさせておりました。ハンナが一束の端から根を一本抜き、両の親指で押しました。
ぽきり、と乾いた音がいたしました。
「次」
ハンナは束を数えるとき、口では数えません。手元の板に、刻みを一本ずつ入れていきます。折れた束は刻み一本、曲がった束は刻みの横に小さな丸。丸の付いた束は竈の脇の棚へ移し、もう一日干し直します。小刀が板を削る音と、根の折れる音が、同じ拍子で続きました。
これまでは、わたくしとハンナの二人で回しておりました。けれど、字の読めない者が見ても同じように分けられなければ、わたくしたちが風邪をひいた日に、棚の茜は黙って黴びてまいります。根は、こちらの都合を待ってはくれません。
「ミア、絵を一枚描いてもらえますか。折れる根と、曲がる根を、並べて」
「はい。曲がるほうは、弓みたいに描きます」
ミアは炭の欠片を指でつまみ、板切れの上で何度か線を引き直しました。折れる根は、真ん中で二つに割れた棒。曲がる根は、両端の持ち上がった弓。誰が見ても、間違えようのない絵でございました。
ミアが描き、ハンナが下の端に刻みを入れました。折れる根の下に一本、曲がる根の下に丸。それから「一束から端の根を一本抜く」という絵を、もう一枚添えました。束の真ん中から選ぶと、乾きのよい根ばかり当たるからでございます。端の根が、いちばん湿りを抱えております。
御前染めの七日間、甕の前で手順を一枚ずつ札に起こしたときと、やっていることは変わりません。わたくしの指でなくても同じ答えが出るように、絵と刻みに置き換えるだけでございます。
ローザとアンナが、二枚の札だけを見て、次の十束を分けました。ローザは最初の一本を折るとき、札とご自分の指を三度見比べました。アンナは曲がった根を光にかざし、首をかしげてから丸を付けました。わたくしは横で見ておりましたが、口は出しませんでした。丸の付いた束は二つで、わたくしが折っても同じ二つでございました。
◇
昼前、干し場へ続く道に、車輪の音が二つ聞こえました。
幌のない荷馬車が二台、雪を割って上がってまいります。馬の鼻先から白い息が規則正しく吐き出され、轍の跡に泥の色が滲んでおりました。荷台には空の茜籠が重ねてありました。姉の手紙のとおりでございます。手紙と馬車は、ほとんど同じ速さで王都を出たのでしょう。
先の一台から、毛皮の襟の外套を着た方が降りられました。
セドリック様でございました。
干し場の前では、茜掘りの女の方たちが籠を編んでおりました。染め手ではなく、秋に根を掘り、冬は籠を編む方々です。指先の荒れた手が、柳の枝を迷いなく交差させておりました。セドリック様はそちらへまっすぐ歩いていかれました。
「王都染物問屋組合の使いで来た、グラーフェンだ。茜を買いたい。一束、銅貨十二枚出そう。去年までより四枚も高い」
女の方たちは、編みかけの籠から顔を上げました。いちばん年かさの方が、首を横に振ります。
「今年の四百束は、全部、工房の分でございます。掘る前から決まっておりました」
「掘り残しがあるだろう。根の細いものでもいい」
「細いのも束に入れました。四百に足りるように掘りましたので」
セドリック様は、そこで初めて干し場の戸口を振り返られました。わたくしが立っているのを、最初からご存じだったのだと思います。ご存じのうえで、先に籠を編む方々へ声をかけられた。値を吊り上げれば、どこからでも根は出てくるとお考えだったのでしょう。
ユリウス様は、わたくしの隣にいらっしゃいました。竿前で決めた場所でございます。
「私が話してもいいか」
低い声で尋ねられました。
「いいえ。わたくしの茜でございますので」
「わかった」
ユリウス様は、隣から一歩も前へ出られませんでした。外套の袖が、わたくしの袖に触れるか触れないかの距離のまま、動かずにいてくださいました。
セドリック様が戸口まで来られました。雪を払う手つきは、侯爵家の廊下で見たものと少しも変わっておりませんでした。
「リーゼロッテ、久しぶりだな。君の工房に余っている茜があれば譲ってほしい。一束銅貨二十枚でいい。もとはと言えば、ハーゼルの茜に目を付けたのは侯爵家の商会だ。君があそこで暁染めを覚えたのも——」
侯爵家の工房で三年、わたくしは染めておりました。覚えたのではなく、染めておりました。その違いを、この方が覚えていらしたことはございません。値が十二枚から二十枚へ、戸口までの十歩ほどで跳ね上がったことにも、ご本人はお気づきでないようでした。
「余りはございません」
「四百束もあったんだろう」
「婚礼の四十八反と呉服屋の八反で使いました。残りの束も、甕の数と次の注文の反数で割り振ってございます。乾き具合も週に一度確かめております。余らせて黴させる束は、一束もございません」
