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【連載版】「青い手の女など要らない」と婚約破棄されたので、御前染めでは新しい婚約者様ご自身の手で夜明け色をお出しください  作者: ろくさんだ


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13/25

流れを数える札

 音のなくなった水路に、ミアの息だけが白く残りました。


 わたくしは引き上げた籠を岸の板へ置き、試し布を広げました。水に沈んでいたところと、籠の縁に掛かっていたところでは、冷たさが違います。


「今日の分は、なしですか」


「はい。いつ止まったか、確かめられませんから」


 朝に入れたことは分かります。けれど、その後も流れ続けていたとは申せませんでした。


 日暮れまで浸しておけば一日になる。そう決めれば、今日の仕事は減らずに済みます。


 布には、こちらの都合を数える役目がございません。


「ハンナさんを呼んでくださいませ。今ある布は、水晒しへ進めずに」


「はい」


 ミアは薄い氷を岸へ置き、工房へ戻っていきました。


 引き水の口では、落ち葉の塊が氷に挟まっておりました。その手前にたまった水の表面も、端から白くなり始めております。川の中央には流れがございますが、岸から棒を伸ばして届く場所ではありません。


 籠一つのために、人を川へ入れるつもりはございませんでした。


 工房へ戻ると、ハンナが袖を下ろして待っておりました。


「氷を割れば、流れますかね」


「一度は。それが明日の朝まで続くかは、別に確かめる必要がございます」


 わたくしは工程札のうち、水晒しを示す三枚を机へ並べました。


 一日ずつ、三日。絵札には水の筋と、三つの刻みがございます。


 水があることと、水が流れていることは違います。その違いを、これまでは川の音に任せておりました。


 冬には、音がなくなります。


「止まったら、数えるのも止める。まず、その絵が要りますね」


 ハンナは三本の刻みに指を置きました。


「ええ。それから、確かめられなかった一日は、数えない印を」


 わたくしは小さな板を取り、流れの線が途切れた絵を描きました。その下へ、一日ぶんの刻みを丸で囲まず、斜めに消したものを添えます。


 ミアがそれを見て、午後に外した札を持ってまいりました。


「これなら、次の人も、終わった分だと思いません」


 失敗を隠す蓋より、止めたと分かる札の方が役に立ちました。


◇


 ユリウス様が工房へいらしたのは、それから少し経ったころでした。


「水路を見るために、あなたと外へ出てもいいか」


「お願いいたします。引き口までは、板の道を通って」


 わたくしたちは、乾いた板を選んで水路へ向かいました。


 ユリウス様は岸から氷と落ち葉をご覧になり、それからお尋ねになりました。


「領内の水路を見ている職人を、ここへ呼んでもいいか」


「はい。わたくしから、必要な流れをご説明いたします」


 その日のうちに来た職人は、引き口の上流と下流を調べました。落ち葉を取り除くだけでは、浅くなったところが夜ごと凍るそうです。水路の底にたまった泥もさらい、引き口を覆う板を掛け直す必要がございました。


