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【連載版】「青い手の女など要らない」と婚約破棄されたので、御前染めでは新しい婚約者様ご自身の手で夜明け色をお出しください  作者: ろくさんだ


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一杯の線

 三つの茶碗を並べると、いちばん小さいものだけ、縁が欠けておりました。


「欠けたところまでは入れないようにしています」


 女の方は、そこを親指で隠しました。


「母の代から使っているので」


「では、いつもの一杯を入れていただけますか」


 水差しを渡すと、女の方は迷わず注ぎました。欠けた縁より、指一本ぶんほど下でございます。


 わたくしは空の鉢を置きました。


「こちらへ。それから、もう一度」


 二度目の水は、先ほどより少し高いところで止まりました。


 女の方の指が、茶碗の腹で止まりました。


「……同じつもりでした」


「わたくしも、同じつもりで札を書きました」


 工房の同じ茶碗を使う。


 ミアの布に色むらが出たとき、足した一行です。ここでは、皆が同じ棚から同じ茶碗を取ります。けれど、その棚まで書庫へ納めたわけではございませんでした。


 なかなか大きな忘れ物でございます。


 女の方は、マルタと名乗りました。隣領の町で、妹と二人、染めをしているそうです。衣装局の書庫で札を写し、帰り道を曲げて、ここへ寄ったとのことでした。


「ここと同じ茶碗を買わないと、染まりませんか」


「形を揃える必要はございません。ただ、一杯の量が途中で変わってはいけません」


 わたくしは自分たちの茶碗を隣へ置きました。


「それに、灰汁の濃さも確かめます。薄い灰汁を正しく一杯量っても、濃さまでは揃いませんので」


 帰り支度をしていたティモが、荷紐から手を離しました。


「灰汁の見立て札も、写しましたか」


「はい。卵の殻が、銅貨一枚ぶん、水の上へ出るところ」


 マルタさんは包みから写しを出しました。茶碗の絵の横に、小さな丸が描いてございました。


 尋ねる場所を、尋ねに来た方でした。


 わたくしは、もう一度、水差しを満たしました。


◇


 まず、三つの茶碗それぞれで、いつもの一杯を三度ずつ量っていただきました。


 受ける器には、細く真っすぐな筒を使いました。同じ平らな台へ置けば、水面の高さを比べられます。


 広い茶碗ほど、ほんの少し水面が上がるだけで、水の量が違っておりました。


「これでは、灰汁一杯と水五杯で、毎度違うものになりますね」


「はい。ですから、縁ぎりぎりまで入れるか、途中に線を決めるか。繰り返し同じにできる方を選びます」


 マルタさんは欠けた茶碗を持ち上げ、また置きました。


 次に選んだのは、いちばん深い茶碗でした。内側の釉薬の境が、ぐるりと一本、はっきり見えております。


「この線までなら、妹にも分かります」


「では、それで三度」


 三度とも、筒の水面は同じ高さに揃いました。


 わたくしが見てから、ティモが見ました。最後にマルタさんにも、横から確かめていただきました。


「こちらを、あなたの工房の一杯にしましょう」


「そちらの一杯より、少なくても?」


「灰汁も水も、その一杯で量ります。灰汁一杯に水五杯。その割合は変えません。布が十分に浸る量に足りなければ、同じ組をもう一つ作ります」


 大きな茶碗に持ち替えて、足りないぶんだけ目分量で補うことはいたしません。


 わたくしは六つの丸を描きました。一つを濃く塗り、残る五つには水差しの絵を添えます。その上に、内側へ一本の線を引いた茶碗を描きました。


 マルタさんは指で順にたどりました。


「灰汁が一つ。水が五つ。全部、この線まで」


「はい」


 戸口へ戻ってきたハンナにも、新しい絵を見てもらいました。ハンナは茶碗を一つ指し、次に六つの丸を指して、頷きました。


「碗を替えずに、六杯。足りなけりゃ、もう六杯だね」


 字の説明を聞かなくても、同じところへ着きました。


 ティモが札の下へ、追記をいたしました。


『一杯の位置を決める。灰汁と水は同じ器の同じ位置まで。作業の前に、水で三度確かめる』


 二十一枚の工程札に、別の工程を増やすのではございません。十五枚目にあった「同じ」の中身を、もう少し外へ出したのでした。


◇


 マルタさんは、その晩は町の宿へ泊まることにいたしました。


 明朝、工房で灰汁の見立てを実際に確かめ、持参した白布の切れ端を使って、量り方を試してから帰るとのことでした。


「ここで働かせていただいた方が、覚えられるのでしょうけれど」