「では、来年の分を」
「来年の茜の行き先は、来年、掘る方々がお決めになります。わたくしではございません」
年かさの方が、籠を編む手を止めずにおっしゃいました。
「銅貨八枚の三年は、こちらも覚えております」
柳の枝が、きゅ、と鳴りました。セドリック様は口をひらきかけ、何もおっしゃらずに閉じられました。
「どうぞ、お引き取りを。雪が深くなる前に」
二台の荷馬車は、来たときと同じ空の籠を積んで、坂を下りていきました。御者の方が一人振り返って、王都まで往復四日ぶんの雇い賃はもう組合から頂いている、と女の方たちに言い残していきました。二台で銀貨四十八枚だそうです。空の籠を往復させるには、立派なお値段でございました。
◇
午後、ユリウス様が干し場の札の前で足を止められました。ミアの描いた弓と棒を、しばらく黙って見ておられました。
「この根を、一本折ってもいいか」
「どうぞ。端の一本を」
わたくしは束を下ろし、端の根を一本抜いてお渡ししました。ユリウス様は札の絵を見比べてから、手袋を外し、両の親指で押されました。
根は折れずに、弓のように曲がりました。
「……曲がった」
「丸でございます」
ユリウス様は、ハンナの板の刻みの横に、小さな丸を一つ、ご自分で付けられました。小刀の持ち方は慣れておられませんでしたが、丸はきちんと閉じておりました。字ではなく、丸でございます。それで十分でございました。
「領主の手で付けた丸でも、一日干し直すのは同じか」
「同じでございます。根は、誰の手かを存じませんので」
ユリウス様は、ほんの少し口の端を緩められました。
「では、竈の脇まで運んでもいいか」
「お願いいたします。わたくしは次の束を下ろします」
ユリウス様が束を抱えて竈のほうへ歩いていかれる背中を、わたくしは一度だけ見ました。それから、次の束に手を伸ばしました。
一つの束の仕事を二人で分けたのは、初めてでございました。
◇
五日後、館に家令の方がお一人いらっしゃいました。王都のハイネ伯爵家の方だそうです。
客間の暖炉には薪が足され、出されたお茶から湯気が細く上がっておりました。家令の方はそれに手をつけず、書付を一枚広げられました。
「当家は秋の初めに、春の祝宴用の裾染め十二反を組合へ頼みました。一反金貨五枚、計六十枚。茜はハーゼル産と、組合の側から注文書に書き入れてございました。当時はまだ顧問でいらしたグラーフェン様の署名で」
「さようでございますか」
「先日、組合から、茜が手に入らぬので納期を延ばしたいと申し入れがございました。当家は延ばしませんでした。注文書の定めのとおり、前金の金貨三十枚を返させ、違約金として金貨六枚を払わせました」
組合の手元には、雇い賃を払った空の籠と、六枚の違約金だけが残ったことになります。手に入らない茜の名を、ご自分で注文書に書き入れたのですから、勘定は合っております。
「グラーフェン侯爵家にも、セドリック様の署名の件として書状を差し上げました。お返事は、まだでございます」
家令の方は書付を畳み、まっすぐわたくしをご覧になりました。
「それで、こちらの工房に、同じ十二反をお願いできないかと。組合は、裾から腰の高さまで茜を入れると約束しておりましたが」
わたくしは、膝の上で青い手を重ねました。藍の色は、冬のあいだも爪の際から抜けません。
暁染めの茜の仕上げ浸しは、裾から膝の高さまででございます。書庫に納めた十八枚目の札に、そう書いてございます。
隣の椅子で、ユリウス様は何もおっしゃいませんでした。尋ねる言葉さえ、今日は飲み込んで待ってくださっているのが分かりました。暖炉の薪が一本、小さく崩れる音がいたしました。
「お受けするかどうかは、わたくしが決めます」
家令の方がうなずかれます。
わたくしは、五日前に折った根の音を思い出しておりました。ぽきり、という乾いた音と、ローザが札とご自分の指を見比べていた横顔を。残りの茜も、乾きは週に一度確かめてございます。わたくしがいなくても、丸の数は同じに出ます。
「十二反、お受けいたします。ただし、茜は膝まででございます。腰まで入れた布は、もう夜明けの色ではございませんので」
(第20話へ続く)
茜という名は「赤い根」から来ていると言われるほど、染めに使うのは根の部分です。作中では、乾いた根はぽきりと折れ、湿りの残る根は弓のように曲がる、という見分け方で束を確かめています。束の真ん中ではなく端の根を抜くのは、そこがいちばん湿りを抱えやすいからです。お読みいただきありがとうございます。