「明日は布を入れず、水だけ通して見てください。夜を越してからでないと、直ったとは言えません」


「かしこまりました」


 すぐ使えます、と言われるより、何を待つかが分かる方が助かります。


 わたくしは工房へ戻り、皆に、水晒しを明後日より前には始めないと伝えました。


「今日は甕の見立てと、道具の手入れまでにいたしましょう。帰り道が凍る前にお帰りくださいませ」


 十人のうち、遠い家から来ている三人が先に支度を始めました。ハンナは残ると言いましたが、わたくしは夜の水路を見に行く仕事は頼みませんでした。


 染め手を雇ったのでございます。


 氷の上を歩く者を雇った覚えはございません。


◇


 翌日、空の水路へ水を通しているところへ、王都の呉服屋の使いが訪ねてまいりました。


 春に売る布の相談だそうです。荷物から最初に出てきたのは、色見本ではなく、青く汚れた白い袖口でした。


「組合から届いた八反を、店で試した際のものです。審査官にも立ち会っていただきました」


 使いの方は、袖口を机の端へ置きました。


 先に姉が知らせてくれた六反とは、別の店でした。組合は今度も一反金貨三枚で納めようとし、店は引き渡しの前に、水洗いと白布への色移りを確かめたそうです。


「八反とも受け取りを断りました。前金の二十四枚は返還させましたし、春までに受け取るはずだった残り十六反も、店主が取りやめました」


 合計二十四反の置き場が、店の棚から消えたのでございました。


「元顧問のセドリック様は、裏地を付ければ売れると」


「裏地にも、色は移りますね」


「店主も、同じことを申しました」


 見えないところへ移せば済む。


 ずいぶん長くお使いの手立てでございます。


 わたくしは汚れた袖口には触れず、こちらの小さな見本をお見せしました。以前、水晒しを終えた布から切り分けておいたものでございます。


 使いの方は窓辺で色を確かめ、十六反をまとめて頼めるかと尋ねました。


「今は、お約束できません」


 窓の外では、水路職人が覆い板の隙間を調べておりました。


「冬の水晒しを、まだ確かめております。納められる日が決まってから、お引き受けいたします」


「前金をお置きしても?」


「今日は、お預かりいたしません」


 空いた注文を、空いたところへ押し込めばよいわけではございませんでした。


 甕にも、水路にも、一度に働ける分がございます。


 使いの方は財布をしまい、見本を一枚求めました。わたくしは同じ布を二つに切り、片方を工房に残しました。店でも、洗って確かめていただくためでございます。


◇


 その晩、館へ戻る時刻になっても、わたくしは工房の戸口から水路を見ておりました。


 水は流れております。けれど、昨夜も、冷え込む前には流れていたのでした。


 迎えにいらしたユリウス様が、戸の外でお尋ねになりました。


「今夜、職人が水路を確かめる時刻に、私にも知らせを寄越すよう頼んでもいいか」


「わたくしへ、ではなく?」


「あなたにも必要なら。ただ、あなたは知らせが来るまで眠らないつもりに見える」


 わたくしは、外套の留め具を一つ掛け損ねました。


 たいへん不都合なことに、この方は布以外もよくご覧になります。


「わたくしが見ていなければ、また一日を数えてしまう気がいたします」


「止まったら数えない札を、掛けたのだろう」


「はい」


「明日の朝、あなたが確かめてから始めればいい。今夜の見回りの知らせは、私が受け取ってもいいか」


 水晒しを始めるかどうかは、わたくしが決められます。


 今夜のうちに決めなくても、その権利がなくなるわけではございませんでした。


「……お願いいたします。今夜は、わたくしを起こさないでくださいませ。布は入っておりませんから」


「分かった」


 それだけのお返事でした。


 役に立つところを見せようとも、安心するよう言い聞かせようともなさいません。


「館まで、隣を歩いてもいいか」


「はい。今夜の夕食も、お隣で」


 わたくしは自分で戸を閉めました。


 仕事を残して帰る戸締まりが、これほど難しいとは存じませんでした。けれど、鍵を掛けたあと、もう一度開けることはいたしませんでした。


◇


 朝、水路の出口からは、途切れず水が落ちておりました。


 職人に覆い板を外してもらい、引き口に新しい詰まりがないことを確かめます。籠を据える場所でも、出口でも、水は動いておりました。


 わたくしは、あの日に引き上げた試し布を改めて入れました。


 ここから、一日目でございます。


 見回りでは、氷の有無だけでなく、引き口と籠のそばと出口を見ることにしました。一か所で水が動いているだけでは、布の周りも流れているとは限りません。


 ハンナが三か所の絵を指でたどり、ミアに順番を説明しました。ミアは出口まで歩いてから、戻って籠の脇を確かめました。


 翌朝、一つ目の刻みに紐が掛かりました。


 さらに二日をかけ、三つの刻みがそろいました。


 取り出した布を乾かし、その端を洗って白布に重ね、押さえます。離した白布に青が移っていないことを、皆で確かめました。


 ハンナが、流れの途切れた絵札を柱へ掛けました。


「止めた日も、無駄じゃなかったですね」


「はい。次に止まったとき、迷わずに済みます」


 失った一日を取り戻したのではございません。


 三日を、三日として数え終えたのでした。


 わたくしは呉服屋への返事に、まず八反ならば相談できると書きました。残る八反まで、一度に約束はいたしませんでした。


 封をする前に、戸を叩く音がいたしました。


 立っていたのは、マルタさんより少し背の低い女の方でした。両腕で抱えた包みには、道中の雪がついております。


「姉に、こちらへ持っていくよう言われました」


 差し出された包みを、わたくしは作業台で開きました。


 中には、一枚の布と、あの茶碗を描いた札がございました。


 布の片側だけが、くっきりと淡くなっておりました。


「同じ一杯で染めました。でも、姉とわたしで、半分ずつ違うのです」


(第14話へ続く)

作中の水晒しで流れのある水にこだわるのは、溜まった水では布から抜けた余分な色や灰汁がその場に残ってしまうからです。冬に川の音が消えると、水が動いているかは目で確かめるしかありません。引き口と籠のそばと出口の三か所を見るのは、そのための手順でした。お読みいただきありがとうございます。

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