 包み直しかけた手を止めて、おっしゃいました。


「妹と、続けたいんです」


「では、そのための札にいたしましょう」


 マルタさんは、欠けた茶碗も捨てずに包みました。それは糸を分けて入れるのに使うそうです。


 何を残し、何に使うかまで、こちらで決めることではございませんでした。


 外では日が落ちて、荷車の車輪の跡に、薄く霜が浮いておりました。


 ユリウス様は、工房の戸口で待っておられました。


「宿までの道案内を、館の者に頼んでもいいか」


「お願いいたします。川沿いは、暗くなりますので」


 マルタさんにも確かめてから、ユリウス様は従者に道案内を頼まれました。


 荷車を見送ったあと、わたくしは戸に掛けた札を裏返しました。本日の仕事は、ここまででございます。


「今夜の食事について、尋ねてもいいか」


「はい」


「夕方に決めた席を、用意してもいいか」


「お願いいたします」


 それから、わたくしは戸締まりの鍵を手袋の中へ落としかけました。


 茶碗の線なら、三度確かめられますのに。


「明日の晩は、わたくしからお誘いしてもよろしいでしょうか」


 ユリウス様は、すぐには答えられませんでした。


 わたくしは鍵を握り直しました。


「仕事が終わったら、お伝えにまいります。遅くなるようでしたら、それも」


「待っている。あなたが来られる晩に」


 毎晩の約束にはいたしませんでした。


 けれど、明日を尋ねていただくのを待つだけでも、なくなりました。


「館まで、隣を歩いてもいいか」


「どうぞ」


 鍵は今度こそ、物入れへ収まりました。


◇


 翌朝、マルタさんはわたくしの手元を見たあと、自分で灰汁を確かめました。


 見立てを済ませた同じ灰汁から、工房の茶碗で一組。持参した深い茶碗でも一組。水も、それぞれの一杯で五度ずつ加えます。


 同じ布から切った二枚を使い、浸す時間も揃えました。


 これだけで暁染めの出来を保証することはできません。藍の九度も、風へ出す十五分も、三日の水晒しも、省いてよいものにはなりませんでした。


 それでも、器の形が違うというだけで、手が止まることはなくなりました。


 マルタさんは新しい絵を自分で写し、妹に説明するつもりで、わたくしたちの前でもう一度手順を話しました。


 ティモは、途中で一度も口を挟みませんでした。


「札のとおりに、できています」


 その言葉を聞いてから、マルタさんは茶碗を包みました。


「うちへ帰って、妹とやります」


「はい。どうぞ」


 送り出した荷車には、来たときと同じ三つの茶碗が載っておりました。


 増えた荷物は、札一枚でございました。


◇


 その日の午後、姉から届いた手紙には、王都の呉服屋が受け取らずに済んだ六反のことが書かれておりました。


 組合は、売れ残った布を「普段着用」として、一反金貨三枚で納めようとしたそうです。


 注文した店は、先の公開の色止め試しを見ておりました。引き渡しの条件に白布を使った水洗いの試しを入れ、組合もそれを承知していたとのことでした。


 結果、添えた白布には青が移りました。


 立ち会った審査官は、六反とも条件を満たさないと判定いたしました。店は受け取りを断り、組合が受け取っていた前金、金貨十八枚は返されました。


『普段着なら青くなっても構わない、と元顧問の方がおっしゃったそうよ。店主は、自分の店の客に売る布です、と答えたとか』


 普段着の袖にも、隣の布は触れます。


 元顧問のお言葉では、色は止まりませんでした。


 わたくしは返事に、茶碗を三つ持ってきた染め手のことを書きました。帰るときには、自分で一杯を決めていたことも。


 姉への手紙を閉じたころ、ミアが水晒しの場所から戻ってまいりました。


 手には、薄い氷を一枚持っておりました。


「引き水の口に、これが」


 わたくしは外套を取り、川へ向かいました。


 水路の縁に白い氷が張り、落ち葉がその下へ噛み込んでおりました。昨日まで桶の底を絶えず動かしていた流れが、今は細い筋になっております。


 水晒しの籠には、今朝入れた試し布がございました。


 わたくしは籠を引き上げ、開始を示す札を外しました。三日のうちの一日目には、まだ数えられません。


 その間にも、水路の氷の下で、流れる音が途切れました。


(第13話へ続く)

今回出てきた細い筒は、現実の計量でもおなじみの考え方です。口の狭い器ほど、わずかな量の違いが水面の高さにはっきり表れるので、目で比べやすくなります。作中では、その筒を使って茶碗の「一杯」を三度確かめました。お読みいただきありがとうございます。

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